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「へ?」
間抜けな声をあげたのは、私だけではない。さすが幼馴染というべきか、ほぼ同時に同じような声をあげたガイアスと二人顔を見合わせる。思うことは一つだろう、「なぜ今」という心の声が聞こえてきそうだ。
「このような時にどうして」
すぐさま反応を返したのは、意外にもどこか咎めるような視線を含むルセナだった。……ルセナがこういった発言をするのは少し珍しい気がして思わずそちらを見ると、ルセナの隣に並んでいたレイシスまでもが頷いている。そういえば先ほど先生はルセナとレイシスには話していると言っていたか。……聖騎士への勧誘を、ということか。
「このような時だからこそです。君たちは非常に優秀、しかも二人はこの王都の学園で特殊科に選ばれ医療科でも最も活躍している人間だ。立場があり継続的、そして生涯永久的という条件では騎士として活動する事が難しいというのは十分わかっています。……二人とも筆頭と呼べる公爵家の人間となることはもちろん存じていますが、得難い能力だ。うかうかしていては交渉のチャンスすら逃してしまう」
「ですが僕は卒業後、現王と父のように、王太子を支える事は決定しています。アイラも卒業後は僕の婚約者としての立場だけではなく、商人として医師として、民の健康を支える店舗の経営が決まっている。これに関して既に全国で展開しているベルマカロンと同様、僕自身も彼女を引かせるつもりはない」
「存じております。……殿下に相談しましたところ、所属はしてもらい、卒業後は日々の警護や訓練優先ではなく、有事の即戦力として助力を願うのはどうかと。それだけの能力はあるものと判断しております」
「なるほど、僕たちの今後の予定はそのままに、人手が足りない時に動けと。そんな、臨時の騎士なんて信頼を得にくいでしょう。騎士は個人の傭兵とは違う。仲間との信頼関係を築く事も重要だ」
「そこは問題ないでしょう。……夏の武術大会であれ程の好成績を収める能力を持ち、この国最大の魔法学園である王都クラストラ学園で知らぬ生徒がいない程の知名度だ。誰もあなた方を能力の面では疑う事はないし、あなた方を仰ぐ生徒も多い。最近の傾向ではあなた方は嫉妬すら跳ね返し味方としている。何より、次代王に認められるとはすなわち神に認められたと同義」
「な、なんか急に最後説得力があるようでないような」
「どっちだよアイラ」
黙って聞いていたが最後の説得の方向性が微妙にずれた気がして思わず突っ込むと、さらにそれをガイアスに突っ込まれる事態になり、ふっと先生が笑う。事実でしょう、とさらりと言い切る先生はやはり本気だ。
先生が言う神とは一般的な国民の目線を含んでいる。王家が扱う光の魔法は神の力、それ故に神聖視されるだ。……聖騎士に最も近い男とされる騎士団隊長であるフェルナンド先生は、何よりも王家の人間を護る事を優先されている筈だが、それ故に近い。……本当に王家の力を神と認識しているのかもしれないが、まあ、先生がどこまで知っているのかはわからないけれど、間違ってはいないのかもしれない。ある意味この国の民の典型的な意見だ。
王家を神に近しい者と崇める民は多い。相応しくない王は神の鉄槌が下ると広く信じられている事から、その時代の王は神に認められた者と認識される。歴代の王が亡くなった時、まだ死ぬには早い年齢だった場合「裁きが下された」と噂した民もいたようだ。
そのような噂があれば、生きた現状の王に認められた臣下を神に認められた事と同等と扱う人間も少なからずいるだろう。光の精霊の力を借り、魔力を扱えるという事はそれだけ民に安心感を与える存在なのだ。
でもその精霊が反乱に合ったんだよなぁ……闇の精霊に。
思わずはぁとため息を吐いてしまい、いやいや、と首を振る。今私が考えるべきはそこじゃない、大事な将来の話をしているのだった。
ぱっと顔を上げると、先生と目が合った。
「それとも、お二人とも無事卒業しご結婚後はその能力を生かすこと無く生活されるつもりですか?」
「――ははっ! まさか!」
ははは、と突然フォルが笑いだす。なんだなんだと目を瞬かせる私をちらりと見たフォルが、困ったね、と私に笑いかけた。
「そうだ、特殊科の生徒は能力を国に生かす為に、そして仲間の為に日々学んでいるんだったね。アイラ、僕たち卒業後も随分と忙しくなりそうだ。騎士団に属す、属さない、どちらにしろ、僕たちはやる事が変わらないそうだ。……だって僕もアイラも、デュークやラチナが困っている時に共に戦う事を拒否するわけがないからね」
そして、と顔を上げたフォルが、ガイアスとレイシス、ルセナを見た。何か確信を得た様子で頷くと、真剣な表情で、ただ口元にだけ笑みを浮かべたフォルが先生を見つめ口を開く。
「条件は」
「最初に述べました通りに。どちらにも立場がある事はわかっています。公爵領を放り出せとも、民から非常に期待されている商いを手放せとも言いません。あれの経済効果もはかり知れませんから。ただ万が一、何かしらの有事が起きた際にその力を貸して欲しいと。騎士団に所属していただくことで、国家機密となる情報の共有もできましょう」
やはり、とフォルが先生の視線を受け止めて、感心したような笑みを浮かべた。気もそぞろな私には理解できず首を捻ると、フォルは穏やかな声で「お話はわかりました、フェルナンド隊長」と頷く。
「ルセナは元より騎士志望だ、聖騎士の話は恐らく受けたんでしょう? ……策士ですね、僕とアイラにこうして堂々と話を持ちかけた上に、所属させる事が出来ると確信している。そんな条件と言い回しを選んで来た。これでは、恐らく騎士団所属を断っただろうデラクエル兄弟は動くしかない」
「え? ……あっ!」
漸く意味がわかって思わず先生のしれっとした表情を見つめた。ガイアスとレイシスは私の護衛だ、私がそれを意思を無視して強制的に命じる事はないが、彼らがその任から外れるつもりがない事は十分知っている。……先生は先ほど、私たちが騎士団に所属すれば、王子とおねえさまのピンチの際に機密となる情報も渡せますよ、と言ったのだ。私とフォルに、断る理由がないように通常の騎士とは別格の待遇を用意して。
そんな待遇をわざわざ用意しなくとも、万が一の時には私たちはどうせ動くのに。何せ公爵家の人間となるのだ。フォルは王子の補佐として動くし、私も戦闘能力のある公爵家の人間となれば、ただ裏でお茶会を楽しみつつ情報収集するより前線の隊に医療班として加わる可能性が高い。
なぜ騎士団所属に拘るのか。国内外へ向けた強さの誇示の意味もあるのだろうが……二人ほど、騎士団に所属しなければ確実に『とある貴族の護衛』として今後表舞台から消える人物がいるからか。
「……私が漏らす事ができない機密情報を得て動く可能性を知ったデラクエル兄弟のどちらかが騎士団に所属するのが狙い、ですか?」
「まさか。私が得たいのは、絶対の主である次代の王とその妃を完璧に支える、五人の騎士ですよ」
「おっと、なるほど、全員欲しいってか。欲張りだな、聖騎士の先生は」
話を聞いていたガイアスが、聖騎士の授業では関わりのない己にも向けられた話だと気付いて笑う。だがすぐに表情を変えると、悪いが、と付け足した。
「俺とレイシスは、もし王家の人間とアイラ、どちらか一方しか助けられない状況になれば、間違いなくアイラを選ぶ。命令も同様だ。騎士には不向きだぞ」
「ふむ、直接話をする機会があったのは弟殿の方だけでしたが、さすが揃って忠誠心の厚い方たちだ。双子なだけあって回答まで一緒とは。ではまとめて反論させて頂きますが、それは嘘ですね。あなた方はそういった方法を取れば己の主が心を痛める事を知っている。最後まで両者を助ける道を模索する筈。私が得たいのは、王太子にそういった強さで仕える人間です」
毅然としたまま言い放つ先生は、先生としてではなくただ得たい人材の為に交渉に訪れた王の臣下であった。わざと無礼な物言いをしたガイアスの言葉をさらりとかわし、確実に狙った獲物を捕らえに来ている。
「……まったく、そんな面倒なことしなくとも俺らはどうせアイラの指示で動くっていうのになぁ。騎士団所属なんてしても部下はとれないぞ、条件による。あと、アイラが俺たちに『騎士団に所属する事で自分を護れ』と命を出したら、だ」
「承知。正式な契約条件については王子と相談する事にします。あとは次期公爵とその夫人の判断に任せましょう」
「まだお嬢様は夫人じゃありません」
「おっと失礼」
レイシスに注意された先生は笑いながら立ち上がると、私たちに騎士の礼をして去っていく。扉に手をかけた先生は一度動きを止めると、振り返って笑った。
「本音を申しますと、あなたたちは実に刺激される存在だ。私も可愛い愛弟子にまだまだ教えたい事がありますからね、卒業でその機会を失うことは惜しいのです」
では、と今度こそ部屋を先生が出て行き、その閉じられた扉を呆然と見ながら、私はガイアスが横で「え、俺も弟子にしてくれんのかな」と呟くのを聞いていた。気になるのそこかい。
それにしても……いまいち掴めない人だ。
だが、同じく扉を見ていたルセナが、どこか嬉しそうに笑っているのを見てふと思い出す。ばらばらになるのがいやだと言っていたルセナは、もしかしたらこの結果を喜んでいるのかもしれない。
おねえさまは、その後三日経っても、五日経っても目覚めなかった。
話を聞くに、ファレンジ先輩とハルバート先輩、そしてグラエム先輩の協力を得て、フリップ先輩が実家に戻り奔走しているらしい。伯爵家は、代替わりが決定していた。ハルバート先輩の実家であるランドローク公爵家が支援するようだ。
敵の尻尾が掴めない。王家にデラクエル、ベルティーニ、ジェントリーだけではなく、パストン家、ラーク家も総出となって調査しているというのに、ルレアスが怪しいのではと叩いても出ない埃に時間の無駄を感じ始め、ではいったい敵はどこにいるのだと頭を抱えた頃。
私たちは、再び見えぬ敵が次の動きを始めたのを、ただ黙って見逃すこととなる。




