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318.フォルセ・ジェントリー


 意気込んで階下の皆が集まる部屋の前に来たはいいが、その扉に手をかける直前にはたと気づく。そこで漸く昂っていた感情が落ち着き始めた。

 アイラはここで休んでいる。ラチナが状態を見ながら、アイラの防御魔法に阻まれる中少しずつ体調を持ち直させようと術をかけている筈だ。

 当然護衛の二人もいるし、ラチナを手伝ってアイラの防御壁に干渉しようとしているルセナもいる。卒業生たちは部屋に戻ったようだが、その中でどうやってアイラに闇の力を分け与えればいいのだ。ここで噛むなとデュークが言っていたことを今更ながらに納得して、詰めていた息を吐く。どうやって力を渡すって、もう一つしかないじゃないか。アイラは今防御を発動しているのだ。もう一度干渉を試みるにしても、人がいない場所がいいに決まってる。

 少しだけ躊躇うも、俺のこの迷いの間にもアイラは戦っているのだと気づいてドアノブを握り締める。勢い良く開け放てば、少し驚いた様子でこちらを見るルセナと目が合った。ゆっくりと見回せば、無表情で考えの読み取れないレイシス、そして何かを訴えるガイアスがいる。

 ……ガイアスは優しい。レイシスもそうであると知っているが、この件に関してはガイアスの対応の方が甘いようだ、と気づく。そして、やはり二人は優秀だと思い知らされた。

「……ルレアス家と縁を結ぶつもりはない」

 はっきりと口に出せば、アイラを一心に見つめていたラチナが手を止めて顔を上げた。双子二人は目を眇め、俺を見ている。やはり、もうその情報を掴んでいたか。

「……どういうことですの? ローザリア・ルレアスが何か?」

「今回の件が当家の落ち度であるという話は当然の事だと思うけれど、元よりそれは予測していた範囲だった。予測していたなら未然に防げたらよかったんだけど」

「いや、それはいい。正直この件、ジェントリー家だけの話じゃなかった筈だぜ。なんたって、途中から北山管理してたの、王家だろ。騎士があれだけ動いてたんだ。むしろジェントリー家に批難が集中していることがおかしい」

「それは同意する。第一、本当に魔物がなんの準備もなく逃げ出したのだったら、こんな今のところ死者ゼロの報告なんてあがってくるわけがないんだ。ファイアドラゴンといい、明らかに故意に狙われているのに被害をここまで抑えられたのはむしろ賞賛されるべきだ。これは事故じゃない、犯罪事件だ」

 万全の対策は練っていた。だからこそこの被害だけで済んだのだろうとわかってくれる相手がいることに、ほっとする。犯罪を未然に防ぐのは難しい。その相手がルブラともなれば、国内だけの話ではないのだから尚更だ。だがその言葉に救われたとしても、甘えてはいけない。問題は山積みだ。

 ロランが必死に情報を集めてくれている。今はまだ全てが明らかになっていないが、なんとしても今度こそ、ルブラを捕まえなければならない。敵も逃がしたとあれば今度こそ救いようがない。

 いくら被害は最小限だなんて聞こえのいい言葉を言ったとしても、恐怖を与えてしまった以上民にそれが関係ない話であるのもまた事実。ジェントリー家は真摯にこの問題と向き合い今後の対応をしていくべきだろう。だが。

「今回の件、ルレアス家がうちのフォローに入ろうかという話を持ちかけてきているみたいでね」

 話しながらアイラの傍に歩み寄れば、レイシスは顔を険しいものに変えながらも止めようとはしなかった。穏やかではないだろうに、と思いながらも友人たちに感謝して、アイラの頬に触れる。やはり防御は薄く発動したままだ。このままでは満足に牙も刺さらなければ力も流し込めない。

「つまり、ローザリアを嫁に娶れとでも?」

「遠まわしに」

 はっきりとそう口にすれば、ラチナの顔が歪んだ。そこまで状況が悪いのかと問われて口を開こうとうすると、「それなんだが」と割って入ったのはガイアスだった。

「積極的に言って回ってるやつがいるな。おそらくルレアスとジェントリーが関係を結ぶとおこぼれがある貴族」

「成程ね」

「よくある話……気にする事はない、けど……おねえちゃん、大丈夫かな」

 ルセナが真っ先にアイラの心配をするのを聞いて、申し訳なく思う。まず間違いなく、アイラは気にする。ローザリアと婚約なんてするつもりはないが、アイラにその話を知られないでいるのは無理な話だ。

 ……俺は何があってもアイラと離れるつもりはない。そして、決めたのだ。アイラを守ると。

「アイラは必ず助ける。僕は何一つ諦めるつもりはない」

「フォル」

 アイラを抱き上げようとしたところで、レイシスに呼び止められる。ちらりと視線を向けると、複雑そうにしている視線と絡み合う。

「お嬢様は何がおきているんだ?」

「……アイラは」

 言葉を飲み込んでしまいそうになって、一度目を伏せる。呼吸を整えたのは長い間ではなかった筈だ。ゆっくりと目を開け、レイシスを、ガイアスを、ラチナを、ルセナを順番に見る。

「闇の魔力のせいで操られ、闇の力を取り込んだ虫に、アイラは体力が弱っているところを噛まれその力を流し込まれた」

「それは、わかっておりますわ。確実にかけられている術は操作系統のものの筈。でもアイラは操られていない。……正直、操られていたらアイラが今ここにいないかもしれませんし、それはよかったというべきなのかもしれませんけれど……」

 こんな状態では、魔力を分けてあげるくらいしかできないではないかと、何が起きているのかわからないと悔しげにラチナが言う。この国一番の情報量や技術力、指導力を誇る学園で医療科に在籍し、ラチナはその成績を常に上位で保っているのだ。知らぬ何かが起きている友人に何もできないと嘆く彼女に申し訳なく思うと同時に、決めた覚悟に向き合う時期がきたのだと口を開く。

「アイラが操られずにいるのは僕の魔力の力だ。けれど、俺の力が足りなかったせいでアイラは意識がない。……アイラには、内側から闇の魔力の守りが働いてる」

「……は?」

 一瞬何を言っているのか飲み込めない、とレイシスが珍しく間の抜けた声をあげた。ガイアスはただ、目を細める。……デラクエルの長男であるサフィル亡き今、次期当主は彼だ。もしかしたら、もう知っていたか。

「僕はブラディア……闇使いだ。アイラが目を覚まさないのは、僕の闇の力と敵の闇の力がぶつかり合ってるせいだ」

 はっきりと言い切ると、がたんと音がして重たい音が響き、床の上を空になった薬の小瓶が転がった。大きく目を見開いた状態で立ち上がり固まっているのは、レイシスだ。……当然か。彼は察した筈だ。……俺が噛んだのだと。

「フォルセ」

 なんと言えばいいのだという様子のラチナがアイラと俺を交互に見る。だが、恐怖の色を湛えた瞳ではなかったことにほっとした。……レイシスはショックを受けているようだが。怖がる素振りはない。

 なんだ、と心の内で呟いた。あれ程恐怖していた筈が、するりと口から零れ落ちた言葉が呆気なくて、ほんの少し自嘲して口角が上がる。アイラを今度こそ抱き上げるが、止めに入ろうとする人物もいない。

「……アイラを治せますの?」

「デュークが言うには、治せる。闇の精霊がアイラにも助言していたみたいなんだ。だから、きっと……ごめんね、連れて行く」

「アイラは!」

 歩き出そうとした俺を、彼女の名を呼んで止める声。まっすぐにこちらを見るレイシスに、まっすぐ視線を返せば、彼の唇が一瞬だけ震えた。

「……アイラは……お嬢様は、知っていたのか」

「……アイラはずっと知ってたよ。彼女は色が見える。一年生の頃からずっと」

「いち、ねん」

 ぽつりと小さく呟いたレイシスの視線が床に落ちる。それでも俺は彼を見つめ続けたまま、そうだ、と言い切った。


 誰もが疎み、嫌悪し、近寄りたくないと感じる筈の、闇の魔法。


 そう思っていた俺の世界観を変えたのは彼女だ。レイシスにも気づかれぬ程、彼女は俺をずっと普通の人間として扱ってくれていた。

「アイラは必ず助ける。アイラは必ず守る……ローザリアの件も、今ジェントリーが言われていることも含めて。アイラの強さに甘えるだけにするつもりはない」

 やり玉に挙げられているジェントリーの、次期当主だと決定している俺の婚約相手だと発表されるだけでもアイラの傷になるかもしれないのに、そこにルレアス公爵家も絡むとなれば、たぬきじじい共がどう彼女の事を言うかなんて想像すらしたくないが。

「アイラが大切なんだ。……必ず守る」

「その言葉、信じるぜ」

 すぐに反応したのはガイアスの方で、しかし「一人だけかっこつけるなよ」と苦笑交じりに言われた。さすが、とルセナの笑う声も聞こえる。ラチナも困ったような表情で笑っていた。

「フォルセ、変わりましたわ。私、やる気がない男だと思ってました」

「……それはまた、困ったな」

「いいから、早く行け」

 ぱたぱたと手の甲を向けて追い払おうとするような仕草だが、何も言えずにいるレイシスを気にしていた俺を促すガイアスに頷いて、俺は仲間に背を向ける。

 俺の腕にかかる重さが愛しくて、しっかりと抱き寄せる。あたたかい。俺の魔力のせいで意識を失っているけれど、俺の魔力があったから彼女は今ここにいる。操られた彼女を敵がどうしたいのかは謎だが、連れ攫われたりしていなくて本当によかった。

 全てから守ってやるなんて安い言葉は使えないけれど、必ず守りたい。目の前に問題があるのなら、一つ一つ解決していく。無数に問題があったとしても、一つ一つ対処すれば、それは必ず減っているのだ。俺はもう諦めることを選んだりしない。彼女は、仲間たちは皆そうして生きている。



 部屋に連れ帰り、ベッドにゆっくりと乗せる。白い布に沈み込む彼女は、朝は笑みを見せていたのに。

「アイラ、ごめんね……守りきれなかった」

 もっと力を分け与えておけば初めから彼女がこうなることはなかったのだ。発動された防御壁のせいでまだ治りきっていない彼女の肌の傷を撫でながら、今度こそ、と防御壁を突き破ろうとすれば、今度はなぜかあっさりと彼女の魔力は俺を受け入れた。……もしかして精霊のせい、か?

 精霊の話は聞いておくべきだな、と一人頷いて、その喉元を隠す衣服に指をかける。

 白い肌が露になる度に、男としての俺の欲と、闇使いとしての欲がごちゃ混ぜになる。意識のない相手に手を出すのは気が引けるが、落ち着きそうにない男としての欲望だけはきつく戒め、その首元に顔を寄せた。ふわりと、甘い香りがする。

「アイラは……あの日俺が買おうとしたお菓子みたいだ」

 飢えた俺が捨てようとした重責。「持っていないと駄目だ」と諭して返したアイラは、飢えどころか命まで救ってくれた。あの時お菓子を貰えなかったら、魔力が底をつきかけていた俺はどうなっていただろう。

 アイラを守れる男になろう。今度こそ……だから、絶対に。


 ルブラを捕らえる。


 柔肌に俺が埋まり、穿つ先から溢れる甘露。

 アイラを守れ、俺の魔力。俺はこの力がある事に感謝する。



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