296
勇者はここにもいた。
やはりパーティーなんてろくでもない、と失礼なことを脳内で考えつつ、顔が引きつらないように全力で笑みを浮かべる。
カーネリアンと、王子とおねえさま以外の特殊科五人、そして侍女科で仲の良い生徒と、最近ぽつぽつと、ではあるが話すようになった医療科の女生徒、それにアニーを加えた仲間で話しているとやってきたのは、ヴィヴィアンヌ様だ。……ローザリア様を連れて。
私が丁度フォルから少し離れた時のことで、近づくには五歩以上は歩みを進めなければ駄目、といった辺りの距離。
フォルの顔色は変わらないが、失礼にならない程度に身体はそちらに向けながらも顔がしっかり私やカーネリアンの方角を向いている。
……なんだろう。挨拶だけならいいのだけど。
カーネリアンが私の変化にすぐ気づいたのだろう。にこやかな笑みを浮かべながらこっそり様子を探っているところを見ると、恐らくカーネリアンも相手の地位はすぐに理解したのだと思う。本当に聡い子である。
挨拶はこの場で一番実家の立場が上であるフォルにすぐに向けられた。当たり障りない言葉を交わしているが、フォルはとうとう身体をほんの少し斜めに向けてずらし、顔は向けて笑みを見せているもののどこかに壁を感じる。
……少し違和感。何がそこまでフォルにさせるのだろう。確かにフォルは人当たりがいい割に徹底的に壁を作っているタイプであるが、少なくともヴィヴィアンヌ様と一緒に現れたローザリア様は幼い頃からの知り合いなのではないのだろうか。
彼女のイメージは正直に言えば「フォルの婚約者候補」だ。あまり接点がなかったせいか私のイメージは偏っている。もちろんベルティーニで把握している貴族の情報などであればそれ以外も口にすることはできるが、フォルの家に次ぐほどの公爵家の令嬢でありながら彼女は常にどこか一歩引いた位置におり、他の取り巻きというべき女性達に囲まれているせいか人物像がよくわからない。
しかし彼女の姿を見て思い出す。銀の繊細な刺繍がたっぷり施された薄い水色のドレスは彼女によく似合っているが、そうえば一年生の時もそれと似た銀の刺繍のドレスで私のところに来たことがあったではないか、と。
あまりにもアクションがないからすっかり忘れていたが、レイシスに用事があったのだろうかと勘違いしていた一年生の頃が懐かしい。盛大な勘違いだ、彼女はずっとフォルの色を纏っている。今までたびたび向けられた視線も行動も、鋭くはないが嫉妬を含んだものだった筈。
ちりちりと胸が焼きつくように感じるのは、私も嫉妬か。わかってはいたが恥ずかしさもあるのかため息が零れる。
……一応今私は公に出来ずともフォルの彼女とか恋人とかそんな立場になるのだろうか。いや、だからと言っておおっぴらに宣言できない時点で今の私に何かする手段がない。
ヴィヴィアンヌ様がとうとう位置を移動し、ローザリア様が隣に並ぶ。ただ準優勝を喜び賞賛する声に割り込むわけにも行かず視線を剥がした先に、微妙な表情の自分とよく似た顔……カーネリアンがいて、一瞬息が詰まる。
「姉上」
「い、言わなくてもわかってるけど、どうしようも……」
ぼそぼそとそんな会話をしていると、「アイラ」と突如フォルに名前を呼ばれて思わずカーネリアンと息を飲む。もう会話は終わったのか、と振り返れば、まだ何か声をかけたそうにしている女性二人に背を向けてこちらを見るフォルがいた。笑みを浮かべているが、話は終わったと言わんばかりだ。
「デュークがもう戻るって言ってる。俺も戻るけれど、どうせなら皆で戻ろうかって話しているんだ。カーネリアン、君もどうかな」
「……ありがとうございます、フォルセさ……」
「はは、やだな、そんな畏まらなくても。友人じゃないか」
さっとカーネリアンに近づく振りをしてフォルが私のそばに来ると、行こう、と小さく声が聞こえる。パーティーを楽しむつもりなどもともとなく、しかも突然の王子の婚約発表で場はざわついている。早々に退場することにした王子の判断は私にとって喜ぶべきものだ。一時間ほどはいた筈だし、顔さえ出していれば別に途中退場は問題ない。
頷いて後に続こうとした時に、確かに感じた視線に振り返ると悲しげに眉を下げたローザリア様と目があった。ぺこり、と頭を下げられてつられて頭を下げ、しかしざわざわと胸が落ち着かず慌ててカーネリアンの袖を掴んでその場から離れる。
「……あ、いいの? カーネリアン、情報集めに最高でしょう?」
「あのパーティーがですか? まさか。僕は嫉妬を聞いている程暇ではありません」
あっさりパーティー会場から抜け出すことに決めたカーネリアンにほっとして、私達はぞろぞろと会場を後にした。
結局いつものメンバーにプラスしてカーネリアンとアニーがいるだけでいつも通りのメンバーが屋敷の広間に集まり、そこにフリップ先輩とグラエム先輩も加わって小さなパーティーが開かれる。
王子はどうやら早々に抜け出すことをさっさと決めていたらしく、会場と変わりない豪華な食事や数種類の飲み物が並ぶ広間はいつもの部屋のはずなのにパーティー会場に早変わりし、試合が終わったことというよりは無事に王子とおねえさまの婚約発表を祝う場となった。
「デュークもはやく言ってくれればいいのにね」
「……やっぱりフォルも何も聞いてなかったの?」
「相談は受けていたよ、近々だとも。ただ王が発表したのが本当にパーティーが始まった直後だったというか、たぶんデュークの作戦なんだろうけど。引き伸ばせばまた邪魔されても敵わないしね。まあ長居すればそれだけラチナに向けられる視線がまだ厳しいだろうから脱出して正解かな」
屋敷でのパーティーでも私の隣に並んでくれたフォルとそんな話をする。
おねえさまはもう婚約者と認められてしまった。その時点から発生する嫉妬の視線やその他にも将来の王妃に取り入ろうとする視線、思惑に耐えなければならないのは決定事項であるが、できれば守ってやりたいと思うのが王子の心なのだろう。
それに今日のパーティーは学生主催のもので正式なものでもなし。彼女に護衛の騎士もいない状況で長居をする必要は確かにない。
「それにしてもよかったなぁ、おねえさま嬉しそう」
ふふふ、と大好きなおねえさまのことを喜んでいると、丁度傍にやってきた王子が眉を寄せた。
「……悪くはないんだが、言っていいかフォル」
「……あー」
私を見ながらそんなことを言う王子に首を傾げると、はあ、と大袈裟なため息を吐かれた。フォルは苦笑している。
「ラチナのことを喜んでくれるのはありがたいが。お前は本当に自分の立場に無頓着だな」
「え?」
「俺が婚約発表したとなれば貴族が次に狙うのは真っ先にフォルだ。同じ公爵家のハルバートの方が年上で先に社交界では話題に上っているが、ジェントリー家に繋がりたい人間は多い。フォルが構わないというのでそのまま俺たちも押しきらせて貰ったが、身辺には十分注意しろ」
「……あ!」
唖然として口を開くと、王子はやはり呆れたように盛大にため息を吐く。
「まったくお前は基本的な能力は高いのに……そのあたりの察しの良さは全てカーネリアンに持っていかれたか」
「ひ、ひどいですね。でも身辺に気をつけろって言われたって……」
私はある意味常に日常を警戒状態で過ごしているようなものである。エルフィであることの自分の立場を忘れたりはしていない。ただ……フォルが他の人に狙われるのを私はどう防げばいいと言うんだ。私は貴族だが、下っ端だ。貴族の考えは理解し難い上に、恋愛ごととなると途端に経験値が物凄く低くなる。
誰を気をつければいいのだ、と考えれば真っ先に思い浮かぶのは今はもうローザリア様であるが……。
「……アイラ? 大丈夫だよ、そこまで難しく考えないで?」
手を取られ急に話しかけられてびくりと顔を上げると、そこにいたフォルが笑う。
「デュークも人が悪い。アイラはそのままでいいよ。こういうのは男の方が頑張るものだって自分で言ったくせに。アイラ、君は必ず守る」
「あの、えっと……?」
「あまりにも危機感がないから、からかっただけだ。……心構えはしておけ、お前にだって嫉妬心くらいあるだろう? ただし無駄に妬くなと言う話なだけだ。発表まで態度でフォルの相手だとバレるのは避けろ」
「あ、ああなるほど!」
ぱちん、と手を打つと、仕方ないな、と苦笑する王子とくすくすと笑うフォル。フォルは髪を切ったせいかいつもと雰囲気が違う、というかどこか大人っぽく感じて、少しどきどきと視線を落とす。
「というか、フォルが頑張るのに私は頑張っちゃいけないの……? なんでも頑張るのに」
ふと思い立ったことを口にした瞬間、目を見開いたフォルがすぐさま俯いて額を手で隠す。
「アイラそれ……意味わかってないよね……」
「ははっ! なかなかの殺し文句で親友が撃沈したのも見れたし満足だ」
王子が豪快に笑いフォルが少しずつ前のめりになって顔を隠していく。耳まで赤い彼を見てしまった何かやらかした、とまでは気づいたのだけど、王子が余りにも楽しそうなので悪いことではないらしいと首を傾げる。
「……祝福する。いや、ありがとう、だな」
ぽつりと私のそばでそう言った王子が離れていくのをぼんやりと見送ると、フォルが皆に見えないように少しだけ身体をずらし、私の手を握った。
微笑む彼を見上げて笑みを返しながら、せめてここでだけは、と仲間達がわいわい騒ぐこの部屋で目立たぬよう、二人で食事と会話を楽しんだのだった。
「アイラお嬢様」
すっかり夜更かししてしまい起きるのが辛い翌日の朝、ぱたぱたと駆けてきたレミリアが手にしていたのは白い上質な封筒だ。
「お手紙だそうです。ガイアスさんがアイラ様に渡しても問題ないと言っておりましたが、伯爵家からのようなのですが」
少し不安そうにレミリアが封筒を私に差し出してくるのを見つめ、ああ、と手を叩く。
「大丈夫。ほら、前に任務で行った、ロッカス伯爵家のアネモア様からだわ」
「まぁ! それは喜ばしいことですね」
友人からだ、と納得したレミリアがほっとした様子で肩の力を抜く。昨日、フォルとの仲を彼女にも知らせたので、周りの貴族の対応に気を使っていたのだろう。もっとも、彼女はとっくにお母様からそれを指示されていたようであるが。さすがお母様です。
手紙を開くとそれはお茶会、というよりもう少し砕けた様子で、友人同士ただお茶でも飲みながらお話しましょう、というお誘いと先日の私の試合での勝利についてのお祝いの言葉が書かれてある。
嬉しくなって少し考えた私は、フォルにも声をかけてみよう、と身支度を整え、再び本腰を入れ始めた青目の男の調査に関する書類に素早く目を通し次の指示をメモし終えてから、部屋を出る。
後日、向かう人数だけ告げてひっそりとロッカス伯爵家を尋ねた私達であるが、私とフォルだけではなくおねえさま、王子までロッカス伯爵家に揃って現れた事でアネモア様は酷く驚いた様子であった。それでもすぐにおねえさまとも打ち解け、突然のことでありながら素早く状況に対応してくれたアネモア様に王子も安心した様子で皆でお茶を楽しみ、和やかな時間を過ごした。
あらゆる調査をしながら青目の男の消息はいまだわからないと頭を抱えていたこの時は、まだ幸せだったのだろう。




