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「な、で、殿下。どうして……」
思わず猫を抱きしめ、王子から一歩下がる。
それを見て王子はすらりと腰から剣を抜く。ええ、ちょっと洒落にならない!
「ま、ま、待ってください殿下! この猫は」
「その猫、気配がない。いや、薄い……? とにかく、おかしい。俺が今の今までここにいる人間以外の気配に気づかないわけない。猫の姿をしているが魔法ではないか……?」
ぎゃー! まさかの最悪の展開に慌てて猫を抱きなおし、ガイアスとレイシスが前に出てくれたので遠慮なく下がる。
気配って、猫の気配って! 敏感すぎでしょう王子は何者ですか! 野生児か!
騒ぐ私達に、どうすべきかと残りのメンバーの視線が向けられる。本を読んでいたルセナまで視線を興味深そうに猫に向けていて、困ったと焦る頭で考えた時、王子の言葉を思い出しはっとした。
「殿下! 猫を生み出す魔法があるのですか!?」
急に顔を上げた私に驚いたものの、王子は「ああ」と剣を手にしたまま告げる。
「レイシス、どうかしら、その可能性は?」
「いえ、生命を生み出すのは無理です。ただ他に……変化魔法ならあることにはありますが、難しいですね。動物に変化する魔法は大抵非常に魔力を使いますから成功率は低い筈」
「だが必ず失敗するものでもないんだろう?」
私達がまるで王子の言ったことがありえる話のように相談し始めると、ルセナがぽつりと付け加えた。
「動物への変化は、自分より体の大きなもの限定です……」
「えっ」
告げられた言葉に驚いて猫を見下ろして、これが人間はありえないだろうという結論があっさりと出る。生まれたての赤ちゃんより小さいんではないだろうか。
猫はその視線をじっと王子に向け、大人しく私の腕の中にいる。……なんにせよ、王子の野生の勘? ですらこの猫がおかしいと思ったのだ、やはり調べないわけにはいかないだろう。
「魔法でないのなら、魔物の可能性があるのかしら?」
「それは……」
ラチナおねえさまの言葉に、違うと否定しようと口を開くが、否定するにしてもその根拠を話せず言いよどむ。しかし、ラチナおねえさまの言葉に返事を返したのは、予想外の相手だった。
「それは、違う」
ふうと息を吐いた王子が、そういいながら剣を鞘に戻す。どうして、と思ったが、王子はその意見を押し通した。
「それは魔物ではないな」
「デューク、なぜ?」
「それはアイラも同意見だな?」
「え……はい、そうですが」
フォルの疑問に対し、なぜか私も巻き込んで返答を返す王子。思わず頷いたが、何かがひっかかった。
なぜ、王子はあれ程警戒していたのに突然剣を戻したんだろう。
王子は私と目が合うと、ふっと笑う。
「殿下はよせと言った筈だ、アイラ。デュークでいい」
「……はい、デューク様」
「デュークでいいと言っているのに」
いえ、勘弁してください。
かくして、勝手に部屋を抜け出してきたらしい猫がここに現れてしまった事で、しっかり王子が疑ってしまい、しかし逆に事情説明と称して私達は王子に協力をお願いするチャンスが訪れた。といってもこの状況では王子だけでなく特殊科全員に話すことになるので、精霊に関しては伏せることになったのだが。
「ふうん、魔力を食らう鳥につつかれていた、ねぇ」
「それならますます魔物の線が濃厚ではないんですの?」
否定の根拠がわからないラチナおねえさまが疑うのも無理はない。魔力がある動物というのはまず魔物ではないかと疑われるし、レイシスも下手に精霊の話も出来ず説明を口にしない。
そもそもなぜ動物に変化する魔法が自分より体が大きなもの限定なのかという疑問に対しては、ルセナがさっくりと説明してくれた。どうやら、動物に変化する魔法というのは、魔力を膨らませて自分の身に纏う形で見た目を変化させるもので、大きな服を着ている状態らしい。
つまり、二本足の馬になったりする可能性もある。中身は人間だからね。しかも魔力なので、触れることができない。そう考えると使えない魔法である。さらに、この魔法は自分のイメージするものを魔力で形作る為に相当難しく大量の魔力が必要らしい。うん、やはり使えない。
「魔物ではないかという事に関しては、否定だ」
「その理由を仰って貰えなければわかりませんわ」
王子相手でも自分の意見をはっきり口にするラチナおねえさまは、少し呆れたようにため息を吐いた。それに対し、フォルが苦笑する。
「まぁ、デュークもそうだけどアイラもそう言っているしね、デラクエル兄弟も異論がないようだから、そうなんじゃないかな。そもそも、ガイアスとレイシスが大事なアイラに魔物をいつまでも抱かせておく筈ないから」
「ま、それもそうですわね」
フォルの説明に、じっと私の両側を見たラチナおねえさまは肩をすくめて笑った。
だが、次の瞬間にはすぐ口を尖らせる。
「ちょっと、そこだけ通じ合ってるっていうのが面白くないだけよ」
少し潤んだ目で、拗ねたような口調で言うおねえさま。
はっとしてレイシスに猫を預け立ち上がる。
「ラチナおねえさま! 私はおねえさまのこと大好きですわ!」
飛び込んでぎゅっと抱きついた私を、おねえさまは危なげなく支えて頭を撫でてくれる。
その時、頭の上でおねえさまから「ふふん」なんて笑いが漏れた気がするが、撫でられた頭が気持ちいいので特に気にしない事にしてその場でくつろぐ。おねえさま、胸大きいですね。
「ま、なんにせよさ、今のところ本当にこいつに魔力があるかわかんないだろ? 鳥に狙われたのも偶然かもしれないし、あとはデュークの勘だけだし」
ガイアスが漸く本題を口にした。だがしかしガイアスの話の中にさらりと告げられた敬称のない名前にぎょっとした。ガイアス、きみ大物だよ。
「ではどうするべきだと?」
いつのまにかラチナおねえさまの隣にやってきたフォルが、私の頭を撫でながら問う。何してるんでしょう、でも気持ちいので以下略。
「ほら、俺らが試験で使われてた魔力眼鏡ってやつ。あれで見ればこいつに魔力があるかわかるんじゃないか」
「成程……だがしかしあれは魔道具科の新作だ。相手の魔力を測定できるということは即ち強力な武器にもなる。管理は厳重だぞ」
納得した王子だが、すぐさま魔力眼鏡の扱いを口にする。
そうか、相手の魔力を見れるものが簡単に手に入るとあれば、この世界での犯罪率は激増だ。なんせ襲う相手が自分より強ければそれなりの対策をすればいいのだし、駄目なら諦めればいい。弱ければ、万々歳だ。
「そうねぇ、無理じゃないかしら。魔力眼鏡はただでさえ今見直しがかかっているというし、魔道具科の生徒は基本強い魔力を持った人間を好まないわ」
ラチナおねえさまがフォルの手を叩き落としながら困ったように息を吐いた。
魔道具科の生徒が魔力を持った人間を好まない? 聞いた事がない話にラチナおねえさまにどういうことかと問えば、どうやら魔道具というのはそもそも魔力の少ない人間がメインとして使うものであり、そこを希望する生徒もやはり魔力がないと言われた人間が多いらしい。
やはりと言うべきか、魔力がない事に劣等感を抱いている人間が多く、特に特殊科だなんて目の敵にされている可能性が高いだろうという事。
「じゃあどうすれば……」
「忍び込んで奪うか?」
しばらく間が空いてからぽつりと呟き、ガイアスがお手上げ状態でため息を吐いた時、王子が挑戦的に告げる。
「は!?」
思わずラチナおねえさまの胸から顔を上げて王子を見る。ちょっとうとうとしていたが、決してよだれなんか拭いていない。
しかし、ガイアスはそうかと言わんばかりに顔を輝かせているし、レイシスもフォルも「魔道具科か……」なんて考え込んでいる。
「いやいやいや、それは難しいでしょう?」
「だが、それしか方法はないだろう? 盗むわけじゃない、その場で借りればいい」
そういう問題じゃない! 魔道具科なんて、他の科に忍び込むより大変だろう。なんせ対魔法相手に道具を作るのだ。鍵だって魔法で解除できないように魔力伝導が悪い金属を使っているだろうし、何より強力なのはあのマグヴェル子爵も使っていた魔法を打ち消す杖のような道具。
他の魔法使いを相手にするより、間違いなく私達と相性が悪い相手だ。
それを説明しようとすると、何か言いたげに私と視線を合わせたルセナと目が合う。
どうしたの、と口を開きかけたその時、入り口から堪えきれないと吹き出した笑い声が聞こえた。
「ははっ、ははははっ! お前ら、面白い発想するな」
「アーチボルド先生」
いつからそこにいたのか、先生が体を震わせながら部屋の奥へと進む。小ぢんまりした机に手にしていた本や書類をどさどさと置くと、愕然とした王子に「俺がお前に気配を悟らせるわけがないだろ」とにやりと笑った。あ、王子顔真っ赤です。
「魔道具科に忍び込むのはやめとけ。お前らじゃ無理だ、あいつらどんだけ魔法使いに対しての対策をしていると思ってる? 学園の警備を馬鹿にしないほうがいい」
いまだにおさまらない笑いでくっくっくっと息を乱しながら先生が言うと、むっと王子達が顔を顰める。
「それよりルセナ、何か言いたい事あったんじゃないのか?」
先生の視線がルセナに向けられる。ルセナは眠そうな目でこっくりと頷くと、ただ一言「作ればいい」と告げた。
「作る? 作るって、魔力眼鏡をですか?」
「それこそ、無謀なのでは。俺達は作り方を知りません」
フォルとレイシスが眉を寄せる。だが、それを見ると先生は、にやりといいことを思いついたと言わんばかりの笑みを浮かべた。
「よし、お前らの授業内容決めた」




