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「水の玉! からの、水の蛇!」
枝を蹴り風の力を借りて宙を飛びながら、得意の水魔法を高速詠唱し続け次々と空へと放つ。
相手は火だ。とにかく炎を広げられると森が危うい。遠慮なく水の魔法を生み出し、チェイサーで時間を繋いでいく。
「いっけー! 巨大チェイサー!」
夏の大会の為に練習した規格外チェイサーを続けて放ち、ファイアドラゴンにぶつけることなく周囲をぐるぐると回して操りながら、警戒するドラゴンの隙を見て早口で次の詠唱を唱えていく。
足場としている枝に不安定さはない。恐らく植物の精霊が助力してくれているのだろうと肌でも感じながら、木の上で遮るものがない空を見上げた。……よし!
「アクアラッシュ!」
目印になれ、と願って大魔法を放つ。派手で高威力、詠唱に時間がかからず私が余裕を持って打てる魔法!
グギャァ、と奇妙な悲鳴を上げたファイアドラゴンが、水に押されて盛大に高く飛ばされていく。もがいているようだが、翼を水で圧迫されているのか上手く使えないらしい。やはり、まだ子供か。
そこを狙ったようにまだ飛び回っていた私のチェイサーが確実に翼を狙い、さらに悲鳴があがる。これなら恐らく、北山で警戒にあたっている騎士にも聞こえたのではないだろうか。気づいてくれ、騎士も、王子も……!!
皮膚は硬いのか傷を負わせることはできないようだが、血が降り注がれても困るので好都合だ。倒す、なんて考えなくていい。とにかく足止め、そして下で炎に包まれる皆を助けられればいい。大丈夫、中にはフォルが、レイシスがいる。ガイアスが怪我をしていても、あの二人なら炎を防いでくれる、だから!
「うあぁああぁああああああっ!!」
さらに魔力を水へと練り上げ魔法の威力を増しながら、アルくんによって伸ばされた蔦や枝を頼りに走り、ジェダイがグリモワに飛び込んだのを確認してグリモワの上に飛び乗った。操縦をジェダイに任せ、吹き飛ばしたファイアドラゴンとの距離を詰める事でさらに相手を押し上げる。
とにかく距離をとろう。もしかしたら、下の炎を操りきれず解いてくれるかもしれない。そうすればフォルたちが出られる筈、だから、なるべく遠くに。
「ぐあっ!?」
私が戦いを押しているかと思われた。だが、強く羽ばたいて一瞬水を散らしたドラゴンが爪を振り下ろした瞬間、私の左二の腕から血飛沫があがり、右足の脛にもひやりとした衝撃と生温い何かが伝っていく。
風魔法だ。しかも、まだ残っていたフォルの鎧魔法を貫通した。……術者であるフォルに気づかれる。余計な心配をかけてしまう。ざっと血の気が引く中でそんなことを考えながら慌ててアクアラッシュを打ち切って鎧魔法を唱える。
ドラゴンは水の流れが止まっても翼を不自然に動かしては悲鳴を上げていた。ダメージは与えることができたのだとわかるが、精霊たちがまだ皆を捕らえている炎の壁魔法が消えていないのだと知らせてくる。私じゃ、駄目なのか……!
「負ける、もんかぁあ!」
自身を鼓舞するように叫び、再び詠唱する。諦めることはできないのだ。私はあの炎に包まれた人たちを殺させはしない。あそこには大切な仲間が、大切な人がいるのだ。
「酸の雨!」
続けて放つ大魔法が、ファイアドラゴンに再び悲鳴を上げさせる。強靭な肉体を包む分厚い鱗を融かす雨から逃れようとするまだ幼いファイアドラゴンが、苦しみのあまり口から炎を零すのを水の蛇で相殺させつつも、残っていたチェイサー全てを使って翼を狙う。もうこうなれば血を気にしている暇はない。なんとしても敵の気力を奪わねばと歯を噛み締めた瞬間、私の視界が赤く染まる。……しまった!
苦し紛れに放ったらしい炎が私を包む。ぶわりと視界が赤とオレンジに染まり、成すすべなく息を飲んだ私の喉が冷えるような熱さを訴える。あまりに熱いと、冷たいのか熱いのか判断がつかないのか、倒れそうになる瞬間そんなことを考えた時だ。
『解放』
耳に響く聞こえたことのない声。目が焼けそうだと無意識に閉じていた視界が光を捉え、恐る恐る目を開けるとそこに、小さな人影が浮かぶ。
ちらりと振り返ったのは天使かと思わせる羽を持つ、精霊だ。植物ではないと直感が伝えるその精霊を凝視すると、胸元に見覚えがある石があることに気づく。……ラビリス先生が朝くれた石だ。
『魔力、ちょーだい』
響く鈴の音のような声に乞われるがまま魔力を流すと、にっこりと笑みを浮かべた精霊の腕がまるで液体であるかのようにちゃぷりと揺れた、その瞬間。
「ひゃっ!?」
水が周囲にまるで波でも起きたかのように広がってきらきらと日の光を反射し、炎を飲み込んでいく。……水の精霊ではないのに、ファイアドラゴンの炎を消し去るこれはなんだ、先生のチートか、と唖然としたところで、じゃあねと呟いた精霊が掻き消える。ぎょっとした私の目の前で、ぱらぱらと粉になった魔石が地面へと消えていった。……一回きりかい!
精霊がどうなったのかは気になるが、とにかく助かったのだと慌ててグリモワに乗ってその場を離れる。全速力で後退した私の視界で、苦しみもがくファイアドラゴンがその高度を下げていくのが見える。先程の炎に包まれていたのは、とても長く感じたものの本当に一瞬の事だったのだろう。
ぴりぴりと腕が痺れた。気づけば指先から怪我を負った二の腕まで、細かな傷だらけだ。恐らく無理に強い魔法を高速詠唱して使い続けたせいで、魔力を巡らせていた血管を含む体内の器官が耐え切れずあちこち破れているに違いないが、逃げる事もできない。
ポーチから取り出すのは、最後の魔力回復薬。フォルにも渡してしまっていたので、これが最後の手段となる。左腕の感覚がなくなってきていることに気づき口で蓋を乱暴に開けて捨てそれを飲み干して、腕の応急処置の治癒魔法を唱えた瞬間、ちりちりとまた肌に熱を感じた。……二度目の炎!
「水の壁!」
慌てて治療を途中で切って水の防御魔法を唱えるも、振り上げた指先が熱で炎症を起こす。相手は子供だ。ファイアドラゴンの未熟な子供なのに、押され始めている。もはや痛みを感じなくなり始めた身体で、必死に抗う。
ガイアス。
レイシス。
……フォル。
炎に包まれた大切な仲間を想う。負けるわけにはいかない、と最後の気力を振り絞って敵に挑もうとした私の手首から肘までが、ぼたぼたと血を零していく。視界が霞み始めて、悔しくて唇を噛んだ。
「ジェダイ、アルくん、防御を!」
あまり長い時間は稼げないだろうがと二人に防御を頼み、腕を擦って治癒魔法で傷を塞いでいく。どれもあくまで応急処置。触れた手のひらがぬるぬると滑り、真っ赤に染まっていくのを見ていると傷が塞がっているのかよくわからないが、普段の自分の治癒術を信じてそれを手早く終わらせて、グリモワから飛び降りて蔦を頼りに木の上に身を投げ出す。
『アイラ!』
アルくんがすぐに私の身体を蔦で支えてくれたことに感謝して、ファイアドラゴンが炎を吐ききったところを見計らい、これで最後だ、とグリモワの一ページを破りとった。使う予定のなかった慣れぬ上級魔法の詠唱時間を稼ぐためにチェイサーを呼び出し、破りとった一ページを目の前に構える。
長ったらしい詠唱を簡略化させるために書き記した魔法文字がぼんやりと光り、ふわふわと紙から浮き上がって光となって私を包む。植物の精霊たちが呼応するようにファイアドラゴンの足を逃がさぬように蔦で絡め取ってくれ、唱えきって腕を振り上げた私を視界に入れたファイアドラゴンがそこで初めて、翼を前に突き出し構えるような姿勢を取った。
「フローストヴァーグ!」
水と氷の複合である上級魔法が、一瞬にしてファイアドラゴンを包む。悲鳴すらあげる暇も無く傷ついた翼から押し寄せた波が凍り付いていき、ファイアドラゴンはうめき声を上げて地面へと落ちていく。
敵の凍りついた身体を見て、ぐらりと身体が前に倒れていくのを感じた。そこに、最後の力を振り絞るように口を開いたファイアドラゴンから炎が放たれるのが見えた。……ああ、どうやって、避けたら、
「ばっかやろう、逃げろ!」
叫び声が聞こえた、と思った瞬間、身体が浮く。飛び込んできた黒い服を見て、目を疑った。
「グラエム先輩、なんで」
「それより君はこっちです」
声のしたほうを見るとそこに、いつの間にか消えたと思っていたラビリス先生の姿。そして、かっこよく決めポーズをとりながらマントをはためかせ空を飛び、ファイアドラゴンの炎を受け流す、懐かしいヴィルジール先輩の姿が見えた。
グラエム先輩と、二学年上であった元特殊科の先輩二人の登場に笑みが浮かぶ。
「あはは、もう大丈夫そうですねぇ」
「よくぞ耐えた! マイスイートブラザーの友の為にこの僕が全力でファイアドラゴンとラストダンスを踊って見せよう!」
「うぜぇ! ほっとんどアイラが片付けてんだろうが、さっさとトドメさして来いよ!」
「……兄弟喧嘩……よくありません、うるさい」
あまりにも個性的なメンバーに、思わず笑い声を立てた私の視線の先で、グラエム先輩が睨むような表情で「馬鹿すぎ」といいながら、その目元が柔らかく細められるのを見た。ああ、貴重だ。
「あんたの王子様はあの炎の中か?」
「はは……まだ消えてなかったんですね、炎。頑張ったのにな……」
「安心しろよ。中はまだ無事だって言ってるぜ」
先輩が指先で指す方向には何も見えないが、恐らく風の精霊がいるのだろう。よかった、と口では言うが、ガイアスの血で赤く染まった視界を思い出して身震いする。
私を抱きかかえていたグラエム先輩にも、それは伝わったのだろう。眉を寄せた先輩は、何かをもごもごと口にする。聞き返すと、視線を逸らされた。
「……最初に言った事、覚えてるか」
「はい? えーっと、どれですか」
「媚びを売る女は嫌いだって言ったやつだよ」
「ああ、言ってましたねぇ。はは、そういえば私もいつの間にか、公爵子息を狙う一人になってました」
「はっ! よく言うよ、狙われてたのはそっちだろ。ったく……たいした女だよ、あんた」
おもしれえやつ。そういいながら風を操って私を安全な場所に運ぶグラエム先輩は口にすることはなかったけれど、あの時の事を謝ろうとしたのだろうか。むしろこちらが忘れていたくらいであるのに、妙なところで律儀な先輩は、その時確かに笑っていた。




