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「させるかよっ!」
相手の武器は剣だ。わかっているからこそグリモワを広げすぐに後ろに跳んだのだが、追いかけるように風歩で近づかれる。
瞬発力がある生徒だった記憶はある。だが、その動きに目を瞠った。速い。
「おらぁ!」
叫びと共に振り下ろされた剣をグリモワで受け流す。私はグリモワを風の魔力で操っているだけで直接受けたわけではないが、思わず眉を顰めた。斬撃が、重い。普段は剣を受けた位ではびくともしない筈のグリモワが、僅かに押された。
目を眇め、グリモワを操りながら距離を取る。私の意のままに動くグリモワを避けながら私を追う事は難しかったのだろう。ちっ、と舌打ちをした男が詠唱していた魔法を放ち、それを予測していた私は同時に盾を張る。
サンジから繰り出されたのは水の蛇だった。水の盾で防げない事はないが、力では押されて足元がずるずると滑り始めた。そのまま水の魔力で押し切るか悩む前に、やはりと唱えた氷魔法を放つ。ビキビキと音を立てて私の盾に喰らいついていたサンジの水の蛇が頭から凍り始めると、私に自分の魔法が喰われた事に気づいたサンジは顔を歪めた。
ちっ、と舌打ちをしたサンジが一度剣でグリモワをけん制しながら距離を取る。魔法が来る、と警戒し魔法防御の鎧をすぐさま身に纏った私は、次の瞬間驚きに目を瞠る事となる。
「くっ」
慌てて避けようとしたが、それが間に合わなかったと悟って動くのを止める。私の周囲に、私を閉じ込めるように魔法攻撃を通さない防御の壁を張り巡らされている。……やられた。
「はっ! いいざまだ!」
サンジはそう叫ぶと瞬時にまた距離を詰め剣を振るってきた。慌てて風の盾を生み出し剣を払う。
よく考えられた手だ、とグリモワの位置を見る。
私の周囲に魔法防御を張ることで私が繰り出す魔法攻撃を封じたのだ。このまま使えば行き場を失った魔法が術者を巻き込む可能性が高いという、ルセナがよく使う方法であるが、そもそも相手を壁で包むというのは自分が中心にいないためコントロールが難しい筈。やはり彼も騎士科の能力者であったということだ。
彼は決してその防御壁の中には進入せず、外から物理攻撃で私を追い詰めるつもりなのだろう。私に魔法で敵わない場合の策か。上手い具合に、私のグリモワは魔法防御壁の外。私の風の魔力で操るグリモワが分断されてしまったと言っていい。操れなくはないが、たぶん動きは鈍い。
剣の猛攻撃を、盾ではじいて身体を捻りかわす。幼い頃からガイアスやレイシスの稽古に付き合っていなければ今頃私の身体に剣が突き刺さっていたかもしれない。が、私はそもそも魔法寄りだ、このままでは押し切られるか……!
「やってくれるじゃない!」
吼えるように叫びながら思いっきり風歩で距離を取る。周囲に壁があるせいで魔力が使いにくく操るのが難しいが、なんとか欲しい分だけ距離を取った私はすぐさま詠唱を開始した。
この手はルセナがよく使う方法だ。まさか別の相手にやられるとは思わなかったが、何の対策もしていないと思われているとは舐められたものである。
「ははっ! 黙って降参しとかないとそのちっちゃい身体に穴があくぜ!」
「ぐっ」
詠唱中を狙われ、再び距離を詰められて盾で防ぎきれなかった刃が僅かに足を掠めた。左太股の辺りの服が裂け、恐らく少し切っている。
「ちっちゃいは余計よ! 舐めないでよね、酸の雨!」
「は!?」
怪我をした足を狙いさらに近づいたサンジが、聞こえた言葉に慌てたように距離を取る。当然だ、これは、地味だが上級魔法である。しかし、すぐにはっとした顔をした男が「馬鹿め」と笑うのに、にやりと笑みを返した。
「俺には届かな……なっ!」
「誰もあなたは狙ってない」
私の周囲に酸の雨が降り注ぐ。"壁の内側に"だ。
これはそもそも防御壁崩しの為に苦労して会得した水の上級魔法だ。狙いは、私を囲う魔力壁!
「馬鹿か!? 自分で溶ける気かよ!」
ぎょっとしたサンジは剣を止め被害にあわないように避けている。当然だ、酸の雨はすべてを溶かす。剣が触れようものなら彼は武器を消失することになるだろう。
その間に小さく詠唱を開始する。私は、彼が魔法攻撃をしてくるのでは、と思った時点で自分に鎧の防御魔法をかけているのだ。ルセナ対策で強化を重ねた私の鎧魔法と、コントロールが難しい遠距離で使用した魔力壁の彼の魔力、どちらが溶けるのが早いか。それは私が酸の雨を放って数秒で結果が出た。
ぱっと酸の雨があがると同時に、私を包む邪魔な壁は消え去った。……私の勝ちだ。
「水の玉!」
「なっ……水の壁!」
私の周囲の壁が溶けたと同時に、慌てたように向こうに張られた防御壁にいくつものチェイサーが打ち込まれる。
私のほうも時間がなかったので、玉の数は少なめだった。サンジはすべての玉を防ぎきって消失した防御壁から飛び出し猛然と剣を構え私に立ち向かってきたが、こちらの武器を忘れて貰っては困る。
ゴッ、という鈍い音と共に、サンジの身体は叩き飛ばされて私の右手へと弾き跳んだ。元凶である私の武器がそれをすぐさま追いかけて、倒れこんだサンジの腹に追い討ちをかけると同時に、私は投げ出された剣を手にとってその胸に向けた。
『これは……っ! 勝者、あ、あ、アイラ・ベルティーニ選手です!』
どもりながら、担当の生徒会役員が慌てて司会を進行する。わっと場内が騒がしくなる中で、ほっとして倒れこんでいる相手の横に奪い取った剣を置いた。
「くっそ……!」
呻く男とは視点が合わず、担ぎ込まれてきた担架に乗せられていく。グリモワを回収し後をついて歩きながら、自分で回復魔法を唱えた。
「痛いなぁ。ああ、どうしよう」
救護室で治療してもらえるだろうが、自分でできるのだから自分でやってしまったほうが早い。わざわざ痛みを我慢して救護室まで行きたくない程度には、痛かった。ああ、やばいなぁ、無傷では勝てなかった。
緊張しながら控え室に行くと、やはりと言うべきか。私を見下ろすアーチボルド先生の瞳が怖い。
「アイラー? お前、あの程度防げなくてどうする」
「うっ……す、すみません」
「お前なら壁をぶち破ることもできただろ、わざわざ雨なんぞ危ない方法とるんじゃない!」
雷が落ちた。だが、正直な話あの斬撃はまずかったのだ。雨以外の魔法ではぶち破る程魔力を練り上げる前に足の傷どころじゃないほど切られていたかもしれない。
はあ、とため息を吐いた先生が、やっぱり男の戦士相手だと腕力に敵わないか、と呟いている。訓練メニューを変えるか、という恐ろしい提案については、大会が終わった後によく話し合いたい。
「傷は……ああ、自分で治したか。なら救護室に行かなくていいな。ほら、これ飲んでおけ」
アーチボルド先生に渡された魔力回復の薬をありがたく頂戴し飲み込んでいると、先生が屈んだ。私の足を隠すように腰に布を当てると、ほら、とその布の先端を掴ませられる。
「更衣室で着替えていけよ。間違ってもそのまま戻るな」
「わ、わかってます! ……ありがとうございます」
ぽん、と頭にのせられた手がわしゃわしゃと髪を乱すが、私はどこかほっとしてそれを受け入れ、着替えるために外へと出たのだった。
「アイラ、怪我は?」
戻ってすぐに珍しく名前を呼んだレイシスが私の前に突撃してきて、驚いて固まる。
「大丈夫。治したよ、すぐ着替えたし」
「無茶をしすぎです! 防御があっても自分に酸の雨をかけるなんて!」
「うっ」
確かにもし直接肌に当たっていたらと考えれば、正直その想像はグロテスクすぎて自主規制だ。酸の雨が強すぎても、防御が弱すぎても結果が最悪だった。魔力調節は恐ろしく難しかったが、今考えるとよくできたものだ。あの時はできる! って妙な自信が……まあ、できたから良し!
「レイシス、終わり良ければ全て、」
「良しではありません!」
うう、と怯んだところで、ガイアスまで「今回はレイシスに賛成」と顔を出してきて、にっこりと笑みを見せられた。
丁度私を送ってくれたハルバート先輩に「もう行かないと」とレイシスが呼ばれたのでガイアスの無言の圧力からもすぐに解放されたが、試合に向かうレイシスを見送りながらもやはり悪手であったかとため息を吐く。うん、あれが試合でなければ自殺行為だったかもしれない。
緊張しながらガイアスに連れられて席に座ると、フォルと目が合って思わず背筋が伸びた。が、フォルは苦笑して首を振るだけだ。
「お疲れさま。勝利おめでとう。今ルセナが戦ってるところだよ」
「えっ、あ、ほんとだ。ああ、デューク様は勝ったんだ」
「キリムの奴、完全に剣だけで押されてたからなぁ」
ガイアスがその時の様子を解説してくれるのを聞きながらルセナを見る。淡々と防御で魔法を弾き返しながら剣を振るうルセナに危うさはなくて、私は二試合目にして皆に心配をかけるほど随分危ない橋を渡ってしまったらしいと眉を寄せた。
それにしても、王子は今回まだ殆ど攻撃魔法を使っていないらしい。隙を突いて剣で押し切っているようであるが、王子は本来私と同じ魔法攻撃が強いタイプの戦士だ。これは、温存していると見ると怖い話である。
ガキン、と場内に音が響き渡った瞬間、ルセナの剣が相手の騎士科三年の男子生徒の武器を弾き飛ばした。隙を逃さず繰り出される斬撃から雷魔法が迸っていて、咄嗟に防御魔法を唱えた相手の身体を目に見える程の雷撃が襲いかかり、次の瞬間には場内に笛の音が響き渡った。
「ルセナが勝ちましたわ!」
おねえさまが身を乗り出して喜びの声を上げたと同時に、丁度戻ってきた王子が満足そうに頷いている。
「やはり俺の次の相手はルセナか。それよりアイラ、随分と先生の胃に穴が開くような試合をしたようだな?」
「うぇっ!?」
ここでもか! と奇声をあげた私だが、フォルが間に入って「まぁまぁ」と取り成してくれる。だがそこで私はにやりと笑うグラエム先輩と目が合ってしまった。
「よく言うよなぁ、じゃじゃ馬娘の暴れっぷりを見て青白い顔をしてたくせに」
「……グラエム先輩!」
顔色を変えたフォルがグラエム先輩に向き直り、その背を見て申し訳なくてため息を吐く。ああ、そういえばあれ、父にも母にもカーネリアンにも、怖がらせたくないと思っていたアネモア様にも見られていたのか。応援は嬉しいだけではないらしい。
次の試合、レイシスが容赦ない風の攻撃でシードから勝ち進んだ三年騎士科の生徒を危な気なく追い込み、あり得ない程速い矢で相手を貫いて勝利した。
少し皆と距離があるような気がしたのは、私自身が先ほどの戦いに納得がいっていないからかもしれない。
この時点で、私は危ない橋を渡ったものの、赤青、そして黄色の前半戦までは特殊科のみが残ったこととなる。司会に負けない盛り上がりを見せた会場の空は相変わらず分厚い雲に覆われているが、吹き飛ばすような熱気に私たちも沸いたのであった。




