326
「怪我人と状況の確認をする。ラチナ、来い! ルセナはそのまま防御壁の位置、アイラは索敵、フォルは騎士に指示を出し周辺の損傷確認、ガイアスとレイシスはフォルとアイラを頼む!」
王子の指示にばたばたと皆が動き出す。慌てて人前である事を意識して一般的に使われる索敵魔法の詠唱を口にしながら、ちらりと視線でジェダイを探せば、グリモワからふわりと飛び出したジェダイは無言で頷いて飛んでいく。猫の姿で別行動をしているアルくんに伝えて索敵を手伝ってくれる筈だ。
「この石はいったい何の魔法です!?」
叫びながら慌てた様子で別な騎士の後ろをついて走っている人物は、まだ騎士になって日が浅いのか。降り注いだ岩石に少し腰が引けているようで、それを見たフォルがまずいなと眉を寄せる。
「ここは王城目の前の王都の学園だ。生徒に傷一つでもあれば、警備体制の問題が大事になるかもしれない」
「そもそもこの学園はもともとかなり防御の壁があるはずだろ? 魔鳥の侵入だけならそれを弾くのは難しいとしても、こんな害意ある広範囲攻撃魔法なんて」
「まさか生徒の犯行か? 防衛の基準は通常明確にされていないが、俺たち騎士科や特殊科のような生徒は予めあまり魔法に制約がない。それこそ防衛の為にだが」
ガイアスたちの会話をゆっくりと聞いている暇もなく、レイシスの言葉を最後に私の頭に届くのは精霊たちの声。曰く、強大な魔力を練り上げている人物は、いなかった。囁かれるその声の中に、アルくんのものが混じる。
『いないよ、人はね』
なるほど。
植物の精霊たち、そしてアルくんの言葉の意味を理解して、そっと意識を集中させ、アルくんにジェダイと共に行動するように支持し、ジェダイには身を隠すよう通達する。……この石、精霊によるものの可能性が高い……ということだろう。
さて、これをどう伝えるか。ちらりと視線だけ動かすと、私の答えを気にしている三人の視線がこちらに向かう。
「怪しい人物は、いないと思う」
どこで聞かれているかわからないから、伝えたい一部分を強調して言うわけにもいかず。もどかしく思いながらなんとか普通を装って答えた言葉に、はっと目を見開いたのはレイシスだった。
「……わかりました。いないのであれば……お嬢様、ここは危険です。一度屋敷に戻られては」
ぴくりとガイアスの口が動き、フォルが一瞬目を伏せる。
「私たちが引きこもるわけにもいかないでしょう、万が一の非常事態は特殊科も動くべきだろうし」
「ま、そうなんだよな、一度帰って情報を整理したいところだけどっとぉ」
ガイアスが軽く蹴り上げる様子を見せた瞬間、石畳の地面を抉り埋め込まれていた石の一つが抜き上がって粉砕され、さらさらと砂となり雪と混じって消えていく。いやいやまさか、そんな軽いものじゃない筈だろう。
「……え、どうなってるのそれ」
「ああ、成程。俺もやってみる」
「待って待って、何がなるほど? ってレイシスまで、そんな石をさらっと砂に」
「コツがあるんだって、要はこれ、魔力で生み出された石だろ? なら同等量の地の魔力をぶつけて相殺するんだよ、生み出されちまって完全には消せないから砂になるけどな。邪魔だしいくつか消しといていいだろ」
「いや、ガイアス。さらっと言うけど、魔力の含有量を目測で感じ取ってさらに同量をぶつけるって相当難しいんじゃ」
フォルの言葉に同意だ。圧倒する力で打ち砕く、防ぐならまだしも、さらっさらの砂にするなんて。
「フォルも氷ならできるんじゃないか? レイシスはもともとこういうの得意だしなぁ。俺は地属性魔法ならなんとかなる。むしろ目測ではかれるからいいんだよ、風属性魔法じゃ無理だ」
「そういう問題……?」
チートじゃないのかそれ、と思ったが、騎士科である彼らがそのような技術を磨いている可能性はある。……さすが戦闘特化の科だ。ためしに手を触れてやってみたら、私の目の前で石が爆発した。咄嗟にレイシスが風の盾で護ってくれなければ怪我をしていたところである。
「魔力が多すぎだな」
からっと笑うガイアスがしれっと足で蹴り上げた礫がまた砂と散る。……もうやるもんか。
とりあえずレイシスの反応のおかげでガイアスやフォルもおそらくこの状況が何によって引き起こされたか気付いてくれた筈。普通の地の精霊が、こんなことをするわけがない。地属性の精霊の意思を無視した事件は、これまでもあった。つまり……この『手紙』の主は、ルブラの可能性が……高い。
わかりきってた事か。そんな気すらして雪を散らして歩き、慎重に気を配って放り出されていた魔鳥を捕獲しておこうと歩みを進めて……気付いたフォルが手伝おうとしてくれたのか並んだところで、先に一歩前に出た私は、ひゅっと身体の落下する感覚に息を詰まらせる。
「アイラ!」
ずぷり、と何かに埋まる。フォルの声が聞こえると同時に引き上げられる感覚で漸く呼吸を再開し目にした地面は、闇。
ごぽごぽと泡立つように気泡を膨らませながら、魔鳥を中心に黒い池のようなものが広がっていく。魔鳥に鎖を巻きつけたガイアスが慌ててそれを引き上げれば、とぷり、と粘度のある液体から魔鳥の身体が浮き上がり、雫を零す。ガイアスを襲おうとしたその雫は、フォルの氷に打ち落とされた。
「アイラ! ここから離れて!」
ぐいぐいと腹に回った腕に引かれて黒い池から離れれば、少しして跡形もなくそれは消えた。魔鳥の身体が虚しく鎖につながれた状態で宙をゆらゆらと泳ぐ。
不安定な体勢で後ろに下がったせいでべったりと後にいたフォルを巻き込んで尻餅をつき、視界が低くなる。そこで目に入った医療科の制服のロングスカートから覗く自分の足が、雪を穢した。黒い池に沈んだのだろう、私の右足の脹脛から下が黒く濡れ、次第に強烈な痛みを伴う。
「……っ! くっ、うっ、あああああっ!」
「くそっ! アイラ大丈夫か! なんだよこいつ!」
咄嗟に詠唱した鎮痛効果のある詠唱が途切れ、食いしばることなく開かれた口から悲鳴が零れる。さっと顔色を変えた護衛二人に、後ろから聞こえる乱れた呼吸。
「痛む!? しまった、ガイアス! その鳥封じ込めて、呪いだ!」
「お嬢様!! 戻りましょう!」
「だい、じょ……」
「大丈夫なわけない! アイラ、レイシスの言うとおりだ、足を切り落としたくはないだろう!」
ばちん、と一度強烈な刺激が右足の太股を襲う。フォルがおそらく循環していた魔力の一時的な遮断と痛覚麻痺の魔法を使ったのだろう。だらり、と額から汗が零れる。雪が積もる程寒く、呼気は白く吐き出されるこの場所で、だらだらと冷や汗が流れ痛みに熱くなる身体を風が急速に冷やした。
しかし、痛みさえなくなれば詠唱できる。すぐさま唱えた解呪の詠唱は、決して自分の為に必死に練習したものではないというのに。
「アイ……いや、解呪はアイラの方が得意だね。ごめんガイアス、レイシス、アイラは僕に運ばせて。アイラ、僕が回復詠唱を使うから、足の魔力循環は止まってるけどそれで耐えて」
先ほどから後から抱きこまれる形だったのが、背中がひやりと冷えて後ろから移動したらしいフォルに、背中と感覚が覚束ない膝裏に腕を差し込まれる。きゃあ、と僅かな悲鳴は、どこかの女生徒のものか。……しまった、注目されすぎたか。お、お姫様抱っこでこれは恥ずかしい……!
「……はは、アイラ百面相。余裕まだあるならよかった、僕肝を冷やしたよ」
「いや、私だってびっくりしたよ、地面がいきなり呪いの池になるなんて……っていうか恥ずかしいどうしよう」
「こらそこ、すぐに戻るぞ! レイシス、殿頼む。フォル、俺が先を走るから足場を同じくしてついてきてくれ」
了解、と言うフォルの声が触れる胸から響くように聞こえてきて、慌てて意識を戻して風歩に備えて呼吸を整える。抱きかかえられた状態で風歩を使われたら、風の抵抗をうまく掴まなければ息が乱れるだろう。解呪の魔力を途切れさせるわけにはいかない。
ちらりと視界に、目を見開いたおねえさまが見えた。ごめんなさいおねえさま、アイラ・ベルティーニ、戦線一次離脱します……。最近こんなのばっかりじゃないか。
「悔しい!」
屋敷に戻ってすぐに解呪できたことでフォルの腕から降りた私の開口一番の台詞に、はあ、とガイアスがため息を吐きながら頭を抱えた。
「悔しい、じゃないぞアイラ。敵の狙いがお前の可能性も高いんだ、妙な対抗心は捨てておけ。……相手、またルブラなんだろ?」
「たぶん、地精霊がまた捕らえられているんだと思う。ほんっと懲りないよね! というか、確かに呪いに落ちたのは私だけど、あれ魔鳥を中心に広がってたでしょう。たぶん呪いだけじゃなくて、地属性魔法もあの鳥を的にされた可能性あるよね」
「あの鳥が敵からのメッセージ付プレゼント、って事か。無差別か、特殊科があの鳥を捕らえると踏んだか。……その可能性は低そうだな、アイラが気付いたのはたまたまだけど、通常であれば騎士が先に見つけると考えるだろうね。何にせよ一番わかりやすいのは、学園内で事を起したらどうなるか……王都の警備の信用問題に繋がるのはまずい。幸い警備騎士が生徒を護りきってはいるようだけど」
それだって生徒であるルセナの力が大分大きいのは間違いない。
「とりあえず、私はもう大丈夫だし、戻ったほうが」
「お嬢様!」
「だってレイシス、学園の一大事であれほど目立った私とフォルがまず抜けたままなのはまずいよ。王子とおねえさま、ルセナはまだ現場で動いてる。同じ特殊科でありながら私だけフォルとガイアス、レイシスの三人に護られたまま退場なんてどんな噂がたつかわかったものじゃない」
「お嬢様だって生徒なんです、護られて文句を言われる謂れは……と、言いたいところですが、……はぁ、敵の狙いがそれの可能性もあると思ったら何が正しいのやら」
「落ち着けレイシス、考えすぎだ。とりあえずこのまま引きこもるのは確かに賛成しないな、敵の狙いじゃないにしても今のアイラにマイナス方面の噂はまずい。身の安全が一番、って豪語したいのはやまやまだが、それはそもそもこの屋敷に住む生徒としては言えない台詞だな。俺とレイシスにとってアイラの身の安全が最優先なのは変わらないが」
「あんたにしちゃあ随分葛藤してるなぁ、デラクエル兄」
急に割ってはいる声に揃って振り返るとそこで壁に背を預け手をひらりと振ってあげたのは……グラエム先輩!
「あ、戻ってきていましたか」
丁度彼の後ろから階段を下りてきたらしいフリップ先輩まで顔を出し、城にいる筈の二人が珍しく屋敷に揃っている場面を見て目を瞬く。
「先輩たち、あれ、お城でグラエム先輩のお兄さんのお仕事手伝ってるんじゃ」
「いつまでもやってられるか、って言いたいところだけどな。不穏な気配を察知した兄貴に戻されたんだよ。ったく、戻すんなら戻すで知ってる情報全部渡せっての……」
「まぁまぁ、僕はこっちに来られて良かったよ。一応フェルナンド隊長と君たちの連絡役だからね」
フリップ先輩の言葉、そして後半多少文句が混じりつつ背を壁から離したグラエム先輩の表情が真剣なものに変わったことで、私たちも背筋が伸びる。そうだ、フリップ先輩が来たということは、私たちの聖騎士授業の講師で第一騎士団隊長のフェルナンド先生から何か言伝があるということか。しかしフリップ先輩が何かいうより早く、グラエム先輩が口を開く。
「おい、猫はどうした。連絡はつくのか」
「へ? あ、アルくんですか? さっき一度連絡が、き……て……」
ぞわりと肌が粟立つ。あれから彼とも、ジェダイとも、合流できていない。
「……君たちの様子を見るに魔鳥の呪いを喰らったんだろうが、それは君たちだけじゃない。学園内じゃ教師の研究棟に、公園でも魔鳥が発見されている。一箇所じゃない、複数なんだ」
「おいアイラ、猫はどうなんだ。……公園の、桜の木が呪いにやられた。人じゃない上に植物相手だ、解呪できるやつそういないせいで後回しになってる。あんたなら……おい!」
「アルくん! ジェダイ!!」
ばん、と乱暴に扉を開け放った瞬間冷えた風が吹き込んだのだと思うが、それは生温く頬を滑る。脳内に、瞳を開けないサフィル兄さまが浮かんだ。操られ赤く瞳が染まる地精霊の悲鳴が聞こえる。がくがくと膝が震えた。
アイラ、と誰かの呼ぶ声。危ないのはわかっている、だが。……あの二人も、仲間だ。エルフィでなければ姿すら見えない彼らを、探し出さなければ。




