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「アルくん、あまり無理しないで」
少し気になることがあるのだと最近忙しそうにしているアルくんからの報告を聞いていると、危険なことをしているのではないかと不安でついそんなことを言ってしまう。
アルくんからの報告は非常に重要だった。……行方不明で探していた青目の男は、遺体で見つかっている。山賊に襲われたらしいという男のその遺体の特徴から恐らくベリア様を手にかけた男ではないだろうと調査結果をもたらされ、ため息を吐く。
今回もはずれだ。油断ならない、ということか。
「わかった、ありがとう。ただ大会が始まったから油断しないで、常に姿を隠して移動してね?」
『わかってる。怪しいやつを見つけたらジェダイと変わってもらうかもしれないけど大丈夫?』
「大丈夫。ジェダイがグリモワの中にいたら守りの力が私の能力を超えてて武器登録できないかもしれないから、試合中は石に戻らないようにお願いしてるの」
了解、と言って、猫の姿のアルくんがまたぴょんと部屋から飛び出して行くのを、ため息混じりに見送る。
今日から夏の試験、夏季大会が始まる。初日である今日と明日は兵科生徒による予選試合となるが、三日目からは私たちも参加だ。
注目度も高く、一昨年は王子の光魔法に妨害工作があった。今年も気をつけなければ、と窓から空を見上げれば、すっかり夏の空となった雲ひとつない晴れ晴れとした空で、少しだけわくわくした。油断はできないが、今日からはある意味祭りなのだ。
カーネリアンなんか、出店は勝負だってすごい張り切ってたもんなぁ。
さて、とここ数日いろいろ調整しまくったグリモワを腰のホルダーに取り付け、身支度を整える。
グリモワは私の最大の武器だ。表紙と裏表紙に飾られた石には相変わらず私の魔力を注いだ状態で魔力石となっている。この状態で武器登録は可能だが、ジェダイがいつものようにこの石の中にいると恐らく私が注いだ魔力と言うには誤魔化せない程魔力が跳ね上がるので、防御石とみなされ却下されるだろう、ということで夏季大会中は外に出てもらうことにしているのだが、つい癖で石に触れて魔力を調整しようとして、苦笑した。ジェダイはいないのだから必要ない。
そのジェダイは恐らくアルくんにくっついていったのだろう。部屋を見回してみたがいないようだ、と、次はポケットにいれた翡翠の防御石を確認する。相変わらず精霊はいる気配があるが、うんともすんとも言わない。試合中は使うことはできないが、これも一応持って歩いたほうがいいだろう。
さて、行きますか。そう一人意気込んで部屋の扉を開けると、丁度隣の扉も開く。
「お嬢様、おはようございます」
「レイシス。おはよう」
ふわりといつものように微笑んでくれるレイシスに挨拶を返しながら、ほんの少し鼓動を乱した心臓を隠すようにさり気なく胸を手で押さえ、二人で朝食の為に階下へと向かう。
「お嬢様、今年は兵科が六名まで絞られるそうですよ」
「あれ、少ないね?」
「騎士科が多いですからね。三年生が特殊科を除いて十六名、二年生は八名、一年生は十三名はいますから」
「わ、それだけで三日目と四日目の試合があっさり終わる気がしない」
他愛ない話で笑っていると、幼い頃から何も変わらない、と思える。実際はきっと、たくさんのことが変わっているのだろうけれど。その証拠にこの関係は安心できる筈だったのに、今はわずかに緊張もする。……でもとても大切なものだ。
「全部で何人になるのかな」
「三日目以降は……特殊科が七人、騎士科全学年と兵科の勝ち上がりを六名足して、丁度五十名に調整するようですが」
「一年生のときは四十八人だったよね。今年はどうなるかなぁ」
「よっ! おはよう。試合の話しか?」
後ろから駆け寄ってきたのはガイアスだ。三人揃って試合の話をしつつ、いつもの部屋に入る。その瞬間、ぴりぴりとした空気を感じて顔をあげれば、王子が眉根を寄せてこちらを見た。
「お前達聞いたか? 目をつけていた青目の男が遺体で発見された。あの男との関連性はなさそうだ」
「……また手がかり無しかぁ」
「なんかもう、あれもこれも怪しいからむしろ怪しくないところから探して消去法にしたら」
珍しくルセナも口を尖らせ、進まないルブラの調査に不満を訴えている。
まあ今できることは夏の大会に邪魔が入らないようにすることだな、とそんな会話をしつつ、レミリアたち侍女が用意してくれる朝食をちらりと見下ろすと、少し驚いた。
「うわぁ、おいしそうな果物や料理! いつもよりすごい」
「私達からの応援の品という事でお召し上がりくださいませ」
「レミリア、俺たちの試合明後日からだぜ?」
「もちろん、試合終了まで毎日応援致しますわ!」
レミリアも王子の侍女たちも張り切っている。くすくすと笑いながら、それなら、とおねえさまがアドリくんを呼びにいった。せっかくなら美味しいご飯は皆で食べたいものだ。
「グラエム先輩たちは?」
「グラエムはハルバートに今ついてもらっているが、試合中はフリップと組んで特殊科の観覧席の警護に当たってもらうことになっている。ハルバートやファレンジも会場警護だ」
「豪華な警護ですね。でもグラエム先輩は目立つ場所にいて大丈夫ですか?」
「特殊科の観覧席あたりはもともと防御が厚い。うろうろしているより余程安全だろう、閉じ込めておくわけにもいかないしな」
豪華な朝食をしながらも会話はずっと試合の警護の話で、三日目からの自分達の試合の話にはならない。やはり皆警戒しているのだろうが、そもそも何か起こす絶好の機会というものはこちらも相応の厚い警備がある。
ちらりと顔を覗かせたアーチボルド先生が、お前らは最後の大会なんだからそっちに集中しろ、と笑った。
「期待してるぞ。シードの位置は調整されているから、簡単にお前ら同士の戦いにはならないだろうがな。生徒が他のことに気を取られてテストを疎かにさせたりするほど警備は薄くない」
先生はそう言って忙しいのかばたばたと出て行った。ふと顔を見合わせた私達は、少しして一斉に笑い出す。
「そうだな、自分達の試合に集中するか」
と、それぞれ楽しそうに。
「うわあ、今年もやっぱりおいしそうなものがいっぱい!」
「アイラ、お前それ以外ないのか」
王子に突っ込まれつつも、侍女科の案内担当らしい生徒に連れられて特殊科専用の観覧席へとやってくると、なんだか懐かしさに気分が高揚した。見下ろす景色も、教師達の席が近いのも、変わっていない。
違うのは、グラエム先輩とフリップ先輩が既に待機していたことか。この二人は一昨年はここにはいなかった二人である。
フリップ先輩はにこにこと出迎えてくれたが、グラエム先輩は相変わらずそっけない。だが少しそわそわとしているように見えるのは、この会場のせいか。
既に観客席はかなりの人数が埋まっており、生徒専用の席以外にも人々が詰め掛けている。貴族席は今日は狭くその分一般開放しているようだが、三日目になれば恐らく着飾った貴族達が増えることだろう。
ついはしゃいで何を買おうか悩んでいると、こちらに向かってくる人影が見知ったもので驚いて立ち上がる。
「カーネリアン! サシャ!」
「姉上、大声で叫ばなくても聞こえます。先輩方、お疲れ様です」
私に適当な突っ込みをしつつ特殊科の皆にきっちりと腰を折って挨拶したカーネリアンは、サシャと手にしていた食べ物や飲み物を空いた椅子に箱ごと並べ始める。
はて、と見つめていると、カーネリアンは私に向き直り「これで我慢してくださいね姉上」と淡々と告げた。
「……えー! 買いに行っちゃいけないの」
「当たり前です。今年は警戒してください、毒物があったらどうするつもりなんですか。一応、売っているものは毒の検査をしてここに揃えましたから」
「うう、自分で買うのがいいのに」
初日から楽しみの一つが減ってしまいしょんぼりである。
まあ、カーネリアンの言う事はもっともで、さすがというべきか。気づくとグラエム先輩の呆れた表情とこっそり笑っているフォルを見つけてさらに落ち込みつつ、ありがとう、とカーネリアンとサシャにお礼を言う。
一緒に見ようと誘ってみたが、カーネリアンはサシャを連れているし出店や販売員の指示もあるから、と早々に立ち去ってしまった。相変わらず商売に余念がない。
さっくりと開会式を終えると、一昨年と同じく兵科の試合は会場内を半分に分けてさくさくと進んでいく。時間制限があるのも大きいだろうが、滞りなく進む試合を見ているとふと気づく。
「ほんと、今年の一年生なかなか強そうだね」
「ああ、見所があるやつが多いな」
ガイアスも面白そうに会場を見下ろし、わいわいと試合を観戦する。
兵科枠はたった六名。一昨年同様生徒会の司会には熱が入っており、一般の観客席での盛り上がりもすごいものだ。
私たちの席でも、ガイアスやレイシスは面倒見がいいせいか兵科に仲のいい生徒も多いらしく、応援に熱が入っている。ルセナも眠そうだがたまに「あの子の魔法は強い」とか「あの子が勝つと思う」など話していて、楽しそうだ。
「あ、ポジーくんだ。……わ、強い!」
「圧倒的だな、ポジーは勝ち上がってくるんじゃないか?」
王子も感心して頷いている私たちの視線の先で、小さな身体で大剣を構えたポジーくんが一昨年とは比べ物にならない程素早い動きと圧倒的な威力で敵を押し切っていく。
「大剣にこだわっておりましたけれど、きちんと自分のものにしてますわね」
「あ、勝った。あの小さな身体のどこからあの威力を繰り出してるんだろう。……ああ、そういえばグラエム先輩、ポジーと仲がいいんでしたね」
思い出したように顔を上げたフォルがグラエム先輩を見ると、グラエム先輩はふいと顔を逸らしながら「別に」と小さく呟いた。が、その頬は赤く少しばかり興奮しているようで、友人の勝利が嬉しいらしいとわかる。
学園内ではたまに許可を得てこっそり外出していたグラエム先輩だが、ポジーくんと手合わせをしているようだとアーチボルド先生が言っていた気がする。なるほど、ポジーくんのあの強さは本人の努力と先輩の指導の賜物か。さすがである。
こうして初日と二日目の兵科の試合は瞬く間に終了し、結果兵科から選ばれた生徒六名の中にポジーくんの名がしっかりと残っていた。
その、二日目終了の帰り道。
「明日はいよいよ俺たちだなー!」
特殊科の皆と歩いていると、もう少しで屋敷が見える、というところで遠目にも姿勢をきっちりと正した男の姿が見えて、視線を止める。
私たちに気づいたのか、顔をこちらに向けた男性は、早足に近づいてくると、懐かしそうに目を細め笑った。私の少し前を歩いていたフォルが僅かに歩幅を乱したことに気づき、少しだけ緊張が走る。
「お久しぶりです殿下。……アイラさん、久しぶり」
まず王子に挨拶したものの、騎士の服に身を包んだ男性が身体を向けたのは私だった。
「お久しぶりです、カルミア先輩」
本当に久しぶりだ、と少し大人びたように感じる先輩を見上げる。……気まずい。二学年上の騎士科の先輩だった彼は、卒業前に私に告白してくれた男性だ。もちろんお断りしてはいるが、友人でいてほしい、とこうしてたまに顔を見せてくれてはいた。ここ一年ほどは忙しいのか会うことはなかったが、こうしてここにいるのはわざわざ来てくれたということだろう。
「しばらく城門の警備や地方への派遣で学園の警備からは離れていてね、本当に久しぶり。少し見ない間に、また綺麗になったみたいだ」
「うえ!? えっと、ありがとうございます?」
ストレートな褒め言葉にうろたえつつ、手を胸の辺りまで上げて僅かに後退してしまう。褒められたらとりあえず笑顔で挨拶、とはお母様に習った気がする。気がするが、先ほどから視界にちらちらと映るフォルの笑顔が怖い気がしないでもない。怖い!
ついでに言うとガイアスもレイシスも警戒心を隠しもしてない。カルミア先輩は在学中に妙な噂を立てられた原因とも言える人なので、二人の印象はすこぶる良くない。それがわかってて私に挨拶しにくるカルミア先輩はある意味すごい勇気の持ち主である。
「今日も夏の大会でいつも以上に王都が賑やかだから忙しくて、本当に挨拶をしにきただけなんだけど。皆応援しているから頑張って」
そう言って微笑む先輩の瞳を見上げる。微笑んで首を傾げる先輩に、笑みを返す。
「はい、ありがとうございます。先輩もお仕事頑張ってください」
「さて、どう思う?」
カルミア先輩の姿が見えなくなるまで見送り、屋敷に戻ってすぐ。王子に言われて、私はゆっくりと首を振った。
「カルミア先輩も青目は青目ですけど。あんな鮮やかな青だったらきっと……」
「気づいたよな、あの日。俺らが追ってるあの男は、くすんだ色の瞳に見えた。ベリアが青だと言っていたから青目なのだとしても、もっと灰に近い色か暗い青色じゃないか?」
「確かに」
皆が頷きながら、声も違うように思う、とそれぞれ思い出しながら言葉を続けるのは、「知り合いがあの青目の男でなければいい」という思いからかもしれない。
先輩の瞳は、まるで水色の絵の具をそのまま搾り出して落としたかのような鮮やかな薄い青色だ。
ベリア様がいなくなったあの日、私たちの前に現れた男は、近くにいても瞳が「青」であると気づきにくいほど目立たない色だった。雪で明るい上に魔法が飛び交ってはっきりと瞳が見えることもあったが、声もカルミア先輩より低く、もっと暗いものである。
知り合いでなくてよかった、でも犯人はまだみつからない。
「デューク様」
「ん? どうしたアイラ」
「……私達は今外見を頼りにしていますが、瞳の色や声質を変える魔法はありますか」
「……それは医療科であるお前達のほうが詳しいだろう? まあ……禁術を調べておこう」
その可能性があると絶望的だな、そう話す仲間達をぼんやりと見つめて、瞳の色を変える魔法ではなくとも、『瞳の色は変わる』のだけど、という言葉を飲み込み、私はほんの少しだけ首を振る。可能性は高いがいう事はできず、しかし王子はきっとフォルの目のことを知っている。きっと今の言葉を聞き流したりしないだろう。
朝の先生の言葉を思い出す。……明日から私たちの試合だ。集中、しないと。




