316.ガイアス・デラクエル
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「アイラ! アイラ、返事をして!」
フォルが大声で名を呼びながら、必死にアイラの喉に手をあて魔力を流し込んでいるのが見える。
ぐったりとフォルの腕の中で動かないアイラを見て、くそ、と小さく吐き捨てた。俺は何をやっている。デラクエルの生まれであれ程修行を積みながら、目の前にいた護衛対象の異常に気づけなかったとは。
しかし丁度その時、その護衛対象であるアイラの足元に喰らいついているものに気づき、顔を青褪めさせている双子の弟の腕をひっぱった。俺では判断がつけれない。
「おいレイシス、これ外せるか」
「え? あ、ああ、待ってくれ……フォル! こいつ、殺していいのか!?」
二人の顔色は蒼白だ。やはり俺がただこの虫を殺していいわけではなかったようだとその場から離れる。聖騎士の授業を受けているレイシスはともかく、完全医療系から離れている俺は応急処置程度の知識しかないのだから。今なぜアイラが意識を失っているのかわからない状態で、原因の可能性があるものをを勝手に消すわけにはいかない。
極力冷静に、と脳内で呟きながら、周囲を観察する。アイラはなぜ急に気を失った? フォルの様子を見るに、魔力を使いすぎたというのが理由じゃない筈だ。あのアイラに噛み付いた虫が何かしたということか? そういえばあの一年の女、最後に見た時に虫を持っていた気がする。フォルは虫を氷に閉じ込めてそのまま持ち帰るつもりでいるようだから、何らかの理由がある筈。
それより、フォルの顔色が酷い。もともとぎりぎりまで魔力を使っていたはずだが、レイシスから魔力回復薬を貰ってまで必死にアイラにかけている治癒呪文。あれは、なんだ?
フォルがこの状況を忘れる程アイラの状態に焦りを覚えている事が、じわりじわりと身体を冷やしていく。
騎士科の他の連中もいる。見られてまずいことをしているわけではないが、あの俺たちを閉じ込めていた炎が消えた瞬間アイラの元に駆け出したフォルを見て、何かを思う生徒もいた筈だ。それが予測できた筈なのに、それよりも優先すべき何かがアイラに起きた。……何が起きている。
敵の策略にまんまとはまりアイラと離されたのには本当に肝を冷やされた。護衛対象であるアイラに助け出されることに自分の未熟さを感じながらも、無事な姿を見てほっとできたのはほんの一瞬だ。本当に、俺は何をやっているのだ。国内一と言われる学園に通わせてもらい、卒業を目前にして、目の前でアイラが倒れるような状況を作り出すとは。
ぎりぎりと手を握り自分への怒りに耐え、今何もできないなどと嘆いている暇は無い、と周囲の対処に乗り出す。幸いにして俺の怪我はフォルが完治させてくれたし、今一番余裕があるのは俺の筈。レイシスは少し動揺が大きすぎる。
慌てて空に見えるファイアドラゴンから逃げ出そうとする騎士科の下級生を押し留め、三年の騎士科をつけて学園へと戻す事にする。その際、混乱を防ぐ為に山で見た事は一切他言しないよう告げ、これは騎士の誓約の一つであると誓わせた。騎士は仕事柄様々なことを知り得るが、それを口外する事は許されない。騎士科に入ってすぐに誓わされる内容だ、いくら下級生でも大丈夫だろう。
キリムを隊長にして指示を出し終え、何か察しているらしいキリムに、再度この状況を上手く他言されないようにしてくれと含みを持たせて指示を頼み、下山させる。これで恐らくフォルの行動に疑問を持った生徒も口外はしない、と願いたい。もう婚約発表前の段階まできているが、当主様たちが念入りに時期を計算しているのだ。できれば憂いは作りたくない。
ここに残ったのは、いつの間にかやってきていたラビリス先生とグラエム先輩に、転がった敵の女。そしてアイラと俺とレイシス、フォル。あとは、随分と上の方に、懐かしいヴィルジール先輩の姿も見えた。ヴィルジール先輩はなんとかファイアドラゴンと渡り合っているようだが、人数が心許ない。どうすればいい、俺が加勢にいくべきか? それともぼろぼろのフォルとアイラの護衛としてここを離れるべきではないか、くそっ!
「……落ち着きなさい、君が今一番ここを纏めるのに適してます」
ぽん、と肩をたたかれたかと思うと、ラビリス先生がいつのまにか俺のすぐ後ろにいて、少しだけ驚く。相変わらず気配のない人だ。先程の状況を見るに、あのファイアドラゴンの炎の壁を消し去ったのはこの人の能力があってのことだった筈。深くフードをかぶった上で眼鏡をかけたその奥の瞳は見えず、感情すら察するのが難しい相手だが、この人もやはり特殊科なのだ。
「纏めるって、先生は」
「僕は……ヴィルジールを手伝ってきます」
「俺たちは行かなくていいんですか」
「アイラ君の状態が厳しい。少ししたら護衛二人中心に立って、あの転がってる女生徒も連行しつつ……逃げなさい。すぐに殿下が来ます」
思わず眉を寄せた俺の言葉を遮るように目の前に薄緑色をした石を突きつけた先生が、ゆるりと首を振った。
「アイラ君については、フォルセ君では治せないかもしれないし、治せるかもしれない。殿下に聞きなさい。……アイラ君にこれを」
「え? あ、ちょっと先生!」
なんかすごい長く喋ったな、と思う間もなく先生は俺に石を押し付けて持たせると、驚きの速さで視界から消えて、思わず唖然として空を見上げてしまった。
……喋るのは遅いし、いやそもそも殆ど喋らない人だと思ったけど、動き速いな。
「デラクエル兄。あんた、お姫さんとおんなじ顔してるぜ」
「……そうっすか」
グラエム先輩に言われ、どうやらアイラも同じような反応をしたらしいと知って、苦笑いが浮かぶ。
……何が起きているかわからない程歯痒い事もないだろう。自分の無力さを痛感するばかりだ。ああ……無事でいてくれ、アイラ。
……とりあえず、下山する準備しつつデュークに連絡だな。
やることを決めたら後は速い。グラエム先輩はどうやら下に残るらしく、敵の女を引き受けるようだ。運ぶ準備をしてくれているのを見ながらアイラを気にしつつ、デュークに伝達魔法を繋ぐ。
すぐに繋ぎ返されたかと思うと、叫ぶような「無事か!?」という声が聞こえた。
「ああ、無事だ。やっぱりアイラが連絡をとってくれてたんだな」
『すぐ切れたけどな! ファイアドラゴンが出てアイラが一人になったと聞いたが!?』
「あー、えっと、殿下報告します。アイラ一人と残り全員とで分断されましたが、ぎりぎりのところで救助されました。ラビリス先生たちと合流してます。現在先生とヴィルジール先輩がファイアドラゴンと交戦中です。他生徒も無事でキリムを隊長に帰還させてます。ただ、助かったと思った瞬間にアイラが目の前で急に倒れて意識不明、フォルの動揺を見るにあまりいい状況じゃない」
あえて丁寧な言葉を選んだのは、語気が荒くなりそうだからだった。だがそれはデュークにも伝わったらしい。伝達魔法という頼りない繋がりながらも、相手にしっかりと状況を伝えることはできたようだ。
ほんの少しの無言のあと、デュークのほうから深いため息が聞こえる。
『……わかった。あと五分待て、その間にフォルを落ち着かせてくれ。いいか、アイラは助かる』
「……信じさせてもらうぜ、その言葉。正直レイシスもやばいし、……俺もきつい」
『アイラは無事だ。自分を責めずに今から言う任務を全うしてくれ。ガイアス・デラクエル、俺が戻るまでアイラとフォルの護衛を頼む』
了解、と返した瞬間ぶつりと相手からの通信が途切れ、ふっと息を吐いて一度目を伏せ、感情を落ち着かせる。よし、と次に目を開けた時にはもう、俺は詠唱を開始していた。
「地の壁! レイシス、デュークがあと五分で来る、それまでアイラとフォルに虫一匹近づけるな! アイラは無事だ、王子殿下の言葉を信じようぜ」
「……デュークがこの状況を理解してるのか?」
「アイラがどう報告したのか知らないが、デュークは無事だと言い切った。ということでフォル、ちょっと落ち着け、指、震えてる」
声をかけても、フォルは顔色を青褪めさせたままこちらを見ない。フォルの目に、アイラは今どう見えているのだろう。
ふと思い出して、手に握っていた石をアイラの手のひらを開いて握らせた。……指先が冷たい。それに、触れて気づいたが、アイラの肌にうっすらと魔力を感じた。鎧魔法だ、と思うが、意識を失ったアイラの身を包む鎧魔法は恐らくアイラ自身の魔力。それが絶えず流れているのを感じて思わず眉を寄せた俺の横で、漸く口を開いたフォルが、小さく謝罪を口にした。
「……は?」
「アイラが目を覚まさないのは俺のせいだ……くそっ!」
「は? ちょっと待て、落ち着けフォル」
顔を青褪めさせていた筈のフォルの表情が、怒りに染まっていく。恐らく、自分に対しての。だが、何がなんだか状況が分からない俺やレイシスに言われても、意味がわからない。
「アイラに治癒魔法が正確に届かない。アイラ自身が意識を失いながらも自分の身を守ろうと魔法を発動させてる」
「……どういうことだよフォル」
いつもの落ち着きを失い、一人称すら違うフォル。これがまたジェントリーを束ねる次期公爵の一面であるのは理解しているし驚きもないが、フォルが語る何かに違和感を感じる。
鎧魔法が切れないということは、こちらが鎧を削ってもアイラがすぐに張り直しているということか。意識がないのに、それはおかしい。
「こんな時に限ってアイラの防御に干渉できないってどういうことだ。アイラが意識を失ったのも俺の魔力に抵抗しているせいだ。……どういうことだよ、出て来いよ!」
フォルが叫ぶその言葉が、明らかにここにいる仲間に向けられたものでないのはわかる。精霊、か? ……レイシスが目を細めフォルを観察しているのがわかり、ゆるく首を振った。フォルがいくら自分のせいだと言おうとも、フォルがアイラを傷つけるために何かしたわけではないことなんて、わかりきっている。レイシスだってそれはわかっているのか、視線が伏せられた。
ふと、父親に夏に言われた事を思い出す。俺だけ呼ばれて何事かと思ったあの日。アイラとフォルがそういった仲になりそうだというのをどこからか察知していた父親には驚きはしないが、父は俺に将来ジェントリー家に仕える可能性を提示してきた。……あの日の事。
――デラクエルの一部がジェントリー家に戻るとなれば、お前かレイシスに裏のまとめ役もやってほしい。ジェントリーも守られるべき存在だ。
あの言葉に、ジェントリーにも何かがあるのはわかっていた。俺もレイシスも知らない何かがフォルとアイラの間で起きている。それがわかるだけで今は十分だ。
「アイラを守る為なら何だってしてやる! 俺の魔力のせいなんだろ!?」
突然、フォルがどこかを空を見つめて叫ぶ。俺には見えないな、と横を見ると、レイシスも首を振り、グラエム先輩もわからない、と敵の女を鎖の蛇で囲みながら首を捻っている。
「……フォル、精霊か?」
尋ねてみてもフォルは必死でどこかを見つめて答えない。そんな俺とフォルの間に割ってはいるように、金色のやわらかい毛に包まれた獣が飛び込んだ。猫……アルだ。
『たぶん精霊がフォルセにだけ姿現しをしてる』
「そうか。くそ、何話してるんだ?」
今度はアルまでだんまりだ。しかしアルはすぐに猫の姿のまま手を振り上げると、その肉球で何かを押しつぶす。……虫。
「ちっ、レイシス、このあたりの虫、アイラに噛み付いたの以外全部殺すぞ」
「わかった」
迅速に動く弟と共にアイラを気にしながら虫を駆除していく。きつい。俺たちもそろそろ魔力が尽きそうだと舌打ちしたい気分になりながら、アイラとフォルの腕や足の痛々しさに眉を寄せる。二人のほうがよっぽど重傷だ。
「ガイアス! アイラとフォルは無事か!?」
割り込む声。漸く姿を見せたデュークは、なんとラチナをつれていた。成程、回復要員を増やしてくれたらしい。
ラチナはアイラを見てひっと息を飲んだようだが、すぐに何かの詠唱に入ったようだ。ほっとして、デュークを見る。
「大丈夫、なんだよな」
「ああ、大丈夫だ」
確信を持っているらしいデュークを信じて、今度こそ先生の指示に従う為に下山の準備をしようとしたとき、大きな呻き声に思わず耳を塞ぐ。すぐに地面が地響きと共に揺れだけではなく音を伝え、驚いた俺の視界に、ぐったりと伸びて羽から炎を消したファイアドラゴンの赤い鱗が映った。
「勝ったか。……よくやった、それを運んで戻るぞ!」
こうして俺とレイシスは、守るべきだった主が意識不明のままこの任務を終える事になる。




