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「えっと、お砂糖、小麦粉、卵、牛乳、それと……」

 一つ一つ材料を確認しながら台所の前でぼんやりと一人お菓子作りの準備をする。作るのはなんてことはない、ホットケーキだ。……私が一番初めに作ってガイアスたちに振舞ったお菓子。

 レイシスは眠っている。目を覚まさない。……もう丸一日以上経っているのだけど、それはルセナも、おねえさまも、アルくんも変わらない。

 カシャカシャとボウルの中で混ざり合い溶けていく材料を見つめながら、無心に腕を動かした。初めて作ったあの日、私は何を考えていただろうか。……復讐だ。復讐だった筈だ。カシャ、と音を立てたボウルの中で生地が跳ね、唇が冷える。ぺろりと舐めると広がる甘さ。……私はいつの間にこんなに甘くなってしまったのだろう。

 子爵を捕らえ、学園に入学して、特殊科に入って、王子と出会い。今の国の制度を変えなければならないという王子に私という存在を求められて、いつの間にかのし上がることに成功したのだと勘違いしていたのだ。

 甘い。

 舌に残った甘さを、水を飲み込むことで消し去って頭を振る。

 確かに王子についていけば、私の当初の目的である貴族による優秀な医師の独占は改善されるだろう。私自身、聖騎士という立場を提示されたことで、合法的に医者にならずとも独自の判断で動ける機会を作る可能性を得た。常に聖騎士として城に控えなくてもいい上に、国に従う医者ではない。恐らく私が聖騎士となれば直属の上司は現在聖騎士がいないことから、王太子になるはずだ。王子は民を助けろというだろう。……自分が怪我をしていたとしても、だ。

「甘かったな」

 私はできると本当に思っていたのだろうか。公正な立場である医師になることを。……動機が復讐から始まったそれが、平等な医師に必要な志だっただろうか。だって私はきっと、目的がすでにおかしかった。……私が助けたかったのは本当に、力ない民だったのだろうか。

 手が届く範囲にある仲間だったんじゃないだろうか。はじめから、そんなぬるい考えてやってきたから……。

 過去を振り返ってみても、努力はしたと言い張れるが、苦労したかと言われれば、よくわからない。もちろんだらだら過ごしたわけではないが、フォルのように家族から命を狙われる中自分の運命を向き合っていたり、ガイアスやレイシスのように覚悟を持って何かを全うしようとしたりもしていない。ルセナのように立場に苦しむわけでもなく、己より民を思いやらねばならない王子のような立場であるわけでもなく。……王子は今まさにおねえさまのそばから離れたくないだろうに、それを他人に任せて王族として在るべき姿を見せ采配を振ることを第一としている。どれだけ、つらいのだろうか。

 私には無理だ。

 じゅわ、と、一度暖めたフライパンが濡れ布巾によって底を冷やされ、蒸発した水が音を立てる。このひと手間がなければ焼き色が上手くつかない。熱を一度、冷やして、余計なものが混じらないように。冷静に。

 コンロの上に戻したフライパンに生地を落とせば、ふわりと甘くやわらかい匂いが立ち上った。ぼんやりと見つめていると、生地の表面がふつふつと気泡をはらんで膨らんでいく。ぱちん、と弾けた瞬間、はっと目が覚めたように慌てて生地をひっくり返す。

 こうして焼き続けたホットケーキはいつの間にかタワーのように重なり、ふと気付いた時には台所は大量の卵の殻や殻になった牛乳瓶だらけで、ため息を吐いてそれを片付ける。がちゃがちゃと煩かったのだろう、休んでいた筈のレミリアが飛んできて、それを手伝ってくれた。

「……アイラ? 何やってるんだ?」

 少し疲れた顔色のガイアスが、食事の準備にと部屋を出たレミリアと入れ違いで現れるなり、私の隣に在ったホットケーキを見て目を丸くする。

「……一瞬なにかと思ったぞ。それ、あれか、最初に食べた」

「そう、覚えててくれたんだ」

 ふっと笑うと、ガイアスが眉を顰める。……心配しているらしい。私は何か表情に出しているのだろうか。

「ガイアス?」

「いや。……懐かしいな。それ、販売してないだろ」

「うん。これはね、簡単だから」

 へぇ、と首を傾げるガイアスに、食べないかと持ちかける。いいな、と顔を綻ばせたガイアスに、ごめんと謝った。

「何が?」

「作りすぎちゃって」

「まぁ、大量だな。お茶淹れてやるよ」

「いいよ、このホットケーキに合いそうな茶葉で、私が淹れるから。焼きたてのでいい? ちょっと上手くいかなかったんだけど、証拠隠滅に」

 にっと笑って言うと、瞬いたガイアスがもちろんいいぜと笑う。昔から俺の役目じゃん、なんてありがとうと優しく声をかけてくれるガイアスを背で感じながら、私はもう一度心の中で謝った。


 私は、きっと医者に向いてない。今更だけどね、ほんっと今まで何やってきたんだか。手に取った茶器が重く、少しばかりのため息と共に苦笑を漏らす。……向いてはいないが、感傷に浸るのはもっと向いていない。やれることはやるべきだと、このケーキを作ったあの日、決めたのだから。

「……アイラ、ガイアス」

「おーフォル。フォルもアイラの作りすぎたお菓子、食わないか」

「ああ、これはすごいな……アイラ?」

 予想外にフォルが現れたことで鼓動を早くした心臓を落ち着けながら、笑う。フォルもどうぞ、と自然に口にできたことをほっとした瞬間、視線を感じて顔を上げると、目の前に悲しげな表情をした闇の精霊の長女さんがいることに気付く。

『姫……』

 ――すみません。私にはこれしかできません。

『わかってる。だが次期様はたぶん、許さないぞ。あの方は己の氷で心を冷やしているだけだ』

 ――それってフォルが熱い男ってことですか?

 私にだけに話しかけているようだからと念じることで声をかけ、思わず笑う。フォルが熱い男。……そうかもしれないし、意外だとも思う。見た目には完全に似合わないし、けれども内に秘めた想いはたぶん、と思いかけたところで思い出してしまったフォルの姿を振り払おうと慌てて首を振った。ダメだダメだ、何考えてるんだアイラ・ベルティーニ、これは明らかに煩悩が邪魔をしている。私の壱百八あると思われる煩悩は一部が欠けて埋め合わせる大半がフォル関連なんじゃないだろうか。静まれ、静まるのだ!

『くくっ、相変わらず騒がしいな姫は、次期様も大変だ。……姫がやろうとしていることは一時凌ぎかもしれない。だが、恩に着る。必ず、助けよう』

 ――仕方ないでしょう、それと、その発言は精霊の範囲を超えています。

『ああ、一個人として言わせてもらおう。敵が敵なのだからいいだろう、精霊は約束を護るぞ』

 ――なら、あの優しい人たちが自分を責めないようにして欲しいんですけど。

『それは無理だ』

 なんて正直な。……まぁいいかと笑って、タワーになったホットケーキを適量皿に移していく。

 今日は長女さんと共にいる時間が随分と長い。朝のことを思い出して、そっと目を閉じる。


 レイシスが倒れて取り乱したのは一瞬、頭はすぐに冷えたと思う。逆に冴え渡って、自分が今何をすべきかと高速に気持ちが切り替わったようだった昨日。

 冷えた頭で私が知らなかった情報やレイシスの言葉を思い返したその結果浮かんだ懸念は、朝最悪の形で事実となった。

 敵は初めから、特殊科を狙っていたのだ。いや違う、正確に言えば、私の周りを狙っていた。アルくんやジェダイ、グラエム先輩を含めて。その理由は、闇魔法での操作。目的は、私を使う為……ではないだろうか、というのは推測だ。だが、敵は私が闇のエルフィになりかけていると知っていた。その能力を狙ったのかどうか、詳しい目的はまだわからないが、だからこそあんな連絡方法をとってきたのだろう。

 朝目が覚めた私が外を見た瞬間、窓に張り付いていたのは知らぬ精霊だった。

 悲鳴を上げなかったことを褒めて欲しい。ぎょっとした私の目の前にいた顔色の悪い精霊は、捕らえたらしい幼い緑の精霊の首に手を当てて身振りで窓を開けることを要求してきた。明らかにまずいと渋ったのは仕方ないだろう。私が部屋へ招き入れれば、部屋から屋敷内へと飛び出して誰かを傷つけるかもしれない。だがそこに現れたのは、姉妹を連れず現れたフォルの闇の精霊の長女さんだった。

 しばらく外でこちらには見えぬ何かをやりあった精霊たちだが、苦い顔をした長女さんは私に敵らしき精霊との会話の許可だけを求めた。仕方ない、と部屋に結界を張った上で窓から招きいれた精霊は、自らを闇の精霊だと告げ、やはり見えているのかと薄く気味悪く笑った。

『まだ完全に闇のエルフィというわけではなさそうだが、闇の長がこうして顔を見せた上にこちらの姿が見えるなら話がはやい。我らが主はお前にいくつかの要求を飲む事を望んでいる。要求に応じなければ、お前の仲間から殺す。そうだな、確か名を、アニー、トルド、それから、アネモア、……ふむ、これ以上は覚えてないが、まぁ誰でもいいのだろう。例えば、その辺にいる適当なニンゲンでもいい。お前は他人の命でも命令を聞くだろうと言っていた』

 ぞくりと背筋が冷え、冷や汗が伝う。出された名前に僅かな違和感。アニーやトルド様はわかるが、まさかの学園外の繋がりであるアネモア様まで。調べられていると、足元から冷えていく。敵は本気だ。

『この屋敷のものを操ろうと思ったが、やつらは抵抗が激しくてな、操られるくらいならと身体ごと我らの意思を封じ込めてしまった。馬鹿なやつらよ、お前を傷つけるくらいならば、己が仮死状態となってもいいそうだ。そんなやつらに囲まれたお前がまさか、その仲間を見捨てて我が主の命を背いたりしないだろう? まぁそれでも孤独になっていくお前を見るのは楽しかったそうだ。次は、ガイアス・デラクエルでもいいと言っていた』

「……さっさと何をして欲しいのか言ったらどう、お喋りな闇の精霊さん」

 ぎりぎりと歯を噛み締め震えている長女さんを宥めながら、私が取れる選択肢はただ一つであった。

 私はのし上がらなければならなかった。制度を変える為。一部の私腹を肥やす貴族に復讐する為。けれど私は当初からその基準がずれていたのだ。ちっぽけで大きな願い。剣と魔法の世界が舞台の小説にありがちな世界を救うような目標ではないが、難しい望み。……私は私が自分の手で大切な人たちを護りたいという我侭交じりの願いのもとで、大きな口をたたいていただけだったんだから。


「さあ、どうぞ。美味しいといいんだけど」

 和やかに始まった、三人だけの茶会。王子がここにいなくてよかったと思う。王子に『効く』かは自信がなかったのだ。

「美味いなぁ、さすがアイラ! 懐かしい。これのどこが失敗なのか俺にはわからないな」

「へえ、ガイアスは前も食べたんだ、これ。いいなぁ」

「そうだろうそうだろう。……でもアイラ、なんでこんな急に、大量に作ったんだ?」

 探るような視線は軽い調子の口調を裏切る鋭いものだ。さすが、ガイアス。フォルも穏やかな笑みを浮かべながら何かを警戒したように私を見ている。私が突拍子もないことをするのはいつものことだから、二人とも慣れてそして次の行動をはかりかねているのだろう。

「初心にかえろうかと思って」

「へぇ」

「それで気付いたんだよね。私って初めから、自分の大切な人たちを護りたかったんだって。それが自分の身勝手でもいいから」

「……アイラ?」

 ガチャン、とフォルがテーブルにカップを落とした。二人の皿を見比べて、苦笑する。

「ガイアスのほうが耐性強かったか。二人とも、毒とか薬とかあまり効かないね、やっぱり」

「……アイラ、お前」

「何をするつもり、アイラ」

 呼気を荒くした二人が、魔力を練り上げようとして失敗する。一服盛ったと白状しているのに、二人の視線は心配のそれで、困ってしまう。

「今から私が屋敷を一人で出るのを見逃して欲しい、けど、二人がそれを許すはずないから。二人なら十五分で解けちゃうかな。時間がないから行くね」

 恐らくやめろといいたいのだろうが、口すら動きにくくなっているのかガイアスはただ体勢を崩し床に膝を付き、フォルは顔を私に向けて射抜くように見つめてくるだけだ。……いやそれだけで十分すごいんだけど。さすがフォル、と変なところで恋人に惚れ直し、その距離を詰める。

「ごめんねフォル。緑のエルフィの力で薬の効力を増しでもしないと、二人とも効いてくれなかっただろうから、ズルした」

「、イラ、だめ」

「……フォル聞いて。次はガイアス。その次は多分アネモア様たちで、次は王子かな。それでもダメなら、きっと狙われるのはその辺にいる子供とか、ご年配の方とか、もう見境無いかも」

 フォルの紫苑の混じる銀の瞳が揺れた。……よかった、伝わった。

「だからごめんねフォル」

 そっとその冷えた頬に触れて、紫苑色を覗き込む。ガイアスは俯いていてこちらを見ていない。少し緊張するけれど、まぁ今の私は大胆なのだ。ぶつりと噛み切った唇から広がる鉄の味はそのままに、ぐっとフォルの胸倉を掴んで引き寄せるというなんとも色気のない方法で距離を詰める。

 触れ合わせた唇は熱く、互いの熱を伝える。あまりの恥ずかしさに頭が沸騰しそうになるのに、胸は冷たく冷えていた。これは困った。いっそ意識が吹っ飛べばいいものを、妙な冷静さが嫌でもフォルの唇の柔らかさを記憶しようと胸を打つ。

 無理やり引き剥がして、その耳元に唇を寄せて小さく囁いた。

「フォル、……おねえさまたちを、レイシスを、助けることを選んで、」

 ごめん、といえなくて口ごもり、許して、と呟く。

 ぼろり、と情けなく頬を伝った雫を慌てて拭い、一歩身体を後ろに引いたその瞬間、フォルの手が私の腕を掴み、驚いて目を瞬く。

 必死な様子で私の腕を握るフォルの手は力が入らないのか震えていて、私はそれを、


 振り払った。


「ガイアス・デラクエル。あなたを私の護衛の任から解きます。理由は護衛対象が次期公爵相手に毒を盛るという犯罪行動をとった為。次の主は、自分で決めなさい」

 ぽん、とテーブルに置いたのは、彼らに使った身体の動きを鈍らせる効果のある毒草。といっても本来の使い方はそうではない立派な薬草だが、フォルにそれを見せることができればそれでいい。危険すぎるものではないと、その解毒方法も伝わればそれで。

 振り切るように部屋の出口へ向かい、一度だけ振り返る。なんとか視線をこちらに向けていた二人に、笑ってみせる。

「何も変わらない。私は、『大切な相談相手のところに』行かないといけないから。……バイバイ」

 ばたんと勢い良く開いた扉は、その向こうにいたレミリアが目を白黒させるほどだったらしい。笑って飛び出せば、お嬢様、と焦ったような声が届いた。ごめんねレミリア、説明はまた今度!


 飛び出した外。冷える空気は頬を冷やし、しまった、格好つけて外套すら羽織ってこなかった、と僅かに後悔しつつも、一歩を踏み出す。雪が私の跡を残す。


「さあ、約束通り出てきたわ。ただし、簡単につかまってやらないからね!」


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