286.フォルセ・ジェントリー
「フォル、大丈夫か?」
「え?」
ガイアスに声をかけられて、少し驚いて目を見開く。隣を見れば、じっとこちらの様子を伺う琥珀の瞳があって少しだけ答えに窮する。考えを見透かされているようだ。
「大丈夫かって……僕どこかおかしい?」
「まあ、顔色は悪いな。……別に次の俺との試合に緊張して、ってわけじゃないんだろうけど?」
「……そんなことないよ」
答えながら顔を僅かに逸らす。会場は大いに盛り上がりを見せていて、その会場内の視線を掻っ攫っているのは特殊科の女性陣二人だ。アイラが試合後に自ら対戦相手でありながら友人であるラチナの回復をしているのだが、司会がそれを美しい友情だと盛り上げているのである。アイラたちは聞いていない気がするが。
あそこに駆け寄って、アイラを抱きしめて癒してあげられたらいいのに。いや、それで安心するのは俺の方なんだろうけれど、という考えが見透かされたようで、悔しくなって動揺を押し殺す。気づかれるとは、俺もまだまだか。
「ま、ハラハラさせてくれるよなぁ」
しっかり俺の顔色が悪い事とその原因を断定しているガイアスが頬杖をつきながら会場を見下ろしている。ガイアスの隣ではアイラの弟がまだデラクエルの末妹を連れて休んでいて、姉の勝利にほっとした様子を見せていた。
「さっきの試合の酸の雨もそうだけど、危なっかしい戦い方に見えるんだよな。今もラスト、ラチナの最後の相打ち覚悟の攻撃完全に防ぐ気なかったみたいだし」
「え、アイラお姉さまは多少怪我してもいい、という判断でしたの? お兄様」
「落とされながらアイラが周囲に張った魔法は魔法防御だ。重力魔法は軽減しても落下の衝撃は防げない」
末妹に先ほどの戦いについての説明をするガイアスを見ていると、カーネリアンが僅かに目を見開いて首を振ってそれを止めた。
「グリモワの性能を信じていたのでしょう。姉上はあれでいて負け戦を放置する人間ではありませんが、小心者のところがあります。確実性の高い勝算を見出していなければやらないと思いますが」
「……あのお嬢ちゃんが小心者ぉ?」
カーネリアンの言葉に怪訝な声をあげて振り返ったのは前に座っていたグラエム。まあ確かに、アイラの普段の無鉄砲さと戦いっぷりをみていれば小心者とは思わないか。
だが、アイラは確かに意外とあちこちに気を配る慎重派ではある。なんというか、無鉄砲なのに用意周到、という相反する言葉を共存させているような……いや、ただ単に本人がばっちりだと豪語していても詰めが甘いのかもしれないが。ということは、やはり向こう見ずか。
それは小心者なのだろうか、と首を捻りつつもカーネリアンを見る。彼はどうやら、普段は姉を厳しい口調で駄目だししながらもかなり信頼しているらしい。酸の雨についても、魔力を調節し防ぎ切る自信があったのだろう、とガイアスに力説している。
……俺もそうだとは信じたいが、たまにアイラは自分の多少の怪我を省みない事があるのだ。聖騎士の授業でもそれは何度か注意されている。
それがわかっていれば見るほうはハラハラするしかない。俺はアイラを信じていると思うのに、カーネリアンのように自信たっぷりに言える気がしない。先ほどの戦いでも、相手はラチナであると言ってもアイラのあの白い肌に針が突き刺さる想像に身震いしそうになったし、実際鮮血が舞ったのを見たとき確かに血の気が引いた。……おかしな話だ、と思う。自分は間違いなく吸血族であるのに、一番の「糧」である好いた女の血を見て喜ぶより先に血の気が引くとは思わなかった。思ったより人らしいと感じたのは嬉しい誤算だが。
ハラハラさせられる。きっとそれでも俺は、そんなアイラをまるごと好きで見守る選択をするのだろう。……レイシスは、どうだろうか。
しかし、カーネリアンのように強く信じてくれる人がいるというのはいいものだな、と眺めていると、その本人と目が合った。
アイラによく似た瞳が探るようにこちらを見ている。少し驚いて、しかし意識していつもの表情のままどうしたのかと声をかけた。アイラとの事を探られているのだろうかと思ったが、アイラは恐らくまず先に俺との事はガイアスとレイシスに話す気がする。先にカーネリアンに言ってしまったのだろうか、と思案していたのに。
「レイシスは失恋ですか」
「……ぶふっ」
かなり小さく呟かれた言葉に、ガイアスが飲み込もうとしていた果実水を吹き出した。俺も、え、と言葉を詰まらせる。
今この場にレイシスはもういない。試合の準備でついさっき席を外したばかりだ。
なぜ、と困惑する。今俺はそんなにわかりやすい態度をとった覚えはないし、いくらなんでも俺の態度でアイラの好きな相手まで知り得る筈がない。正直驚いているのだが、アイラは意外と俺との事を隠すのが上手かった。本来アイラは表情豊かで性格も暗いということもなく素直で、『何を考えているのかわかりやすい』『嘘をつけない』タイプであろうな、と思われる事に否定はない。
だが真実はどうか。人の心とは複雑だ。アイラは時に(極々稀に)非常に大人びており、予想もつかないような行動や言論をする。それこそ一人の闇使いの人生を変える位には。
二面性がある、というのは言葉が違う気がするが、それでも俺はその相手が「俺との関係を周囲に悟らせない」のは難しいのではないかと思っていた。実際隠すのが上手く驚いていたのだ。複雑だが。
が、さすが弟には見破られたのか。……というか、それどころではない。慌ててガイアスとカーネリアン、デラクエルの末妹の四人の周囲に防音魔法を施す。先程のカーネリアンの声は小声であったが、先に周囲に知られるのはアイラの本意ではない。
「カーネリアン、僕は……」
「あ、駄目ですフォル。挨拶は先に父に。そう思って、僕と手紙のやり取りをしていてもそのことは口にしなかったのでしょう?」
「いや、そう……でもあるのだけど」
そうじゃない、といいかけて訂正する。実際、アイラの家族に言うのならばこちらの準備を終えて正式に、と思っていたのだ。
だがそれだけではなく、何より俺はアイラの感情を優先したい。彼女はレイシスを気にしている。そこに嫉妬がないと言えば嘘になるが、彼の事は俺もよく知っており、好敵手だ。先にそちらと話したいというのは俺の願いでもあった。
「ああでも丁度いいですね、フォルは次にガイアスと当たって、勝ち進めばレイシスの相手。両者を超えたとなればあの父上も認めざるを得ないでしょう。ま、筆頭とも言える公爵家から縁談話が来て成り上がり子爵家が表立って反発や反論はしないでしょうが」
「お前の洞察力や情報網って時々すげーよな、カーネリアン。ってか、レイシスが勝つのは前提か」
「当然です、あの姉上に懸想している変態にレイシスが負ける筈がありません」
ガイアスが感心したように頷いているが、問題はそこではない。『表立って』反対しない、か。裏はあるのか……。
思わず苦笑いすると、カーネリアンはにっと笑う。「だから言ったでしょう」と。
「そう思っていました。将来の義兄上」
「いや、ちょっと待って。はやいはやい」
そうですか、と笑う彼に拒絶は見られないことにほっとしながらいつまでも張り続けるわけにはいかないと防音の魔法を解き、心の中にもやもやと溜まっていく疑問について考える。
いつだったかアイラたちがいるのに、なぜか俺だけカーネリアンに呼び止められたことがあった。ベルマカロンの店舗に訪れた時のことだ。特に深い仲であったわけではない当時は少し驚いたが、言われたのは学園に入る前に情報網を広げるように殿下に言われた、という相談で、デュークの話では困ったら俺に相談してみるといいという話なので甘えてしまったと、そんな内容だったのだが。
あの時確かに彼は、「幼い頃は姉上に取られてしまいましたが、こうしてフォルセ様と話せるようになって嬉しい」と、そう幼さの滲む世辞とも本心ともつかない発言をしたあとに『似たような事』を言っていた。その後ロランを通して手紙をやり取りし情報を共有するようになっても、時折「姉上とはどうですか」とそんな発言も混じっていたし、反対されていないのだろうとは思っていたが。
……レイシスのほうが家人には歓迎されると思っていたのにな、ガイアスの話を聞いた時は。
なんでこうなってるんだ、と自分にとって悪い状況ではない筈なのに考えていると視線を感じた。アイラによく似た瞳が細められ、口元に意味ありげな笑みを浮かべている。……何か理由はあるらしいと察して、息を吐く。
その方がいい。俺は大抵の貴族にとって縁談を手放しで喜んでもらえる立場はあっても、大抵の人間に受け入れがたい秘密があるのだから。ただカーネリアンが受け入れている理由は俺の立場のおかげではなさそうなのが気になり少し怖い。
アイラ達が退場し、デュークとルセナが大歓声の中で会場に姿を見せた。どちらも仲間であるのに、俺の頭に最初に浮かんだのは「勝ったほうがアイラの対戦相手だ」というアイラ基準の思考で、少し笑える。
いや、どちらにも勝って欲しいから、そこに意見が辿りついたのかもしれない。……こんな穏やかに日々を過ごすことができるとは、と感謝する。
開始の笛の音と同時に、ありえない速さでルセナがデュークを壁に閉じ込め、デュークが魔力をのせた剣でそれを叩き割るという、こちらも特殊科ならではの戦法に会場が沸く。
「どっちが勝つかなー、勝ったほうがアイラの相手だな!」
「だね。ガイアスはどっちだと思う?」
こちらの考えと似たようなことを話し出したアイラの「兄弟たち」の横で、静かに二人の戦いを見つめる。
恐らく純粋に攻めのみで考えるのならば、デュークのほうが強い。だがルセナの強みはそこではない。デュークのことだから、特殊科の誰と当たっても勝てるような切り札を用意している筈だが、そこにルセナが気づかないわけがない。
これは見応えがある試合だな、とフリップとグラエムが話している。その通りなのか、会場は相変わらずの盛り上がりだが、観客はどちらかというと魅せられているのか、手に汗握りただ黙って二人の戦士を目で追っているものが多いようだ。思えばデュークが今季の大会で魔力を前面に押し出した戦いをするのはこれが初だ。
ふと会場を見つめて違和感を感じた。……なんだ?
違和感の正体を探ろうとさり気なく視線を動かしてみるが、わからない。腑に落ちずもう一度戦う二人を見て、気づく。
……デュークの魔力が乱れている? まさか、そんな。
些細な乱れ、だと思う。実際会場でそれを不思議に思っている人がいる様子はないし、ガイアスですらただ両者を応援しつつ見守っているだけだ。
医療科である自分の目が魔力の乱れを敏感に捉えただけだろうか。いや、でも。
ざわざわと自分の何かが揺らめいている気がする。ああ、アイラはまだ戻ってこないのだろうか。彼女の目なら俺の感じている違和感もわかるかもしれないのに、と考えて思わず一瞬息を止めた。
アイラとラチナではなく、アイラ。どちらも優秀な医療科生徒である上にラチナは今誰よりもデュークの変化に気づける立場であろうに、アイラに絞って考えたのは無意識だが、俺はもしや答えが「彼女ならわかる」と思っているのだろうか。
じっとデュークを見つめる。ルセナに押されることもなく、いい試合をしている、と思う。だがそれならば俺は何を感じている?
自分が感じる違和感の正体がわからず僅かに混乱している中で、急激に会場がざわめいた。ルセナが炎の上級魔法を使ったのだ。それも、防ぐのが難しい広範囲に。
「おっ、攻めるねぇ。自分の防御は万全な中で相手には逃れられない範囲攻撃か」
ガイアスが楽しげに目を輝かせている。少し前の彼の言葉を思い出して、苦笑した。ガイアスだって俺との試合前だからといって緊張してないではないか。
燃え盛る炎、降り注ぐ礫、きっと会場は喉も焼け付くような熱気なのだろう。デュークの位置は先ほどから魔力の乱れを目が勝手に追っているのでわかるが、視界では捉え難い。
それにしてもルセナが範囲攻撃魔法か。……とんだ隠し玉を持っていたようである。
その時ばたばたと走る足音が後ろで聞こえて、はっとして振り返ると会場を見て目を丸くしているアイラとラチナの姿があった。
立ち上がり、視線を戦う二人に向けながらアイラの手をこっそり引く。その俺の行動に先ほどよりもまた大きく目を見開いたアイラが、照れるでもなく「どうしたの」と俺を見上げた。
すかさず声が漏れないよう薄い魔力の膜を周囲に張りつつ、彼女を椅子に促す振りをして囁く。
「デュークの位置はわかる?」
「うん、たぶん防ぐのにかなり強い防御魔法使ってるからあそこに……ん?」
やはり、彼女も気づいたか。そう思って隣を見ると、彼女は予想外のことを口にした。
「なんて綺麗。でも、どうしてわざわざ光魔法を。……いや、防御は違う種類かな?」
おかしいな、と呟く彼女がいったい何を知っているのかわからず混乱する。ただ一つわかったことは、彼女がデュークの魔力の色を見たのだと。
「おかしいなって、どういうこと? アイラ」
「すごい魔力が白く光って見えるの……詳しくはわからないけど、デューク様ってあまり光魔法使いたがらないでしょう? ルセナの攻撃は強力だけど、どうしてわざわざ光魔法なのかなって」
その瞬間、膨れ上がる魔力にはっと二人で会場を見下ろした。まるで台風でも見ているかのような暴風雨がルセナの炎を消し去ろうと荒れている。恐ろしい魔力であるというのに、日照り雨のような温かさすら感じる。
ふと空を見上げると、あれ程雨が降っていたのに、雲の隙間から日が覗いていた。
ルセナは防御の達人だ。デュークが何らかの対策を練るとは思っていたが、彼はどうやら純粋な魔力勝負に持ち込んだらしい。先に魔力が尽きた方が負ける、策とは言えないような策。ルセナ相手では小細工でその守りを抜けられないと踏んだのか。
しかし勝敗は確かにそれで決まるのだ。ルセナが僅かに態勢を崩す。その瞬間を、この嵐を仕掛けた親友が逃す筈がなかった。
「……ジェダイ」
ぽつりとアイラがなぜかこの場にいない存在の名を呟いたとき、笛の音がなった。




