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337.(グラエム・パストン)



「アイラ・ベルティーニ? ああ、知ってる知ってる、話題になってるやつだろ、一年の特殊科に入った」

 学園の食堂という食事の場であるのにマナーという言葉がすっぽ抜けてしまったような大声で、姿勢も悪くフォークに突き刺した肉を頬張りながら語る名前が耳に入ったグラエム・パストンは、またか、と気のない様子で、しかし丁寧な所作で動かしていたナイフとフォークを一度止めた。声の主は近くに座る同じ二年の男子生徒数名かと呆れながら、顔を上げた先にある食堂の入り口に視線を向ける。

 そろそろ『話題の』いろいろと目立つ存在である一年数名が食堂の入り口付近に現れる時間だ。予想通り、一瞬食堂に黄色い悲鳴が広がり、グラエムの目もその原因を捉えた。ざわめきの主な原因は、フォルセ・ジェントリーという一年特殊科に入学した、筆頭公爵家嫡男のせいだろう。

 いっそ人形か彫刻かとも噂される美しい容姿を持つフォルセ・ジェントリーは、同じく今年入学したこの国の第一王子と共に、いや対をなして、学園の女生徒全員を虜にできるような存在である。グラエムに言わせれば「確かに感情の死んだ顔のアレは人形か彫刻か、はたまた氷像だな」であるが、見た目だけではなく地位、物腰、全てが女に好まれる存在であろうその『氷像』は、まだ子供と言える年齢でありながら大人顔負けの振舞い、そして貼り付けた笑みの中身が空っぽの男であった。女はあんなものがいいのか、さすがな、と嘲笑する。

「あ、おい来たぞ、見てみろって、ちっちゃくて可愛くねぇ?」

「おいどれだよ、え? あの青い髪?」

「ばっかそれはグロリア伯爵令嬢だっつの。ピンク色のちっちゃい方だって」

「あーはいはい、見えた、見えた。んーまぁ、確かに可愛い方だと思うけど……それより、俺隣のお姉さんの方がいいわ、見ろよあの胸、めっちゃ柔らかそう」

「わかってねーなー、あんな高嶺の花どうすんだよ。伯爵令嬢だぞ? 万に一つも俺らじゃ無理だって!」

 先ほどの会話はまだ続いていたらしい、しかも下品な方向に。話題の女は、氷の男と共に現れた二人だ。まったく、とため息を吐きながらも食事を終えたグラエムが席を立つ。馬鹿なやつらだ、伯爵令嬢は万に一つどころか億に一つの可能性もありゃしない、あれは狙ったら逃さぬ獣に目をつけられている。もう一方の呼び捨てにされた少女も元は商人ながらいまや子爵家の令嬢だ。その家の功績がどれ程恐ろしいものか知らぬ兵科の生徒らしいあいつらに可能性があるわけがない。

 やはり食堂で食事を取るのは面倒だな、と歩き出したグラエムは、ちらりと話題に上がったピンク色というよりは薄紅の花弁のような髪の少女を視界に入れた。……はっ! と思わず嘲笑しかけ、すぐに視線を外して歩き出す。多少は恵まれた容姿ではあるようだが、隣の高嶺の花と称された美女の影だ。全体的に幼く、単体であれば多少マシな話題に上がっただろうに、残念な事に「あっちならなんとかなりそう」扱いである。

 まるで、と思いかけてその考えを振り払い歩き出したグラエムはふと、三年の騎士科でも優秀と名高いカルミア・ノースポールが食事の手を止めぼんやりと目立つ一年たちを見つめている事に気づく。あの真面目一辺倒なやつが、へぇ、なるほどね、という感想を得たものの、特にどちらの女を気に入ったのかも興味なく視線を逸らした。さて、さぼるか。今日は天気が良さそうだ。その時点で話題の下級生の存在はグラエムの脳内から消えていた。



「アイラ・ベルティーニ? ああ、あのアイラ嬢ね。知らないわけないだろ、あんな有名人」

 一年と二年の騎士科、兵科合同授業にて、退屈な試合を終えて壁に背を預けていたグラエム・パストンの耳に届いた名前は、ほんの二月の間で随分と生徒たちの印象を変えたようだ。

 へぇ、と思いながらも特に興味もなく空を見上げていたグラエムは、いかにして午後の授業を抜け出すか思案していた。別に聞きたいわけではないが、話している人間たちもグラエムも位置を変えていないのだから、会話の続きは自然とグラエムの耳に届く。

「静かにしろって、あそこにいる一年、その令嬢の護衛らしいぜ。馬鹿みたいに強いんだ、あいつら人間か?」

 ――仮にも二年の生徒が、一年の生徒を指して怯えを見せている。

 そんなんだから一年に負けるんだよ、と視線を空から地上へと戻したグラエムは、話題の主をすぐに見つけた。デラクエル兄弟……貴族ではないのに騎士科に選ばれたばかりではなく、特殊科にも在籍となり、双子で入学してきた為に元より目立っていた二人。

 同じく平民の出が多い侍女科の生徒に大層人気が出始めた双子二人は、馬鹿みたいに主人に忠実な兄弟だった。侍女科の美少女、美女候補に目もくれず、妄信的なまでにその視界に入れるのは主のみ。特に弟のほうは顕著だ。主人のほうはどうでもいいが、護衛のその強さには興味がある。知らぬ人間も多いようだが、曲がりなりにもパストン家の子息であるグラエムは、双子の父が二つ名すら囁かれ恐れられる武人である事を知っていた。人間らしい面を見せる双子はフォルセ・ジェントリーより余程興味がある。そんなことを考えていたグラエムの横で、会話はまだ続いている。

「あいつらに護られるってどれだけすごいお嬢様かと思ったらさ、なんか令嬢、っていうには変な女だったんだよ」

「は?」

「にこにこ笑って可愛いっちゃ可愛いんだけどさ。外見も声もまぁ……けどさ、なんていうか、この前たまたまあの二人と一緒に話してるとこ見たんだけど」

「褒めてるのか貶してるのかどっちだよ。でも、まじかー、羨ましい。アイラ嬢って言ったら結構隠れファンも多いだろ? 元商人家だしちっとは俺たちも話せるかなーって期待して近づこうにも護衛二人が邪魔で」

「ああうん、それは自慢したいんだけど。いや違うって、そうじゃなくてさ」

「なんだよ」

「……なんか、とりあえず『ご令嬢』って感じじゃなかったんだって。口調も町娘と変わらないし、喋ってる内容もこう……なんていうか、一に薬草、二に魔法、みたいな残念な美少女だった」

「……いや、もともと子爵令嬢じゃないんだしそんなもんじゃねぇの……? まぁ令嬢ってイメージではないな」

 ふ、と漏れかけた笑いをなんとか飲み込んだグラエムは、友人らしい二人組の兵科の生徒の会話を聞くのをやめてその場を離れた。残念な美少女。つまり庶民感覚が抜けてないか、ただの薬馬鹿か。容姿に合わぬ性格か……そういえば優雅かどうかと言われるととってつけたような……まぁ、知る限りでは常に公爵子息と共に行動しているようだし、結局根本的には他の女と一緒である。グラエムにとってどうでもいい話だ。


 そう考えていたグラエムは、いい意味でその夏、学園の試験として行われる大会の対戦相手として目の前に現れたその少女の、容姿に似合わぬ大胆な戦法と言動、行動に裏切られた。笑うしかない。

 残念な美少女。令嬢とは言いがたい振る舞い、そして元商人家。貴族の立場で考えれば、いくら顔が良くとも妻に望まれにくい、所謂もてないタイプである。一部貴族から強欲なベルティーニと語られるくだんの彼女はどうするつもりなのか……気になって聞いてみただけなのだが。


「俺嫌いなんだよね、媚売る女。良家の嫡男に気に入られて結婚して万々歳みたいな」

「知るか! あなたの好みなんてどうでもいい!」

「……そんな口調だったっけ、アイラ」

「口調……!? うあー、別になんだっていいじゃない」


 しまった、と顔を歪めた少女は年相応の、どこにでもいるようでいない令嬢だった。ああ確かに、これは残念な令嬢だわ。笑ったグラエムは、己でもわかりやすく目の前の少女を気に入った。

 恋愛対象的な意味でかと言われれば、そうではない。いうなれば未知なる生物との遭遇、もしくはからかいがいのある年下の、そう、まるで弟のような。

 それで気にかけてしまった為か、つい癖の情報収集の中で一学年下の特殊科の情報を得る機会が増えた頃、元よりパストン家の者としてちょくちょくと情報は提供していたが、直接第一王子から連絡があった。曰く、今の世を正す為にお前の力を借りたい、というなんとも面倒な話であったのだが。

「お前がなんだかんだでアイラを気にかけているのは知っている。気に入ったのか?」

「は? じゃないや、いえ、そのような事は」

「はは! いまさらだ、グラエム。……俺はお前を気に入っている、が、アイラはやめとけ、あれは手に負える女じゃない」

「いや別に、そういう目で見てないですって殿下。珍獣だな、とは思ってますけど」

「正解だな。なんだ、あれをまだ気にしているか。忘れてしまえばいいものを」

「……何の話ですか」

 腐っても王子か、いや、この次代の王は確かに優秀だけどな、とグラエムは舌打ちした。己の事情を知られているとは、予想外ではないが意外だったのだ。

 結局なんだかんだと話すうちに気付けば王子とも浅からぬ付き合いとなったグラエムは、「アイラ様? もちろん知っています、試合会場フィールドに降り立つ破壊の天使でしょう?」と恐らく本人は知らぬ非常に恥ずかしい謎の渾名で噂の下級生を聞く頃に、その本人と口喧嘩する仲となっていた。いつ渾名を言ってやろうか、恐らく黒歴史となるに違いないと笑っていたグラエムだが、己の(騒がしい)姉が学園に少し遅れて入学した事もあり忙しく、また予期せぬ騒動もあり、その機会を逃していた。だがそれでも、学園生活は思ったより刺激のある楽しいものとなっていた、筈だった。


「ベリア!」

 突如場面が切り替わり、動かぬ姉が、あの日の光景が目の前に広がった。姉の名を呼ぶ。無意識であった。

 グラエムの姉は、死んだ。アイラ・ベルティーニが助けようとした頃にはもう、死んでいた。どろり、どろりと黒い雨がグラエムの頬を、濡らす。

「おい、なんで助けてくれなかったんだ、お前も、フォルセ・ジェントリーも、お前ら揃っていながら、なんでだよ」

 おかしい。二人に非はない筈だった。なぜ、なぜ自分はその二人を責めるのか。二人の顔は黒く塗りつぶされていく。悪いのは、カルミア・ノースポールの筈だ。アイラに惚れていた、あの……


 アイラが、応えなかったせいで、ベリアは死んだ。



「違う!!」

 叫んだ喉が痛い。はっとして周囲を見渡したグラエムは、そこが王子やアイラたちの住まう特殊科の寮である屋敷の空き部屋であると気付いて大きく息を吐いた。何か懐かしい夢を見ていた気がするが、思い出せなかった。

 なぜここに、と痛む頭を押さえて考えたグラエムは、そういえば己は王子からルセナ・ラークの安否を確かめて来いと言われて戻ってきたのだと思い出す。それからなぜかワーグーラーに襲われ、アイラたちに助けられて、とまで考えたグラエムはベッドから飛び出した。

 怪我をしたはずの足は治っている。そばに控えていたグラエムと協力関係にある風の精霊が、アイラが治したのだと教えてくれた。そのアイラは今、倒れたルセナ・ラークの解呪に掛かりきりだと言う。こんな時になぜ暢気に寝てしまったのかと舌打ちをしたグラエムは、魔力が少しばかり足りていない事に気づく。なるほど、ワーグーラーと戦ったとき、魔法を含んだおかしな雪のせいで足場に気を取られ魔力を使いすぎたのだった。

「これは緊急だな」

 己がどれだけ気を失っていたのかと問えば、ほんの三十分程度であると風の精霊に言われ、急いで術を展開したグラエムは王子に伝達魔法で一方的に報告を投げつけた。

 ルセナ・ラークは呪いにかかった。精霊のアル、ラチナ・グロリアに続く被害だ。危惧した王子の顔を思い出す。


「狙いは特殊科か……?」

 敵の姿はいまだ見えぬ闇の中。


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