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 その日は、唐突に訪れた。

 相変わらず何事もなく、夏の大会を終えて一月。そろそろ秋の味覚が出回り始める頃だとベルマカロンでも忙しくなる時期。

 卒業が近い。それだけでそわそわするのに、実家には公爵家から正式に婚約の話が届いたという。公爵家からの申し込みで、フォルがベルティーニ領に顔を出すことはない。むしろ子爵家は諸手を挙げて喜ぶべきような縁談となり、父は王都に出入りするのであちらから顔を出すのだとか。むしろ親だけで決まるのだからさすが貴族。付き合うイコール結婚、違和感を感じないわけじゃないが、郷に入っては郷に従えである。……つまりその話題は私にとってとんでもなく恥ずかしいのだが。


 正直実感もなく、首を捻っているのだが。フォルは相変わらず優しいし不満だとかそういう話ではなくて、ただ実感がわかない。婚約が決まっても、医療科で同じ教室内にいるから発表時期はまだ親同士で相談中だそうだ。

 実感がないなぁ、とぽつりと零したら、「わくようなこと、する?」といい笑顔でフォルに迫られて息が止まった。結果何もなかったんですけどね……。


 そんな中、唐突に事態が変わったのだ。



 漆黒や宵闇のような色、鉄錆色、赤褐色、鈍色。目の前の白い世界に、ぼたぼたと雨のように降り注ぐ色が視界を埋め尽くしていく。

 色が埋め尽くし、白い世界はごちゃごちゃと濃い色ばかり混じりに混じって、酷く汚れた世界となった。

 真っ白な世界も果てが無くて怖いけれど、こちらは飲み込まれてしまいそうだ。そう感じてしまえば足を動かすことができず、じっとその場で交じり合う汚れた世界を見つめる。


 と、唐突に、ぽつりと白が落とされた。


 思わず手を伸ばしかけたが、どうせ混じってしまうのだと諦めに似た感情でその丸く落とされた白を見つめる。

 ……いつまでたっても、形が変わらないその白を。


 それは、異質であった。


「……何?」

 がばりと身体を起こし、周囲を見回した私は先ほどの世界が夢であったと気づく。

 何、あの夢。ぼんやりと考えながら、窓から零れる明るい光を見つめ、照らされた机の上にある書類に目を留めて、ふっと「この国のようだ」と苦笑した。

 調べれば調べるほど、なるほど確かに王子が憂うほどこの国の貴族とやらは濁った色ばかりであった。最近子爵家になったばかりのうちですら、濁った貴族との取引はある。うちから物の対価として渡された金貨は相手の手に渡り黒く濁り、手を出してはいけない娯楽へと消えたこともあったのだろう。

 そんな、らしくない事を考えてしまうほど、最近の私は疲労していた。一時聖騎士の授業についていけない事を悔やんでひどい醜態を晒してしまった時に比べればやる気はあるが、国の黒い部分を知るというのは思った以上に胸に来る。王子は、フォルは、こんな世界を見ていたのだ。暗部の仕事を手伝うガイアスやレイシスも、大商人、そして貴族として領地を纏める父も母も、知っている世界。それは、絵の具のチューブから濃い色ばかりべたりと直接紙に落とし混ぜ込んだ絵のように、重い。

 そしてそれは、決して無くなることはない『普通』だ。すべてが正義であることは無理なのだと、それは夢物語であると知っているくらいの中途半端な大人である私は、せめて色を薄く、白くなくても良いから混じる色を少なくしたいと奔走する王子の助けになれればそれでいい。


 こんな夢を見たのは、これのせいかな。

 ぺらりと一枚の書類を、窓から差し込む光に透かす。

 にゃあ、と鳴いたアルくんは、『今日これから調べに立つ』と精霊の姿に変わった。何度も気をつけて欲しいと念を押して送り出す。

 いつだったか、アニーが夢見が悪かったと愚痴る私に「魔力が高い人は稀に予知夢のようなものを見る」と言っていたか。前に違和感を持った夢などとうに覚えていないけれど、今回は違う。

 ベルティーニも、グロリア家も、ラーク家も、もちろんフォルのジェントリー家だって、何かしらの取引で濁った世界に染まっていた。直接罪を犯さずとも、濁ったものは手にしてしまう世界なのだ。だが。

 私が手にした一枚の書類に記された貴族は、白かった。



 それは、昨日のこと。

 私が最近王子たちと追っていたのは、ただ汚いことをしていた貴族ではない。わかっているすべての情報を使って、リドットと繋がっていたルブラがいる可能性のある貴族、ティエリー領にいたマグヴェルが接点を持っていた貴族達。

 それらを単純に「黒」としたのだ。

 ベルティーニ領はマグヴェル領を引き継いでまだ日が浅く、手の者がいた可能性があるとして「黒」とした。ジェントリー領は庇護しているヒードス領が書類捏造疑惑で「黒」、グロリア領は薬の原料である葡萄を育成した土地としてこれらも問答無用で黒として、ラーク領は去年の夏、私達が訪れた際ルブラに遭遇しているので、仲間がいる可能性を考え「黒」と。いっそ強引でも、とにかくそうしていた。

 以前ルブラだと発覚していたイムス家とつながりがあった場所も、とにかく少しでも何かがあれば「黒」。そう判断していったとき、どうにも白い土地が残ったのだ。昨日の夜、集めた資料を持ち寄って真っ白で染まった我が国の地図をひたすら黒で塗りつぶしていった私達の目の前に残った白は、気持ちが悪い位浮き出ていたように思う。

 ただの思いつきだった。情報はあるのにあまりにも核心に迫ることができない事に苛立った王子が、こうなればむしろ情報がない土地を知りたいと言い出したのがきっかけである、ほんの思いつき。

 それがただ一箇所だけ残った領地で、ふっとその名前を見たとき。私達は、血の気が引いたように思う。


「ノースポール、男爵家」

 ぽつりと呟いたのは、誰だったか。

 面倒くさそうに、しかし王子の思いつきに付き合ってくれていたグラエム先輩がぎりぎりと握ったペンがぱきりと音を立てた時、「まさか」と誰かが口にしたのを覚えている。

「だが……あいつは青目だ。背格好も、似ているか……?」

「デューク様。でも」

 思わずとめてしまったのは、私がこの中で彼と一番話していたからかもしれない。


 カルミア先輩。私に、好きだと気持ちを伝えてくれたあの先輩が、ふと、去年の夏に王都に私達が戻ってきてから今年の大会まで会えていなかった事に気づく。

 今までだって近しい人に疑惑が持ち上がり、可能性を否定する為に調査した筈なのに。

「ま、待って! グラエム先輩、どこにいくんですか!」

 急に立ち上がって扉に向かいだした先輩を、慌てて止める。視線だけ振り返った先輩の瞳は鋭く、「放せ」と低い声が放たれた。

 びくりと背筋が強張った時、唐突に伸ばされた腕が私を庇うようにグラエム先輩との間に入り、「アイラにあたるな」と告げてそこにいたのは王子だった。

「俺も許可しない。お前が動くことは禁ずる」

「だが! あれはあいつの仇だ!」

「まだ可能性だ! こんな、こんなことで決め付けてたまるか!」

 ばん、と机を叩く王子が、ぐしゃりと自らの短髪を掻き乱す。

 本当に思いつき。むしろ余った時間に、気分転換にやってみようとすら思っていた筈だった。

 私やおねえさま、フォル、レイシスが黒く塗りつぶした土地は、濃さも一定して丁寧に。ガイアスが塗りつぶした場所は大雑把で、ルセナが塗りつぶした土地はぐるぐるとペンを回しながら塗ったのだろう、いくつも円が見える。王子が塗った箇所は墨を含ませた筆を一気に滑らせたのかべたりと黒く、グラエム先輩が塗った場所はやる気が無く薄れていた。

 そんな地図は、雑談交じりに染められていったものだ。まさか、こんな結果を出すとは、しかもその領地の息子が青目であるとは思わなかったのだ。

「でも青目は青目でも、雰囲気は違ったよな……?」

「ああ。だけど……」

 王子とガイアスが話す、その内容を聞いていられなかったのか。グラエム先輩は、強く机を叩く。


「この嬢ちゃんを、アイラをあの時青目の野郎が最後にさらったのは、余力があれば身体ごと欲しかったからじゃないのか! 辻褄が合う、あいつはアイラに惚れているじゃないか!」


 突如声を荒げたグラエム先輩の言葉の意味を理解して息を飲む。震えた身体はフォルに引っ張られ、皆がいるのに問答無用で腕の中に閉じ込められた。彼が人前に構うことなくこんなことをするのは、珍しい。

 ぎろりとグラエム先輩がフォルを睨む。フォルの腕の中にいるせいでフォルがどんな顔をしているのかわからないが、手が震えた。青目の男が探していたのは、こちらで情報収集を担当していたエルフィ……つまり恐らく私、そしてグラエム先輩。だが青目に殺されたのは、グラエム先輩の姉のベリア様だ。

 私が、連れさらわれる筈だった。最後に誘拐されそうになったのはエルフィだからではなかったとしても、そもそも私が。その考えはまだ私の中に燻って、「そうではない」という理解もある筈なのに一気に燃え上がるように広がっていく。

 グラエム先輩は暫く黙ってフォルを見た後で、視線を落とした。


「悪かったよ……悪い。一人にしてくれ。大人しく、する」

 背を向けたグラエム先輩が去っていく。王子が私に視線を向け、意図を察してそばにいるジェダイを見れば、彼は姿現しで皆の前に姿を見せた。

『大丈夫。部屋に戻ったよ、防御壁の中から出さない』

「悪いなジェダイ、それで頼む。……まぁ勝手に動いて、もしまた別な家族を狙われるのは困ると言っていたからな。……大丈夫だろう」

 王子の言葉にジェダイはこくこくと頷いて、屋敷の防御石を確認するためだろう、ふわりと飛び去った。

 勝手に動いたら、別な家族を狙われる。その言葉が重く聞こえた。……いったい、グラエム先輩はどういう違いがあって、エルフィとしては「落ち零れ」だなんていうのだろう。

 残された皆も言葉少なく、沈んだ空気となる。


 これが、昨日の話。


 夢を見たのはきっとこれが原因なのだろう。

 あんな一人ぼっちの世界には、いたくない。


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