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「アイラ様、でしたかしら。えっと、ベルティーニ子爵家の」

「はい。本日はよろしくお願い致します」

 今日の私は万が一素性が割れれば彼女に付き添った友人という立場で横に並ぶのだ。もっとも、社交目的ではないので自分からあちこちに挨拶に行くつもりはなく、使用人のようにひっそり後ろにつき従うつもりであるが。

 頭を少しだけ下げると、レミリアに選んでもらった藤色のドレスの裾がさらりと揺れる。

 ロングスカートでレースもたっぷりであるこのドレスで、もし戦闘になんてなったら間違いなく戦いづらいな、とは思うが、そもそも護衛と言っても名ばかりで今夜の私の立場は医者としてのものだろう。

 

 一応念のためにいつもより濃い目の化粧とアップにした髪型で別人のようにレミリアに装ってもらったが、今回は小規模のパーティーである上に、学園に在籍している生徒は殆どいないようなものであるとレイシスが既に調べ上げている。

 それでも私のように友人としてその場に参加するものもいるだろうから、初めは「偽名を使いましょうか」と提案したのだが、アネモア様はそのままでいいと笑っていた。

「素敵なドレスとお菓子を生み出すベルティーニ家のご令嬢と友人になれるなんて、素敵です。今日はあなたとも仲良く慣れたら嬉しいわ」

 そう微笑む彼女はやはり貴族の間では珍しいように思う。まあ最近はベルティーニを成り上がりと蔑む発言をする人は大分減ったのだけれど、それでもなんだか嬉しくて自然と笑みが浮かんでしまう。


 移動の馬車に乗り込むと、ふとドレスと同じ藤色の薄手の手袋に包まれた指先が目に入り、ここに来る前のことを思い出す。

 ガイアスとレイシスがとても綺麗だと褒めてくれたこのドレスももちろんベルティーニ製で、母が私の為にと用意したものだ。

 桜色の髪色と同系色でもくどくならない落ち着いた色合いのもので、しっくりと馴染んでいます、とはレミリアの言葉。

 スカートを膨らませたタイプは移動で邪魔になるので、たっぷり布は使っているもののすとんと下まで自然な流れの続くスカートだ。歩くとさらさらと流れ纏わりつくこともなく、くるりと身体を回すとやわらかく広がり、花弁のようだとレミリアが絶賛していた。マーメイドラインのドレスやスリットの入ったものよりは戦いやすいだろうが、とすぐに戦闘態勢をイメージしてしまうのは貴族令嬢として終わっている気がしないでもないが、とスカートのレースを一部つまみ上げる。

 実は、いつもより大人っぽいデザインのドレス、いつもとは違うヘアメイクに少し高いヒールの靴だなんてものに囲まれているせいか落ち着かないことこの上ない。デコルテ部分が結構大きく開いているのもその要因の一つだろうか。一応胸元にはレースがリボンのように飾られて広がっているので、視線は肌よりその部分に行くだろうとおねえさまが言っていたが、そのリボンは私の足りない胸を誤魔化す為の母の微妙な気配りであると気づいているからなんだか素直に可愛いと喜べない。

 ……それに、フォルの反応がいまいちだったというか……綺麗だね、とは言ってくれたのだけど。って駄目だ駄目だ、何期待してるんだろう、私。


「素敵なドレスですわ。そちらもご実家の?」

「はい、我が家のものですね。ただ、着慣れなくて少しだけ落ち着きません」

「ふふっ、医療科の学生さんでしたら普段は制服ですものね。少しだけ羨ましい。私も学園に行ってみたかったんです」

「そうでしたか」

 彼女の基本情報は頭に叩き込んでいる。彼女は生まれたときからどこが悪いというよりは所謂虚弱体質で、少し疲れると貧血を起こしたり免疫が弱く風邪を引いて寝込んでしまうことが多かったらしい。

 魔法はやはり万能ではない。そうした場合は普段の食生活に気をつけるとか、基本的なことしか指導できないのが普通だ。彼女の場合も特に魔力が高すぎるとか低すぎるという事もなく、ただ小さな頃からあまり活発に動けるほうではなかった、と彼女の医師から聞いている。そして最近は特に塞ぎがちだったせいであまり体調はよろしくない、と。

 他に聞いた話といえば……今から向かうハイドラン伯爵家次男と彼女の間に、婚約の話が持ち上がっていたこと、とか。

 彼女は一人娘であるらしく、伯爵家次男であるその幼馴染を家に迎え入れたいと彼女の両親が張り切っていたようなのだが、どうやらお相手の家では長男が一般女性と駆け落ちをしてしまったらしく、唯一跡取りとなった次男に無理矢理侯爵令嬢との婚姻話を持ってきてしまったらしい。

 彼女とその伯爵家の次男がどういった仲であったかまでは、知らない。だが、少なくとも彼女の方は好意を寄せていて、辛い思いをしたのだろう。彼女の医師は、精神的に厳しいものになるであろうパーティーへの参加を渋っていた。


「もう一人の護衛さんは」

 ガタガタと騒がしい馬車内で、彼女の声は聞き逃しそうなほど小さい。だが、その言葉にびくりと反応した私が顔を上げると、彼女はどう感じたのか「大丈夫です」と笑う。

「お姿は拝見できませんでしたが、お名前はきちんと伏せさせていただきます」

「ああ……ご存知でしたか」

「護衛担当の方のお名前は母からこっそり聞いてしまいましたの。ただ、少し驚いてしまいました」

 くすくすと笑う彼女は先ほどより顔色も明るく、まるで悪戯を思いついた子供のように笑う。ジェントリーの名を聞いて驚くのは仕方ないことだな、と考えていると、次の瞬間放たれた言葉は衝撃のものであった。

「随分とあなたが大切なご様子でしたから」

「……えっ」

「ふふ、大丈夫です。こちらも私たちの秘密、かしら。私、あまり外に出ることがなかったので、同性の方と親しくなれるなんて嬉しくて」

「いや、ちょっ……アネモア様、それはきっと見間違いで……!」

「あら、そうなの? でもあなたに声をかけようとしたうちの使用人が……まあこれはいいわね。恋話もしてみたいと思って、楽しみにしていたのですけれど。……ああ、私ちょっと、はしゃぎ過ぎているかしら。つい、こうしていると楽しくて……」

 そう言うアネモア様の表情が一瞬強張る。

「……お話されている方が、楽しい時間になるかもしれませんね。ああ、でしたら最近お気に入りのものなど教えてください。服とか、食べ物とか」

「まあ、それなら断然、ベルマカロンの新作のお菓子ですわ。こう、白くてふわりとした……」

 ぱっと顔を輝かせた彼女と一緒に、あれこれとお菓子の話で盛り上がる。しかしあっという間にガタガタと聞こえていた音が止み、身体が僅かに前に倒れたところで目的の屋敷に到着したのか、馬車の動きが止まったのだった。



 結果から言えば、パーティーの最中の彼女は物凄く強かった。

 親の決めた縁談だろうかと思われた婚約パーティーであったが、私が見る限り主役の両者はとても幸せそうだったのである。

 それを見た彼女はほんの一瞬だけ悲しげに目を潤ませたが、私が声をかける間もなくふわりと笑みを浮かべ、終始笑顔で乗り切ったのである。

「来てくれてありがとうアネモア。身体は大丈夫かい?」

 そう尋ねながら近づいた男は幸せそうで、アネモア様の気持ちに気づいている様子がない。微笑んだままの彼女は、「今日はとても調子がいいんです。お祝いできてよかった」と、こちらが見惚れるような笑みを浮かべていたのだ。

 ドレスに埋もれたその手が僅かに震える程握り締められていたことに気づいた人間は、私以外いなかったのだろう。

 そろそろ戻ります。そう彼女が私に囁いた時、彼女より私の方が浮かべた笑顔が不恰好なものになっていたかもしれない。周囲を見ればもう後は時間のある者同士で宴会をするような状態で、慌ててうなずき会場を出ようとしたところで、背後から「あらアイラ様……?」と声がかけられた。うっ……嫌な予感しかしない。

「なぜあなたがこんなところに」

 扇で口元を隠しながら現れたのは、昼間見た制服姿とは打って変わって着飾ったヴィヴィアンヌ様だった。ぎょっとして立ち止まり、慌てて笑みを貼り付け挨拶をなんとか口にする。

「あなたがパーティーに参加しているというのは珍しいですわね。それもいつもの平民もつけずにいるとは、本当に珍しい。ふふ、背伸びしてお洒落して、やっと立場を理解してあなたに似合いの恋人候補でもお探しにいらしたの?」

 トゲだらけのご挨拶ありがとうございます。と口から出掛かって、本音は口に出すなと心の中で唱えるだけにして笑みを返す。

「まあ。ヴィヴィアンヌ様こそ、ベルティーニの新作のドレスをお召しなのですね、ありがとうございます。とてもお似合いですわ、素敵な殿方は見つかりました?」

「……私はこのパーティーに友人が参加するというので、ご一緒させてもらっただけですわ。あなたと一緒にしないでいただけますかしら?」

「それは申し訳ありませんでした。私と同じ理由でこちらにいらしていたんですね」

「あなた私と会話する気がありますの!?」

 ありません。

 さてどうしたものかと、すぐさま周囲を注意して確認しながら思考を巡らせる。私としては今日は任務できているのだ、早く依頼者を連れて退場したいところである。まったく、厄介なとき現れおって。

「では私はこれで失礼いたしますね」

 こうなりゃさっさと切り上げよう、と儀礼的な挨拶だけ述べて立ち去ろうとしたが、ヴィヴィアンヌ様は事もあろうに一歩前に踏み出しそれを遮ると、私の横にじろじろと無遠慮な視線を投げかけた。

「この方がご友人ですの? 見たことがありませんわね。どちらの方かしら」

 ああ、と頭を抱えたくなる。ヴィヴィアンヌ様は私と同じ子爵家の出だが、根っからの貴族だ。礼儀は心得ているかと思ったが、どうやら身体の弱いアネモア様は普段表舞台に出ていないのだろう。私がいるせいか爵位が上であると結びつけて考える事ができていないらしい。

 名乗るのは、ヴィヴィアンヌ様が先だ。苛立ってそう促そうとしたとき、私の隣の彼女はにこりと可憐な花のような笑みを見せる。

「アネモア・ロッカスと申します。アイラ様は大切なご友人ですの。あなたは、どなた?」

「ロッカス……は、伯爵家!」

 一瞬顔色を変えたヴィヴィアンヌ様は、なぜか私を睨み「紛らわしい!」と言って、アネモア様に「申し訳ありません急用が」と立ち去っていった。挨拶しないのかい……。あ、そういえばロッカス伯爵家って、ハルバート先輩の実家である公爵家と縁あるとこだっけ。

 とにかく私のせいで時間をとられ申し訳ないと謝罪すると、アネモア様は「あの方有名ですのよ、ヴィヴィアンヌ・プロヴェン様、ですよね。少し意地悪してしまいました」と可愛らしく笑みを浮かべた。どう有名なのかは聞くまい、どうせガイアスが今頃チェックしている。そこで漸くほっとしたとき、彼女の後ろに鎧を着込んだ護衛の姿を見つけて血の気が引く。

 ふぉ、フォルいつのまに。もしかして言い合いしてたのまでばっちり聞かれたのだろうか。

 若干貼り付けた笑みが引きつりかけながらも、これ以上知り合いに会ってはたまらないと急いで私達はその場を離れたのだった。



 今度また、ゆっくりご一緒にお茶でも。そんな風にアネモア様が声をかけてくれて、ほっとした気持ちで帰路に着く。既に日は落ち、辺りは薄暗い。

 医者としての知識を使うことも、魔法を使うこともなく平和に任務を終えた。護衛任務、なんて聞いていたから緊張していたはずなのに、一気に力が抜けて思わず息を吐くと、早々に鎧から着替えてしまったフォルが苦笑した。

「疲れた?」

「ううん、何もなくてよかったなって、ついほっとして。フォルこそ慣れない鎧で大変だったでしょう?」

「あれは参るね。自分で防御魔法が使えるなら絶対そっちのほうがいいよ、感覚が鈍るし視界も狭い」

「ああ、そうかも」

 上位の騎士程鎧なんてつけず、魔石と魔力を織り込んだ布の防御服であることのほうが多い。

 ただ、やはり鎧は魔石の魔力の伝導率もよく、防御に自信がなければそちらのほうが防御力が高いのは言うまでもないが、速度重視の戦士には向かないか。

 貴族街を歩いていくと、ふと前方に人の気配を感じる。顔を上げれば思ったとおり、そこにいたのはガイアスだ。

「ガイアスもお疲れさま」

「お疲れ、今日のは随分楽だったな。アイラ、ヒールがいつもよりかなり高いみたいだけど平気か?」

「正直足くたくたかも。念のため変装のつもりでヒールが高いもの選んだのに、結局ヴィヴィアンヌ様にはバレちゃったしなぁ」

 そんなことを言いながら歩いていると、丁度貴族街を抜け大通りに出る道にある階段に差し掛かる。足が痛い。風歩なんて使ったらヒールが折れそう、と考え、それをガイアスに伝えようと後ろを振り返った時。

「あっ」

 ヒールが段差から外れ、ぐらりと身体が傾く。やばいと感じて魔力に頼ろうとした先で、驚いたように目を見開いたフォルが階下に見えた。駄目だ、風の魔法を使ったら巻き込む……!

「わ、おいアイラ!」

「ああっ!」

「わっ」

 三人の悲鳴が重なり、次の瞬間私はフォルの身体に飛び込むようにして倒れこむ。やばいと思ったが、一瞬感じた風が守るように身体を包み、次に衝撃から立ち直って目を開けた時私の目の前にあったのは……フォルの肩だった。

 見た目は細身であるのに、意外とたくましく私より確実に力強い腕が私のすぐ横にあると目に入った瞬間、目の前が真っ赤に、いや真っ白になる。

「いっ……びっくり、した。アイラ大丈夫?」

「おいアイラ、お前お約束なやつだなぁ」

 私は倒れなかった。フォルが私を受け止めてなお、後ろにひっくり返らずに踏みとどまってくれたのだ。つまり私はフォルの腕の中にいるのだと意外と早い段階で気がつくことになり、慌ててその胸に手をついて離れようとした。

「わっ、アイラ危ない後ろ階段だって!」

「え、うあっ!?」

 結局ぐらついた私はフォルにそのまま抱きこまれ、視界に呆れた表情のガイアスが映る。心臓が煩すぎて破裂しそうだ。やばいガイアス助けて、ともがいた時、ガイアスが僅かに目を瞠った。

「……あー、ほらアイラ、手貸せって」

「うん……っ、いっ……」

「え? どこか痛めた? ……足? あ、もしかして靴擦れ?」

 すぐに屈んだフォルが、ドレスで隠れている足首を気にして裾に手を伸ばそうとしたものの、その手を引っ込める。捲る事はさすがに躊躇われたのだろう。

「わ、私大丈夫だから。早く行こう!」

 自分で小声で詠唱し、ドレスの上からさっと回復魔法をかけて立ち上がる。今度はしっかり一歩一歩足を踏みしめ、慎重に。

 しかし上りきったところで、ガイアスが私の顔を覗き込んで僅かに肩が跳ねる。

 私が落ちないようにしっかり腕を掴んでいたガイアスが、小声で確認するように私の耳元で告げた。

「アイラ、いつから」

 と。妙に洞察力がある幼い頃からの護衛に、私は曖昧に笑みを浮かべたのだった。



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