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遅くなりまして申し訳ありません。連載再開します。


「真っ赤だよなぁ」

「真っ赤だよねぇ」

 午後の授業も終え空いた所謂放課後という時間。王都に開店するカレー店の店舗に護衛二人と訪れた私は、ガイアスと二人並んでカレー鍋を覗き込みながら唸る。トマトソース並みに赤いカレーはこの世界のスパイスや他材料をあわせた私的最高な出来栄えに欠かせない味に付随してきた色のせいかやはり派手だ。

「この色がこう、一歩目を踏み出させないよな」

「えええ、でもトマトスープは好きでしょ?」

「そうなんだけどな。まぁ、真っ青、とかより全然いい。匂いさえ美味いもんだって慣れれば止まらないしな……ってことは、匂いの後に色ががつんと来るのが問題か」

 ガイアスはそういいながら盛り付けたカレーを美味しそうに口に運ぶ。最初に躊躇いを抱かせる商品なのは間違いないのだろう。まぁ、カレーが存在してなかったのだからスパイシーな香りに躊躇するのは仕方ない事だが、父曰く健康の為の食材をたっぷり溶け込ませた食べ物ということで推しているから、その躊躇いはなんとか乗り越えられるだろう、との見立てだ。要はその後の味で勝負である。

 開店を目前に控えたカレー店も要は順調であった。ベルマカロンのチョコレートもサシャの……未来のベルティーニ子爵夫人となる彼女のおかげで確立し軌道にのったことだし、嫌がらせもない。順調すぎて怖い、と言えばレイシスに「今までが厳しすぎたのです」と泣きそうな顔をされてしまった。でも、ローザリア様も音沙汰のないこの状況、何も諦めていなかった彼女の瞳を思い出すと、ぞわりと背筋が冷えていくのだから……安心した生活を送れるわけがない。

 真新しいテーブルにだらりと身体を預け頬を艶やかな面に載せればひやりと触れた頬が冷えて、テーブルを通してガイアスが立てる音が何倍にもなって閉ざされたようなくぐもった音となって耳に響く。目を閉じてただその音に集中していると、以前敵の闇の術に侵食されかけて気を失っていた時の事を思い出した。

 今では闇に慣れるためだと定期的に与えられる魔力に慣れ始め、自身の魔力に闇が溶け込む感覚すらわかるようになってきた。つまりあの行為を何度もしているのだが、慣れるかと思いきやそっちはまるで駄目で、あの時のフォルを見るだけで胸が痛いくらい跳ねるものだからまぁ……お察しというか、私のせいでたぶん関係は進んではいない。フォルは私を見て笑っているだけなのが悔しい。

 一度カレー店の開店前視察に訪れたお母様ににこやかに「その件に関しての教育はまだ必要ないわよね?」と確認されて死ぬかと思った。そういった行為の教育は嫁入り前に母親が娘にやるものだとは知っていたが、うん、まだいいですとそんな発言を搾り出すように言い切った私の顔はこのカレー並みに赤かったに違いない。……あああ思い出したらまた恥ずかしくなってきた!!

「食べる!」

「うわ、なんだ!?」

 いきなり飛び起きてカレー皿に手を伸ばした私にガイアスが驚きながらも、彼は二杯目を食べるために立ち上がっていた。一応母と選びぬいた食べやすさを追求したはずのカレー皿が小さく見えるがきっとそれはガイアスの食べっぷりのせいによる錯覚だ。

 うん、美味しい。確認するように味わいながら出来たカレーを口に運んでいた私は、店舗の内装の確認をしながらまた物思いに耽る。考えている暇がないくらい忙しかった日々は過ぎ、今少し余裕があるせいで逆に不安に気をとられるのだろう。もうすぐ卒業、というこのタイムリミットもまた、その要素の一つだろうか。卒業は何もかもではなくとも、今の環境を大きく変えるものだ。

「……お嬢様」

 何か言いたげなレイシスの視線に笑って大丈夫だと応じ、カレーを食べる事に集中する。ほくほくとしていて口の中で溶けるように崩れたじゃがいもに満足しながら身体が温まるのを感じ外を見れば、ひらひらと雪が舞い落ちている。

「あー、早く戻ったほうがいいね」

 冬は暗くなるのが早い。その変わり雪明りで少し明るいこともあるが、今は学園外にいるのだ。……遅いとフォルも心配するし、と考えると惚気になる気がして口には出さず、愛しい人を思ってにやける顔を隠して立ち上がる。

 既に準備に奔走しているベルティーニからの派遣でカレー店舗の店員となった社員さんにも早く帰るように声をかけ、帰宅の為に使っていた食器類を片付ける。

 魔物が襲撃しても住人を護りきったのだから、王都内の警備の高さは素晴らしいものがあるが、対人に関してはやはり安全であるとは言い切れないのだ。カーネリアンとサシャが襲われてからというもの、ベルティーニ関係者に対するデラクエルの護衛は一層厳しいものになったのだと言うが、油断してはならない筈だ。

 そうして貴族ではなく一般向けの為学園から少し遠い立地にあるこの店舗から早めに出て歩いていた私は、まだ薄く明るいその道すがら、拭い去れない不安が現実として現れてしまったのではと息を飲む嵌めになる。


「……ガイアス! レイシス!」

「ああ! レイシス、アイラを護れ!」

「いや、ガイアスが離れるな! 俺が打ち落とす!」

 叫ぶ私とほぼ同時に気付いたのだろう、雪を舞い散らせる空に浮かぶその黒い物体は、見覚えのある……そう、魔鳥だ。北山から魔物が溢れたあの日と同じそれに身震いするが、遠距離戦を得意とするレイシスの弓がそれを見事に一撃で打ち落とす。

 人が疎らに歩くそう狭くはない街路だ。悲鳴があがり、雪と共に落ちるその鳥に気付いた人たちが逃げ惑う。大丈夫だから落ち着いて避難するようにと叫ぶガイアスの横で、上手く風を操るレイシスが仕留めた鳥の落下位置を調整し、私は緊急という事ですぐさま王子に伝達魔法を繋いでいた。ふと、繋ぐ先を見た私は、本来であれば北山のある学園の方角……私たちの進行方向から来てもいい筈の魔鳥が、真横から来た事を不思議に思う。北山からぐるりと回ってきたのであれば、もっと早くに誰かに打ち落とされているのでは。

 すぐに状況を説明すれば、王子から素早く繋ぎなおされた伝達魔法はおかしな情報を伝えてくる。曰く、北山から魔物が逃げた形跡はない、と。死体を持ち帰れという指示。その瞬間、レイシスが叫んだ。

「お嬢様! 早く戻りましょう、これは意図的なものです!」

「くそが!」

 ガイアスが叫んでレイシスから何かを奪い取った。紙だ。しわしわのそれはまるで細く折られていたかのような、小さなもの。魔鳥を鎖で吊るすガイアスのその様子から、鳥が運んできたものではと察しがついてしまった私はすぐさま周囲にジェダイと二人結界を張り巡らせ、王子に鳥が手紙を運んできたことを伝えてすぐに戻ると伝達魔法を切った。

「無遠慮に平穏を終わらされたなぁ」

「こっちの非日常が日常な気がしてきた」

 私の軽口にため息を吐いたガイアスが、紙を広げた。『殺シテアゲル』というなんとも狂気に満ちたシンプルなそれの狙いの標的はわからないが、魔鳥が徘徊していた理由は警告か、挑発か。犯行予告は白い紙に赤文字で書きなぐられたそれ……とは随分と物騒だ。

 見上げる空はまたただの白い雲と雪の風景へと戻っているが、異質な黒い魔鳥を追って来たのか騎士の姿が見え始め、魔鳥を捕らえるガイアスとレイシス、私の姿を見るとすぐさま護衛するように数人がつき、数人が混乱した街中の収拾に当たりだす。それは慣れた非日常。

 鎖に吊るされた魔鳥の瞳は閉ざされておらず、死してなおぎろりとこちらを睨み付けているような気迫があった。その瞳が美しい銀色であることに、そこに知った紫苑が混じらないことに、思い起こさせる相手にぞっとしてしまった。

「……レイシス、この鳥の瞳ってこんな色だったっけ」

「え? ええ、白銀、ですね。図鑑もそうだった筈ですが」

 そっか、と返す声が頼りなく、深々と降り積もる雪に吸い込まれていくようだった。じわじわと胸を占め始めるこの感情は覚えがある。彼女に感じた強烈なまでの嫉妬と不安……なんだこれ、気持ち悪い。私らしくない。うん、らしくない。

「さて、さくっと帰らないと皆に心配かけちゃうね!」

 ぱっと笑って歩き出した私に一瞬きょとんとした双子二人に更に笑みが零れると、苦笑したガイアスが笑い声を立てた。

「緊迫した状況の方がらしいって、変な護衛主だな」

 とそんな失礼な事実を述べて。


「アイラ! ガイアス、レイシス、無事!?」

 屋敷に戻った瞬間飛び出してきたおねえさまに抱きつかれながらこくこくと頷く。柔らかい胸に顔が埋まるのが少々苦しいのだが、と腕を軽く叩けば、ああごめんなさいと慌てたおねえさまが離れる。くっ……なんでこうおねえさまの身体は柔らかくてふわふわで気持ちがいいのだろう、私のぺったん……ではないが大きくない胸では出来ない芸当である。……フォルも大きいほうが喜ぶかなと一瞬考えたのは乙女心のせいだ。

「間違いなく魔鳥だね」

 死体を確認していたルセナが何重にもそれに結界を施し、王子にそれを見せる。険しい表情を見せる王子の横から近づく人影に顔を上げた瞬間、良かった、と柔らかな声に抱き寄せられた。

「ひゃ」

「デュークから聞いてすぐに迎えに行こうとしたのに、止められて気が気じゃなかったよ」

「フォル、いや、その方が危ないから」

 手紙には狙う相手が書かれていなかったのだ。無差別、という可能性もある事だし、できれば皆引きこもっておきたいところである。多分今頃町には騎士が増えている事だろう、と思案していると、どうやら騎士科三年も借り出されたらしいと聞いて目を瞬いた。

「え、ガイアス達も行くの?」

「いや、特殊科はここで待機だって」

「俺達が出たほうがいい気がするんだけどな」

「要は学園側が狙われている対象の可能性に特殊科を含めて判断したってことだろ」

 ぽんぽんと交わされる会話の中、相変わらずフォルは私を後から抱きしめたままだ。それに誰も違和感を持っていないこの状況、どういうことだ。気恥ずかしさに視線を泳がせると、目が合ったおねえさまににっこりと微笑まれる。

「アイラ、大丈夫そうでなによりですわ」

「んー、はい、平気です」

 ぺしぺしと回る腕を叩いて脱出を図り、振り返れば苦笑したフォルがいて、まあね、と伸ばされた手に頬を撫でられる。自然に甘やかすのやめてくれ。

「敵に動きがないと逆に不気味で不安だしね」

「ねえ、怪しいのって」

「ルレアス、と言いたいところだが、あの娘は本気で自室に体調不良とやらで引きこもっているからな」

 どこで掴んだ情報なのか言い切る王子は、ちらりと全員を見回すと口角をあげた。

「敵が正体不明なのはいつもの事。相手はルブラだと断定するのは危険だが、今回も変わらない。何者であろうと油断するな、頼りにしている」

 俺の最高の仲間だからな、と笑う王子に全面同意しつつ、卒業を控え慣れた屋敷に別れを告げる辛さを吹き飛ばすような笑みで、私達は手を取り合った。


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