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ルセナを部屋に送り、一度自室に戻った私は大きくため息を吐いた。
ルセナを落ち着かせるのに背を撫でていたのだが、どれくらい経ったのだろうかと時計を見上げて小さく息を吐く。ろくに声をかけることもできなかったのに、今日は随分と時が早い。
握りこんでいた桜の石も、ジェダイが閉じ込められた石も何も反応を見せない。そっと机の上に置いたそれらを眺めながら手早く着替え、制服を脱いだ。今日は午後予定があったが、騎士団が忙しいのか先生のほうから後日に変更の連絡があったのでもう私服で十分だろう。
ガイアスたちのところに行かなければ。私も情報収集に動かなければと思うのに、身体が動かずベッドに倒れこんでしまう。
少しだけ、と天井を見上げて目を閉じる。
今日はいろいろありすぎた。疲れた、というのが正直なところだが、それどころではない。……それに、ルセナが泣いた理由が、胸にもやもやと引っかかっているような気がして落ち着かない。
ルセナが何に怯えていたのか、わかるようでよくわからなかった。立場が怖いと言う。彼は侯爵家次男、一般的に見れば彼は後継者ではない。この国は基本的に長男が嫡男として扱われている。もちろんさまざまな理由でその限りではないが、ルセナと母親は違えど彼の実家の跡取りは長男とされている筈で、ルセナ自身も継ぎたいといった意思はなさそうだ。その為に王都の学園に入学したのでは、とすら思う。……愕然とした。全て様子からの予測だ。ルセナは甘えたがりではあるが、己のことをあまり語らない。それでも三年近い月日で私は何を見ていたのか。
ルセナは何を指して立場が怖いと言ったのか。ルセナの口調や想いは、よくわかるような気がしたのに……それを説明しろといわれると難しい。もやもやと胸に不安が溜まっていく。仲間が傷つき倒れても癒すことも出来ず、閉じ込められても助け出すことも出来ず、そばについていることも、相談されても気のきいた一言も言えず。私は、何をやっているんだ。
「……行かなきゃ」
再び机に置いた二つの石を手に持ち、重たい足を動かして外へ出る。
おそらくガイアスの部屋だろうとあたりをつけて一歩足を踏み出した瞬間、がちゃりとガイアスの部屋の扉が開きレイシスが顔を覗かせた。
「お嬢様、……お疲れですか?」
「あ、ううん大丈夫……なんだけど、レイシス何か重要な情報は?」
我ながら微妙な誤魔化しをしてしまった、と思いながらも苦笑すれば、レイシスはぱちりとひとつ瞬きをした後小さくため息を吐き、私の手を引いた。
「……ふらふらだし顔色も悪い。アルを……助けるなとは言いません。けれど、お嬢様が倒れては意味がない。俺とガイアスの最優先はお嬢様です。いつものように上手くやってもらわないと、困ります」
「は、」
ぱっと顔をあげると困ったように笑うレイシスがいた。少し驚いて瞬きを繰り返し、笑う。
「……お嬢様、俺だって変わるんですよ」
「そう、そうだね」
「だから、……互いのことにわからないことがあって当然です、変わるんですから」
「……あれま」
驚いてレイシスを見ると、視線を落としたレイシスが「すみません、呼びに行こうとして少し聞こえてしまいました」とさらりと白状する。
ふと、気になった。あえて私とルセナを残してくれた相手が、私を呼びに来たことに。
「何かあった?」
「とりあえずガイアスの部屋に」
そこで漸く本来の目的を思い出し部屋に顔を覗かせると、ばたばたと忙しそうに書類を運んでいたレミリアがはっとして「すぐにお茶を」と走り出す。
「いいよレミリア。ガイアス」
「ああ。グロリア伯が危ない。……恐らくもう」
ひゅ、と喉の奥が鳴る。医師は、と無意識のうちに声が零れた。確かに解呪は難しいが、伯爵領に治療できる医師がいないわけがない。まして、貴族の治療だ。現状は私が目指すところとは違うが、今回ばかりは状況の酷さからも、どの医者も伯爵の治療が領で最優先とされた筈。それほど呪いがひどかったのか、いや、対人間であればこんな短い時間でそこまで進行度がひどくなる呪いでは……
「おかしい。そんな、展開が速い呪いだとは思えない。植物相手だと広がりが強かったけれど、それでも桜の木は生きた。……医者がいる状態なら生命に直結するのがはやすぎる」
「ああ、俺たちもそう思う。状況がおかしいんだ。他の呪いは王都に集中してるのに、なんで伯爵だけ離れた地で魔鳥に襲われたのか。いや、本当に魔鳥だったのかから調査しないと。……あと、アイラ。ルセナ、大丈夫そうか? あいつ、自分の実家がどうなったか聞かなかっただろ」
「え?」
びくりと肩を跳ねさせてしまった私を、漸く書類から顔を上げたガイアスの瞳が射抜く。
「……聞かれてない」
「あいつ、怖がってる節があるからな、自分が兄を害す存在だと疑われること、かなたぶん」
「……私、全然気づかなかった」
「そりゃそうだ、あいつは一応男だからな。言葉にしてアイラに相談したりはしないだろ……それでも、相談相手にアイラを選んだんだ。それでいい」
「それ、私聞いちゃっていいの……?」
「ああ、俺はアイラが気にして倒れるほうが困る……けどまぁ、元気になったらルセナに謝る」
「……変わらないけど、そっか、変わったんだな、みんな」
はは、と笑い、手に魔力を漲らせながらも言われた資料に目を通し始める。状況は芳しくない。それでも止まっておろおろしているよりは真実を知ったほうがよほどマシだった。
そう、そのほうが。
「おねえさまになんと声をかけたら……」
「アイラ……」
日も沈み、一階の部屋に戻った頃。既に話を聞いていたのか、病み上がりだというのにフリップ先輩の姿はなかった。グラエム先輩が迎えに来たらしい。
伯爵は、助からなかった、と聞いている。断定でないのは、情報自体が混乱しているからだ。すぐに広めていい話題ではないのだから当然か。
王子もおねえさまも戻ってはいない。ガイアスとレイシス、フォルと私だけが部屋に残り、レミリアも他の侍女と食事の支度に出てしまった。……ルセナはまだ降りてきていない。
「ねぇ、ガイアス。ルセナの実家は大丈夫だったんだよね?」
「こっちの情報では、といいたいところだが、なんと言っても遠いからな。まぁ、こっちが掴めなくても」
ちらり、と意味ありげな視線をガイアスが送ると、それを受けたフォルが苦笑して首を傾げた。
「今のところ何か起きたという情報は聞いていないね。国内での報告は王都とグロリア伯爵だけだ」
「そう、か」
ぽつ、ぽつ、とフォルとの情報交換をしていると、少し顔色もさっぱりした様子のルセナが顔を見せる。ほっとして息を吐くと、おねえちゃん、といつも通り駆け寄ってきたルセナは小さな謝罪の後に笑みを見せる。
「頑張るよ、僕」
そのままなんとか食事も終えた私たちであったが、この日学園内の混乱も大分少ないという情報を得ながらも、結局おねえさまと王子を迎える事はできなかった。
「あー!! 落ち着かない! ねぇガイアス、お城行っちゃだめかな!?」
「いや、さすがに入れてもらえないだろ」
次の日の朝、全員、かと思いきや私とルセナだけが目の下に隈を作った状態で一階の皆と顔を合わせるも、まだおねえさまたちの姿はなく。というか、女の私が一番隈隠せるはずだよね、こんなときに普段の化粧っ気のなさが仇となったか!
「フォルなら入れるんじゃないか」
「うーん、大丈夫だと思うけど……そもそもデュークが僕たちを忘れるわけないからね。何か連絡が来ない事情が」
フォルが言いかけたそのとき、ガツン、と大きく音がして思わず小さな悲鳴があがる。おいなんだ、と窓を見ると、グラエム先輩がしまった、といった表情で窓を叩いている。何で玄関から入らないんだといいながらレイシスが窓を開けると、悪い強く叩き過ぎたといいながら先輩が転がり込んできた。
「おい嬢ちゃん、今すぐ城だ、殿下が呼んでる」
「は!?」
「ラチナ・グロリアが一度も目を覚まさない。そっちの猫はどうだ」
「え、アルくんなら、傷は大分消えて眠って……ジェダイは起きたけれど、え、お、起きない?」
ぐい、と私の手を引いた先輩が、握りこんでいる私の指を開いて半ば強引にその手を持ち上げる。桜の石が、私の手のひらの上できらりと朝日を反射した。視線の動きから、恐らく風の精霊に何かを確認させているのだと気づいたが、さっぱりわけがわからない。
「……いい、とにかく、城だ」
「わ、わかった」
「そっちの四人もだ。行くぞ、時間が惜しい」
タイミング良く城に行きたいという願いがかなったはずなのに、いやな予感に全員が眉を寄せる。休まらない怒涛の展開に目が回りそうな程。一度落ち着かなければ、何かを見落としそうで怖い。そう呟くと、フォルがそっと手を握ってくれた。
甘い、甘い、パンケーキ。
とっても美味しいふわふわのクリームをのせて。
幸せいっぱい、ありがとう。
生み出したのは破壊の神。素敵な特典偽って、あの人形可哀想。
幸せいっぱい、ありがとう。
人間たちの魔力が上がる。
僕たちもいっぱい、いただきます。美味しいごちそう、ありがとう。
「……アイラ? どうしたの?」
城に急いで向かう途中、急に足を止めた私のせいで、手をつないでいたフォルが怪訝そうな表情で振り返る。
「今何か聞こえた気が、したんだけど」
「え?」
「いや、気のせいかも。ごめん、急に止まったりして」
ぱちりと瞬きするフォルの紫苑の混じる瞳が、優しく私を見守っている。妙に肌が粟立つような感覚を振り払うように、私は次の一歩を大きく踏み出した。
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