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「わ、割ってやるよ、見てろよ!?」
ガイアスが口の端をひくひくとさせながら先生に挑むような視線を送り、水晶に手を触れさせる。先生は余裕な顔で「青いな」なんぞ呟いている。この先生随分といい性格をしているようである。
一度深く深呼吸をしたガイアス。次の瞬間部屋の空気がぴんと張り詰めたものに変わる。
誰もがはっと息を呑んだ。
「っけえええええ!」
ガイアスが叫んだ瞬間、彼の手、いや、手が触れている水晶に凄まじい魔力が流れ込む。
私は彼の斜め後ろにいた。流れ込む魔力をしっかり視界に捉えて、その魔力にほんのり赤い色がついている事に気がついた。
普段魔力を使う時にそんな色は見えない。が、あの水晶に吸い込まれる瞬間か、それとも吸い取った水晶がそうなのか、ほんのり色づいている。
あれ、もしかしてやっぱり色で魔力を測るんだろうか、赤ってどうなんだろうと見ていると、水晶にピシッとひびが入ったのが見えた。
「やった!」
思わず小さく呟く。ヒビは少しずつ広がり、親指程の長さまで入っただろうか。誰もが緊張の眼差しで見ていた……が。
「っはぁ、はぁ、くっそ!」
ガイアスがガタンと音を立てて水晶の載った花台を倒しその場に膝をつく。慌てて駆け寄って支えれば、荒い息をしているガイアスが落ちて転がった水晶を見て悔しそうに歯を食いしばった。
「あ……」
水晶は、ヒビは入っているものの割れていなかった。表面に軽く線が入った程度だ。じっと見てみるが、もうあの赤い色は見えない。
「ふむ……ガイアス・デラクエル。お前はせっかく大きな魔力を持っているのに操るのが少し苦手みたいだな、水晶に流れないで外に漏れてしまった魔力が相当あるぞ。ただ魔力の爆発的な威力は素晴らしい」
ふんふんと紙に書き付けながら告げた先生は、しばらくするとそれを書き上げたのか満足そうに紙を捲りあげる。
「よし、ガイアスはその水晶をしばらく手に持ってろ。勝手に自分に魔力が戻る。終わったら休め」
「は、はい」
どうやらこの水晶は特殊なものらしい。普通、魔力を込めた石を手にしているからといって石の魔力は自分に戻ってきたりはしない。
ガイアスが震える手を再度水晶に触れさせた瞬間、ほっとしたように顔の筋肉の力を抜いた。どうやら魔力が少し戻って回復したらしい。
「さ、次は誰だ」
「……僕がやります」
次に名乗り出たのは、ルセナ・ラークだった。
私は兵科の試験をみていないので、どのようにこの最年少の小さな子が他の生徒を倒し騎士科、そして特殊科に選ばれたのかわからない。
皆が固唾を呑んで見守る中、当の本人であるルセナは眠そうな顔で次を用意した先生の傍に立つと、さっさと水晶に手を伸ばした。
「うわ、待て待て」
慌てて先生が手を振り、水晶の周りに防御壁を出すとそこから離れる。ルセナは今度はそれを確認してから、そっと水晶に触れた。
ふわっと、魔力が流れるのを感じた。ガイアスの時とは違い、部屋に暖かな光が差し込んだような不思議な感覚。
なぜかほっとしつつ周りを見ると、どうやら私の感覚が間違っていなかったようで、他のメンバーもどこかほっとしたような顔をしてルセナを眺めていた。
今度は魔力にこれといって色はなかった。ただひたすらに、守られるように暖かい。
ルセナは少し真剣に水晶を見ているくらいだが、特に力が入っている様子はない。それなのに、水晶はパキッと小さな音を立てた。
その状態から、一分程……いや、ほんの数十秒だったのかもしれない。ふいにぐらりとルセナの身体が揺れて、その場に倒れこんだ。
「ええ!?」
突然倒れたルセナに驚いて私と、ラチナおねえさまが傍に寄る。なんと、ルセナは寝ていた。
「……ルセナ・ラークは自分の限界がわからないらしいな。無理をしすぎる傾向がある、っと……ただあれほど柔らかな魔力も珍しい上に……すばらしい均一性だ。誰か、そいつに水晶持たせといてやれ」
視線をちらりと水晶玉に向けた先生はそう呟くと紙にペンを走らせる。
ルセナが魔力を注いでいた水晶玉は、表面全体に細かなヒビが入っていた。ガイアスのように一部ではなく全体に、だ。その代わり、ヒビはとても浅く細かい線のような傷で、こちらも割れそうにはない。いったいこれで、魔力の測定はできているのだろうか。
「次は私がやりますわ」
ラチナおねえさまが、わくわくとした表情で先生に告げる。
先生が水晶を用意している間に寝ているルセナをガイアスとレイシスの二人が運んでソファに寝かせ、ルセナの手に水晶を握らせる。準備が整うとラチナおねえさまは両手を水晶に当てた。
「別に両手でもかまわないのですよね?」
「もちろんだ」
そういえば最初二人は片手だった。先生の回答を聞くと、すぐに集中し始めたようだ。室内に魔力が渦巻く。重苦しい空気に、息を詰めた。その中心にいる、美しい女神のような外見のラチナおねえさまだけが異様に見え、室内の空気とひどく合わない。
これは……、と誰かが小さく呟いたのが聞こえた。次の瞬間、鈍く何かがぶつかるような音が聞こえる。
「……はっ、む、無理ね」
ラチナおねえさまが、水晶から手を離し花台にもたれるように身体を預けた。水晶は割れていない……と思いきや、ラチナおねえさまが触れていた両側にまるでフロントガラスに何かぶつかったような細かいヒビが入っている。
「なかなか割れないものね」
「ラチナ・グロリア。お前は最後割るために魔力を弾丸のようにしたな? まぁ魔力を変質させる事は上手いみたいだが……その水晶はそんなんじゃ割れないから、魔力を無駄にしたな。黙って注ぎ込んでたらもう少しヒビ入ってたと思うぞ」
「あら、やり直しさせてもらえるのかしら?」
「んなわけないだろ、評価はその分マイナスだ」
あら残念、といいながらラチナおねえさまは笑って水晶を持つと引き下がった。既にあの重苦しい空気は消えていて、ほっとする。
そこで、ふむ、と言いながら先生が窓際に向かうと空を眺める。
「次は俺がやる」
「お、ラスボスがこんな早く登場していいのか?」
一歩前に出たのは王子だった。王子は確か、特殊科の首席と呼ばれていたはず。うーん王子の後はいやだなぁと思ったがもう遅い。ここで王子を遮って名乗り出るわけにもいかず、先生が水晶玉を準備するのを見ていると、先生はなぜか傍にテーブルも運んでくると、そちらにも水晶玉を載せた。
「思ったより水晶玉、割れそうにないからな。防御壁を二つ同時に張るくらいはできそうだ。次は二人同時にするぞ……えーっと、レイシス・デラクエル。お前王子と同じ騎士科だな、二人でやってみろ」
「はい」
一瞬驚いて固まっていたレイシスだったが、すぐに気を取り直し返事をするとテーブルに向かう。王子も花台の前に立つと、先生が防御壁を張った。
「はじめ!」
先生の合図で、二人同時に目を閉じ水晶に集中し始める。
王子の周囲が、淡く光ったと思うと、水晶がきらきらと光を反射するように輝く。
対し、レイシスの周りは緩やかな風が舞っていた。まるで丘の上にいるように、さわやかな風に微かにレイシスの髪がさらさらと揺れ、うっすらと魔力が緑色に染まる。
ほぼ同時に魔力を使い果たしたのか、二人とも少しふらふらとしながらも水晶から手を離した。
「ほお」
先生が感嘆の声をもらし、得意げに笑みを浮かべる王子を見てはっと水晶をみると……水晶は真っ二つに割れていた。まるで、ナイフで切ったのかと思わせるほどすっぱりとだ。
「デュークはさすがだな。魔力を上手く水晶に注ぐことだけに集中できている。だが真っ二つなのは……一刀両断しろとは言ったんじゃないんだがな。お前たぶん支援系魔法苦手だな?」
「……これからだ!」
王子の不満を受け流し、先生は紙に書き付けると、レイシスを見る。
「レイシス・デラクエル、お前は非常に魔力の扱いに長けている。それも、まだ発展途上だ。すばらしい使い手になるぞ。王子とは逆だな、繊細で丁寧だ」
「あ、ありがとうございます!」
見れば、レイシスの水晶玉は、大部分の形を残しながらではあるが、表面が粉々に砕けテーブルに落ちていた。水晶玉が一回り小さくなったようだ。
「すっげー! やっぱレイシスだな!」
ガイアスが自分のことのように喜び、私もつい笑顔になる。レイシスがとても嬉しそうにしているが、隣の王子はなんだか悔しそうだ。
「だいぶ砕けてるから、水晶を持った時に怪我するなよ」
レイシスの砕けた水晶を見ながら先生は次の二つの水晶玉を準備する。
「じゃあ、次は僕達だね」
隣のフォルが笑う。二人で水晶玉の前に並ぶが、緊張して少しだけ手が震えた。
割れますように、割れますように! と祈りながら、防御壁の中に手を入れる。
ほんの少し手に何か触れた気がするだけでするりと壁の向こう側に進んだ手を、そっと水晶にあてた。
「はじめ!」
先生の声で、水晶に魔力を集中する。身体が少し熱くなり、視覚で確認できるほどの魔力が流れ込むのが見えた。自分の魔力が、まるで水のように流れて水晶に向かっていく。
そこで、隣からやけに濃い魔力を感じた。冷たく、暗い、洞窟に迷い込んだような気分になり、私は目を閉じて水晶に集中する。
自分でも驚くくらい魔力が流れていっていると感じた、が、次第に焦る。ふいに、隣からあの冷たい魔力が消えた。だが、私は目を開けられずにいた。
もっとも、水晶に触れている私は見なくてもわかっている。焦りが集中力を乱し、私は気づけばふらついて後ろに倒れていた。
「アイラ!」
焦ったガイアスが後ろから抱きとめてくれたおかげで、どこも身体をぶつけることはなかった。だが、私は目の前の光景を呆然と見つめる。
横にいたフォルの水晶は、ばらばらと大きな欠片となって砕けていた。
それを見て、私は自分の水晶に目を移し愕然とする。魔力を注ぐ前とまったく変わらない水晶。
「え……アイラの水晶、割れてないのか……」
何も言えずにいた私の後ろから聞こえるガイアスの声が、まるで膜がかかったようにくぐもって聞こえた。




