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「つまり、お前の行き先は実家か」
「そうで「あほか!」いだっ!」
すとんと脳天に落ちてきたチョップに思わず悲鳴をあげる。頷いている途中でまさに見事な突込みを喰らったわけだが、相手はもちろん異色パーティーの現時点相方グラエム先輩である。
「あんたな、そんな誰でも予想つくようなところに逃げてどうするんだよ! 大切な相談相手のところに行くってデラクエルの兄に伝えたのは別にいい。それが、あいつにしかわからないような表現ならな。よりにもよって実家だなんて、灯台下暗しでも狙ったつもりか?」
「そんなんじゃないですけど、仕方ないじゃないですか、用事があるんです!」
「あんたは狙われてるんだ! そんな簡単に予想がつくようなところに行ってどうする。先回りして家族に手を出されたらどうするんだ、あんたはまた馬鹿みたいな護り方するんだろ!」
「私だって他にやりようはなかったのかって思いますけど、誰でも人質になりえるって言われたんです、そこまでされたらどこに逃げても一緒です!」
「んなのわかってるよ、そうじゃなきゃ誰があんたが一人で逃げることを良しとするってんだ! けどな、せめてあいつらが何か手を打つまで逃げるべきだろ!」
はぁ、はぁ、と二人息荒く相手をにらみ合う。少しして、私はがっくりと俯いて頭を抱えた。少しすると、あー、と少し気まずそうな声をあげたグラエム先輩が、言い過ぎた、と口にした。いえいえこちらこそ。
「な、なんで私グラエム先輩とはいつも喧嘩してるんだろう……」
「別に、いつもってわけじゃ……いや確かに。けどなぁ、親に頼ったところで」
「あ、いえいえ違いますよ。私が用事があるのは、まぁ母もそうですけど、精霊です」
尋ねられて行き先は説明したけれど、何をしたいのかまで知らせていなかった、と慌てて顔を上げる。
私が出てきたのは、確かに王都を出るようにという敵の指示もあってのことだが、地元にいる精霊を頼る為だった。
地元にいる精霊は当然私、そして母との付き合いが長い。何より、私が実家にいる間いつも相談を持ちかけていた精霊がいる。サフィルにいさまが生きていた頃彼が助けたあの庭の木の精霊だ。……私が、病に侵された葉を切り落として欲しいとにいさまに頼んだ木。
精霊とエルフィの関係は、信頼によって成り立っている。もとよりエルフィとしての力の強さは信頼に左右されるもので、精霊は初見のエルフィ相手でもどれだけ同じ精霊に信頼されているか読み取って契約を交わすこともあるという。仲良しかどうか……つまりやはり顔見知りの精霊は格段に契約が優しいのだ。それは、アルくんやジェダイを見ればわかることだろう。彼らは基本的に常に私の為を思って動いてくれている。
私が頼みたいのは、アルくんの、そして皆の治療法の調査だ。闇の精霊にやられたと言えど、それはつまり敵の術。必ず何か治癒方法がある筈だ。それが高難易度であればあるほど、精霊たちは人間にその方法を告げない。告げるに値しないと判断されるのだ。その治療法が植物に関連ある可能性は低いとは思うが、情報通の彼らなら何らかの方法を知っているかもしれない。今はなんでもいい、とにかく情報が欲しかった。
グラエム先輩も精霊とエルフィの関係はよくわかっている……いや、わかりすぎている彼は、悟ってくれたのだろう。なるほどな、とため息を吐く。
「だが実家に、か。正直王都からは出るしかなかったとは思うが、王都の近くにいたほうがいいと思う。ベルティーニ領は王都から遠い。夜通し風歩で跳んでも駆けつけられる距離じゃないだろう」
「ええっと、地元の誰かが狙われるということですか? 王都の誰かが狙われるということですか? 私がどこにいても?」
「そうじゃない。いや、その可能性もあるが……一番怖いのは今回の目的だ。アイラ、あんたは殺されなかった。周りを助けたくば死ねと言われてもおかしくない状況で、敵が指示したのはあまりにも回りくどい内容だ。そこに必ず意味がある」
まぁ、そうだろう。その点については納得するほかなく頷くと、それを見とめたグラエム先輩は小さく息を吐いた。どこか呆れを含んだそれに思わずびくりと肩を震わせると、なぜか彼が口にしたのは「落ち着け」という言葉だった。自分では今冷静な状態だと思っていた筈なのに、身体は強張る。
「あんた気付いた筈だろう。条件で確信したからこそ、あんたのオウジサマに残した言葉がおかしいんだ。ガイアスに、アネモア、殿下、それでも駄目なら襲われるのは、その辺にいる子供……既に一度家族すら狙われたあんたを脅す為の布陣としては最高だが、それなら絶対に出るはずの名前がない。それはつまり犯人の名か、もしくは犯人が絶対傷つけないだろうと確信してる相手だ」
「……意図は正確に伝わったようで何よりです」
「だからこそ。あんたが遠すぎる距離にいて、何らかの方法で婚約を破棄されるようなことは避けたい……んだろ?」
「疑問系で聞かないでください。当然です、私はフォルと別れません」
ぐっと拳を作ってグラエム先輩を見上げる。と、彼は一瞬眉を寄せ、それなら王都を離れるな、と声を荒げた。
「王都から離れろといわれてオウジサマからも離されて。素直に距離を取りすぎてどうする。その隙に敵がフォルセに接触して、あんたのように脅して婚約を破棄させる可能性を、少しは考えろ! 他の仲間の命には代えられないだろうが、敵の目的を叶えさせる必要はない」
「……でも!」
「『フォルは簡単に負けない』とでも言うつもりか? そうだろうよ、あんたみたいにその辺の人間を人質にされてもあいつは切り抜けるだろうな。けど、何事にも例外はある。あいつはあんたの身体や命とあんたとの婚約、どちらを大切にすると思う」
息を飲む。そんなの、といいかけて、絶望の色が見えた気がした。フォルの隣に、別の誰かが並ぶ。それは胸に鋭い痛みを与え、嫉妬だけではない何かを感じた。そして気付いた。もし私が、フォルと別れなければフォルに危害を加えると言われていたら、どうしただろうか。あの得体の知れない術で、フォルの意識を奪うと言われたら? 隣に他の女性が並ぶことを、良しとした……?
グラエム先輩は私を励ましたいのか、浅はかな考えで一人飛び出したことを責めたいのか、それとも正論や予測できる事態を伝えたいのか。どちらにせよ私の考えが浅慮であることは間違いないのだが、ならばどうすればいいのだと喚きたい。……何が敵の指示が緩いだ、敵は本気も本気である。敵の術は、すべてを覆す可能性があるのだ。それが、精霊を味方につけた者の強さ。そうならない為に統括していた光の精霊を裏切ったのは、闇の精霊。
ぐう、と唸り声をあげた。猪突猛進さがないだとか私を煽っておいて、結局悩ませるなんて。それでも全てを狙い止まるなというのだから、先輩は随分と後輩に厳しい。
だが手の中にあるアルくんの存在は、私にとって大切なものだ。サフィルにいさまを知っている精霊なら、無理をしてでも協力してくれるかもしれない。一縷の望みに縋りたいと思うのに、フォルから距離を取る覚悟はしていたというのに、一体私は何に怯えているのか。その正体を掴みかけた時、ふと、魔力の気配が動く。
『若いのぉ、若いのぉ』
となんとも間の抜けた声にがくりと体勢を崩す。そういえばいたんだった、精霊のおじいちゃん……。
何が楽しいのか髭を揺らして笑う精霊は、くるくると私たちの周辺を飛び回るとぴたりと私とグラエム先輩の間で止まり、私に視線を合わせた。目を細めたその視線に年長者の威厳のようなものを感じて背筋を伸ばすと、精霊のおじいちゃんは満足そうに笑う。
『娘っこ、そなた、エルフィをなんと解釈する』
え、と咄嗟のことに頭が回らず瞬いた。精霊と繋がれる存在。そう頭に浮かんだものの、それを言葉に出す前に、精霊は少し距離を詰めて再び口を開く。
『エルフィとはそなたにとってどんな得をもたらす?』
「……精霊と友達になれる」
シンプルな質問となり、するりと答えが出た。幼い頃から変わらぬそれはどこか子供っぽい考えなのだろうが、昔から変わらぬ私の真実である。
『エルフィは精霊の友人……ふぉっふぉっふぉ! これは、愉快、愉快! なるほど、まったく、アスレの血は面白い!』
「え?」
突如大笑いを始めた精霊についていけず、アスレ、と知った家名を呟く。……伯父様のことだろうか、と考えたところで、いつの間にか私の横に並んだグラエム先輩に肘で小突かれ、あんたの伯父のことか、と問われるも、詳細は知らない。
この精霊は伯父様の知り合いだったのだろうか。そう考えたところで、それが間違いであると気付く。
『まったく、母娘そろって同じことを言う。姿形も似てるとは思ったが、そうか。ということは、そなたにとってはその隣の男も、エルフィ仲間であろう』
「……へ? そ、そうですね。って、母を知ってるんですか?」
なるほど、アスレとは母のことだったか。母の旧姓であるのだから、確かに間違いではない。
頷きながら横を見上げると、私より背の高い先輩は不快そうに眉を顰めて私を見下ろした。……そうだ、しまった。先輩は常日頃俺はエルフィの出来損ない、と口にしていた。私からすれば立派なエルフィなのだが、それを彼が『本物のエルフィである』と認める私が口にするのは思うところがあるだろう。
やはりというか、俺は、と遮るような言葉を口にした先輩に、それまで私の前で飛んでいたおじいちゃん精霊が、先輩の前に移動するとぴっと小さな人差し指を立てた。
『エルフィじゃよ。この子もそう言っておる。そなたの風の精霊は、そなたの友人であろう。この子にとっての今は眠る桜の精霊と同じくな……契約を結び特定のエルフィに協力する精霊がいる。これぞ真のエルフィ也。もっとも近頃の若いもんは……おっといかん、こうしている場合ではないな。どうじゃ、アスレの娘っこ。わしと契約してみんか? 対価は魔力、与えるはエルフィとしての知識』
「えっ、いいんですか? でも、木は」
『この木はおいそれと枯れやせん。困っておるのじゃろ? 少なくとも、そんじょそこらの精霊に知識は負けぬつもりじゃ。そなたが今無理して地元に戻る必要はこれでなくなるな? ……これでどうじゃ、風のエルフィ。この子にはわしがつくから、安心せい』
付け加えられた言葉に、え、と先輩を見る。先輩はばつの悪そうな顔をして鼻を鳴らすと、そうかよ、と私に背を向けた。
「え!? 先輩どこに行くんですか?」
「離れるに決まってるだろう。遠くで護衛する。一緒にいるところを見られたら厄介だ」
「……先輩が自分でどうせ精霊には見られるんだからって接触してきたのに?」
何を今更、というと、顔だけ振り返った先輩の眉間のしわが深くなる。
「精霊じゃない! あのなぁ……確かに、俺は最初にあんたに媚を売る女は嫌いだと言ったけどな。あんた、俺の立場忘れてないか」
「ん……? た、確かに先輩には言い過ぎてる感はありますが、先輩が侯爵家なのは忘れてませんよ、忘れそうですけど」
「あー素直で何よりだこの馬鹿娘。あんたと俺が二人きりでいていい噂が立つわけないだろ! わざわざ敵に婚約破棄のネタくれてやるな、くそ!」
ひゅ、と風の音を立てて姿を消した先輩のいた方角を見て、呆然とする。……あー、そう、そうか。うう、貴族社会怖い……ってこれはそれ以前の問題である。
「……考えなきゃいけないこと多いなぁ」
『大いに悩むがいいぞ、思春期、というものじゃろう?』
「そうだけど、ちょっと違います、おじいちゃん……あーあ、異色パーティー解散かぁ」
『悩んだ分だけ成長すると聞く。それと娘っこ、あまりよくないお客さまじゃ。よいか、わしは姿隠しをする。会話はすべて声に出さず行うように』
は、と質問を返す前に、おじいちゃん精霊の姿がかき消える。よくないお客様……って、敵か!
慌てて周囲を確認し闇の精霊を探した私の視界に、大樹の向こうにある林の隙間から朝日を照り返す銀色が映る。ガチャガチャと鳴り響く金属音は冬の澄んだ空気の中で小さいながら正確に耳に届き、少しして止まった。ぞわり、と肌が粟立つ。
人だ。びりびりと感じる強い警戒を含む殺気。明らかに私を警戒してやってきたのは、精霊ではない、人間。銀色の鎧に身を包んだ兵士たちに覚えはないが、武装して現れた彼らは距離をとって整列し私のほうを向いている。やがて隊は割れ、奥からきた二人の兵士が、私たちと距離を詰めた。
「おい」
先程パーティーを解散したばかりかと思っていたグラエム先輩が、私と鎧の兵士の間に入り込む。だが鎧の兵士は歩みを止めることなく、二人、と思っていた大柄な彼らの後ろに、小さな影があったことに、遅れて気が付いて……息を詰まらせた。
「な、なんで」
思わず声をかける。兵士たちの後ろに拘束されて連れられ顔を悲痛に歪めていたのは。
「ヴィヴィアンヌ様……ローザリア、様……?」
明らかに私を脅すにしては条件のおかしい二人が、そこにいる。グラエム先輩もわけがわからないといった風に警戒を強めるが、無情にも前に出た兵士たちは私たちの名を呼んだ。
「娘のみついてこい。案ずるな、話をするだけ、だそうだ。抵抗するようならまず子爵家の娘から殺す」
びくり、とヴィヴィアンヌ様の身体が震えた。猿轡された彼女は声無き悲鳴をあげがたがたと震える。
「……なんでそいつらなんだ?」
「精霊との契約が護られている今、精霊が名を上げてしまった他の人質はとることができない。が、友人でもなんでもないこの人質でも、そこの愚かな娘は従うだろうと我が主が言う」
「んなわけねぇだろ?」
「待って、グラエム先輩、やめ……」
ずどん、とおかしな音がした。兵士の一人が、大きな、まるで死神のような鎌を、軽々と振り回して地面に突き立てた。林に積もる雪が、撒き散らされた赤い色に染まる。視界から崩れ落ちた何かを視線が追う前に、先輩は私の前を塞ぐように立った。
「……てめぇ……」
「次は公爵家の娘だ。子爵家の娘の死体を、その娘の前に放ってやろうか?」
「聞くな。アイラ、逃げろ。……逃げろ、はやく!」
どさり。
俯いていた視界に、音と共に雫が飛ぶ。顔をあげても、見えるのは先輩の背中だ。けれど、『何か』を放られて足元の雪に雫が飛んだのだ。
朝早い。外れにある大樹のそばに街の人影はまだないが、それは幸か不幸か。いや、どうせ騎士がかけつけても結果は変わらないだろう。逃げろと叫ぶ先輩の声が遠い。逃げる意味はあるだろうか。少なくとも、私にはないように思う。逃げてもきっと、何人もを犠牲とした終わらない鬼ごっこになるだろう。
「……行きます、行きますから、……ローザリア様を放して」
頭の中におじいちゃん精霊の言葉が響く。なんとむごい、だが、こうするより他ないか、と。




