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班に戻ってすぐ、私に気づいたフォルが少し驚いて「どうしたの?」と尋ねてきたところを見ると、私はまだまだ未熟者らしい。
ローザリア様の発言と笑みがもやもやとして、気が晴れない。……情けない。
苛立ち紛れに、相当離れた位置にここからは米粒ほどの大きさの魔物……恐らく魔鳥を見つけて、そちらに手のひらを向ける。どうやら私を見ていたらしい班員が結構居たようで大部分の生徒がそちらを警戒したように見やったが、その時既に米粒は氷で出来たプレゼントボックス(リボン付き)に閉ざされて物凄い勢いでこちらへと向かってきた。
手を握り締めぐいと後ろに引く動作をすればふわりと私の目前までやってきた氷の箱は私を通り過ぎた位置で止まり、ゆるやかに地面へと降りていく。
すとんと地面に到着した装飾の美しい氷像を見て、これやったのアイラ? とフォルが目を丸くした。
「昔はこれでベルマカロンの包装案出してたの。私も氷像ある程度は作れるよ。……攻撃力は期待できないけれど」
「中身が魔物ってこれ以上にない嫌な贈り物だなー、ある意味攻撃力あるけど。しっかしアイラ、相変わらずいい腕前だけど、お前がこんなことするのって大抵機嫌はよくないからな」
ガイアスがさっさと氷のプレゼントボックスに近づくと、手をかざす。一瞬で氷ごと焼き尽くした彼こそ、相変わらずのいい腕前、だ。自分で言いながら思う。氷を焼くとはどんな表現なのだ、ほんと。
「どうかされましたか、お嬢様」
「さっさと魔物、倒す!」
「……いい意気込みだ」
ガイアスとレイシスが苦笑しつつも、医療科のほうを気にしているのがわかる。もうローザリア様は取り巻きさんたちに囲まれて見えない筈だが、魔物にやつあたりしてしまったものの目標を口にしたせいか大分気分も落ち着いたので、小さくため息を吐いた。
こんなに気持ちが落ち着かないのも珍しい。……貴族にとやかく言われるのなんて、慣れっこだった筈ではないか。
完全に消え去った魔物の焼け跡を見ながら思う。……心乱されればそれは死につながるような場所にいくのだから、しっかりしなければ。気を抜けば私が先程の氷漬けのまま焼き尽くされた魔物のように、敵に溶かされるかもしれないのだから。
……よし!
「お、大丈夫か?」
「ありがとう。えっと、もう出るんだよね」
「ああ。一応場所は似たものだけど俺とレイシスはこの地図で左右から中央に向かう。フォルの班は城の裏から真っ直ぐ北に向かって防御結界までだから、絶対気を抜くなよ」
「わかった」
遅れて作戦概要を理解しながら頷き、さてとグリモワを手にする。……戦闘開始だ。
「氷の蛇!」
騎士科の一年が誤って切り殺してしまった敵の血が周囲に飛び散る前に、私の放つ氷の蛇が血液ごと凍りつかせながら死体を絡めとって空へと飛んでいく。
北の山に隣接した学園裏手の山は、予想以上に魔物が溢れ返っていた。飛び出す鳥たちよりも恐ろしいのは、のろのろと進行の遅い小さな、しかし魔力を持った獣達。
リスのような愛くるしい外見で、小さな手から飛び出す魔力弾は人の骨をも貫通させる魔物。にょろりと動く姿はその辺の蛇そのものだが、噛み付けば相手の魔力を吸って巨大化し、流し込まれるのは死をもたらす毒の魔力を持った毒蛇。
技術はあっても戦いなれぬ一年騎士科は早々にペースを乱し、負傷者が目立ち始める。これではフォローにまわる二年、三年が巻き込まれるのも時間の問題だ。
その中で唯一、一年で一人だけ大活躍している者もいた。ミレイナ・リンデ……私に鋭い視線を送りながら魔物を屠っているのはあの騎士科一年の少女。やはりかなり実力のある生徒のようだが、向けられる視線は少々面倒だ。
「アイラ、気にしないほうがいい」
「ああ、うん。ごめんね」
グリモワを翻して騎士科二年の生徒が浴びそうになっていた血液を魔力で弾き、敵を氷漬けにする。フォルもやはり気づいていたようだ。昨日の精霊の言葉があるせいか、厄介なもの、に該当しそうな視線がどうにも気になって仕方ないのかもしれない。
私は炎以外の魔法はどれもある程度は使えるので、今回はフォルと共に氷で敵を殲滅していく。水で血液を流してもいいが、地面がそれを吸ってしまうのは困る。凍らせて、炎が得意な生徒に焼却させるのが一番楽だ。しかし、とにかく数が多い。これではガイアス達のほうも苦戦していることだろう。……レイシスは一度魔物の血液を浴びているから、どうしても脳内にそれがちらついて仕方が無い。
「アイラもあの二人と離れるのは落ち着かないみたいだね。二人も相当渋ってたけど」
「ふふ、ずっと一緒だったからかもなぁ」
「いいね、妬ける」
「本当に? なら私もデューク様とおねえさま……に、妬かないとね」
一瞬ローザリア様が過ぎったが、なんとなく口に出来ずに誤魔化して笑う。二人で場違いな会話をしているが、魔物を倒す手は止めない。私達は先頭に立つせいか少し他の生徒から距離があったし、どうせ今の会話を風で拾うほど余裕のある生徒もいない。
負傷している人間のフォローもしたいところだが、血を浴びた人間以外は少し耐えてもらうしかないようだ。私かフォル、どちらかが欠ければ、恐らく怪我人が増える。それ程には私達が魔物を屠る量は他と段違いで、そしてそれは騎士科三年が怠けているわけではなく。騎士科一年のフォローにまわる彼らを傷つけさせるわけにはいかない。
まだ慣れない一年をも戦力としたのは明らかに教師のミスなんじゃないだろうか。一年の騎士科がどこまで戦い方を学んでいるのかは知らないが、見た目に騙されたせいかすっかり動揺が広がってしまっているせいでもう、ミレイナ以外はまともに戦えそうな生徒はいない。
「ああもう、後ろにも目が欲しい!」
「あ、アイラそれいい案だね」
隣に並んでいたフォルが氷の蛇を五匹放ってからすぐに移動した、かと思うと、私の背に背をあわせる形で落ち着いたのか、放った蛇を全て別方向へ向けて移動させ隙無く敵を倒しだす。背後から、笑い声が聞こえる。
「そっちは任せるね」
「なるほど! さすがフォル!」
「いや、これアイラの発言だから」
これでフォルと同時に同じ敵を狙うことなく効率的に倒せる、と意気込んで氷の蛇を放ち、視界が開けた事で手伝いやすくなったのだろう。さり気なくジェダイが地の魔法を使って敵を倒し、アルくんも急接近する魔物の位置をこちらに教えてくれて、一気に効率があがる。
後ろ側百八十度は全てフォルに預ければいいのだ。あとは近寄る愛らしい姿の凶悪な魔物を見逃さなければいい、と、可愛らしく首を傾げてこちらを見上げたリスを笑顔で氷漬けにする。見た目に騙されてはいけない、可愛いけれど!
「なんかこう、罪悪感が!」
「仕方ないね、黙っていたら攻撃してくるんだから。あらかた片付いたら、魔力探知で取りこぼしも討伐しようか」
二人で話していると、一人駆け寄ってきた騎士科の三年が「あなたたち本当に同じ人間ですか、すごすぎます」と突っ込んできた。見覚えがある姿が視界に入る。
「あ、ガイアス達のお友達の」
「キリム・チーマです。正直参りました、二年に護衛させて一年は戻したほうがいいんじゃないですか? 班長」
盾を上手く使い敵をあしらって剣を振るうのは、やはり間違いなくガイアスとレイシスの友人であるキリムさんであったらしい。魔力盾が主流なこの国で本物の盾を使う人というのは珍しいから、記憶にしっかりと残っている。
しかし、盾に魔力をのせているようだ。随分と戦い方が上手いなと思いながら、気配でフォルを探る。正直あまり目を合わせていられない。飛び掛ってきた蛇をグリモワで投げ飛ばし氷らせながら、空を見上げた。木々の隙間から太陽が覗き始めている。……八時過ぎ辺りだろうか。
「……そうだね。二年を護衛につけて一年は全員戻ってもらったほうがいいかな」
「全員ですか? あの女騎士、使えそうですけど」
彼が指しているのが恐らくミレイナであることは予測できたが、どうやら彼は彼女が先程からずっと私を気にして戦っていることにまでは気づいていないらしい。
「他の事に気を囚われている人間は戻った方がいい」
きっぱりとフォルが告げると、首を傾げつつもキリムさんは承諾したようだ。フォルに言われてそのまま敵を剣で切った傍から火達磨にして燃え上がらせつつ、伝達を了承して二年の元へと引いていく。
人は減るが、護りながら戦うよりはよっぽどいいのかもしれない。
しかし少しして、「どうして私も!」という高い叫び声が聞こえた。
「……アイラ・ベルティーニ! あなたが私を邪魔にしているのね!? 私は戦えているでしょう!」
「えっ? いやいや邪魔なんてしてませんから!」
思いっきり名前を叫ばれて思わずつっこんでしまった。氷の蛇を呼び出して少し視線を向けるが、鬼の形相でこちらに走ってくる彼女は最早魔物を見ていない。
「危ないでしょう!」
すぐに一匹を向かわせ、彼女に向かって放たれていた魔力弾を防ぐ。それに気づいたミレイナは顔を引きつらせながら、だって、と叫ぶ。
「特殊科の癖に一人だけ班も宛がわれなかったあなたがどうして残って、私が戻されるの!?」
「……君、戦いで気が高ぶっているね。戻ったほうがいい」
冷たく言い放つのはフォル。笑みを浮かべているが冷えた口調に、ミレイナが一瞬息を詰まらせる。だが、止まる様子は見せず私を睨みつけた。今まではフォルや王子の前だと何も言ってこない女性のほうが多かったのだが、やはり彼女は本気で私に思うところがあるらしい。
……だが、私だって言われっぱなしはさすがに腹が立つ。
「ミレイナ・リンデさん。あなた、どれくらい魔物を倒したの?」
笑って見せながら、彼女の横にいた狐のような魔物を氷漬けにする。
「そうして私に突っかかっている間に、何匹倒せますか? あなたが倒せるというのなら、倒しなさい。自分の同級生に負傷者がいるの、わかっているのかしら。あなたずっと、私を見ていたでしょう」
「なっ、自意識過剰よ、馬鹿じゃないの?」
「そうかしら。……少なくとも、まず先に私に突っかかってくる程度には気にして貰えていたみたいですわね?」
あまり使わなくなってしまった言葉遣いを駆使しながら貴族然として笑みを見せる。……普段私の口調がこうではないのはきっと、貴族でありながらそう感じさせず親しくしてくれる仲間のおかげなのだろうなとぼんやりと考えながら、フォルの背後を狙う魔物を美しい天使の氷像に閉じ込めて見せた。惹きつけられるように氷像に視線を移した彼女はやはり、注意力が散漫してしまっている。そこでこうなりたいのかと無遠慮に氷を打ち砕くと、はっとした表情で私に視線を戻した彼女を、ひたりと見つめた。散らばった氷の欠片は周囲に集まっていた魔物を捕らえ、氷漬けにする。
「……戻りなさい。あなたに戻れと命じたのが班長のフォルであろうが副長の私であろうが、戦いの最中異論を唱えるとは何事です」
「私は……!」
まだ文句があるのかと今度こそ苛立って声を張り上げようとした瞬間、纏まって戦っていた私たちの周辺に氷の花がぱっと咲き乱れた。今度は私じゃない……フォルだ。皆を守るように囲い、魔力に反応しているのか次々に蔦を伸ばして魔物を凍りつかせる花はさすが、見事としか言いようがない。
「さっき僕が戻れと言ったのが聞こえなかった? ミレイナ・リンデ。君がアイラを気にしていたのは一目瞭然だし、今こうしている間に何度アイラに助けられたと思ってるのかな。……君の何倍も魔物を討伐しているアイラの手を止められるのは迷惑だし、騎士科の生徒として行動は減点ものだ。戻れ」
周囲が警戒しながらも、よく通るフォルの言葉にごくりと息を飲んだのがわかる。キリムさんもどうすればいいのか視線を彷徨わせていて、なんだか申し訳ない。要は私が原因であったようなものだ。
少しして、悔しげにミレイナが顔を歪めた。……彼女はどうしてここまでして戦闘中に問題を起こそうと、いや、私に不満を訴えに来たのだろう。戦闘で気が高ぶっていたにしても、若さゆえと言われても、なんとなく腑に落ちない。
フォルが氷の花を消して再び蛇を操りだす。どうやら広範囲にあの花を持続させるのは酷く消耗するようで、その手にポーチから取り出した魔力回復薬を握らせる。
ぷるぷると震えるミレイナは戦意を喪失したらしい。騎士科の二年に連れられて、大人しく私たちに背を向けて、ほっとしたその瞬間。
ぞわりと暗い力を感じて身を震わせ見上げた私の視界に、黒い靄がかかる。不快なそれは、フォルのものではない。
大量の蝙蝠が私めがけて襲い来るのが見えた。信じられない速度で、ありえない数が、叫ぶフォルの声すらかき消す程近くで羽音を響かせる蝙蝠が、私を取り囲む。




