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笛の音を聞きながら、私は焦っていた。
フォルが防音の魔法を張っているからこその油断か、手をぐっと握りながら慌てていて、つい声を荒げる。
「ジェダイそれは、本当なの!?」
「アイラ待って、ジェダイがいるの? 落ち着いて」
いつの間にか強く握ってたと思ったのが、フォルの手だった。人目から隠すように私の横に移動したフォルに声をかけられた時慌てて手を引こうとしたが、逆にフォルの指先が私の手に絡んでぐっと力を込められる。
皆に見えない位置だが、こんな手のつなぎ方なんて普段しないので意識がそちらに持っていかれ、フォルの目を見上げて段々と焦っていた思考が落ち着いてくるのを感じた。
「あ……ごめんフォル。ジェダイがいて、その、調べてもらっていた防御石が割れたっていうから」
「……割れた? 割れたって、ここの防御石? 調べていたってどういうこと、アイラ」
「うっ」
何も聞いてない、と凄むフォルを捉えながら、視界の端で困ったようにうろうろと飛んでいるジェダイの姿が目に入る。ジェダイは恐らく私以外に姿を見えないように厳重に魔法をかけているのだろう、私ですら少し霞んで見える。
諦めてフォルに説明するから待って欲しい、と言ったはいいが、丁度ハルバート先輩の姿が見えた。私とおねえさまを送ってくれた彼は、ガイアスとフォルを連れて控え室に行かなければいけない筈だ。
私の視線を辿ったフォルが眉を寄せる。一瞬思案するように視線を落としたフォルだが、次に顔を上げた時にはそっと握られていた手が離れ、防音の魔法を解きハルバート先輩を呼んだ。
「ハル、すぐに行くから少し待ってくれ」
「……あまり時間はとれないですよ」
ハルバート先輩の許しを得たフォルがすぐさま動き、手招きでガイアスも呼ぶ。
「アイラ説明して」
「えっと」
「どうしたんだ?」
首を捻るガイアスと真剣な表情のフォルを交互に見ながら、実は、と急いで話し出す。
カーネリアンが酔っ払いに絡まれたという話が、どうしても納得いかなかったのだと。
カーネリアンは商人だ。父の話では重要な取引でも相手の懐に入り込み、どんな相手でも和やかに進めるのが上手いと聞いた。それが万人に通用するというわけではないが、普段は私に辛口であろうと私もカーネリアンの能力は知っている。どうしても、たとえ酔っ払いであったとしても彼が騒ぎになる程に相手を逆上させるというのは考えにくかったのだ。
そこで彼が絡まれた位置を聞いた瞬間嫌な予感がした。私が朝調べた防御石の設置場所に近いのだ。それがどうしたのかと言われればその後の行動はただの勘としか言いようがないが、私は嫌な予感を払拭する為に自分の試合前にジェダイに接触し、会場内の防御石を再度チェックするように頼んでいたのである。
「で、調べたら割れているのがあったって?」
「割れただけじゃない。その防御石におかしな細工があったから近づいたら、突如砕けたんだって」
ちらりと困り顔で飛ぶジェダイを見る。とにかく、この状況は放置できない。
「とりあえずガイアスとフォルは控え室に行って。防御石が壊れているとなると試合がどうなるかわからないけれど、ここに留まるのは不自然だから」
「じゃあどうするんだ、アイラが石が割れた事を知って忠告するのも不自然だろ?」
私がこの情報を知ったのは精霊であるジェダイのおかげだ。だがそれを知らせて、なぜ知っているのかと突っ込まれれば答えにくい。
「……とりあえず私に任せて?」
こうしている間にも、先ほどまで壮絶な試合が繰り広げられていたフィールドではふらついているルセナに肩を貸して王子が歩き出している。このままだとすぐにレイシスの試合が始まってしまう。
……よし。
ジェダイ、大至急デューク様にこの事を伝えて。
ひっそりとエルフィと精霊のみがわかる会話で伝えると、ジェダイがすぐさま姿を消した。王子なら、時間稼ぎの案も出せるはず。誰よりも石の妨害工作を気にして私に調べさせていたのだから、何か手を打ってくれるだろう。試合直後でお疲れのところ申し訳ないが、なんとかしなければならない。幸い、ルセナがよろよろと歩いているせいか彼らが控え室に引っ込むまでに僅かな時間がある。猛スピードで移動してくれているジェダイなら、きっと。
ぐっと手を握りながらそれを待つ。王子が向かった控え室にはアーチボルド先生もいる。間に合う。間に合って……!
もう待てない、そうハルバート先輩に言われてガイアスとフォルが席を立った時のことだった。
『それではフィールド整備の為に少々お時間を頂くと共に二十分程休憩となります。皆様どうぞこの後の組別決勝後半戦もお楽しみください!』
元気のいい司会の声にほっとする。王子に伝わった!
「っあー、びびった! ったく、どういうことだよ」
ガシガシと後頭部をかき回したガイアスが、周囲を探るように視線を送っている。
周囲にいる植物の精霊たちに変化はない。つまりあまり不審な人間はいない、と思うのだけど。なんたってアルくんがここを警戒しているのだ。彼は植物の精霊を仲間とし協力を仰いでいる事が多い。その彼らが特に動きを見せていないということは、防御石が割れた以外に異常が見当たらない気がする。
にしても、休憩二十分って。それで大丈夫なのだろうか。
そう考えて首を捻ったと同時に、ジェダイが戻ってくるのが見えた。今度は落ち着いて、不審に見えないようにと黙ってジェダイの言葉を待っていると、どうやらここの防御石は二年前の王子の妨害を考慮してすぐに予備と取替えができるようにしてあったらしいと聞いて、ほっとする。
王子なら上手くやってくれるだろう。それを説明するとフォルたちも漸く肩の力を抜いたようだが、落ち着けば落ち着いたで気になってくる事がある。
なぜ、割れたのか。
そもそも私は、酔っ払いが気になっただけなのだ。それで見つけたのが何の関係もなく偶然であればいいのだが、ジェダイによると割れた防御石は数個あるこの会場の防御石の中でもそこ一つだけ。割れていたからといって、会場の防御が消えるわけでもない程度らしい。
つまり、どういうことなのか。そう言われても答えられないが、じわじわと背筋が冷えていくような恐怖を感じる。異常があったのは、一昨年に続いてまたしても王子の試合なのだ。
「……次デュークと当たるの、アイラだな。試合中に邪魔されないといいけど」
「ジェダイの話だと、他に異常はないみたいなんだけど」
「あ、デュークが戻った」
フォルの声で顔を上げると、試合後だというのに急いで来たのか僅かに呼吸を乱した王子が私たちの観客席に飛び込むようにやってきた。後ろからついてきていたルセナとファレンジ先輩が少し驚いた様子を見せているが、構うことなく心配そうにしているおねえさまに手を上げて合図を送った後に真っ直ぐに私たちの方に向かってきた。
「助かったアイラ。悪い、あれを割ったのは、俺だ」
「ああそうだったんです……かぁ!?」
思わず普通に返事をしかけて、意味を理解して目を丸くする。なんで、王子が、割るの!
「とりあえず交換できるんだ、フォルとガイアスは予定通り試合の準備をしてくれ」
さり気なくそう話しながら、王子は防音の魔法を作り出す。なんだか今日はよく見ている気がするが、この魔法は外部に声が漏れにくいという点以外ではそれこそ殆ど違和感なく作り出されるものなで、あまり周囲には気づかれにくいらしい。ただし、上手く使いこなすには練習が必要だろうが。
「あの防御石に仕掛けをされていたのは間違いない。一昨年と同じものを、な」
「え!」
どういうことだと慌てる私達を見ながら、王子は笑った。なんだか心底楽しそうな笑みに、ぎょっとした気持ちがすぐに疑問に変わる。
「実は、仕掛けられていたものは俺の光魔法を封じるものだったんだろうが、俺の光の魔力が、というより光の精霊がそれに激怒してな。ぶっ壊したらしい」
「……え、過激デスネ?」
なんだか物凄い怖い言葉に聞こえる。私達からしてみれば、身近ではない光の精霊は神に等しい感覚なのだが、その精霊が怒ってぶっ壊した、とはどう考えても王子が朗らかに笑うような出来事ではないのだけど。
目を白黒させていると、王子はすぐさまガイアスとフォルを試合に行くように促した。再度心配はないから、任せろという王子はどこか頼もしい。
「こっちも予測してたんだ。安心してくれ、仕掛けた犯人は必ず捕らえる。アイラとカーネリアンのおかげで異常が見つかるのも早かったしな」
にやりと笑う様子はいっそこちらが悪者なのではないかと錯覚させるようなものだが、妙に頼もしいから不思議である。
王子の笑みに落ち着いたのか、ま、行って来るか、とガイアスとフォルが席を立つ。
二人を見送ると、隣に並んでいた王子がおねえさまを傍に呼び、私とおねえさまに囲まれた位置でふにゃりと珍しく表情を歪めて座り込んだ。
「え! デューク!?」
慌てたおねえさまが王子の顔を覗き込む。と、王子は珍しく力ない笑い声をたてた。
「ぎりぎりだった。漸く認められた。ラチナ、お前のおかげだ。俺は恵まれていた」
「デューク……」
何の話だろう。そう思ったが、王子の言葉が今までの疑問を解決するようなものの気がして、私はさり気なく距離を置く。
二人にしたほうがいいかも。王子の様子だと、私に聞かせたいわけじゃなさそうだし。でもあそこまで感情むき出しなの、珍しいな。
きっとたぶん、私がフォルに聞いたような彼の秘密のように、光の立場にも何かあったのだろう、と漠然と思う。
思い返せば、王子は光魔法を使いたがらないだけではない。エルフィの力がどうしても必要な場面でも、彼は私が標的となる事を良しとした。今考えると、それは不自然だ。自らもエルフィであるのに王子は私を矢面に立たせて放置する人間ではない。
先ほどの戦いの様子から、王子が光の魔力を使ったことは間違いない。躊躇いないその様子は今までとは真逆で、きっと、と思わずにはいられないが、私がフォルの秘密を誰にも語らないのと同じようにきっと私が知るべき事ではない。
とにかく、何かが解決したのだろう。それならそれでいい。王子が自信があるのなら、大丈夫だ。
笛の音がなった。始まったレイシスの試合を、ルセナと並んでじっと見つめる。
ルセナは王子との戦いに負けたのが悔しかったのか、隣でぽつりぽつりと「まだまだだった」「おねえちゃんともう一度戦いたかった」と語った。
それが、一昨年の試合からの強さを表しているように感じる。ルセナは当初からあまり積極性がある子ではなかったのだが、私と再戦したかったと語るルセナには戦士の強さを感じる。
攻撃魔法を積極的に使っていたのも驚きだ。きっと乗り越えるものも多かったのだろう。
「ミルおねえちゃんに、報告したかったんだ。勝ったよって」
いまだ私たちを襲ったことを罪に問われ城に囚われたままの少女の名を、ルセナの口から久しぶりに聞いた。
レイシスとピエールの試合は盛り上がっている。普段と様子が違うピエールがレイシスを攻めに攻め、普段と同じように無表情で対応するレイシスを視界に入れながら、隣でぐっと膝の上で手を握るルセナの背にぽんと軽く手を添えた。言葉を求められていない気がしたのだ。
伝わる震えに気づかない振りをして、しばらく黙って試合を見つめる。
「……ピエールって、いつもあんな感じ?」
「……おねえちゃんがいないと、あんな感じ。怖いよ、ジャンは」
話題にのってくれたルセナは、落ちそうになっていた目元の雫を拭うと笑う。曰く、じわじわと相手の体力を削る天才だそうだ。
「えっ意外」
「うん。でも、レイシスはたぶん大丈夫。前に模擬試合で同じようなことやり返して勝ってた」
「それもそれでどうなんだろう」
目には目をですか、レイシス。
しかしルセナの言葉は本当なのだろう。両者大魔法を使う隙は与えないのに、会場を見下ろしているこちらですら身体が凍りつきそうになるほど広い範囲で小さな魔力のぶつかり合いが起きている。
ピエールが炎の魔法を放てばレイシスはそれに熨斗をつけて返すが如く風の魔法で打ち返し、レイシスが弓を放てばピエールはそれを凍りつかせて投げ返す。ここは試合会場ではなく戦場ではないだろうか。
それがあちこちでおきているのだから、集中力が分散してしまいそうである。見ているほうですら「あ、あっちか」「いや今度はこっちだ」と目が回りそうなのに、それをすべて打ち返しているとは何事か。あの二人、目が何個あるのだと言いたい。
まるで野生の獣だ。信じているが、こんな戦場を見せられているほうはたまったものではない、とは思うのに、目は離せない。というか、私の戦いもみんなにはそう見えていたのだろう。反省はするが後悔はしていない。
はらはらしながら右に左に上に下にと視線を動かしていると、とうとう同じ事を繰り返していた会場の時が流れた。
レイシスが無数に放った矢と風の刃がピエールの肩と足首を切り裂き、体勢を崩させたのだ。
あっ、とか、おっ! と近くの観客席に座り見守っていた皆も身を乗り出す。
この隙を逃す筈がないと確信している周囲だからこそレイシスの勝利を確信した瞬間のことだった。
「……レイシス!」
偶数日更新になります。次は4/2です。




