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「おかえり……っくくっ!」

「笑うならいっそ堪えないで笑ってくださいよ!」

 戻るなり肩を震わせたグラエム先輩に出迎えられて思わず声を荒げた。だがここに王子がいない事をよしとするべきか。いや、絶対控え室で聞いて笑っていたに違いないけど。


 私の次の試合がすぐ王子だったので急いで戻ったのだけど、今試合をしているのはガイアス達の友人、キリムさんだった。慌ててトーナメント表を見上げると、王子の名前の書かれた線が伸びている。

 ……すぐ終わらせたんだろうな。

「お嬢様、お疲れ様です」

「アイラ、お疲れ様」

 ガイアスとレイシスに声をかけられたが、もうなんか笑ってないほうがつらい。むしろ笑い飛ばしてほしかったのだと気づいて、逆に恥ずかしさで穴があったら入りたい気分になる。フォルの顔が見れない……が、くすくす笑っている声が聞こえているので私が羞恥でフォルを見ていないことなんてお見通しなのだろう。

「儚い……! 物理……!」

「いいですもういっそ笑っててください……」

 ずっと肩を震わせているグラエム先輩を横目に見つつ、気分を入れ替えようと水を一気に飲み干す。ひやりと冷えた水が喉を滑り落ち、乾きが一気に潤い息を吐く。

 そこで丁度私を控え室から送ってくれたファレンジ先輩がレイシスを呼んだ。どうやら特殊科組が次々早く試合を終わらせているので、準備が早まっているらしい。

「レイシス、頑張って!」

「はい、もちろんです」

 ふわりと微笑んだレイシスが立ち上がり、行って参りますと私に背を向けたところで、ガイアスが追いかけて二人で何かを話している。どうしたのだろうと見ているとすぐにレイシスは立ち去り、ガイアスが戻ってきてしまったが。

「アイラ、ルセナが出ましたわ」

 おねえさまの声で会場に視線を戻すと、既に先ほどの試合は終わっていてルセナが丁度出てきたところだった。司会は相変わらずのテンションで、ルセナを天才少年だと担ぎ上げている。

 そういえばルセナは入学当初から最年少入学の天才少年だといわれていたが、それをプレッシャーに思ったことはないのだろうか。

 毎日一緒にいるとわかりにくいが、ルセナは随分と背も伸びた。気づけば私の身長を越してしまっていたのだから驚きである。まあ、眠そうにしていることが多いのは相変わらずだし、たぶん私が言えた事ではないが童顔のせいかまだまだ幼いイメージは抜けないのに、すごい成長しているのかもしれない。いろいろと。

 トーナメント表を見ると、さっきの試合で勝ったのはキリムさんだった。キリムさん、次王子と当たるのか……と考えたところで、そういえば私の試合相手は、と漸く気づいて赤組のトーナメント表に目を向ける。

 おねえさまの相手は騎士科の三年生らしい。私は、と名前を見たとき、ふと思い出す。サンジ・タールと書かれた名前に覚えがある。

「私の次の対戦相手、一年生の時の初戦の相手だ」

「え、そうですの?」

 おねえさまがトーナメント表を見て、あらあら、と頬に手を添える。

「同じ相手ではやりにくいかもしれませんわね」

「水魔法と雷魔法は使った記憶があるような。でも、確かグリモワで殴ったはず」

「……今年はさすがに同じようにはいかないのではないかしら?」

 ですよねぇ。仮にも彼は三年騎士科で、しかもシードに選ばれた実力者だ。ちょっと次は油断大敵かもしれないな、と目を伏せ一年の当時の試合を思い出す。

 剣を持っていたはずだ。だけれど、あまり思い出せることがない。……あの時は試合がすぐに終わったのだ。

 事前情報には期待できないな、と伏せていた目を開け会場を見下ろすと、容赦ないルセナの剣による斬撃で相手の騎士科三年が地面に転がった場面で、ほぼ同時に笛の音が聞こえ、ぎょっとして目を見開く。

「る、ルセナ強っ……!」

「わ、私も驚きましたわ……、聖騎士の授業でもあんな感じですの?」

「ううん。ルセナって、魔法攻撃を主としてるイメージがありました」

 おねえさまと二人顔を見合わせ驚いていると、「ルセナは剣も優秀だぞ」と聞き慣れた声が聞こえる。ぱっとおねえさまの表情が輝いて出迎えたのは王子だ。

「デューク様、お疲れ様です」

「ああ。ルセナは魔法防御主体だが、剣の腕も悪くない。最近では魔法攻撃力もそこそこ上がってきているし、かなり器用な奴だぞ」

「すごいですわね」

 感心している二人の横で同じように頷いていると、くい、と服を引っ張られる感覚に後ろを振り向く。

 ちょいちょいと手で私を呼んでいるのは、フォルだ。

「フォル、どうしたの?」

「はは、うん。もう少しで試合だから」

 うん? と首を捻る。確かにそろそろフォルも呼ばれるだろうけれどと目を合わせれば、少し距離を詰めたフォルが小さな声で話し出す。

「アイラ、試合に行くときは誰かついてくれることになっているみたいだけど、絶対に一人でこの席から離れないでね?」

「え?」

 フォルの真剣な瞳を見ながら首を傾げる。特殊科の席は防御壁つきだ。簡単に誰もが近寄れるところではないし、それがある意味もわかっている。

 カーネリアンにも釘を刺されたことだし出る予定はないが、とフォルに頷いて見せると、フォルは苦笑した。

「心配しすぎなのはわかってるんだけど」

「過保護だなフォル」

 ひょい、と顔を覗かせたガイアスがまじまじと私とフォルを交互に見る。

「まあわかるけど。アイラ、特殊科が順調に勝ってるのもあって嫉妬の視線もあるから、気をつけろよ」

「う、うん。まあ、仕方ないよね」

 これは試験で、選手として出場している以上仕方のないことだ。頷くと微笑んだフォルが、丁度迎えにきたハルバート先輩を見つけて立ち上がる。

 人目を気にして「頑張って」とだけフォルに伝えると、頷いて歩き出す彼の背を見送る。ふと見回せば、フォルを視線で追う観客席の女性も多い。まあこれもわかっていたことなんだけどなぁ。

 そんなことを考えていると視界の端に見覚えのない植物の精霊の姿を捉え、ああ、と思い立って小さく指を動かし、なんでもないように座りなおす。もうフォルの姿はない。

 そんな私の隣に移動してきたガイアスはくすくすと笑ったのだった。


 笛の音と同時に、ガイアスと目が合った。

「心配か?」

 ガイアスに聞かれて首を振る。

 試合は進み、今笛の音を合図に始まった試合はレイシスのものだ。相手は、騎士科一年女子のミレイナ・リンデ。

 ミレイナの得物は剣、レイシスは弓。試合開始直後、まずはレイシスが大きく距離をとることに成功している。

「ううん。レイシスは勝つよ」

「だな。……まあ、レイシスの次の相手は同じ騎士科三年だが、そいつも問題ないだろ」

 ガイアスがそういいながら、にやりと笑う。

「俺とフォルが戦うことになったらどうする?」

「……ガイアス」

「全力でやるけどな?」

 にかっと笑うガイアスが、ほらと指差した先で、風と矢の両方が雨のようにミレイナに降り注ぐ。咄嗟に防御盾を作り出したようだが、防ぎきれずに盾が解けて慌てて後退している。

 レイシスは慎重なほうだ。相手の出方を見ていたようだが、今ので即座に一撃で仕留めることに切り替えたのだろう。気づけば風の魔力が彼女をねじ伏せ、剣をとりあげてそのまま操り、切っ先が彼女の喉元を狙っていた。

「ああ、やっぱりレイシスの勝ちか。そろそろ盛り上がりが欲しいところだな」

 ため息交じりの王子の言葉と同時に、会場内にレイシスの勝利を告げる笛の音が鳴り響いた。悔しげにしていた彼女だが、試合終了の礼をとったあとじっとレイシスを見つめ、何か話しかけたようだ。

 会話は聞こえないが、レイシスは一度あわせた目線をすぐに逸らし歩き出してしまっている。それを見たガイアスが、「あー」と眉を寄せて呟いた。

「ガイアス?」

「いや。さて、俺も試合の準備するかな」

「あ、頑張ってねガイアス」

「おう任せろ! アイラも今日もう一試合あるようなら気をつけろよ」

 頷いて、迎えにきたファレンジ先輩と一緒に歩き出すガイアスを見送る。

 太陽はまだ高い位置にある。試合は問題なく順調に進んでいた。今は、まだ。




「試合が順調だし、今日は二回戦が終わったら終了みたいだ」

 おねえさまを迎えに来たかと思われたファレンジ先輩は立ち上がりかけたおねえさまを首を振って止め、トーナメント表を指差す。

 日はまだ落ちてはいない。

「今年はシードを実力で分けて、その上で強い騎士科三年がばらけたからな。勝負がつくのがはやかったか」

「豊作だからこそ時間がかかるかもと懸念したけれど生徒会の読み通りだったみたいだね」

 グラエム先輩含むで会話される先輩たちの会話を聞きながらトーナメント表を見つめる。レイシスの試合の後、順調にシード組に選ばれた人は勝ち進んでいる。

 ピエールも勝利を決めていたし、フォルももちろん二年騎士科には負けなかった。二人ともほぼ能力を見せることなくたった一種類の魔法と剣撃だけで押し切ったのだから、次の戦いも予想がつかない。

 丁度今ポジーくんが勝利したところで、残すところはガイアスの試合のみだ。

「お嬢様、ガイアスの試合が始まりますよ」

 レイシスに声をかけられたと同時に笛の音が鳴り響き、視界の端でガイアスが動い……

「えっ」

「あ」

 レイシスと同時に声をあげる。ガイアスの対戦相手は、三年生の騎士科のはずだったのだけど。

「……こわっ。あーあ、あいつ試合前から完全に負けてたな」

 グラエム先輩の声ではっと我に返る。……驚いた。笛の音が開始の合図なのか終了の合図だったのかわかりゃしない。まだ会場に笛の音が響き渡っている間に、相手の騎士科の生徒の剣が宙を舞い、踏み込んだガイアスの剣が首すれすれで止まっているなんて状況、誰が予想しただろうか。

「いっそ可哀想な気がしてきた。あの子、今年の就職辛そうだな」

 フリップ先輩の感心したような声が内容とあっておらず、呆然としている試合相手が尚更可哀想に見えてしまう。そういえばガイアスは試合前に、あの人に負けたことがないといっていたか。

 恐らく、勝てない相手だと気持ちが負けてしまっていたのだろう。いくら騎士科でも、いや騎士科だからこそ相手の実力と自分の実力を冷静に見極めてしまったか。諦めてしまっていたから足掻けなかったのだろう。だが、三年の、しかも騎士科がそれではかなり彼の今後は厳しそうだ。

 勝負の世界に情けも口出しも意味のないことだが、たった一度も剣を振るうことなく終えてしまっては心残りもあるだろうに。

 だがそんな彼を前にしたガイアスも、遠目に見ても怪訝な表情をしているのがわかる。……これは、勝者にも敗者にも後味の悪い試合のようだ。

 非情にもこれは今日最後の試合となり、夏季大会は三日目を終えたのだ。


「劇的なシナリオなんて欲しいわけじゃないけど、なんかなぁ」

「これが現実ってところだけど、あれは相手が悪いんだから気にしなくていいと思うよ、ガイアス」

 ガイアスが屋敷に戻ってすぐ口を尖らせるのを、フリップ先輩が苦笑して諭している。今日の試合は終わりということでアーチボルド先生に連れられて屋敷に早々に戻ったのだが、全員勝利したのに部屋の空気はどこか暗い。それぞれ確かに試合時間は短かったが、ガイアスの相手が同じ三年生でありながら一瞬だったというのが原因か。いや、ガイアスは何も悪くないのは全員がわかっていることだけど。

 部屋の空気に気づいたガイアスが「悪い」と眉を寄せるのを止めようとしたところで、自室に戻ると言っていた筈のグラエム先輩が部屋に顔を出した。

「ガイアス、お客さん」

「え? 俺ですか?」

 驚いたガイアスが相手を尋ねる前にグラエム先輩はさっさと立ち去っていく。首を捻ったガイアスが玄関に向かおうとすると、小さく「あの」と部屋に顔を覗かせた人物に目を見開く。

「アニー!」

「先輩に案内してもらって……あ、あの。皆さんおめでとうございます。明日の応援にと思って」

 言葉が続くほどに顔が赤く染まっていくアニーを見て、ふとさっきのグラエム先輩の言葉を思い出す。彼女は「ガイアスの」お客さんらしい。

 ……たぶん、アニーのことだから皆にと思っていたのに、ガイアスだって断定されちゃったんだろうな。

 真っ赤になって話すアニーは可愛い。ただ、グラエム先輩も間違ってないだろう。きっと、ガイアスを励ましたかった筈だから。

 ふと見ると、ほほえましそうに見ている人に、にやにやと見ている人も少数。うん。

「アニー、ガイアス、上行こ?」

 ちょいちょいと手招きで呼んで、ぱっと顔を上げたアニーが真っ赤なままで慌てて部屋に向かって「失礼します!」と思いっきり頭を下げて私の後についてくる。限界だったらしい。

「ほらガイアス」

「えっあ、ああ」

 珍しく呆けているガイアスを見上げると、目が合ったガイアスがさらに珍しく、恥ずかしそうに目を逸らした。

 どうする、と聞けば、どうやら二人の間でガイアスの部屋で話すことに決まったらしい。アニーは僅かに慌てていたけど、こっそり「ガイアスをよろしくね」と囁けば顔を真っ赤にして「応援するだけだから」と返された。可愛い。

 二人を見送って、さて、と部屋に入る。アルくんとジェダイの名前を呼べば、二人はすぐに現れた。


「アルくん、どう? 植物の精霊にも手伝ってもらっていたでしょう?」

『もしかしてアイラの魔力わけて貰いに行っちゃった? ごめんね、一人慣れてなかったみたいで。今日不審な人物は見られなかったよ』

 痴漢とか軽い喧嘩とかはあったけど、と話すアルくんとジェダイに頷いて見せながら、私は部屋の窓から随分と日が傾いた空を見上げた。油断するとじわじわと感じるこの不安が、警戒から来る杞憂であるといいなと思いながら。



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