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「そうだろうとは思っていたけど」
とはガイアスの言葉である。
少し前にうっかりフォルに抱きとめられた様子を見たガイアスが、「自覚した上でとっくに認めてるとは思わなかった」と私の部屋を訪ねてきて笑っていたのだ。
ガイアスはレイシスについては何も言わなかった。ただ、ゆっくり受け止めればいいんじゃないかと。それで思い知る。やはり私は魔力が不安定になりやすいようだ、と。
そんな中で私が先生に言われたのは、なぜか兵科との模擬試合だった。
「え、私ですか?」
間抜けな声をあげたことを許して欲しい。じりじりと部屋の温度が高く上がってしまった午後、差し込む日差しにすら眉を寄せたくなる屋敷の授業が行われるいつもの部屋で、授業開始直後に先生に名前を呼ばれたのは私一人。
この後兵科と騎士科の人間相手に模擬試合をして欲しい、と。
「ええ? 先生、なんでアイラ?」
きょとんとした表情で先生を見上げたガイアスに、先生は苦笑して頭をがりがりとかいた。
「実は今年の夏の大会はお前らがシードで決定していてな。去年参加してないお前らへの優遇に、一部生徒が不満を訴えた」
「え、それが通っちゃうんですか」
素直すぎる感想を止めもしないガイアスだが、同意見である。
いくら去年出場していなくとも、一昨年の私達の戦績は調べればわかるだろう。こう言ってはなんだか、一回戦敗退はしていないし……指名された私はその時同じ特殊科の中でも最下位ではなかった。
「それがな、医療科から騎士科の授業を受けている二人に不満の声がないわけではなかったんだ、今も」
「いやでも私そもそも、特殊科なのに……」
素直に先生が事情を話すのは、信頼の表れか。わかっていたことであるから別にその点に関しては不満もないが、指名されたのがフォルではなく私。女だからか。それはちょっと、面白くない。
が、先生はわかりやすいため息を吐くと、実は、と語りだす。曰く、今年の一年生が特に威勢がよく、担当教師が若いことで苦労しているらしい。で、アーチボルド先生にその教師がヘルプを出してきた、と。
「どうだアイラ、お前なら生意気な新入生相手に加減して戦うことも簡単だろう」
「簡単ではないような、っていうかそれかなり新入生に対して失礼発言ですね先生……試合は別に構いませんけれど」
別に嫌だと駄々をこねる理由もないが、若干の不満はないわけでもない。
「手加減しませんよ」
女だろうが去年出場していなかろうが医療科であろうが、魔力制御に苦戦していようが。私は腐ってもこの学園で特殊科に選ばれた人間だ。
先生の「してやれよ……」という呆れた声は無視させていただく。私に喧嘩を売ったことを後悔していただこうではないか。うん、悪役っぽいけど。
まあ、私がそういわれるのに心当たりがない事もない。ついさっきそれを知ったばかりではあるが、相手がそう望んでいるのなら手加減せずに臨むべきだろう。正直に言って、腹が立たなかったわけではないから。
「ずるいもの。生まれながらにたまたま魔力が多かった、ただそれだけで魔力制御に長けていて、ようは慣れでしょ? たいした努力もなしに特殊科に選ばれただけじゃないの?」
食堂に程近い中庭の陰で、カーネリアンと待ち合わせしてベルマカロンの今月の売り上げなどの確認書類を受け取っていたときのことだった。
聞こえてきたのは女性の声だ。鋭い声に眉を顰める。「特殊科に」ということは、私たちの中の誰か。今年の一年生に特殊科はいないし、二年生唯一の特殊科は亡くなってしまった。私達の学年はやはり異例であるほど多いようだ。
ちらりと覗きこんで確認した声の主であろう中庭で食事している少女二人は見覚えがない。制服から見て恐らく兵科の一年女子と、騎士科の一年女子か。先ほどの口ぶりからして、なんとなく王子やフォルが対象ではない気がした。それは、当たりで。
「だって、殿下とか貴族のご子息ならわかるのよ。もともと魔力が強い家系の方も多いはずだし、そうでなければむしろ国として不安だもの。でもね、ただの大商人の娘がたまたま魔力があって、その家のお金を使って上手く制御方法を学んできたんじゃない? 恵まれすぎててなんかうざったいし」
「やだ、ミレイナってば。言いすぎじゃない?」
「本当のことでしょう。私達みたいに努力で魔力を伸ばして、増える魔力についていけなくて制御が大変な人の気持ちなんて絶対わかってない。だって見たことある? いつものほほんといい男に囲まれててさ、元平民の癖に美形の護衛までつけて黙って守られてお姫様かっての。それで騎士科の授業にも顔出してるなんて、ただ男漁ってるだけじゃないの」
絶対たいしたことないよ、魔力ばかでかいだけだって。それならきちんと戦いを学んでるあたしだって勝てるはずだよ。
そんな会話が早口でずばずばと語られていく。
あら、これ私の事か。そういえばいつも貴族のお嬢様方や侍女を目指している子たちに悪く言われることはあっても、ここまですぱんと言われた事ってなかったな、と思ってしまったのは、きっと彼女に「遠慮」や「言葉を曖昧に濁すもしくは飾る」という様子がないからか。
貴族のお嬢様たちやそこに仕えるつもりの子たちって、言葉遣いわりと気を使っているからね。こんな砕けた感じ、なんかちょっと懐かしいくらいかも。
とまあそんなことを暢気に考えながら聞いていた私の周囲の温度が冷えたことに気づいた時には、時既に遅し。……そういえばカーネリアンもガイアスもレイシスもここにいるんだった。
「ちょっとみんな、気づかれるから落ち着こうか」
「姉上、また放置するつもりですか。そのような生優しい性格では商人として」
「やっていけなくないから、大丈夫だから。……というかごめんねカーネリアン」
正直姉のこんな噂話なんて聞きたくなかっただろう。まあ、ショックじゃないといえば嘘になるが、ここまで正直だといっそ清清しいと思う。それにほら、なんというかありがちな「悪口」だ。私のことを何も知らず、適当に文句言ってるだけ。そうだと頷けるほど、話されている内容がこう、貴族に比べてトゲがない。
うーん、私的には貴族の悪口のほうが怖く感じるかも。あちらも慣れたといえば慣れたのだけど。
「兵科の方は平民ですね、特にこれと言って有名でもなく名前はわかりません。騎士科のほうは確かミレイナ・リンデ。ルレアス領のリンデ孤児院の出です。一年騎士科の中でも魔力がなかなか高く優秀と言われている女性ですが」
カーネリアンは言葉を切ると、私についてめちゃくちゃ言いまくっていた女性、ミレイナを睨むように見つめる。
ルレアス領の孤児院、か。それなら納得。あの領地の孤児院の子供たちへの教育は行き渡っている。彼女はそこで王都の学園に入学できるレベルと見出してもらえる程努力し、ここまできたのだろう。
恵まれた環境……まあ、確かにそうだ。けれど、私だって努力を惜しんだつもりはない。魔力制御だって生まれながらに多ければ制御が楽なんていうのは、ごく一部だ。魔力が大きければ反して身体が弱い子もいるし、制御するためにひたすら修行を余儀なくされる子もいる。ちなみに私やガイアス、レイシスは後者だ。私は母、双子はゼフェルおじさんがいなければ、幼少期の魔力量としては暴走させれば命だってなかったかもしれないレベルの魔力保有者であるから、毎日の修行量は今振り返ってみるとちょっとありえないかも、と思っている。実際私は幼少期に魔力を暴走させているしまさかのこの歳になっても苦戦している。……環境が良かったのは間違いない、ということだが。
しかし心にどっしりと重く溜まっていくようなこの感情は、なんだろうか。
「アイラが生まれながらに魔力が多いから恵まれてるねぇ。何も知らずによく言えたもんだ。俺たちがどれだけ修行してきたと思ってんだ」
「俺たちは確かに生まれながらに魔力が多めではあったけれど、今ほど力をつけたのは幼少期からの修行の成果ですが」
「私たちもあの子の努力は知らないし、仕方ないわ」
ガイアスが嘲笑し女を睨むのをやんわりと止め、無表情のレイシスにも落ち着いてと声をかける。あの子がどんな努力をしたのか、知らない。血の滲むような努力をしてきたのかもしれない。
……ただ、私は努力することは「苦労すること」ではないように心掛けているので、もし話す機会があっても平行線かもしれない。どうせなら楽しみたい、精一杯生きたいというのは、幼い頃誓った私の最大の願いだ。
「別に放っといていいんじゃないかな。どうせ騎士科ならあの子、夏の大会にも出るだろうし」
「敵を増長させるつもりですか姉上」
「敵って、まぁあの子がもし私に直接言ってくるのならもちろん無視しないけれど」
そんな会話をしたのが昼食前の話なのだが。
気合を入れて、模擬試合を行うという兵科が普段使っている屋外の稽古場に足を踏み入れてみれば、そこに二十名ほど、いやもう少し少ないだろうか。確かに騎士科と兵科が入り乱れて待機していた。
私の登場に、というより、特殊科全員が見学に来た為だろう。場内はざわめき、ほんものだ! なんて声が上がっている。二年と一年の生徒ばかりだ。さすがに夏の大会に一緒に出たことがあるせいか、三年生はいないらしい。
その中に、昼食前に見たあのミレイナという少女の姿も見つけた。まっすぐに向けられる敵意はいっそ清清しい。
「この中で兵科の生徒は」
アーチボルド先生が声をかけると、ばらばらと前に集まったのは数えてみると十六名の生徒だった。ほとんどの生徒が頬を紅潮させ、喜んでいる様子に違和感を覚える。……あれ? なんだか私特に敵対視されていないような……。
その違和感をそのまま尋ねようと見上げた先で先生はにやりと笑うと、その表情のまま私のいるほうを振り向いた。
「アイラ。全員いっぺんに相手しろ」
「へ!」
それはいくらなんでも失礼ではないだろうかと頭に過ぎったが、「ええそんな」と噴出した文句を先生が一喝し止めた。
「貴重な特殊科の授業時間をつぶしてお前らの希望を叶えにきてやったんだ。憧れの対象に直接指導して欲しいだなんて我侭いったのはお前らだろ」
先生があっさりそういうと、ほぼ強引に私を前に立たせ全員に武器を構えさせてしまった。本当に適当だな! 話が違うじゃないか!
けれど、その兵科の後ろにいる騎士科三人は、例の少女も含めて冷ややかな視線でこちらを見ている。……ああ、なるほど。
先生も人が悪い。特殊科は対複数の敵相手の戦闘を想定した授業だってあるというのに。
「……アイラ・ベルティーニ、皆様のお相手を務めさせていただきます」
静かにそう宣言し、先生の開始の声を合図に、私は大きく跳躍したのだった。




