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「いよいよ今日ですわね」

 おねえさまの声が、落ち着いているようでどこか緊張を含んでいる。

 グラエム先輩はそれを聞いても特に気にした様子はなく、朝食の時間は終わったと足早に部屋を後にした。相変わらずつれない。

「もう、そんな時期なんだな」

 そう苦笑しながら会話をつないだのは、多忙を極めているフリップ先輩だった。

 伯爵家嫡男、未来の王太子妃の実兄である彼は、王子の傍でもなにやらいろいろと仕事しているらしい。報告会を開く朝食の席にもめったに顔を見せない程忙しい様子だったのだが、今日は都合がついたようだ。


 今日私達二年生は、三学年でより専門的な知識を学ぶ授業を選択する為に、それぞれ希望を学園に提出することになっていた。

 私とフォル、おねえさまは今のところ思うところはあれど医師希望。

 アニーは少し悩んでいるようだったが、一応医師を希望するようだ。トルド様は薬師。つまり、毎日ではないにしても専門授業を受ける日は班の皆がばらばらになるのだ。

 三年生か、と少し物思いに耽る。もう、卒業を考える頃になるんだな。ハルバート先輩やファレンジ先輩、フリップ先輩にグラエム先輩だって卒業だ。

 変わる、というのは楽しみもある反面、怖さもある。新しい環境というのはやはり緊張するもので、そしてその準備である今日を迎える日を私は恐れていたように思う。

 医師を選ぶのは迷いない筈だ。だが、学園を卒業したあとの道を周りの圧力によって指定されてしまう恐怖がある。専属医になりたくはない。だが、学園にいるうちからそれを主張するのは得策ではなかった。まだまだ、医療制度の改善なんて見込めないのだから。これは仕方ないことだろうが……。

「アイラ」

 ふと王子に名前を呼ばれて顔を上げると、王子はどこか落ち着かない様子で扉を見ていた。

「アイラ、フォル。お前らは今日……」

「おい!」

 王子が何か言いかけた瞬間、ばたんと慌しく扉が開かれた。

 ぎょっとして驚いて出入り口に視線を向けると、息を切らしたアーチボルド先生が何かの書類を手に私たちのそばに駆け寄ってくる。

「間に合ったか」

 ほっとした様子を見せたのは、王子とおねえさまだった。きょとんとした表情でそれを見た残りのメンバーは、いったい何事かと先生を見る。

「アイラとフォルセ。それにレイシスとルセナだな」

 名前を呼ばれて首を傾げる。なんだろう、と先生を見つめると、先生は持って来ていた書類を机に乱暴に広げ、一度呼吸を整えた。

「実は今年から、しばらく学園では指導者が不在だった聖騎士の授業を開始できることになった。教師は現役の聖騎士に一番近いと言われている第一騎士団隊長のフェルナンド・カーディだ」

「えっ」

 この国では知らない人がいないのでは、という程有名な人物の名前があがり、思わず私だけではなくガイアス達まで資料が広げられたテーブルに身を乗り出した。

 いつだったか王子も話していたが、聖騎士は主に回復や防御を得意とする戦士である。要人警護、特にこの場合で言えば王族の警護を主としている、近衛寄りの騎士だ。

 聖騎士、はその立場の難しさ、そして人材確保の厳しさから、最近では名前はあれど確定した称号ではない。それでもこの資料に書かれたフェルナンドと呼ばれる騎士隊長は、聖騎士、と影で呼ばれる人物だ。

 優れた騎士が、完全に聖騎士という立場に収まるのは難しい。大抵の場合兼任だ。何せ、聖騎士は回復と防御だけしとけばいいじゃないかと他の騎士の反発にあう。なんといっても、近衛寄りといえど指示があれば戦場の最前線ですら活躍できるのが聖騎士だ。大抵の場合聖騎士に選ばれる者というのは魔力量が多く、魔力の扱いに優れていて攻撃面を切り捨てるのは惜しい人物が多いのだから。

 さらに、医師よりも確実に早く有事の際は要人の体調管理や怪我の治療に当たることになる聖騎士に求められるものは多い。現時点でも、確かある程度は学んでいてもフェルナンド隊長も医師ではなかった筈である。

 つまり。今王室近くの人間に、古来からの意味での聖騎士はいない。


 そして今私たちの名前が呼ばれ、この資料を見せられた意味。

 名前を呼ばれたメンバーは、私、フォル、レイシス、ルセナ。レイシスとルセナはそもそもいつだったかの会話で、聖騎士方面のことを学びたい、と言っていた。それはつまり、騎士科でも近衛寄りの授業を選択をする、という意味だと思っていたのだが、もし聖騎士と呼ばれる隊長から学ぶ機会があるとすれば二人はきっと喜んで選択するはず。

 そこで残る私とフォル。私達は医師志望で、しかし特殊科に在籍している私達は騎士科の成績優秀者にも勝負においてその勝利をあっさり譲るつもりはない、ある意味貪欲な状態で授業を受けている。

 まさか。

「先生、これって……」

「強制ではない。これを選ぶことで目指す医師と道を違えることになるなら、そのまま専属医を今は目指せ。ただ、聖騎士を選んだ場合は全面的に学園で医師の知識も支援する予定だ。とりあえず資料を見てみてくれ」

 渡された紙をフォルと一緒に受け取り、その文字を追う。

 どうやら、医師としての授業を受ける傍ら軽く騎士道、そして防御魔法を学ぶことになるようだ。攻撃魔法などにおいては特殊科にいれば問題ないと手をつけないことになるらしい。

 メインは医学。それ以外のことを学ぶために省くことになるのが、所謂「最新医療研究」に当たる部分。つまり、新種の病の研究や治療法確立などの、研究部分を省くことになるようである。

 医師としての知識を得る時間を他にとられることに変わりはないが、正直言って私にはあまりにも理想的な話だった。あまりにも理想的すぎて、むしろご都合主義な展開に何か裏があるのではと困惑する。

 ……そして気づいた。裏ではなく、私にこれ程適した環境が急に目の前に用意されたかのように見えたこれは、「私の夢を深く知っている誰かが準備した」ものであることを。


「……デューク様」

「約束したからな」

 お前は十分上を目指してくれている。だから、と王子はいつも通り不敵な笑みを浮かべる。

「専属医になれば、お前たちの能力じゃ逃げられない。断れば潰されてしまう。前にも言っただろう。まあ、変えると約束しておきながら一時凌ぎ的な案であることは悪いとは思う。それに、これでももう少し早く結果が出せるようにとかなり以前から動いていたんだが、本当にぎりぎりになってすまなかった。今日アーチボルドが間に合わなければ、お前達を強制的に授業を休ませて時間稼ぎしようかと思ったくらい焦った。かっこ悪いな」

 笑いながら話す王子は、確かに先生が来る前何か言いかけていたが。その言葉があまりにも軽く話されるものだから、つい笑ってしまった。

「ありがとうございます」

「まあ、資料をよく読みこんで考えてくれ、といっても時間はあまりないが。一応、騎士科の分類の授業になるからな。医療科との掛け持ちはかなり苦しい筈だ」

「おねえさまは……」

「私は、そもそも医療を学びたいだけでしたから」

 女騎士もかっこいいかもしれませんけれど、とおねえさまは笑う。そうか、きっとおねえさまは、事前に王子に相談されていたのかもしれない。

「まあ、フォルはそれで大丈夫だな?」

「当たり前だよ。むしろ前に話した夢物語を叶えてくれてありがとうデューク」

「……ということだ。親友の頼みでもあったんでな。アイラは気負わず好きに道を選べ」

「私は……」

 そんなの、決まっていた。医療はしっかり学ばせてくれる、と言っているのだ。それに追加で騎士の授業がちょっと入るくらい、特殊科の授業内容が増えたと考えればいい。

 今思うほど簡単なことではないのかもしれないし、かなり無謀な選択かもしれない。それでも目の前に提示された条件は、蹴ることができないくらい魅力的だ。

「デューク様、決めました。ありがとうございます!」

 そうか、とだけ笑う王子に笑みを返し、私は手元の書類をぎゅっと握り締めたのだった。



「レイシスとルセナは、回復魔法を中心に騎士の治療班レベルまで医療知識を学ぶ、か」

 校舎へ向かって歩きながら、聖騎士の授業選択を提示された四人で渡された資料を眺めながら会話する。

 どうやら、少人数であるからこそ私達四人にそれぞれの学習方法を合わせて用意してくれていたようだ。なるほど確かに、かなり以前から綿密に計画を進めていた案件だったのだろう。

 私とフォルは医療面、回復に関して学年で一、二を争う知識と技術があると自負している。が、その代わり騎士の分野は、特殊科で学んだ戦術程度の知識しかない。

 対しレイシスとルセナは、騎士としてはトップクラスである上に防御、護衛に長けているが、治療面が弱く医学知識は騎士科で学ぶ軽い知識のみだ。

 双方の足りない部分を補う形で行う予定らしい授業は、確かに少人数でなければ厳しいだろう。何しろ教師は忙しすぎるであろう第一騎士団隊長である。会ったことはないが、すごい優秀な人物であるというのは王都の人間なら一般の人でも聞いた事がある筈だ。

「まさか、お嬢様と騎士科の授業を学ぶとは思いませんでした」

「うん、かなりびっくりした」

 王子の話では、生徒同士お互いがお互いに教えあう形で、教師であるフェルナンド隊長に指導を受ける時間は追々様子を見ながら増減することになるだろう、ということだった。

 こうして急に差し出された王子の案を受け入れた私はその通り学園に希望を提出し、その日の午後「やっぱりそちらを選んでしまったんだね」と医療科の教師に泣かれる事になった。どうやら最近先生が熱心だったのは、私が専属医を蹴る話というよりは騎士科に取られることを懸念していたせいだったようだ。



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