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がっつり戦闘回です。流血注意。水魔法の押し流し注意。
「おねえちゃん、大丈夫?」
控え室で落ち着かずそわそわしていると、次の青組で試合予定のルセナが心配そうに私を見上げていることに気づく。付き添ってくれているハルバート先輩は壁際で何も言わないが、ちらりと私を見ていた。
そこで漸く、先ほどからぱたぱたと聞こえていたのが歩き回る私の足音だったのかと気づき、足に意識を向け漸く止めた。
「ごめんルセナ、煩かったね」
「ううん。僕も最初はうろうろしてたんだけど」
深呼吸を繰り返し、ルセナの座る長椅子の隣りに腰掛ける。ちらりと時計を見上げれば、あと十分程で私とおねえさまの試合開始時刻だ。
おねえさまと王子は反対側にある別の控え室で待機している。ルセナと護衛のハルバート先輩の三人だけの空間で、選手二人はどちらも緊張しているのかカチカチと時計の音だけが室内で存在を主張し、呼吸に意識を向けなければ詰まってしまいそうだ。
おねえさまとは何度も授業で模擬試合をしている。
勝率は五分五分、といったところか。とにかくおねえさまの重力魔法は相性が悪いのだ。水はおねえさまが得意としているせいか重力に逆らいにくいし、今回使う予定はないが植物も重力には逆らえない。
どうやらおねえさまの重力魔法が苦手としているのは風や炎、雷らしいが、むしろ何度も試合した相手だからこそ戦いにくいのだ。お互い弱点も得意技も知られている。
先生は夏の大会が近づいた頃から私達に本気の模擬試合をさせなくなった。特殊科が残ってお前達同士で試合するのは目に見えてるからな、と笑っていたが、それぞれに切り札となる魔法や術の指導をしてくれていた。
ここまで残ったのだ。もう残っているのは殆どが特殊科で、とりあえず第一段階クリアだ。勝ちたくないとは言わないが、ピエールと当たるレイシス以外は特殊科と戦って終われるところまでは来た。
……でもやっぱり、勝ちたいよねぇ!
「よし!」
「わっ! おねえちゃん? あ、すごいやる気満々だね」
「うん! おねえさまには負けません!」
ぐっと手を握って宣言すると、少し離れた位置でハルバート先輩がくすくすと笑っている。あ、先輩後でこれをフォルに言うのはなしですよ。
ここに来る途中でフォルに渡された翡翠の防御石をポケットの中で転がす。どうやらカーネリアンとサシャが石を持っているのに気づいたらしく、カーネリアンが言う前に自ら私に二つあるうちの一つを渡しておく、と約束したらしい。
アイラ、頑張って。応援してるね。
これを渡してくれた時、そうこっそり言われて手を重ねられただけで気分が高揚するのだから不思議だ。相手はうちより爵位も上で、学園の中で人気者で強いし優しいし、なんて……あれ? 文武両道、品行方正、容姿端麗? 少女マンガのヒーローか! いやたまに黒いような気がしないでもないけど、うん、すごい相手だ。
うう……私、なんて人を好きに……いやいやなっちゃったものは仕方ない。なら、釣り合う努力をしなければ。脳内で自分の恋した相手について惚気ている場合ではない。私はまだまだやることがある。
担当の先生に呼ばれて、ハルバート先輩に防御石を預かってもらってから歩き出す。ぐっと前を見据えると、同じようにしっかり視線をこちらに向けたおねえさまが遠くに見えた。
「うわっ!?」
開始早々グリモワから数ページを破り取り、距離を取ろうとした私の頭上に光る何かが見えて慌てて避けると、つい先ほどまで私がいた位置に何本もの針が突き刺さ……いや埋め込まれている。あぶな!
おねえさまも私がこれくらい避けるとわかっていて投げているのだろうが、これは怖い。刺さったら私、栗かウニかハリネズミになる!
小さく詠唱しながら魔力を叩き込み巨大具現化させたグリモワでおねえさまの視界を塞ぎつつ針を避け、まず先に鎧の防御魔法を唱える。そのまま大きく飛び上がり身体を捻って一回転しながらおねえさまの位置を確認し、向けられた針をグリモワで叩き落としながら水魔法を唱えた。
「水の蛇!」
私とおねえさまの声がほぼ同時に重なって会場に広がる。
二匹の蛇がうねりながら組み合って噛み付き合い、大きな水しぶきを飛び散らせながら広い場内の壁にぶつかりながら暴れまわる。その二匹とも大きさがもはや蛇ではなく、龍。
司会が水音に混じって「なんだこのあり得ないサイズの蛇は!」と素の表現をしているのを耳に入れながらも、私はおねえさまから目を逸らさず次の詠唱を開始する。
針を打ち落とし終えたグリモワを素早く引き寄せ、大きく跳んで広がったグリモワに乗り上げる。魔法のじゅうたんさながら私を乗せて空を飛ぶグリモワは、実はおねえさまの重力魔法が弱点だ。グリモワを操る風の魔力をおねえさまの重力魔法の魔力が上回った時点で私は地面に落下確定なのである。
「雷の花!」
そのリスクを冒してまで私が放った魔法は雷。空中にいなければ、この水に囲まれた空間では私まで感電してしまう。水の蛇は、今足場である地面すれすれで組み合っているのだから。
雷の花を見た瞬間おねえさまが大きく跳ねた。重力を操っているのか、わかっていたかのごとく身体を動かし風歩にしては軽やかに宙に浮かび留まる。
当然か。だって水魔法からの雷魔法は私の得意な連携でおねえさまはわかりきっているはずなのだ、私の次の手を予測して逃げの準備を整えていた筈。
だが予測していたのはおねえさまだけではない。浮くおねえさまを見た私は漸く来たかと手を空に向けた。
「氷の雨!」
両手を振り上げた先から魔力がぶわりと広がり、広範囲ではないが氷の礫が降り注ぐ。氷の雨、という名の通り、つまりは雹だ。なぜ発動呪文が雨なのかといえば、酸の雨と同類の水魔法であるから。……氷魔法との合わせ技、だが。
生身で受ければ確実に怪我をするレベルの礫が降り注ぎ、空中で足場のないおねえさまが慌てたように盾でそれを防ぐ。
おねえさまの重力魔法には制約がある。
強く予測しにくい無属性魔法の中でも厄介な部類であろう重力魔法だが、おねえさまはそれをいつでも使いこなしているわけではない。彼女の切り札であるその条件を聞いた事はないし、教えて貰ったこともないが、ある程度は予想がついている。
その一つが、重力を軽減させているときに急激に増減させることはできないのではないか、という点。今までの戦いを見た完全な予測だ。
今おねえさまは地面でのた打ち回る雷を纏った蛇から逃げる為に恐らく風の魔力の力を借りながらも重力を軽くし身体を浮かせている。おねえさまは前から風歩が少し苦手なのだ、風の魔力だけで浮く事は難しい。さらに周囲に降り注ぐ氷の対処で恐らく手一杯だ。
その状態で私のグリモワを落とすことは恐らく不可能。今が好機!
「水の玉!」
素早く詠唱した得意のチェイサーを何発も生み出し、近づきながら氷を避けるおねえさまに確実な距離で打ち込む。はっと目を見開いたおねえさまは盾を構えなおしたが、既に降り注いだ氷の雨のせいで耐久度を失いかけた盾が何発も飛び込んでくるチェイサーを防ぐことはできなかった。
「ああっ!」
一発がおねえさまの庇うように胸の前で組まれた腕に当たり、その身体が投げ出される。時間をかけすぎたのか蛇は打ち合い相殺されてしまったようだが、地面ではいまだにばちばちと光が迸っており、落ちれば確実に感電だ。
審判が合図すればすぐさまおねえさまを引き上げるつもりでいたが、私がじっと見つめる先でおねえさまはまだ諦めてはいない。……来る!
「くっ……!」
猛烈な熱気に眉を寄せグリモワを操って後退する。あろう事が地面に落ちる寸前おねえさまは土の蛇を生み出し、その背にしがみつき宙を飛んで難を逃れた。それだけではない、地属性の蛇が口から火を吹いたのだ。……複合魔法!
明らかに私が苦手としている火属性の魔法を狙い撃ちされ、後退を余儀なくされる。グリモワは火に弱いのだ。
しかし次の手を、と前を見据えたとき、おねえさまの手がひらりと動いた。しまった!
「ぐあっ」
身体に過度の重さを感じ呻く。私が防御の魔法を纏っているのにこれだから、困る!
「水の、壁!」
重力魔法を絶たねばと周囲に壁を生み出し落下寸前でなんとか堪えるが、今ので掴んでいたこちらのペースが乱された。立て直さねばと壁を解き距離を取ろうとした瞬間、ひゅっと針が私の横を掠める。
息を呑む。刺さりはしなかったが投げ打たれた針が右の二の腕と左足を掠め、血を滴らせる。やられた……!
「やってくれるじゃないですか……!」
「アイラこそ、なかなかの範囲攻撃でしたわね……っ!」
よく見ればおねえさまも先ほどの氷とチェイサーを防ぎきれなかったのか、腕や足を擦ったようで傷がある。この状態でこの台詞、お互い一瞬クスリと笑った。この世界でも人気の女性向け小説鉄板主人公と同じ立場である王子の婚約者や、自分で言うのもなんだが公爵子息に恋する女子がこれでは、笑うしかない。どう考えても私達は女性向け小説のヒロインではなく、巷で流行っているような少年向けバトル小説の少年主人公と友人のような間柄になっている。
しかしそんな空気も一瞬。ほぼ同時に距離を取った私達が唱えているのは、同じだろう。おねえさまも私もぶわりと魔力が高まっていく。
「アクアラッシュ!」
またしても蛇同様同じ魔法が両者の目の前から発動される。会場のほぼ真ん中でぶつかり合った上級魔法の水のしぶきが視界を翳らせ、しかしどんな変化も見逃すまいと眼を凝らす。水に紛れて何かこないとも限らないのだ。
しかしそれは杞憂で、徐々に私の魔法がおねえさまの魔法を押し始めた。じわりじわりと私から水しぶきが遠ざかり、次の瞬間には飲み込んだ私の魔法がおねえさまを襲う。
「おねえさま!」
このままでは溺れる。自分の魔法でありながら焦った瞬間、おねえさまの近くで何かが光った。
「なっ」
針を投げられたのだと気づき慌ててグリモワにつかまってそれをかわす。体重がかかったせいかずきりと怪我をした腕が痛み、このままではまずいと私は飛ぶグリモワに掴まったまま腕を治癒し、懐に仕舞っていたグリモワの切れ端に魔力を乗せる。
「水の蛇!」
「なっ!」
聞こえた発動呪文に、まだ撃てたか、と一瞬怯むもすぐさまグリモワの切れ端を放ち、蛇から逃げながら空を舞う。直接一枚の切れ端を手におねえさまに攻め込めば、刃となったその紙片を見たおねえさまが身を翻し……固まった。自分の四方八方を囲むグリモワの刃に気づいたのだろう。
逃げられないと判断したおねえさまが、私の前でひらりと手を振り下ろす。同時に圧し掛かるような魔力で私のグリモワは墜落していく。恐らく相打ちを狙ったか、腕の怪我を治していなければ耐えられなかったかもしれない。ぐっと歯をかみ締め、壁を生み出す。重力を軽減させただけで、物理防御力なんてない、魔法の壁。
その瞬間が、まるでスローモーションのように緩やかに感じた。おねえさまを狙う刃となった紙片、そして、堕ちる私。
笛の音が、鳴り響く。
『勝者、アイラ・ベルティーニ選手です!』
審判の声だけが耳に鮮やかに届いた。おねえさまの肌すれすれで、私の放った紙の刃がその動きを止めていた。ふっと完全に解けた重力魔法のおかげで、グリモワを盾に私は地面との接触を何とか最小限に抑える。
「負けて、しまいましたわ」
くったりと、おねえさまがその場に沈み込んだ。
「おねえさま!」
慌てて地面を蹴り、治癒の呪文を口にする。遠目に担架が運ばれてきているのを目にしながらおねえさまの傷を癒していると、おねえさまは「ふふっ」と小さく楽しげに笑った。
「私もう、アイラのその怪我を治せるほど魔力が残っていないのに」
指差す先を不思議に思って辿ると、地面に着地した時に手を擦ったのか、手のひらから手首が赤く染まっていた。
「あ、気づきませんでした」
「ふふふ、アイラ、お手合わせありがとうございました。楽しかったですわ」
「……こちらこそ? っていうか、今の試合で楽しかったって。……ふふふっ」
くすくすと笑いあう私たちの元におねえさまを乗せる担架が辿りついた時には、両者に怪我は一つも残っていなかった。
お互い相手の実力がわかっているからこその全力攻撃です。




