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「え?」

 素っ頓狂な声が出たのは、午前の授業が始まる前の事。

 選択である聖騎士の授業ではなく、医療科での通常授業の日だ。

「ですから。ローザリア様の為に、今日のパートナーを交換しなさい、と言っているのです」

「ええっと」

 ヴィヴィアンヌ様に隣の準備室に引きずられ、私を一人にできないと慌ててついてきたおねえさまと私の前で、唐突にこの台詞。

 なぜ、という言葉は私でもさすがに言わない。今日の授業では二人もしくは三人一組でやりましょう、というものであるから。

 ローザリア様がフォルを好きだから、フォルと組んだ私に代われといっているのだ。そんな、夏の肝試しで「私の友達があの人と組みたがっているから、このくじ変えてくれる!?」みたいなノリで言われても困る。

 第一くじでパートナーが決まったのではないのだけれど。


 今日の授業は、先生が生徒に一箇所だけ危険はない程度の魔力漏れ箇所を作り、その相方に探させ治療させるというシンプルなもの。

 魔力漏れ検査は、私達班のメンバーはお手のもの、だ。

 が、本来魔力漏れ検査というものは難易度が高く、医療科三年でも苦戦を強いられる生徒はいる。今回は生徒によって難易度を変える事で、班は関係なく全員同じ授業をしましょうという事になったのである。

 それぞれの相方は、先生がすべて指定していた。その生徒一人一人の能力に見合った相手だ、ということであり、学年一位、二位を争っている私とフォルは当然のように一緒に組むことになったのである。先生の指定によって、だ。

 能力が拮抗しているラチナおねえさま、アニー、トルド様が三人一組となり、もう一班であるヴィヴィアンヌ様とローザリア様がペア。

 そして彼女は、そのパートナーを変われと私に言っているのだ。つまり私にヴィヴィアンヌ様と組めと。

「……いやいやいや、ヴィヴィアンヌ様。いくらなんでも、先生が決めた相手を変えたら怒られますって」

「だから、先生が魔力漏れを作った後にバレないように入れ替わったらいいではありませんの」

「いやそれ、例えば私が魔力漏れさせられたとして、ヴィヴィアンヌ様もそうだったらどうするんです? 魔力漏れがないもの同士向かい合ったって意味がないでしょう!」

「……あら? そうね」

 きょとん、と目を見開き首をかしげたヴィヴィアンヌ様は、自慢であるらしい波打つ美しい髪を揺らして頬にほっそりとした指先を当て、心底困った様子で悩みだした。なんとも杜撰な計画だったらしい。

 でも、魔力漏れ検査は絶対に譲れませんわ。そうぶつぶつと呟く彼女は長い睫を伏せ、呆気にとられている私とおねえさまの前でああでもないこうでもないと悩んでいる。時折「それなら私がフォルセ様と」なんて呟いているが。お前もか、友情はどこいった。

 先に我にかえったらしいおねえさまが、すっと一歩前に進み出た。

「ヴィヴィアンヌ様。お気持ちはわかりますが、それはさすがに強引すぎますでしょう?」

「なぜですの? 魔力漏れ検査ですのよ? あれ程近しい距離で男女が肌を触れ合わせる直前まで近づくのです。これは是非、婚約者たるべきローザリア様がフォルセ様のお相手を務めることこそ普通でありますでしょう。むしろ、そうでなくては」

「はぁ。貴女ね。これは授業なんですのよ? 個人的な感情云々で勝手に先生の決定を変更してどうするのです、医療の立場に立つものが」

 好みや感情で患者を選ぶな、とでも言いたげなおねえさまの言葉に、うっとヴィヴィアンヌ様がひるみながらも「でも」と繰り返していく。どうやら彼女にとってここは譲れないポイントらしい。

 確かに魔力漏れの検査は距離が近い。手のひらに魔力を集め、相手の身体の魔力の流れにおかしな部分がないか、最新の注意を払いながら全身を巡らせる。正直治療中はそれどころではないが、今回は練習だ。相手が異性であった場合、意識するなというのは学生には難しいことなのかもしれないが。

 それでも魔力漏れ検査というのは、医師として避けては通れない重要な仕事だ。これができなければ意味がないのに、ハードルが高い。だからこそこうして授業ではわざわざ「魔力漏れ」を作るが、言ってみれば「生徒の身体を使った実験」だ。許可されているとはいえ先生もそれなりのリスクを負った中での真面目な授業であるのに、生徒がこれでは意味がないだろう。

「第一、アイラとフォルセのレベルをご存知ではないの? 針で突いた程度の、自然治癒レベルの魔力漏れですら気づく二人ですのよ。そうであるから先生が組ませた二人を離してまでしなければならないことかしら」

「針で……突いた程度……?」

 ぎょっと目を見開いたヴィヴィアンヌ様が、僅かに唇を振るわせた。魔力のぶつかりで起きる魔力漏れは、ぎりぎり視認できるレベルの小さな穴程度なら自然治癒する。が、私とフォルは確かに自然治癒レベルの穴でも感知可能な程には、この医療科に在籍している間に成長できていた。

「貴女はローザリア様もしくは自分をフォルセと組ませることで頭がいっぱいなのでしょうけれど、それってつまり彼の学業の妨げになるとは考えていませんの?」

 いつもよりきつい口調でおねえさまがいつになく責める。少し驚いて顔をあげると、おねえさまはなぜかどこか不安そうな顔をしていた。

 その時、隣の教室ががたがたとざわめく。ちらりと目を向け、教師が来たことに気づいたヴィヴィアンヌ様はぐっと悔しそうに私を睨んだ。

「今回は譲って差し上げます。アイラ・ベルティーニ、絶対にフォルセ様に必要以上に近づかれませんよう!」

 いらいらとした様子を隠す事なくそう告げたヴィヴィアンヌ様が扉を開けようとするのを、慌てて止める。おねえさまばかりに言わせてしまって申し訳ないことをしてしまったが、本来は私に向けられた話だ。

「私、授業中のことでは今後も一切協力はできません! 真剣に授業を受けているんです」

 ちらりと私を見たヴィヴィアンヌ様は、何も言わずに教室へと戻っていってしまったが。

「おねえさますみません。どうにも、貴族のお嬢様たちの言い分にはたまに飲まれます」

「本当にあの気迫はどこから来るんでしょうね」

 授業前からどこか気力をごっそり持っていかれた気分で、私とおねえさまも教室へと急いだのだった。


「じゃあ、私が患者で!」

 公平に、と精霊拳じゃんけんで決めた患者係は、負けた私が引き受けた。どこか困ったように笑うフォルに手を振って、先生に促されて隣室に移る。

 ちなみに順番は難易度が高い順から先生が魔力漏れを作るので、教室内でも私がトップバッターである。

「アイラ君か。よし、飛び切り難しいレベルでやるから、フォルセ君にヒントは与えないように。さ、一度目を閉じて」

 子供のように笑った先生の言う通りに目を閉じると、すぐに「いいですよ」と声をかけられた。触れることなく、何も感じることはなかったが、それで作業を終えたらしい先生がさあ戻りなさいと私を促す。手にしているペンのような道具は、恐らく使用者を限定された今回の授業のための道具か。

「先生、本気できましたね。ヒントも何もまったく感じませんでしたけど」

「ははは、たまには君達どちらかが失敗する、というのも期待しているよ」

 私に悟られることなく魔力漏れを起こしたということは、本当にかなり極少の魔力漏れなのだろう。塞がるのはゆるやかであろうが、制限時間は今から十五分、と言ったところか。

 頭部周辺、そして胸部周辺は魔力が流れる量も道筋も多く、多少大きな魔力漏れですら発見しにくい。逆に手足は大きなものなら探しやすいとも言えるが、流れが速く小さなものを見落としやすい。私とフォルのレベルに合わせたのであれば極少であるだろうから、手足にくるだろうかと思っていたのだがどうだろう。胸部や頭部であったとしたら、先生は鬼畜だ。

 さて、と意気込んでフォルの元に戻ると、椅子に座るように促したフォルが苦笑した。

「ぱっとみじゃわかる大きさじゃないねやっぱり」

「ぱっと見てわかる程の魔力漏れなら放置は命の危険だよ、フォル」

 そんなのはさすがに先生はしないだろうし、そもそもフォル相手じゃ悪すぎる。一瞬で見抜かれることをわざわざやることはないだろう。

 教室内は一瞬トップバッターである私に視線が向けられたが、そもそも魔力漏れの検査に上手くできるか緊張しまくっている様子の生徒達は次々に隣室に消えては戻ってくる生徒達に気をとられ自分の順番を待っているので、視線はすぐに気にならないものとなった。

「さて。ちなみにアイラは見た?」

「ううん。目を閉じてって言われて一瞬で終わってたみたい。まったくわからなかったから、どうだろう、手足かな」

「手足だと小さな漏れを感知するのは難しいだろうね。うーん、アイラが感じ取れないなら制限時間は十五分程度かな」

 そういいながら淡々と手のひらに魔力を集め私に向けたフォルが、するすると真剣な表情で右腕から手を触れさせることなく滑らせていく。

 ふと、確かに距離が近いなといまさらながらに思う。身体に触れる必要はないが、密着している状態に近いか。

 ちらりと横を見れば、隣にいたおねえさま達の組はトルド様が患者役であったらしく、アニーが少し緊張した面持ちで手をすべらせていた。

 ああだから、ヴィヴィアンヌ様はあんなに必死になって交換してほしがっていたのか。わかってはいたのに、いざ目の前で触れることはなくとも真剣な表情で魔力の流れを調べるフォルの長い睫を見ていると、確かに、と思わなくもない。でもこれは、本番と変わらない治療行為だ。


 すっとフォルが動く。真剣な瞳で私ではなく魔力の流れを見ているフォルの指先が、首の上を、顎を、頬を滑っていく。触れられていない、その筈なのに、ふと気づくと握り締めた手のひらが汗ばんだ気がした。

 唐突に銀の瞳を細め手を滑らせたフォルが、私の左目より少し上の辺りでぴたりと唐突に手を止める。

「……みつけた。アイラ、額の左側だ」

「頭部に、あったんだ。先生、本気でやってきたね」

 ふわりと治癒の魔力を感じて苦笑する。所要時間、四分ちょっとか。

 発見しにくい手足も嫌だが、頭部とは。私の魔力量を考えると、鬼畜の所業である。魔力漏れを見つけたと微笑んだフォルにさすがと思わずにはいられない。


 結局クラスの中で一番最初に終わらせてしまった私達は、悔しがった先生が患者交代でフォルにも魔力漏れ箇所を与え私に探し出させるという行動に出たせいで、本来は後日改めてであった筈なのに一組だけ両者とも魔力漏れ探しをすることになった。

 あっさり開始二分でフォルの右側の鎖骨の下辺りで魔力漏れを発見した私に、先生が悔しそうながらもさすがだと涙交じりの笑みを浮かべたのは、きっとまだ私達が聖騎士の授業を選んだことを寂しがっているからであろうか。

 ちなみに右腕から調べた私が右胸の魔力漏れの発見が早かったのはある意味当然で、フォルより早かろうが運が良かっただけとも言える。



「大変でしたわねぇ、フォルもアイラもあんな魔力漏れ検査を短時間でやらされて」

 おねえさま達は三人一組であったが、どうやら少し苦戦したらしい。トルド様の魔力漏れは、後頭部にあったそうだ。

 大丈夫ですよ、と答えながら、二人で準備室で先生に頼まれたガラスの容器を片付けていく。他の生徒達は私達より魔力漏れ量が多いからこそ時間制限も長いが、苦戦している生徒が多いらしい。

「にしても随分大きな器ですね。先生何の薬を作っていたのやら」

「案外解毒の薬かもしれませんわよ?」

「先生も? ……うわぁありえそうですね」

 会話しながらも手を休める事なく容器を片付けていると、おねえさまがガラスのはめられた教室へ続く扉を見て「え」と動きを止める。

「おねえさま?」

 ひょい、とおねえさまの後ろから顔を出した時、そう大きくはない扉にはめ込まれたガラスの向こうに、フォルの背中が見えた。ヴィヴィアンヌ様の横に立ち、椅子に座ったローザリア様のほうに手をむけている姿が。

「なんですの。結局フォルセに手伝いを頼ん、」

 ガチャン、と音を立て、地面にきらきらと輝く光が飛び散っていく。

 目を丸くしたお姉さまが私を振り返り、私の視界が振り向いたおねえさまで閉ざされる。眉を寄せたおねえさまが目の前にいるはずなのに、なぜか私の目に頬を染めたローザリア様の姿が焼きついていた。

「アイラ、あなたやっぱり……」

「……え?」

「今歩かないでくださいね、刺さりますわよ」

「…………え?」

 ふっと足元を風が撫でる。きらきらと輝く石が、私が割ってしまった実験用のガラス容器が、おねえさまの魔力で一箇所に集められていくのを目で追ったとき、輝くその光景に私の脳内に過ぎったのは部屋に飾られた香水瓶だった。


「……あれ?」

 あれは布で覆ってしまっていたはずなのに。いつのまに私はあれを出した? いつ? 今朝も変わらず部屋にあったあの小瓶を思い出して、無意識にあの布を解いてしまっていたのだと気づく。

 私、まさか。


「アイラ、とりあえず落ち着きなさいな」

 おねえさまに背を撫でられながら、顔を上げた先にローザリア様が見えた。慌てて準備室の奥へと後ずさり、味わったことのないような胸の苦しさに呻く。

 唐突に訪れた感覚に思ったより脳内が冷静に判断を下していく。案外、心地よいものではなかった。足元から冷えていく感覚をじわじわと味わう羽目になり、やはり私にはまだはやかったのだと、未熟者であることを心が立証していて。

「……やっちまいました」

「えっ、その感想もどうなのかしら」

 輝く容器の残骸を見つめて、私はその場にがくりと膝をついた。



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