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大きく口を開いた炎の蛇、いやもはや、私が先の試合で呼び出した蛇より大きな龍がフォルに襲い掛かる。
一瞬にしてフォルを守るように具現化された氷が蔦のように伸び炎の蛇の動きを絡めとろうとするが、簡単に氷を融かされないようにフォルが施している、氷の表面を覆う水の魔力すら蒸発させて飲み込もうと灼熱の炎は暴れまわっているようだ。
「フォル……っ!」
どちらに勝って欲しいとか、そんな話ではない。いくら夏の大会は審判につく人間がとても優秀で、フォルだって簡単に負けるようなタイプではないといえど、怪我はするのだ。万が一はない、とも言えない。
怖い。
ひゅっと体中が一瞬で冷えつき、なんとか体勢を保っていたのがとうとう崩れて膝をつく。おい、と驚いたような王子の声が聞こえた気がしたが、まるで窓の外から聞こえたかのように遠くくぐもっていた。
その瞬間にも、フォルを守るように伸びる蔦が融かされていく。しかしフォルはそちらに集中することもできない。向かい合うガイアスの攻撃は止みはしないのだ。武器の扱いに長けた人間が魔力を操ると、これが怖いと思う。
「落ち着けアイラ、確かにガイアスの攻撃は脅威だが、よく見てみろ」
王子の言葉を聞きながら、目を背けそうになるのを堪えてフィールドを見つめる。……そして王子の言葉の意味に気づいた。
「あっ!」
フォルの残り二匹の蛇が、残っていたガイアスの地と炎の蛇両方を打ち倒していたのだ。氷が炎を飲み込むとは、恐ろしい。
そして自由になり速度を上げた氷の蛇がガイアスの背後から迫り、さすがのガイアスも二匹を相手にするのはきついと判断したのか、一度強く剣を払い大きく跳んで逃げた。その後を氷の蛇一匹が追い、もう一匹がフォルの後ろで暴れまわる炎の蛇の横から噛み付いていく。
すぐに体勢を立て直したフォルから伸びた氷の蔦が、蛇から逃げたガイアスの軌道を読んでいたかのように迷いなく後を追い、その足を捉えようと伸びていく。
はらはらとそれを見守る。ガイアスは昔から素早くて、簡単に囚われるとは思わない。が、今はフォル本人と操られる氷の蔦、そして蛇一匹がガイアスを狙っているのだ。
「……お前ほんっとにどっちも応援してるんだな」
「え?」
突如振られた会話の意味がわからず顔を上げると、王子がよくわからない、といった視線を私に向けている。
「そう言ったじゃないですか」
「まあそうなんだがな。にしても、相変わらずガイアスはすごいな。魔法、物理の攻撃力だけではなく回避能力も高い。加えて、あいつは地属性の、特に鎧魔法がかなり頑丈だ。いい戦士だ」
「そうですよね! ガイアス、昔からすごいんですよ。水や風はちょーっとだけ苦手みたいですけど」
「アイラの護衛自慢は久しぶりだな。にしても、生まれの点を考えると水や風が苦手というのは割りと致命的だがな」
「えっ」
生まれ、と言われて一瞬首を捻り、しばらく考えて納得した。地属性はまだしも、炎は暗部にはあまり向いていない。なんたって、派手だ。地属性も轟音がセットとも言える攻撃魔法が多く、防御はともかく攻撃としては暗部的に無しだろう。
そう考えると、暗部向き、と考えるなら弟のレイシスの方だ。まあ二人とも暗部ではなく護衛として魔法を幼い頃から学んでいる上に、別に苦手属性だからといって使えないわけではないので気になる話でもないが。
にしても、その修行を積んだガイアスと一進一退の勝負を続けているフォルっていったい……。
見ればガイアスはまだ見事に攻撃を逃げ切っており、むしろたまに仕掛けたりしているが、フォルもひたすら残っている炎の蛇一匹をあしらいながら攻撃を繰り返している。
もし私がフォルと戦うと、どうなるのだろうと考える。
ガイアスは幼い頃から何度も試合している相手であるし、相手の得手も不得手もわかっている。その分やりにくいという部分はあるが、想像はできた。
けど、フォルは。……そこまで考えて思い出す。そういえば、私の防御、フォルに全部じゃなくともたいして効果ないのがあるんだった。いまだにあれの原因がはっきりしていないんだよな、血を飲ませたせいじゃないか、という話であっても、どこかすっきりしない。
これこそ王子に相談すべきか悩むが、しばらく考えてからやっぱりもう一度フォルと話してみようという考えに至り、大人しくフィールドを見つめもう一度フォルとの試合を想像する。
今のガイアスとの戦いの様子を見るに、フォルを守るように成長している蔦はどうやら植物のようなものらしい。
思い出すのは、前世で見た霜花だ。冷えた日に窓ガラスにまるで花が咲いたように見える氷、つまり霜だが、シダのようなものや花のようなもの、いろいろ姿を変える霜花のように、基本的には蔦のように伸びていると思われたフォルの氷は様々な形を持っていた。
ガイアスの攻撃を防ごうとすれば花が開花し盾のようにそれを防ぎ、相手を蔦が追い、葉が散るように舞って刃となる。
正直言って、鑑賞したい程に美しい。
ガイアスではないが、ほぼ一緒になって私もあの攻撃はこう避けて、今の隙をあの魔法で狙って……いや、これは防がれる、などと思考を巡らせている間は、何とか仲間の怪我を心配しつつも冷静でいられた。というか、氷であっても相手は植物の形をとっているのだ。なんとかなるんじゃないか、と見ていると楽しい。
どうやら、王子も似たような事を考えていたようだ。
「ガイアスの奇想天外な攻撃もやっかいだが、フォルのあの氷を切り崩すのは難しそうだな」
「奇想天外、です?」
「ああ、ガイアスの攻撃は読みにくいな。お前がある程度予測がついているというのなら、幼馴染の特権だろ、それ。ほら見ろ、普通いくら攻撃が通用しないからって、明らかに得意分野じゃないのにいきなり同じ氷魔法ぶつけて動き止めようとか思わないだろ」
「え゛っ」
慌てて視線を戻すと、確かに精工な氷像のようなフォルの氷に、ずどんと大きな氷柱が上からのしかかって割り砕いていた。え、ガイアスなんで氷? ガイアスの炎の力ならフォルの氷の蛇だって飲み込んでたよね、どう考えたってそっちのほうが得意分野なんだから魔法発動までの詠唱時間短かっただろうに!
しかし確かに割り砕かれた氷が一瞬フォルの姿を曝け出させ、その一瞬を逃さずガイアスは炎の矢をいくつも打ち込んだ。続けざまに氷の根元、つまりフォルの足元を狙い地面が槍のように突き出され、フォルが体勢を崩す。え!?
勝負がついた。
そう思った瞬間残っていた蛇がどんと目の前の透かしの魔法がかかった壁にぶつかり、思わず目を瞑る。
耳に聞こえる笛の音に、思わず怪我は、と立ち上がりかけた私の視界で二匹の蛇がじゅわりと姿を消してフィールドを再び映し出し、そこに右腕を真っ赤に染めて力なくだらりとぶら下げ、でこぼこの地面に膝をつき天を見上げるフォルの姿を見つける。
「フォル!」
治療担当はいる。それなのに、思わず助けなければと次の試合が自分であるのに飛び出しかけた瞬間聞こえてきた司会の声に、私は足を止めた。
驚きすぎて冷静になりながらもう一度壁の向こうを見つめる。
『勝者、特殊科三年、"フォルセ・ジェントリー"』
そう確かに聞こえた。
「……なんて試合だ」
王子が目を細めフィールドを見つめる。
フォルの周囲の地面はでこぼこだし、さっきまで蛇、いやもはや龍が暴れまわっていたせいかその周囲も酷い有様だ。フォルの氷像と、扱いが難しいとされるガイアスの武器魔法以外は教科書に載るような大魔法はなかった筈なのに、辺り一面にフォルの氷が砕け散り散乱。突き刺さった炎の矢はいまだ火の粉を散らしながらごうごうと燃え盛り、何よりフォルが血だらけだ。
なのに、空を見上げるフォルの視線の先で、ガイアスが悔しげに顔を歪めていた。氷の花に首から下を喰われるように包まれ、背中から先のとがった蔦に狙われた状態で固まって。剣を握る手も恐らく閉じ込められていたのだろうが、笛が鳴った後に恐らく魔力で叩き壊したのだろう。まだ余力がありながら、フォルに勝利の審判が下りる手を取られたのだ。
「フォルが氷の具現化が得意なのは知ってたけど……あれってなんて魔法です?」
「……さぁな。あそこまで使い勝手がいいなら、新しく教科書に載るんじゃないか」
「それ、どんだけガイアスの行動より奇想天外で恐ろしいことだと……」
呆然としている中で、そういえばいたアーチボルド先生が後ろで笑う。あれは立派な知られた魔法だ、と。
「珍しいが、氷像を操る魔法というのでは操作系統との融合だな。まああんなに巨大なものを操れるのはフォルセくらいしか俺も知らないが。さて、デュークは移動しろ、お前次の試合反対側の控え室から登場だぞ、会場整備している間に急げ」
「あ、ああ、アイラそれじゃ試合で」
は、はい、なんぞ間抜けな返事をしつつ、運ばれていく二人を見つめる。フォルの怪我、大丈夫だろうか。なんにせよ、試合前なのにごっそり気力を持っていかれた感半端ない。
ぽつぽつと疲れを軽減する治癒魔法を唱えた私の後ろで、先生が再び笑ったのだった。
笛の音が鳴る。
極限まで緊張していたはずが一気に頭が冴え、冷静に状況と取るべき手段を導き出し、私の手はまるでそれが初めからの予定であったかの如くグリモワを従え王子の最初の魔法を牽制した。
「風の刃!」
異常な速さで唱えられた風の魔法が私に襲い掛かるのをグリモワが全て止めその大きさで私の姿を隠し、位置を把握しようと動く王子の視界を塞いでいく。
王子相手に近接技をかけられれば私に勝ち目はないと思ったほうがいい。というか、王子の剣の間合いに入ってしまえばそれに翻弄されて私は防戦一方になる可能性が高い。
今までの王子との試合の経験からも、私の勝率を上げるのは遠距離からのごり押しだ。なんの為に私はこれまで既存魔法改良というひたすら辛い修行に耐えたのか。全て騎士科組の近接技に抵抗する為にである。
大きく距離を取ることに成功し、いつもよりは多少手順を踏んで、ほんの数秒ではあるが長くなった詠唱を唱えきる。
王子が何が来るのかわかったのだろう、離れた位置で強力な防御壁を展開したのを見ながら、叫んだ。
「水の玉!」
得意なチェイサーの発動呪文に、司会がそれを盛り上げ煽っていく。だが、その次の瞬間聞こえたのは司会の驚きによる悲鳴だった。「はああ!?」という、なんとも素の声だ。
「行け!」
私の背後から飛び出したのは、たった三つのチェイサーだ。
ただし、通常のチェイサーの玉の、五倍はあるのではないかという大きなものだが。
王子が間違いなく「げ」と顔を歪めたのに気づきながら、手を緩めず次の魔法を詠唱する。私達の戦いは、壮絶な魔法合戦から始まった。
第九章の番外編はHP上で公開しているのですが、今回はこっちに入れたかったのであとがきでちらりと。
※試合終了後の二人(ガイアス視点)
「……氷像の魔法ねぇ」
「うん?」
フォルが不思議そうに首を傾げて俺を覗き込む。同じように救護室の椅子に腰掛けてはいるが、俺は細かい傷しかないものの、フォルの腕も、足も真っ赤に血に染まっている。まあ、恐らく残りの魔力は俺のほうが少ないだろうが、えらく悔しい負け方をしたものだ。デラクエルの血である俺が元といえど護衛相手で主であるジェントリー家に負けるとは。これは、レイシスに期待するしかないか。
さっき笛の音が聞こえたから、きっとアイラとデュークの試合が始まったのだろう。何も問題がおきなければいいが、もしアイラが勝てば次はフォルがレイシスと試合ということか。
試合も四日目の今日、治療班は医療科生徒ではなく医師がつくらしい。さっさと治療を終えて魔力回復薬を飲んでいる俺の横で、自分で痛み止めの魔法でもかけているのかまったく痛みを感じさせない表情のフォルが外を気にしている。だが、俺のさっきの言葉は覚えていたらしい。
「僕の氷が、どうかした?」
「ああ。あそこまで操れるのはなんでかなって考えただけだ」
「……聡いというか鋭いというか。アイラには、っていうか誰にも言わないで欲しいんだけど」
拗ねたように口を尖らせるフォルが、さっき鬼かと思うほど軽く躊躇なく使っていた魔法は本来あそこまで操りやすいものではない。じゃあなぜ扱えたのかと考えるとこのやろう、だ。
具現化魔法は想像をその通りに創造させるのが命だ。実際に植物を使って手本を見せたやつがいるに違いない。さっきの言葉を考えるとその対象は一人な気がする。アルとかアルとかアルとか。こいつはいったいどうしてカーネリアンだのアルだの意外な人物を落としているんだ、人たらしか。あ、精霊もか。
だが、いい手だった。「生きている」ものを創造しきるとは、これ以上ない上級な手だ。
……レイシスより腹黒いしな、こいつ。まったく俺の護衛対象である主はとんでもない相手に好かれたものである。まあ、本人がそれでいいならいいか。
魔力を使いすぎて疲れた。ああでも明日から修行時間増やそう。
もし将来主より弱いなんてことになったら、俺の立場がない。




