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迎えた夏季大会四日目の朝の空は、どんよりと曇り空だった。
今日も休むことなく情報収集を指示する書類を作り上げそれを隠し持ち、あとでカーネリアンに渡さなければと思考を巡らせながらも、ぱっとしない空に気分もあまり上がらず。
部屋で皆で円陣なんて組んで「勝つぞ!」なんて盛り上がってみた私達がせっかく気分そのままに屋敷を出たというのに、またしても覚えのある姿がそこにあった。
「アイラさん」
ついでといわんばかりに皆に挨拶しながらも、にこにこと笑う彼の笑顔は空とは逆に爽やかだ。少し前に夕方に会ったときよりも嬉しそうに笑みを浮かべるカルミア先輩とは逆に、フォルがすぐに警戒したのになぜか気づいてしまって、そちらを自分でも気にしてしまった事を後悔した。怖い。
「……おはようございます?」
疑問系の挨拶になりつつも苦笑いすると、カルミア先輩までどこか困ったように笑っている。わかっているのにここに来たのか、やはり強者だ。
「昨日は鮮やかだったね。今日も頑張って」
「えっと、ありがとうございます」
一度頭を下げると、一緒に向かう予定だったグラエム先輩が僅かに笑った気がしてそちらを見る。
「まだ諦めてなかったんですか、先輩」
「……君には関係ないよ」
嘲笑するような笑みのグラエム先輩に、貼り付けたような笑みを見せるカルミア先輩。……あれ? そういえばあまりイメージなかったけど、先輩は前もグラエム先輩に妙な反応をしていたような。この二人って仲悪い……?
なんだか一触即発な雰囲気に思わず数歩下がると、それに気づいたガイアスとレイシスがすぐに私と先輩達の間にさり気なく移動した。先輩はそれを見て苦笑しただけでひらりと手を振る。
「それじゃあ、試合楽しみにしています」
手を振っていなくなる先輩の後姿を見ながら思う。……何しに来たんだろうと。
「いや、友人って言ってたから挨拶を邪険にするのも……」
「アイラ……とりあえず思ってること口に出てるぞ」
「えっ」
ガイアスに言われて慌てて口を塞ぐ。ガイアスは「アイラが敵意をむき出しにしてない相手を警戒してるのは珍しいな」と笑うが、そもそもカルミア先輩は初対面で告白された相手であるし気まずいのだ。察してくれ。
まあ私も友達であれば応援したいと思うし、応援はありがたい、のだけど。グラエム先輩の言うように「諦めてない」とかだと、もう一度はっきり言ったほうがいいのだろうか。
ちらりとフォルを見れば、私を見ていたフォルと目が合ってしまい慌てて逸らそうとして……やめて、その瞳を覗き込む。私は悪いことはしていない。
一瞬驚いたように目を丸くしたフォルの方が目を逸らし、視線を泳がせたまま小さくごめんと呟いた。私にだけ聞こえるような小さな声で「俺かっこわる……」と呟くのがどこか幼くて、少し驚く。
「ほら、行こう?」
再びこちらを見たときには笑みを見せてくれ、怒ってはいないらしい、とほっとして歩き出した皆の背を追う。
どこまでも続く重たそうな曇り空は、丁度私達が会場に着いたあたりでとうとう零れ落ちてきた。
「雨とは、生憎の天気ですね」
今日も箱いっぱいに食べ物を詰めたカーネリアンが顔を見せてくれ、その天気を憂う。
「まあ、会場は防御壁で雨は入ってこないから」
「そうですが、やはり晴れの日のほうが湿気も少なくていいのですけど。菓子が不味くなりますし」
カーネリアンは不満そうだ。そんな彼の服のポケットにさり気なく今日の指示書を忍ばせる。すると、はっと思い出したようにこちらを向いたカーネリアンが、私に何かを差し出してきた。
「顧客から姉上宛に手紙を預かって参りました」
「え?」
顧客から、と言われて首を傾げる。私はベルマカロンの創立者の立場であるが、表立って動いていたのは父であったし、今はカーネリアンだ。なぜ私に、と首を傾げつつ封筒の裏を見たとき、思わず小さく声をあげた。
「お嬢様?」
レイシスも常にないことに警戒したようだが、私は笑顔で首を振ってみせる。
「アネモア・ロッカス様からよ。この前の任務で少し仲良くなったの。……あ、今日応援に来てくれているみたい」
「え? あのお嬢さん、身体弱いんじゃなかったか?」
ひょいと顔を覗かせたガイアスの言葉で、以前私とフォルに来た依頼のことだと思い当たったらしいレイシスが納得して頷く。
聞けば、どうやらカーネリアンが貴族席付近の移動販売の確認をしているときに彼女を連れた護衛に声をかけられたらしい。カーネリアンは貴族としての集まりにもたまに顔を出しているようなので、彼自身も一度だけ彼女を見たことがあったそうだ。レイシスもそれを聞いて、本人に間違いないようですね、とほっとしている。
「ロッカス伯爵家のご令嬢ですね。確かランドローク公爵家の縁戚筋だとか」
「そうそう。今日は体調もいいから少しだけ応援に来てくれているみたいなんだけど、……大丈夫かなぁ」
あの日の護衛や医師の様子からすると、彼女が見に行きたいと言っても本当に大丈夫でなければ行ってもいいという判断はしないだろうとは思う。問題は彼女の今現在の体調というより、試合後だ。
一応学生の力試し、夏季試験とされるものでも、試合は試合だ。下手すれば血が飛び散るような試合なので、精神的に辛くないといいけれど。
もっとも、私の前世知識で考えるとこの世界の価値観やら世界観はもちろん違うので、闘技場なんて普通の娯楽の一つとされるだろう。回復魔法が使えるからこそかな、と思いつつも心配し、それでも手紙を見るとにやけてしまう。友達、できたみたいだ。
終わったら一緒にお祝いしましょう、という少し早いようにも感じる言葉は、昨日の私の勝利を喜んでくれているものだった。皆の立場を思ってか控えめにだが、よければこの前のもう一人の護衛さんやご友人もご一緒に、と書かれた文字は繊細ながら力強く、彼女が比較的体調が落ち着いているのだろうと感じられる。
……嬉しい。
思わずにまにまと笑っていると、ガイアスがそれを見てにやりと笑った。
「恋文でも貰ったかのようだな」
「えへへ」
「なんだって? アイラに恋文?」
突如割り込んできた王子の声に思わず肩を跳ねさせる。違います! とフォルにも聞こえるように否定の声を上げながら、フォルを呼ぶ。
「フォル。この前のロッカス家のアネモア様が応援に来てくれているみたい」
「ああ、彼女。そうなんだ。アイラ、お茶する約束もしてたものね」
「というか、ラチナとアイラはすぐ試合だぞ、準備しておけ」
王子に言われて、そういえばとおねえさまと顔を見合わせる。赤組から試合なのだから、おねえさまなんて今日一番手だ。そういう私も、二番手だけど。
そんなことを考えていると、すぐにハルバート先輩が私とおねえさまを迎えに来てくれたので、皆に応援の声をかけてもらいながら移動する。
「貴女なら大丈夫でしょう」
控え室につくなりおねえさまがすぐ準備に入り、緊張して見守っているとハルバート先輩に微笑み付きで声をかけてもらえて少し驚く。珍しいな、という思いのまま見上げれば、貴女は対戦相手でしたから、と普段はどこか冷たいと思っていた声が柔らかく私の耳に届いた。
「きっと一昨年戦った時とは比べ物にならない程成長しているのでしょうね」
「一昨年は、負けてしまいましたけど……努力してきたつもりです。じゃないな、努力してきました」
控え室にいるのはまだ私達だけだった。対戦相手は来ていない。それをぐるりと見渡したハルバート先輩は、小さく防音魔法を唱えた。どうしたのだろうと見上げると、実は、と笑みを返される。
「アネモアが友人ができたと喜んでいました。彼女は幼い頃から知っている妹のような存在ですが、この大会の応援に出向く為に親の説得に協力してくれと言われまして。頼られたのは初めてですね。少し驚きました」
「え? そうだったんですか?」
なんだかすごいように聞こえるが、特にそこまでしてもらえるようなことをしただろうか、と首を捻っていると、ハルバート先輩は苦笑する。
「彼女は身体が弱いだけではなく、伯爵家の一人娘の上に公爵家の縁がある者ですから、友人に恵まれにくい立場だったのですよ」
その言葉で察してしまった。なるほど、「地位目当ての男性」やら「公爵家への取次ぎを願う女性」ばかりだったのだろう。まあ言ってしまえばよくある話ではあるが、彼女は身体が弱くもしかしたら意図せぬ結果になることもあったのかもしれない。
ふんふんと頷いていると、それに、と続けられたハルバート先輩の言葉に少しだけ驚く。
「もちろん王子の長年の想い人であるラチナ嬢も応援しておりますが。貴女は幼馴染が漸く恋を実らせた相手です。悔いのないよう最後の大会に挑んでください」
少し悪戯な笑みを向けられ、一瞬何のことだと考えて意味を理解し、固まってしまった。なんでそれを、と小さく呟いてしまった言葉はしっかり聞かれていて、笑われる。フォルから直接相談を受けたのだと。
「……そういえば、先輩とフォルって仲良かったですね……」
「ええ、それはもう」
ぱっとその瞬間防音魔法が解かれ、同時に部屋の扉が開くとおねえさまと私の対戦相手の二人が姿を見せた。私を見た瞬間ぎらりと睨みつけてきたのが私の対戦相手か。
ぱたぱたと武器登録を終わらせて戻ってきたおねえさまがそれを見つめ返すとすぐに視線を逸らされてしまったが、それを見たおねえさまは苦笑した。
「私は相手の武器登録が終わったらすぐ試合ですの。アイラ、お互い頑張りましょうね」
「はい! この三年間の成果を出し切りましょう!」
お互い手を握り合いながらも、その冷たさが僅かに互いの緊張を伝え合っている。苦笑して、私達は握り合った手を一度離し、パンと軽い音を立てて手のひらを合わせ激励しあったのだった。
控え室にも響く笛の音。
「……勝った!」
見つめたトーナメント表が、おねえさまの勝利を告げている。武器登録を済ませたりしていた私はその試合を見ることができなかったが、思わず喜びに手を叩くと、ハルバート先輩がにっこりと笑った。
「それでは、ご武運を」
「ありがとうございます! 行ってきます!」
対戦相手は既に私のいる位置とは反対にある控え室に移動している。緊張しながら、今度は変な司会じゃありませんように、と考えつつグリモワを確認して扉の外へ出ると、わっと会場が沸いたのがわかり少しだけ手を握り締めた。
『本日二試合目も注目の女生徒、昨日文句なしの勝利を得ましたアイラ・ベルティーニ選手の登場です! 対戦相手は、騎士科三年、見事な剣捌きを誇るサンジ・タール選手。実はこの二人、二年前にも一度戦っているという情報が入っております。これはいわば宿命の対決でしょうか!?』
今日も元気に司会は会場を盛り上げるのに徹しているらしい。二年前は私が勝利している事を司会が告げると、反対側から歩いてきたサンジの顔が悔しげに歪んだ後に、私を睨みつける。
「お前にわかるか? ずっと初戦で女に負けた腰抜けと馬鹿にされる気持ちが」
静かに地を這うような声で言われて、眉を寄せる。それは私のせいじゃないだろうに。
ここまで明確に殺意にも似た敵意を向けられると気分がいいものではない。が、やることは変わらない。私は彼と正々堂々勝負して、また勝たなければ。
――いや、特殊科もたいしたことないから、ごろつきだか変態だか知らないがしょうもない奴に殺されるんだって。
この前何気なくされていた、ベリア様の事を指す観客の会話がふと頭に浮かぶ。
私は負けない。ベリア様の為になんておこがましい理由ではないが、私の負けは特殊科の負けだ。ぐっと手に力を入れ相手を見つめ返せば、相手は不快そうに眉を顰めた。
『それでは試合、開始です!』
暗い会場で恐ろしく感じる程の熱のある歓声の中、私は敵意を一身に受けながら、全身に巡る魔力に意識を向けた。




