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「アイラ、アルは無事に帰ってきた?」
ほぼ一日中一緒にいたのに、夕食後もまた部屋に顔を出してくれたフォルに少し驚けば、用件が用件であった為に納得して笑う。一緒にいたといっても、二人で話しているうちにベッドで揃って昼寝してしまったのだけど。手を握り合ったまま仲良く、という健全なものだが。
そうして一日過ごしていたとしても、嬉しい。恋とはすごいものだ。手が触れ合っていた、それだけで最高の一日に思える。
「うん、戻ってきたよ。でも、アルくんでも先輩は見つけられなかったって」
先輩どこ行ったのかな、と窓の外を見て目を細めれば、ふわりと頭を撫でられる。そのアルくんは今、学園の周囲を見回りに出ていて部屋にはいない。秋を迎えて、精霊たちの様子を見て回っているらしい。昼間は忙しいのでこの時間に見回りしているのだろう。
「アルくんにはあまり動かないように言った方がいいのかな」
「敵がどこまで身内にエルフィを取り込んでいるかによるね。少なくとも……闇使いは確実だ」
ごくり、と息を呑む。何度も何度も現れた闇の力に操られた人間とグーラー。それは闇使いの手によるもので間違いないらしい。
ジェントリー以外にも闇使いがいるのかと問えば、苦しそうな顔でフォルは頷いた。
どの国にも光のそばに闇使いはいるのだと。そして、過去を遡れば国が崩壊し行方知れずとなった闇使いもいるのだと。そしてそこには奴隷制度が絡んでいたこともあるのだ、と。
「つまり闇使いが売られていたってこと?」
「闇だけじゃない。ただの人でもエルフィでも、この国では廃止されている奴隷制度をいまだ撤廃していない国もある。闇市と呼ばれるものだって、百パーセントないかと言い切れるかといえば問題だ。次期公爵がこう言っているのは情けないことだけどね。例えば……この国でも奴隷制度の廃止後に奴隷が確認されていた事があった筈。奴隷、つまり過去に売られた経験のある者もその子孫も王家に血筋を隠す傾向がある。王家は完全に特殊な血を把握してはいない」
奴隷を従えていたと聞いてすぐ浮かんだのは、マグヴェルだ。彼の姿を思い出した私は眉を寄せた。根強い腐った部分の一つということか。
「緑のエルフィが敵にもいるとすれば危険、かぁ。そういえばノースポール家も別に風のエルフィの血ではなかったって言ってたもんね」
「まだ確定じゃないけどね、カルミア・ノースポールがあの青目の男だって」
だがこのタイミングで行方知れずというのは見過ごすことはできないだろう。先輩は指名手配されているわけではないが、かなりの人数が王家の命で動いているという。見つからない、なんて、逆に怪しいもいいところだ。理由が「白すぎるから」なんて理由なだけに、ノースポール家を正面から疑って調査できないのが難点であろう。
「今までで解決してることってほとんどないよね」
フォルを椅子に促しながらお茶を淹れる。気分が落ち着くハーブティーの香りを楽しみながら口を開けば、フォルがそうだね、と小さく頷いた。
「悔しいけど、グーラーだけじゃない。いつだったか生徒に火種の魔法を使われた事も、闇に操られた人間の事も何も分かってない。何度も相手に勝利している筈なのに、手がかりは必ず消えていく。僕もデュークもそれは気にしているんだけど」
「気持ち悪いな、なんか。踊らされているみたい」
「敵の狙いが一貫してないんだよね。複数集まっているからこそなのか。上下関係がしっかりした組織ではない、というわけでもなさそうなのに」
「あえて下が勝手に動くのをある程度許容してる、とか……?」
「そのわりには、なんらかの方法でこちらに仲間が渡ると情報漏洩を防ぐために口封じしたり薬を服用させたりとやることが大胆だ」
「……話してたら身体冷えてきた」
項垂れて温かいハーブティーを口に含む。なんにせよ人体実験なんぞしている組織なんていいものじゃないだろう。
「ミルちゃんのご家族大丈夫かなぁ」
ルセナの幼馴染の獣人の少女は、家族を盾に脅されていた。結局家族の行方は知れないと聞いているので、ルセナの実家ではかなり捜索に手を回しているらしい。
「動きたい、けれど」
「駄目だよ、アイラ」
「うん。私は絶対にエルフィだってばれるわけにはいかない」
カーネリアンが心配だ。母は凄腕のエルフィだが、カーネリアンは血筋でありながらその力を得ていない。だが。
「フォル。実はカーネリアンに防御の石を持たせたままなの」
「……ああ、先生から貰ったあれ? それでこの前追加で貰ってたんだ」
きょとんと首を傾げるフォルをちらりと見て、深呼吸を繰り返す。
「……カーネリアンに渡した石、魔石の精霊がいるわ。……それでね、ずっと反応してくれなかったんだけど、この前カーネリアンが私に石を返そうとした時、初めて反応したの」
「え!?」
目を見開くフォルが珍しく少し大きな音を立ててカップを置いた。割れたり中身が零れる事はもちろんないが、余程驚いたらしい。
「まさか」
「ううん。カーネリアンを主人としてたとかそういうんじゃないのかもだけど……嫌がった……というか、この人の傍にいた方がいいでしょう、って逆に言われて。ねぇ、私が魔石のエルフィだとしたら、いくら珍しくてもカーネリアンにもその素質あるんだよね……?」
「それは……どうだろう、完全に血筋によるともわからないほど希少だから……遺伝はないとも言われてるし。もしかしたらアイラが大切にしていた相手だからかもしれないし……それ、デュークには言った?」
ううん、と首を振る。カーネリアンには石の精霊は見えていなかったのだ。
ふとフォルが考え込むように俯くのをただ黙って見つめる。何か思い当たる事があるのだろうかと首を捻るが、フォルは暫くして首を振った。
「覚えておく。一応デュークには話すけど、いい?」
「わかった。……デューク様も忙しそうだよね、なんか卒業したらすぐおねえさまを迎えるつもりなんでしょう?」
「まあ、彼らは既に成人しているからね、ラチナが正式な王太子妃になると思うとなんだか感慨深い」
そうか、彼らは幼馴染だ。王子とフォルは兄弟のように育ったようだし、小さい頃からずっと見てきたのであれば、そうなのだろう。
ちょっとだけ、羨ましい。私も小さい頃のフォルともっとお話してみたかったな。そんなことを考えているとついまじまじとフォルを見てしまう。幼い頃にうちで迷子になっていた彼に会ってはいるが、たった数日だ。あの頃から考えると随分と、いや、入学当初から考えてもフォルは「男の人」になった。肩幅も広くなったし、背だって私より高い。薬を生み出す指先は綺麗だけど私とは違って大きくて少し骨ばっている。
そういえば、さっきあの綺麗な唇が私に触れ……うっ、思い出したら今度身体が熱くなってきた。
目を逸らしてハーブティーに集中……したつもりが、くすくすと聞こえた声で私の努力は霧散した。
「僕たちも人事じゃないんだけどね、アイラ」
「うっ、あ、はい!」
ひっくり返った声で返事をすれば、とろけるんじゃないかって笑みで頬を撫でられるのだからたまらない。
その瞬間。
「にゃーっ!!」
「ああ、アルお帰り」
フォルの手はあっさりと離れ、テーブルの上には威嚇しているように尻尾を膨らませたアルくんがいつのまにか戻ってきていて。
「はは、ちょ、アル引っかくなって」
悪かったよ、といいながらじゃれる二人を見て少し唖然とした。……仲いいな。
っていうか見られたのか。……サフィル兄さまとはまた違う存在だといわれてもなんだろうこの気恥ずかしさ……穴に埋まりたい。
『あ、こんなことしてる場合じゃなかった。アイラ、大変だ』
フォルをたしたしと猫パンチしながら振り向いたアルくんを見て首を捻る。行動はともかく声は少し焦っていて、どうしたのかと尋ねれば。
『また一昨年の虫が大量発生しているみたいだよ。実を食われた植物の精霊が泣いている。少し、異常だ』
「……それってジカルの実を採集するときにアイラが言ってたやつだよね?」
一瞬悩んだ私と違い、すぐに一昨年の話を思い出したフォルの言葉でぱっと思考が覚醒する。
アドリくんの村に行った時のことだ。
一昨年確かに葉ではなく魔力を蓄えた実を食う虫が大量発生したせいで、冬を乗り切る為の魔力が足りなくて不安だと精霊たちが訴えていたことがあった。
それ自体は時折あることだ。だが。
ざわざわと肌が粟立つ感覚に眉を寄せる。自然現象で稀にある事だ。だが、まさか何かルブラに関係あるのだろうか。
立ち上がり紙とペンを用意すると、フォルたちのいるテーブルに戻って手をひたすら動かす。
考えられる原因、害虫と呼ばれる類の虫の特徴、王都で実を食われると冬越えが危険と言われる弱い植物の名前を次々と書き出す私を見て、フォルがそれを覗き込みながら真剣な様子でアルくんとその可能性について語っていた。
ただ単に自然現象? アルくんが異常だといってるのに?
一昨年は王都周辺でその事象は確認されたが、アドリくんの村周辺では確認されていなかった。
今年はどこで? 北山から王都内と、今わかっているだけでも範囲は広い。
そんな会話を聞いていると、じわりじわりと不安が迫る。
またルブラが絡んでいるのか。
書き出した紙を一度確認して、それを手に立ち上がる。
「調べます。フォル、王子に許可を得にいく」
「わかった。ちょっと暗部に動いてもらおう。僕もデュークのところに一緒に行った後ロランに連絡を取るよ」
先程の甘い空気はどこへやら。些細な変化である筈の、しかし大きな胸のざわめきに、私達はすぐさま動き出した。
私事ではございますが、五月半ばまで少し法事の予定など詰まっておりまして、現在二日に一回更新ですが五月中旬まで、少しの間三日に一回程の更新に速度を落としたいと思います。
五月下旬よりまた通常に戻したいと思っておりますのでご了承下さいませ。




