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アルくんから近隣の虫の様子がおかしいと聞いた、数日後。
この日も聖騎士の授業をこなしながら考えるのは、なかなか進まない異常の原因調査……魔力を含んだ植物を食べる害虫の大量発生の件。進まないどころか、調査すればする程異常範囲が広がっていて日々頭を悩ませることになった。……当然、聖騎士の授業がそんな片手間でできる筈もなく、私の手にした短剣が先生に弾き飛ばされた。
「集中しなさい、アイラ・ベルティーニ!」
「申し訳ありません!」
掴んでいた短剣を弾き飛ばされただけだというのに、手を殴られたかのような衝撃でじんじんと手首が痛む。それほどすごい速さの攻撃を受けたということで、慌てて距離を取りながら回復を唱える。今日は魔力は制限されていない。一度全力で向かってきなさい、というのが今日の授業内容。
全力で打ち込んでもまったく押される様子がない先生相手に歯を噛む。これでも夏の大会では上位に食い込んだ方なのに、広さのせいもあって派手な魔法を使うわけにも行かず。相手もさすが聖騎士ポジションと言われるだけあって傷を負わせても回復速度がすごすぎて、そうこうしているうちに終了の合図が出された。
合図と同時に床に身体を投げ出した。……強すぎる。でも、なるほど、相手を回復させないコツというのはなんとなくわかった気がする。
「呆けているのは感心しません、アイラ殿。残りの時間は正座し放出できる最大限の魔力を使って自分を中心に小さい防御壁を張り続けなさい」
「はい!」
残りの時間、と時計を見て愕然とした。一時間半、魔力を切らさずに、壁を張り続けろと。これはきつい。
少しばかり落ち込んでフォルとレイシス、ルセナに見送られつつしょんぼりと壁際に戻り、正座して魔力を張る。あ、これ、終わる頃には足も痺れているんじゃないだろうか。足が痺れて気が揺らいだりしたらそれこそ最悪だし、なかなかにきつい罰がきた。
がくりと内心だけで項垂れながら次に戦うルセナを見る。
時折刃が触れ合う音を聞きながら、考え事に集中しすぎないように思考を巡らせる。
虫が異常発生しているのは、今回は王都だけではなかった。……問題は北山だ。
魔物が住まう王都の北にある山。ジェントリー領であるその場所は公爵の手によって結界など厳重に施されしっかりと守られているのだが、どうにも様子がおかしい。
魔力を喰らう虫が大量発生している今、北山でも同様の現象が起きている。さらにそれを餌にした鳥の魔物が力をつけ、それを喰らう肉食の魔物がさらに力を取り込んでいる。この連鎖にいち早く気づいた王子のおかげで公爵も早々に対策を練り始めているらしいが、こんなことは初めてだそうだ。それほど虫が異常にいる、ということ。
既に麓の町付近では活性化しすぎた魔物が結界を越えようとして暴れる事もあるようで、騎士たちは随分と忙しそうにしている。魔物相手は難しい。切り殺せば返り血を浴びて毒に侵される可能性もあるし、魔法を使って来る獣だなんて油断ならない。騎士だけで手に負えない場合もあるだろう。
カルミア先輩もまだ見つかっていない。
油断すると魔力が揺らぎそうになるので集中して防御壁を張りながら思う。これにルブラが関係しているとすれば、狙いは何か。
公爵? 公爵領? それとも、王都そのもの?
なんにせよ悪い予感しかしない。
「ここまで!」
先生の声で授業が終了し、限界だったといわんばかりに弾けて私の防御壁も消えていく。うわぁ、きつかった……!
「各自十分休息をとるように。……それから、しばらく本業のほうが忙しく顔を出せない。自習をよくしていて欲しい。ルセナ殿は卒業後の進路は騎士を希望していましたね?」
先生に呼ばれたルセナだけが前に出て、残り三人は少し離れた位置で壁に背を預けぐったりと休む。聖騎士授業ではいつもの光景だ。
「……フォル。北山は大丈夫なのか?」
私を挟んで両側の二人が会話をし始めるのをぼんやりと聞く。レイシスが魔力回復薬を持ってきてくれたが、さすがにぶっ通しで防御魔法は疲れたのだ。ああ、ルセナだったら余裕だったのかなぁ。
「楽観視はできないかな。魔物が活性化しすぎて、もし王都に面した側の結界を食い破ったりしたら最悪だ」
「血の毒がまずい。このまま何事もなく収まるんであればいいが……なんで害虫の大量発生なんて起きたんだ……お嬢様、アルは何か言っているんですか?」
「ふぇ?」
聞いてはいたのに、つい気の抜けた返事が出てしまった。いや、ほんと疲れてたんです。
「うーん、とくには。というか、ルブラがどう動くかわからないからアルくんあまり動けなくて。さすがにアルくんも、うちのお母様やカーネリアンが危ないとなると動きにくいみたいで」
「奥様はともかくとして、まあ、カーネリアンは護衛の面でもきついですね、デラクエルの護衛とサシャではもし敵のエルフィが現れれば力不足でしょう」
「レイシスの中でもアイラのお母様ってすごい位置にいるみたいだね……?」
フォルがなんだか乾いた笑みを浮かべている。うーん、大丈夫だよ、お母様基本ほわほわしてるし。ああでも私、確かに逆で考えてフォルのお義母様に会うのは怖いわ……。
大分魔力の巡りも良くなったかな、という頃ルセナが合流して、屋敷に戻る為に立ち上がる。
そうか、進路決める時期なんだなぁ。
前世と違ってこの学園では進路についてはあまり話題に上らない。
まあ特殊科を見ても分かる通り、王太子、その妃、次期公爵に、既に使用人として契約済みであったり侯爵家次男だったりとまぁ絶対探し出した仕事に就かなければならない人が少ないというのもある。
兵科はむしろ仕事の為に学園に来る者も多いが、そもそもこの学園を卒業しただけで地方ではかなり無条件で兵になることができるのだ。一部の騎士になる為に全力を注いでいる生徒と、どうしても城の侍女になりたいという生徒以外は就職難で悩む事は少ないと思う。むしろ毎年雇用する側が足りない足りない言っているくらいだ。
そのせいであまり話題にものぼらなかったけど、そうか。ルセナは騎士になるんだなぁ。能力と学園での生活を考えると、王家の近衛決定まで待ったなし、って感じな気がするけれど。彼は聖騎士の授業をかなり役立てることになりそうだ。
「アイラはベルマカロンの経営に戻る?」
「うーん。カーネリアンとサシャはベルティーニも継がないといけないし、カレーもあるけどそうなるかなぁ」
「え? おねえちゃんたち結婚じゃないの?」
「っげほ!」
私とフォルの会話に割り込んだルセナの発言でレイシスが咽た。そんな私もふえ、と間抜けな声が出たし、フォルも綺麗な瞳をぱちぱちとさせている。
そ、それはどう、なんだろう……? あれ、もしかして私の家に婚約の話がもう来てるけど、ベルマカロンやっちゃだめ? カレーもまずい? しまったそんなの最近お花畑すぎてまったく気にしてなかった……!
ちらりとフォルを見ると、苦笑される。あとでね、と口を動かされて頷けば、感じる視線を考えてかフォルは早々に首を振る。
「結婚するしないに関わらず、僕はアイラがやりたいことを止めるつもりはないよ」
「へぇ、おねえちゃん王都にいたら嬉しいな」
レイシスはそれを聞いて少し苦笑しているようだ。その横でにこにこと笑うルセナは、騎士で何を目指すのか。確かに侯爵家は長男がいるのだからルセナは王都で騎士を目指して問題ないだろうが、ルセナが一番懸念している対象であろうミルちゃんはいまだ城の中だ。……彼女自身に罪はあれど、脅されていたという面からここまで拘束期間が長いのはおかしい。恐らく王家は獣人である彼女を守っているのだろう。
四人で屋敷に戻っている、その途中で。
「アイラ!」
血相を変えたガイアスが飛び込んできて、思わず眉を寄せる。何が起きたのだと全員が怪訝な表情をしているが、ガイアスは捲くし立てるように言葉を荒げながら私達との距離を詰めた。
「カルミア・ノースポールが見つかった! というか、逃げるぞ! 屋敷に急げ!」
「何、どういうことガイアス」
眉を寄せたフォルがぐっと私の肩を抱く。すぐにぱきぱきと薄い氷の膜が見え始め、彼が防御を展開しているのだと気づく。
「アイラを捜している。なんでもない振りをして俺らに接触してきやがった!」
「おや、それは貴重な情報のようですね、ガイアス・デラクエル殿?」
驚いた私たちの後ろからひょこりと顔を出したのは、今日は私達より後に稽古場を出た先生だ。……そうだ、私達の受ける聖騎士講義の教師、フェルナンド・カーディ先生は現役第一騎士団隊長だった。
カルミア先輩が行方知れずであることを知らない筈がないのだ。気になるのも当然だろう。
ガイアスの話ではどうやら、カルミア先輩はしばらく休暇を貰って地元に戻っていた、という話で現れたらしい。
確かにそうだ。カルミア先輩の上司である騎士は書類でその報告を受けていた。だが、彼がその後地元に顔を出した形跡がなく、暗部ですら追えなかったからこそ「行方不明」と極秘で扱われていたのだ。彼を探った原因が「勘の鋭い王太子が疑った」というものなのだから極秘であったのは当然である。
「では私が貴方達と共にアイラ殿を屋敷へ送りましょう。彼はどこに?」
「今アーチボルド先生が王太子殿下と屋敷より学園入口寄りの場所で足止めしてくださっています」
なるほど、と頷いた先生は、フォルの肩を軽く叩く。
「気持ちはわかりますが、アイラ殿の周りの防御壁を解きなさい。相手が何気ない振りで接触してきているのに、こちらが警戒心を持って現れれば傍で引き付けてくれている殿下が危ない」
「……はい」
瞬時に消えることはなく、とろりとろりと溶け始めた氷の壁はまるでフォルの気持ちを表しているようだ。……なぜ、こんな時に。
桜の石を握りこめば、どうやら今日はそこにいたらしいアルくんがぱっと姿を見せて私に頷いて見せる。
ジェダイもグリモワの中だ。……とうとうこの時がきたのか。
先輩が、あの青目でないことを……願う。これは、いけないことだろうか。
次は5/2予定です。




