329.デューク・レン・アラスター・メシュケット
アイラが負傷し屋敷へと戻ったのを確認し、他に負傷者がいないか調べながらも空を仰いだ俺は、そこに飛ぶ精霊の姿を見て目を見開く。
光の精霊が慌しい。……いや違う。あれは憤怒しているのではないか。
他の精霊がどうなっているのかなんて、アイラやグラエムたちエルフィを通じてしか知らない。だが、光の精霊は特殊な精霊だ。光魔法が神の力と言われるのと同じく、光の精霊は精霊たちの中でも特殊な位置にいる。基本的に、光の精霊が精霊たちの頂点であるのは間違いない。
さらに光の精霊には長がいる。それは王位を継承しなければ見る事ができない存在だが、王家に生まれたものならばみな王位を継がずともその圧倒的な魔力は感じている筈。光の精霊はつまり光の全てだ。意思を持ち生きる者は、闇の中だけで生き残るのは難しい。火精霊の力を借りて灯りを灯せばそこに生まれるのは光。つまり闇でなければ光だ。……今この場で怒り震えている精霊は長に使える小さな精霊たちのようだが、神に最も近い位置にあるその精霊にこれ程の混乱を与えているのはおそらく人間ではない。
……闇の精霊が何かしでかしたのか。
一瞬でその答えに行き着いたのは何も、俺に見える精霊たちの様子がおかしいせいだけではない。先ほどの、アイラの負傷。……よりにもよってアイラが解呪に手間取る程の呪いなど、フォル以外の闇の使い手では難しいのではないかと違和感があったのだ。そして当然あれはフォルの術ではない。彼ら二人は我が国誇る騎士団でも聖騎士に最も相応しい男、フェルナンド・カーディが、彼らの継ぐ立場を知りながらも隊に欲しがる程の人材だ。その二人が一度撤退する程の呪いなど……この状況を見れば、闇の精霊によるものとしか考えられない。
光を裏切ったか。……いや、父上は光の長は王家、闇の長は今現在フォルが引き継いでいると言っていた。つまりこの間現れたあの三姉妹の精霊だ。アイラをえらく気に入っている様子であった彼女たちが裏切るとは思えない。精霊は実直だ。……人のように小賢しい知恵を働かせフォルやアイラを裏切るような真似はしないだろう。つまり、長の支持ではない一部の裏切り。
王家専用の伝達魔法を生徒たちに見えぬよう使用すれば、正式な婚約者となり既に王家の力の一部を学び始めたラチナがすぐさま俺の意図を汲んで、伝達魔法使用時に光る指先を隠すような位置に立つ。
一方的に父にこちらの状況や様子を送りつけすぐ遮断し、何食わぬ顔で騎士に指示を出して生徒たちを建物に避難させる。もっともあの威力の呪いが再びとなればおそらく建物にいる意味はないが、状況を早急に調べなければ、と足を動かそうとすると、父から一方的な連絡が繋げられた。
「……そうきたか」
「……デューク? どうしたんですの?」
ラチナが背筋を伸ばし表情は真剣なままで、しかし少し不安そうに問いかけてきた。ちらりとその横顔を見やり、しかし大丈夫だという安心させるような言葉も吐けず。避難する生徒たちを見回しながら防音の魔法を周囲に巡らす。
「王から連絡が来た。どうやらあの呪い付きの魔鳥はすでに他の場にも現れているらしい……学園内では他に二箇所確認されている。パストンの長男が確認しているから間違いないだろう。しかもそのうち、一箇所が桜の木のそばに落ちた。あれはこの国に存在するたった一本の桜である上に、かなりの植物の精霊が被害にあったらしい。なんとしても解呪せよと言われたが……ラチナの見立てではアイラの足の解呪はどれくらいかかる」
「恐ろしい力を感じましたけれど、あれは闇ですわよね? アイラが然程時間を取られるとは思いませんわ。ただ……あの、デューク。アルは、アイラの持つ桜の精霊、ですわよね? 大丈夫でしょうか」
「……成程。いや、正確に言えばアイラがジェダイを使役している以上アルも魔石の精霊である可能性は高いが、そうだな、呪いはその場で留まらないのが厄介だ、すぐグラエムに指示を出す」
緊急時だ、と城にいる筈の男に繋げば、相手は既に学園内に戻ってきていた上にすぐさま事情を理解した。おそらくもうパストン兄からある程度の状況を聞いていたのだろう。
王都内にも魔鳥が見られたらしいが、それらは運よく騎士とデラクエルの一部が飛んでいるところを氷漬けにして捕らえたために呪いは発動されていないらしい。全部で五箇所か。文が括りつけられていたところを見ると内容からも今回は脅し、これ以上被害を拡大するとは思えないが、騎士の中でも防御に長けたものをある程度学園に配置し建物の防御に宛てたほうがいいかもしれない。
しばらく驚いて転んだ生徒などはラチナが治癒を対応したが、すぐに生徒たちも落ち着きを取り戻し移動し始めた。呪いもそうだが、岩に砕かれた通学路が面倒な事になっている。すぐさま地属性に長けた騎士たちが整備を始めたのでこれ以上怪我人は増えぬだろうと周囲を見回した時、大きく叫びながら見覚えのある姿が視界の端に映り込む。少し女生徒から黄色い悲鳴があがった。フリップか。
「ラチナ! アイラちゃんたちは東側の公園から応援要請があってそちらに向かったよ!」
「アイラもフォルも無事で今は反対側に救助に出ていますのね! わかりましたわ!」
大きな声で会話をする兄妹の意味に気付いて嘆息した。アイラが逃げたと噂が立つのを避けたのだろう。ラチナの事だからずっとそれを心配していたのだろうが、咄嗟の機転には恐れ入る。たまに、俺はアイラをライバル視したほうがいいのかと本気で悩みたくなる程、ラチナはアイラを可愛がっているのだから悔しいものだ。
「殿下、公園側でも同様の事件が起きたと言いふらしたようなものです、申し訳ございません」
「構わん、どうせすぐに知れ渡る。……アイラは自分にかかった呪いを解いたんだな?」
「はい。ですがどうやら、精霊に異常があったようで顔色を変えていたところを見ると……あまりいい状況ではないかもしれません」
「……アルか」
頷いて、この場は騎士に任せてもいいだろうと踵を返す。ラチナにフリップと戻れと伝えたが、当然のように反対された。……ここでラチナだけ返すのもまた問題か。
「わかった。ルセナ! 一緒に来て防御を頼む!」
ずっと防御壁の維持をしていたルセナに声をかければ、頷いた彼はやってきた騎士が詠唱を終えると同時に器用に壁を解き防衛を交代してそばに駆け寄ってくる。事情を説明しながら公園に向かっていると、目的地周辺に張り巡らされた水の壁を遠目に見つけて眉を寄せた。
「……なんだあれは」
「あの魔法、変。水の壁なのに澄んでなくて妙に歪んでる」
ルセナの見解にも同意だが、なにより、水の壁周辺に集まる小さな光の精霊たちが、中を見て悲鳴をあげ姿を消して壁の向こう側に消えて行く。あの先で何が起きている?
足を速めれば、それに気付いた後続も速度をあわせた。目の前で水の壁が消え、少しして慣れた魔力を感じる。俺に気付いた光の精霊が、手を伸ばして首を振った。デラクエルの双子が壁を張りなおした……?
「止まれ。この壁はガイアスとレイシスのものだと精霊が言っている」
「え、こんな巨大な壁を作らなければいけないほど規模の大きな攻撃魔法を使っておりますの?」
「いや……」
ちらりと視界に映りこむ光の精霊が、契約の闇使い……つまりフォルが闇の精霊と戦っているのだと知らせた。本当に、王太子と精霊に認められてからというもの与えられる光の精霊からの情報には感謝するしかない。
「大丈夫だ。すぐに解けるだろうから、それから通過する」
口にしてすぐ、やはり解けた防御壁の魔力が残る公園への入口を突っ切って風歩で駆け抜ける。すぐに見えた姿にほっとして無事かと声をあげかけ……濃く残る闇魔法の気配が、フォルが戦った跡のものではなく今現在も桜を侵す呪いであると気づいた。
「アイラ!! アイラ大丈夫ですの!?」
呪いの真っ只中に親友の姿があると気づいたラチナが飛び出そうとするのを慌てて捕まえ止める。フォルがアイラの援護に入っている……あの呪いは医療科に属しているからと簡単に解けるものではない、エルフィの域だということだ。
しかし、アイラがいくらこちらを振り返る暇もなく治療に当たっても、桜を中心に振りまかれる黒い呪いは治まる事なく周囲を蔓延り、次第に焦りが生まれる。このままでは一帯が手のつけられない事になる。
木々の枝が、宿していた葉よりも脆く崩れ落ち、風の中に消える。ぽたりぽたりと落ちる黒い雫は地面を黒い炎で溶かすように抉り、枝が擦れる音がまるで悲鳴のようにすら聞こえた。
ガイアスとレイシスが、必死に『何もないように見える地面に』防御の魔法と拙い回復魔法をかけているのも気になる。光の精霊がその周辺で心配しているかのように飛び回っているところを見るに、この状況ではそこにいるのは恐らく植物の精霊なのだろうが……アルもまさかそこにいるのだろうか。レイシスの回復術では恐らく通用しないのではないだろうか。そう考えたその時だ。
「デューク様! 他に、植物の治療ができる人はいないのですか!?」
アイラでは間に合わないということか。その瞬間思い浮かんだ、ごく最近連絡を受けた相手を思い出して、叫び返す。
「すぐに思い当たる節に当たる、耐えろ!」
あの人ならばきっと、この状況で呪いに押され始めたアイラを助けられる筈だ。




