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「グラエム先輩だめ!」

 手を伸ばす。ありったけの魔力を使って植物に風を遮ってもらおうと思ったのに、伸ばした手に別な手が重なった。


「アイラ、僕に任せて。君はこれ以上あの巨大な力を使っては駄目だ、魔力が切れるよ」

 耳元で聞こえたのはフォルのものだ。だが、精霊の暴走は精霊でもそうやすやすと止められるものではないのに。

 氷が周囲を囲んでいく。まるで守るようにグラエム先輩にも絡み付いて彼の動きを止めてくれたが、風の暴走を止めるには至らない。


 皆が必死になんとかしようとしている。グラエム先輩がひたすらどこだと叫び、何かを探していた。……彼でも暴走している精霊の居場所を突き止められないのかもしれない。

 その時、王子の鎖の蛇がじゃらりと音を立てる。はっとして全員がそちらに視線を送ると、そこで鎖から解放された先輩がゆらりとこの暴風の中立ち上がった。意識を戻したのか!

「負…る、……には」

 ぼそぼそと何か聞こえるが、風が酷すぎてよくわからない。下手をすれば呼吸すらできないような強風の中、一人先輩だけが平気な様子でその中央に立つ。主である先輩が目を覚ましたせいか、精霊は暴走ではなく再び彼の支配下に戻ったかのように一定の流れを取り戻し始めた。どこまでもカルミア先輩に従順であるらしい。

「デュークの鎖を断ち切ったのかっ!」

 フォルが後ろで驚きの声をあげながら守りを厚くするが、切ったのは恐らく暴走した風の精霊だ。絶対に逃がすわけにはいかないのに、どこまでも厄介な!


「フォル! 放して、私先輩を捕まえなきゃ! アルくん!」

 もう一度植物に力を貸してもらおうとした私だが、その瞬間先輩の顔に浮かんだ怪しげな笑みは、フォルが腕の拘束を強めるには十分な程恐ろしいもので。

「渡すわけない!」

「フォルセ・ジェントリー! 俺のアイラさんを放せぇええええ!」

 カルミア先輩が宙に身を躍らせ、私を抱きかかえるフォルに飛びかかろうと、手に刃のような風を纏わせて迫る。


 身体は勝手に自分の身を、そしてフォルを守ろうと手を広げ、フォルは私の前に腕を突き出して氷の壁を作り出す。だが、風を纏う先輩の速度に間に合う自信がないのか、二人ともまるで覚悟したように身を固めていた。

 しかし衝撃は訪れる前に遮られる。

「お逃げ下さい、お嬢様!」

「えっ……レイシス!」

 相手の風を手にした短剣を軸に絡めとり、私達の目前でそれを止めたのはレイシスだ。思わずレイシスを下がらせようと目の前の騎士科の制服を掴むが、レイシスは風を防ぎながら少しだけ振り返って、笑った。

「いつもの勝手な行動だと思いますか、お嬢様。残念ながら俺もガイアスも、意見は一致しています。このまま主の力の秘密を知られた状態で捕り逃すくらいなら、俺らは護衛として相打ちしてでも敵を殺させてもらいます」

 それが俺たちの役目です、といつも通りの声音で言うレイシスの表情は背を向けられたせいで分からないが、彼の視線の先に、カルミア先輩の背後から風に抵抗しつつ、地の魔力を纏わせた剣を振り下ろしているガイアスが見えた。……二人とも危険なのはわかっているだろうに、両者本気でやる気なのだ。

「俺達二人はデラクエルの名を継ぐアイラの護衛! このまま逃がすと思うなよ! レイシス、やるぞ! 対精霊其の二から七、後、突の一、対象破壊!」

「ああ!」

「ちょ、二人とも!」

 なんだと目を丸くした私達二人の前で、ガイアスとレイシスはお互いのタイミングを合わせ、荒れ狂う風には負けてしまうような量であるが、同じ風と地属性の魔力を敵の魔力の流れに乗せたようだ。ぎょっとしたが、自分が制御仕切れない風を感じたのかカルミア先輩が僅かに眉を顰め風を和らげる。なるほど、このままだと自分の風に混じって攻撃される可能性を懸念したらしい。

 そこでなんと、ほぼ気配を悟らせずガイアスが高速度で移動し、先輩の背後に恐ろしい身のこなしで距離を詰めた。ガイアスが振るう剣にカルミア先輩が気づいた時にはもう遅く、先輩の片足が地面と共に分断され、鮮血が飛び散る。……なにこれ、精霊の目を掻い潜って彼らの主人に近づくなんて!

「そうか……デラクエルがエルフィの主人を守るのに対エルフィ戦を想定してないわけがない、か」

「フォル、でもさすがに……!」

「大丈夫、彼らはデラクエルだ。……時間稼ぎしてくれるってこと! デューク!」

「ああ! ルセナ、ラチナを解放しろ、あいつの重力魔法は強力だ、舞わせる! すぐに俺たちに負荷がかからないように防御を張れ! アイラとフォルは離脱、アーチボルドとフェルナンドをなんとかここに連れて来い! グラエムは風の魔力を相殺しろ!」

「デューク様!?」

「いいか、あの二人がここにこれないのは何かある! お前ら二人が適任だ! 双子が食い止めるんだ、アイラに怪我させるなよフォル!」

「了解!」


 ぐい、と腕を引かれる。目の前でレイシスが、ガイアスが、剣を振るい、魔力を操っている。二人が常に風を纏いながら戦っているのが見えて、違和感に目を見開く。レイシスはともかく、ガイアスまで。

「恐らく風をある程度無理矢理制御することで、精霊を混乱させているんだ。少なくともあの場に彼らに味方して力を分け与える風の精霊がいるってこと」

「なるほど……ってフォル、ほんとに行くの!?」

「当然! できれば殺さず生きて捕らえたい。ガイアス達が殺りきる前にフェルナンド先生を連れてくるんだ、あの人は必ず捕らえてくれる!」

 距離を取ったおかげで風歩が使えるようになったのか、フォルが私を掴んだままヒュンヒュンと風を切って走る。やがて屋敷前の細い小道を抜けて大通りが見えた、その時。私達の視界に映るのは、驚愕の光景で。


「カーネリアン! サシャ!!」

「先生たち……そうか二人を初めから人質に取られていたのか!」

 ぐるぐると彼らの周りを風が囲い、カーネリアンとサシャは周囲に防御壁を張っているようだが解けずにいるようだ。解けば風に身体を切り刻まれるだろう。

 恐らくあの防御壁はサシャのものだ。彼女はそこまで魔力が高くない。長くは持たない!

「アイラ、カーネリアンたちを! 僕は先生を助ける!」

「はい!」

 先生も二人とも風に捕らえられている。彼らの防御壁は安定しているようだが、カーネリアンたちに纏わりつく風より強力なようだ。周囲に人が集まり始めている。いくらルセナが防御壁を張っていてもあれほど騒いでいた私たちのところに人が集まらなかったのは、続く広い道でこんな騒動が起きていたかららしい。


 私達の登場に遠巻きに見ていた生徒たちがわっと沸く。カーネリアンとサシャがこちらに気づき悔しげに眉を顰め、先生たちが口を引き結んだ。

「どうする!?」

「あの魔力以上で相殺するしかないよね、アイラは水の蛇! 飲み込ませて空に投げて!」

「了解! 水よ! 水の蛇!」

 放ったのは巨大な蛇二匹。水の蛇は風に喰らいつくようにぶつかっていき、身体をいくらか刻まれて水しぶきを上げながらもぐいぐいと昇竜のように空へと消えていく。

 同じように横に並ぶ氷は私の蛇より一回りは大きく、先生達に纏わりついていた風の強大さが伺えた。四人が無事に解放される。

「助かった! アイラ、フォル、二人と生徒を頼む! 俺はフェルナンドとあれを捕らえる!」

「すみませんお二人とも、不覚をとりました。後はお任せを」

 地面に降り立つなりさっさと宣言して先生二人が走る。崩れ落ちたサシャを支えるカーネリアンに慌てて駆け寄れば、直角に頭を下げられてぎょっとする。


「姉上申し訳ない! 寮内の部屋で護衛が離れた隙に風に身を囚われました、僕のせいだ!」

「そんなのいい、怪我は!?」

「サシャが守ってくれましたから、こちらは大丈夫で……殿下は? あれはどこに行ったのです!」

 飛び出そうとするカーネリアンをフォルの腕が止め、魔力が尽き掛けているのか倒れ意識を失ったサシャを見てカーネリアンが顔色を変える。慌ててカーネリアンがサシャを抱き上げると、暢気なことに集まっていた数人の女子生徒が悲鳴を上げた。

「屋敷に行こう。確実に安全なのはあそこを通ってでも屋敷だ」

 フォルがそういってカーネリアンの周囲に防御壁を張り、私は地の蛇を呼び出して二人を乗せる。フォルが声を張り上げ、生徒に各自寮や家に戻るように一度叫ぶ。見送る暇はない、集まりだした学園の騎士にあとは任せよう。


 あの場を通らなければならないという懸念は、近づいて見て杞憂であるとわかった。

「何あれ。フェルナンド先生何やったの?」

「さぁ……知らぬが仏ってやつじゃないかな、さすがに知りたくないっていうか、アイラも見なくていいよ」

 底冷えするような笑顔でカルミア先輩を水の球状の壁の中に閉じ込めている先生は、私たちを見るとにこりと笑って屋敷を指差した。彼の手の先でいっそ拷問ではないかと思う惨状が広がっているが、フォルに目を塞がれる。サシャが意識を失っていてよかったと思う。

「ガイアス、レイシス! 怪我治すから、こっち!」

「おー、悪いなアイラ、さすがに無傷は無理だった」

「お嬢様申し訳ありません」

 先生の後ろで蹲っていた二人が声を出せるほどには無事な状態であることにほっとして、急いで屋敷へと促す。残りの三人も無事だ、おねえさまがちょっとふらついているようだが。

 すれ違い様、水の壁の向こうに捕らえられたカルミア先輩が、涙を落としたのが見えた。


「あの男の原動力はなんなんですか、姉上」

「……そう、だね。私にはわからない……ううん、わかりたくなかった」

 

 その奥で、地面に座り込んで静かに一筋涙を零したグラエム先輩が見えた。……二人の涙は何が違うのだろう。


「……え?」

 視線を戻した先で、カルミア先輩が何かを喋っている。


 い、い、う、え?


「フォル、先輩が何か……」

「え?」

 フォルが顔を向けると、先輩は薄く笑った。



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