表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
342/351

340.フォルセ・ジェントリー


「れい、しす……?」

 目を見開き呆然と彼の腕の中でその名を呼んだのは、俺の大切な婚約者。そう、俺の恋人なんだ。いくら彼女を抱きしめているのが彼女の大切な幼馴染で、俺の仲間で好敵手で友人だろうが、彼女は、俺の……

「レイシス、お願い、待って、私は」

「アイラ、少し待っていてください」

 声をかけるアイラの口を、レイシスの手が覆う。

「レイシス、君……」

 彼はアイラを名で呼んだ。それだけで肌がざわつき重苦しい感情が胸を支配する。そして、普段闇に覆い隠している筈の大きな嫉妬。この世に生を受けてまもなくから彼女と共に過ごし、俺の知らない彼女を知り、俺に向けられない彼女の心を持っている、俺と同じ心を持つ男。……アイラが恋心を向けてくれたのは俺、そのことは喜びと同時に少しのなんとも言えない感情を伴う。……俺にとってはレイシスも大切な仲間。憂いることも、そのことに罪悪感を持つことも全てに失礼であるから口にすることはないが、確かに俺たちは微妙な関係ではあったと思う。

 だが、レイシスはそれがアイラの決めたことならばという最優先の、俺にはできない強い意志によってそれを受け止めていた筈だ。……なぜ、という考えは不要だ。頭で理解していても、傷つけられたアイラを見て耐え切れなくなったとしてもおかしくない。彼に己が闇使い、吸血族ブラディアであると言ったのは自分だ。……こうなる可能性もわかりながら、それでもブラディアが闇使いであると白状したのは自分なのだ。

 それでも、だ。

「アイラを離して、レイシス」

「……、」

 何かを言おうとしたらしく息を零したレイシスだが、俺に一瞬だけ視線を合わせたあとすぐにその視線を落とし、腕の中に閉じ込めたアイラの首筋を見つめる。……彼にとってアイラを傷つけるものは全て敵だ。傷は癒したが、服には血が染み込んでいる。


 レイシスはそこに口付けるように顔を埋めた。


「……レイシス!」

「アイラは疲れている筈だ。こんな時になぜこのような仕打ちをする必要があった、フォル。また彼女は君の魔力を必要とした? ……そうだとして、どうしてこんな場所に。ルセナが休むこの場所で、こんな、情事の痕を思わせるものを人の目につく場所に。ここで、何をした?」

「それは……!」

 意味はあった。だが、彼の怒りは最もだという理性と、……逆であったのならという僅かな躊躇いが言葉を詰まらせた瞬間、顔を上げたレイシスと目が合った。こちらを射抜くような強い瞳が僅かに翳り、次の瞬間にはまるで挑発するように口角が上がる。

 様子がおかしい、と確かに頭で警鐘が鳴り響くが、次の言葉にその理由に至る前に血が沸騰するように身体がざわつき支配される。

「……傷つけるのに躊躇いがないか。その程度か、だから、こうして他の男の腕の中にいても動けないのか、次期公爵様は。その程度の気持ちなら、捨ててしまえ。捨てれるんだろ、……俺に返せよ、フォル」

「……レイシス、ふざけるな!」

 何とか耐えた筈の激情はあっけなく理性を壊し、身体を突き動かす。

 返せ、とレイシスが口にした瞬間見開いたアイラの瞳に浮かんだ僅かな悲しみが、鋭い刃となって胸を刺した。傍から見ればどうであれ、それはこの場の三人の覚悟と想いを砕くような破壊力を持って響く。

 何よりもアイラを想っていたはずのレイシスのありえない言葉。そして同時に知る強いアイラへの想いと……身のうちに沸く嫉妬を多分に含んだ怒りが身体を突き動かし、レイシスの腕の中でもがくアイラに手を伸ばす。

「アイラは俺の婚約者だ! 捨てられる恋ならとっくに捨てた! けれど今俺が何より大切なのはアイラと、アイラとの時間だ、今も……これからも! 誰が渡すか!」

「どうだか! ならさっさと取り戻せばいいだろ!」

 淡い桜色の髪が指先に絡まる。アイラの背に回るレイシスの腕を叩き落とし身を割り込ませ、冷えた魔力を纏う拳はレイシスの肩を突き飛ばし氷らせた。氷らせたことによって、立ち上る俺には見えない煙のような魔力が視界に映る。ろくな抵抗もせず倒れこんだレイシスの口元がまたしても笑みを見せた。

「はは……それで、いい。馬鹿公爵、次迷ったらその綺麗な髪切り刻んで禿げにするぞ」

「ふざけるなって言っただろうレイシス! 闇の魔力に操られてるなら初めからそう言え、この主人馬鹿!」

「ああ、いやだ。こんな時でも冷静に状況に気付いたとか、ほんとお前は昔からむかつくな。たまには熱くなって自分を見失ってみればいいのに」

「君には言われたくないな、操られる魔力に抵抗する為にわざと俺を挑発しただろう!」

「へぇ、『俺』ね。まぁ、熱くなってるのかな、フォルも。見せ付けてくれるよ」

 しばらく言い合いをしつつ詠唱し解呪を開始して、はたと気付いて慌ててアイラを見る。唖然とした彼女の視線はきょろきょろと俺とレイシスの間をさ迷って、少ししてその視線が俺へと留まると、はくはくと言葉にならない言葉を漏らした。

 私が、と思っているのだろう。伸ばされた手は震えて魔力が安定していない。……彼女は先ほどまで己がなんらかの力に支配されそうになっていたことを知らないのだ。

「わかってる。アイラ、君は今無理だ。敵に何かされているのは、レイシスだけじゃないでしょう。事情はあとで説明するから、待っていて。レイシスの解呪は僕がやる。彼は幸いにして自我を保ったままのようだから」

「……馬鹿を言うな、あんな方法じゃないとフォルを攻撃しそうなくらいにはやばいんだ! これ以上傷つけるようなことはしたくない、アイラを……お嬢様を俺に近づけるなよ。くそ! こんな、魔力に……、負けてたまるか!」

「はぁ、やっぱり君すごいよ。……アイラは渡さないけど」

 呪いを受けて少し時間が経っている。さすがの能力と精神力に舌を巻くが、俺だって負けていられない。こんな呪いにレイシスを喰わせてたまるか。

 ……アイラへの感情は、いっそ狂熱の恋と言い表したいほどなのだ。……大切な人を傷つけねば本当に結ばれることのないブラディアの恋。愛した女を傷つけ危険にさらすくらいならば諦めたほうがマシだと、王家に関する役目においても人生においてもこの運命のせいで諦めることばかりだったのに、諦められなかった唯一の感情。

「とにかくレイシス、君は落ち着いて内部の魔力を整えて。その腕……グーラーにやられたときに呪いをかけられたんだろう。ということはグラエム先輩も……」

 びくり、と腕の中のアイラが跳ねて、言葉を切って驚いて見下ろす。ひゅ、と喉が震えて音を立てた。

「あ、あ……フォル、レイシスが、真っ黒で、どうしたら」

 怯えるように震えるアイラが、桜の石を握り締めて胸元で手を白くなるほど強く押さえ込む。――己に見えない「色」をアイラがひどく怖がっていると気付いたのが、遅かった。

 目覚めないラチナとルセナ、そして……アル。

 目の前で倒れる人を助けられないことをアイラがひどく恐れるということなど、ベリア・パストンの事件を思い出せばわかることだったのに。……その対象が幼馴染であるとどうなるかなんて、予想するのも簡単だ。彼女はつい先ほども、『にいさま』と囚われていたではないか。

 やっと久しぶりに、彼女が笑った姿を見たばかりだというのに!

「レイ、シス、レイシス、レイシスレイシス、うそでしょう」

「ぐっ……お嬢様、そんな顔をなさらないでください。……負けたりしません、俺は、こんな」

 レイシスの呼吸が乱れる。ひ、とアイラが息を飲み、肌で感じる闇の魔力が濃くなった。……敵が力を強めているのだと気付いた時には、レイシスは俺にただ笑ってみせる。

「ラチナとルセナ、アルは、『勝っていた』んだフォル。敵は、俺たちを『使いたい』んだろう。中途半端だが、思い通りになってたまるか……起きたら、今度こそ試合の決着でもつけよう、フォル」

「何言ってるんだ、今解呪してるから、レイシス、意識を手放さないで」

「ああ、解呪は頼んだ。だから、俺も勝てる。お嬢様、少しだけ、休みます。心配なさらないでください、ガイアスもフォルもいます。……頼んだ、フォル」

 解呪が進むほど、穏やかになる空気と笑うレイシス。脳内で鳴り響く警鐘が大きくなっていく。

 レイシスまで倒れたら、アイラは。それがわかっているからこそ嫉妬心を上回る焦りに急いでその身体を蝕む呪いを断ち切ったその瞬間。

「フォル、お嬢様を、」

 微笑んだレイシスの手が床へと落ちた。


「いやああああああ!! レイシス! 目を覚ましてぇえ!!」



「何ごとだ!」

「アイラ、どうした! ……レイシス!?」

 飛び込んできたデュークとガイアスが、レイシスを見て一瞬息を飲み、事情を察したのか動き出す。

 腕の中でぼたぼたと涙を零していたアイラは、ガイアスを見て涙を拭うと、口元だけに鮮やかな笑みを浮かべた。

 大丈夫だと笑うのだ。痛ましいようなものではなく、いっそぎらぎらと怒りを含んだような確かな意志をもって、アイラが桜の石を見る。


「大丈夫。私が助けるから」



 ◆


「これも失敗かぁ。まぁ、いいか。使用不能になるのなら」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ