348.フォルセ・ジェントリー
遅くなりました、再開します。
さて行くか、と一歩踏み出したとき、ふと顔を上げたガイアスが「あ」と声をあげた。
「待てフォル、お前、敵がわかったとか言ってなかったか?」
「ああ、うん。今までさんざん振り回されてきたし、今回も本命かどうかはわからない今目の前にある敵、という意味だけれどね。なんの捻りもない、わかりやすい敵だったからこそかな。してやられた気がして気分が悪いよ」
「……待て、ということは、まさかル、」
「ガイアス、ここは敵の闇魔法の中だ。俺たちの周りは俺の魔力で覆っているとは言っても、名前だけは不用意に口にしたらいけない」
ああ、と視線を落としたガイアスが言いかけた名は当たっているだろう。ただし、それが誰を指すのかはわからない。俺も、だ。
父親か、娘か、それとも一族か。……とりあえず娘は黒だろうけれど、それは命じられているからなのかどうなのか。
思えば、アイラに毒虫を仕掛けたあの下級生も、あの領地の出身者だ。……つまり、あの土地には何か見逃した証拠がある筈なのだ。下手に立場がある領主のせいで踏み込んだ捜査は王でも骨が折れることだろう。
舌打ちしたい気分を抑えて、そっとドアノブを掴む。この先にあるのはレイシスたちへと繋がる道、そうであれと開いてみれば、屋敷の廊下と変わりない風景が広がる。おお、とガイアスが感嘆の声をあげるのを聞きながら一歩踏み出してみれば、世界はぐにゃりと一瞬、歪みを見せた。
「不安定だな……」
「これはフォルが作り出した光景ってことか?」
「いや、レイシスたちに繋がる道を、と念じていたから、そのまま彼らが作り出した光景のはずだ。とすれば、皆はそれぞれ一番安全な自室、ということか……?」
「ってことは、不安定なのはレイシスたちってことかよ」
飲み込みがはやいガイアスは頭に手を当て少し項垂れた様子を見せたが、気を取り直したように顔をあげると俺より先に足を踏み出す。
「任せろよ、感覚にあまり差異はないからな、これでも暗部仕込の人間だぜ」
様子を探りつつ前に進むガイアスの動きは無駄がない。……やはりガイアスで正解だったのだろう。物怖じすれば飲み込まれる世界だ。皆が皆、アイラのように闇に耐性があるわけではない。
いや……。
「アイラの夢の世界は綺麗だったな」
「なんだよ、いきなり」
「不安から疑心暗鬼に陥りやすい闇の中で、確固たる自分の世界を作り出せていたんだよ。君たちがそうなるようにしたんだろうね……アイラは闇魔法を恐れなかった、というより、根本的に「大丈夫だ」と思ったものに対しての信頼が厚い。復讐に生きる人間は不安や疑念に飲み込まれやすいというのに、彼女は違ったみたいだ」
ひゅ、とガイアスが息を飲む。復讐!? と慌てたように振り返った彼の瞳はひたと俺に向けられ、肩をすくめて見せた。なんでばれた、とでも言いそうな顔だ。
「別に驚くことじゃないよガイアス。彼女はサフィル・デラクエルを殺されたことで貴族を恨んだ。けれど、復讐に飲まれる前に幼い彼女を止める理性があった、というべきか。アイラは横暴な貴族への復讐を願いながら、『本当にそれが正解なのか』『貴族すべてではないはずだ』と踏みとどまった。真っ暗闇で、見えるものを探すようなこと、よくあの幼少期にできたと思う。まるで、客観的に見る余裕があったみたいだ」
「アイラが復讐に囚われないように細心の注意を払っていたんだから、当然だ」
「そう、それで君たちも冷静に、一歩引いたところで事を見ていた。誰も、手がつけられないような復讐の権化にならずにいたのは奇跡かもしれないし、君たちの努力あってのことかもしれない。けど、間違いなくアイラの世界が綺麗なのは、君たちがアイラの復讐心を別に向けさせようとしたおかげだろうね。彼女は誰よりも不安定なところに立っているみたいだから」
「……おまえ、アイラが復讐に生きる可能性が高いみたいな言い方するな」
そうだ、と言ったら、ガイアスは怒るだろう。
だがそれは否定できないはずだ。アイラは学園にいる間ですら、何度か魔力暴走を起こしかけている。サフィルの件は彼女を崖の淵に立たせたかの如く大きなトラウマとなり、不安定なのだ。……その上、闇の精霊は、彼女が何かを背負わされたような話をしていた。輝かしい未来を背負ったような口ぶりではなかったし、それは明らかに厄介ごとだろう。何しろ闇の精霊に狙われる理由があるらしいのだから。
納得はできないが同意できる部分に気付いているのだろうガイアスは不快そうに眉を顰めたもののそれ以上言わず、階段を上り始める。……が、数段昇ったところで、ぴたりと足を止めた。
「フォル、上に何かいる」
「……部屋の中じゃなく、廊下に?」
「だな」
ぐっと手を握ったガイアスの手中に、彼の愛用する剣が浮かび上がったかと思うと収まった。さすが、既に感覚は掴んでいるらしい。
「で、敵の場合ぶった切っていいわけ?」
「気付かれるのは不本意だけど、仕方ないんじゃないかな。ただし、俺がこの闇の膜に相手を取り込んでからね。外でやると大元に気付かれるよ」
壁に張り付き気配を伺う。そっと闇の膜を広げようとしたとき、その正体に気が付いた。『何か』がいたのは、……アイラの部屋の前なのだ。
「……レイシス!」
ぐっと膜を広げて彼を視界不良の魔法の中に取り込んで呼べば、はっとした顔をしたレイシスが一瞬絶望的な顔を見せて身を乗り出した。
「なんで……なんでお前らまで来たんだ! ガイアスとフォルまで、操られたっていうのか! フォル、お前、闇の使い手なんだろう! 敵の闇魔法に易々と呑まれたのか!」
「落ち着けレイシス! げっやべぇ、屋敷消えるぞ!」
「なるほど、この空間は主にレイシスが作り出したものか。レイシス、俺たちはここに取り込まれたんじゃない、自分たちで来たんだ。デュークもついている、戻れるよ」
小さく息を飲んだあと、本当か、と尋ねるレイシスはそれでもう安堵していたのか、歪んだ屋敷の廊下が正常の姿に戻っていく。夢の世界で正常も何もあったものではないが、心は安定したのだろう。
「なんでここにいるんだ、レイシス」
「……部屋にいても落ち着くわけがない。安全なところ、と考えて上まで来たが、お嬢様が中にいないとわかっても、もし彼女がここに来るのならばとここで待っていたほうが落ち着いた」
「なるほどねぇ」
アイラはお前が眠ったあとに消えたよ、とはさすがに口にしないらしいガイアスは肩をすくめ、ちらりと俺を見る。
「アイラはここには来ない。闇の精霊が必ず守ると約束していたから、この世界ではある意味彼女は最強だ」
「……それはすごいな、さすが、お嬢様。……いや、フォルのおかげ、なのか? 闇魔法に負けたんだな、俺は」
「違うな。操作系の魔法に抗うことができた結果、ここにいるんだ。レイシスは操られていないだろ」
ガイアスの否定に、レイシスがほっとしたように笑う。
だが、レイシスの言葉が別の意味に聞こえた。闇魔法に負けた、か。……とにかく今は他の仲間も見つけて脱出しなければ。
「レイシス。ラチナやルセナをみかけたか?」
「全員いる。時間の感覚がよくわからないが、急にこの屋敷にいることに気付いたんだ。二人とも自室だが、他の人間は」
「三人がいればいい。闇の精霊が魔法で無理やり三人の意識をまとめたんだ、むしろ他の人間がいるほうがおかしい。はやく迎えに行って外に出よう」
立ち上がったレイシスにガイアスが手を貸し、その間に闇の魔力を広げてルセナとラチナの部屋を取り込む。突如視界不良に襲われたせいか、少し慌てたように飛び出してきたラチナとルセナが、ぎょっとした表情のあとに瞳を潤ませた。
「よかったですわ……一生ここにいる羽目になるのかと。デュークは?」
「無事だ、外にいる。俺たちをここから引き上げる役目だ。ルセナも無事でよかった」
「ん……僕は比較的大丈夫。僕を操ろうとした魔力は防御魔法で防いだから。……身動き取れなくなったのは、僕が動揺したせいだ」
「無事合流、か。よし、さくっと戻るか!」
賢明だ。ここで無駄に怖がったりするのはよくないものを呼び寄せかねない、と外にいるデュークに合図を飛ばすよう予め精霊と約束していた魔力を練り上げた瞬間。
ガイアスとレイシス、そしてルセナまでもがびくりと身体を跳ね、その手に各々武器を生み出した。同時に、恐らくデュークが俺たちを引っ張りあげようとするその光が屋敷の廊下の突き当たりに生み出される。
「まずい、誰か屋敷内にいるぞ」
「敵か、味方か?」
「ここにいるメンバー以外は、敵だろ!」
「夢から醒める! 皆あの光まで走れ!」
すぐにルセナがラチナの手をとり走り出す。レイシスもその二人を守るように続き、ガイアスは俺と階段方角を気にしながら奥へと走り出す。
どろり、と階段から見えたのは、まるで汚泥のような塊だ。なんだあれは、と目を凝らし、ガイアスの背を押す。
「ガイアスいけ! 闇魔法なら闇魔法で相手したほうがいい!」
「フォル! お前が要なんだろ、逆だ!」
言い合いながらも光は近くなる。だが、短いはずの距離がひどく長く感じた。……闇魔法に誰かが押され始めているということか。
「闇の盾!」
闇魔法のみを防ぐ盾を生み出し、伸ばされた触手を弾く。見間違いではなく、現れた敵らしきものはどろどろとした黒い、触手の生えたスライムモンスターの塊のようなものだった。……現実にはいると思えない、醜悪な想いの塊にすら見える。
だが、光の向こうにデュークがいるのだと気付いたラチナのおかげか。急速に広がった光に、誰もが今だと飛び込んだ。俺の手を引いたガイアスも光に飛び込み、いける、と確信したその瞬間。
一瞬伸ばされた触手に反応が遅れ、ガイアスに掴まれていた筈の手に激痛が走る。はっと目を開けたとき、美しく微笑む見覚えのある少女がそこにいた。銀の瞳に赤い炎を宿し、笑う彼女の口もとが開いて、濡れた舌が見せ付けるように彼女の上唇を舐めていく。
『ふふ、フォルセ様の血、手に、いれた』
「フォル!!」
叫ばれてはっと顔を上げる。呼吸は乱れ、大きく息を吸い込んでは吐き出して周囲を伺う。デュークが焦ったように俺を掴み、その周りでも取り戻した皆が同じように息を乱していた。
「治癒を、フォル!」
「は?」
誰か怪我をしたのか、と見回して、ガイアスの手が赤く染まっていることに気付く。はっとして手を伸ばし、さらにぎょっとした。己の手が血に塗れている。
「ガイアスもそうだが、お前のほうが重症だ! 夢と現実の境でしてやられたんだ、対処ができずすまない!」
「……大丈夫。大丈夫だよデューク。それより、囚われていた時間が長いラチナに念のため光の癒しを」
「あ、ああ」
怪我をしていない手でふらつく頭を支え、魔力を集めて自分を回復する。ガイアスは、聖騎士の授業で習ったとおりルセナが対処してくれている。
夢と現実を行き来したせいで生じる脳内の混乱を収めようと呼吸を整えることに集中したとき、耳に残る声が響いた気がした。
――血、手に、いれた。
楽しげに弾む声は、やはり間違いなく……。
「……ガイアス、お嬢様はどこだ?」
その時、レイシスの乾いた声が聞こえた。




