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「つまり……どういうことなんだろうな」
アルくんの話を聞き終えたガイアスは、とりあえずサフィルにいさまであるという断定をやめたようだ。
レイシスも何か難しい顔をしているが、ここに答えを持つものはいないだろう。
「えっと。とりあえず、その」
しんと静まった部屋で、なんだか落ち着かなくて口を開く。が、私も考えがまとまっているわけではないから、夏に感じた違和感だけでもなんとか言葉にする。
「アルくんが植物の精霊であるのは、能力でもわかってるの。けどその……もしかして、魔石の精霊でもある、可能性は?」
重複する、かどうかはわからないが、魔石の精霊であるとわかっているジェダイは元の地属性の魔法を好んでいる。そう、地属性が使えるのだ。つまりそれは、アルくんにも当てはまるのではないだろうか。
テーブルの上に、肌身離さず持ち歩いている桜の石を取り出してのせ、必死に言葉をつなぐ。それは直接はサフィルにいさまとアルくんの繋がりとは関係のない話だった。だが、アルくんは自分が植物の精霊としては異質である、と言っていた。何かヒントにならないだろうか。それをなんとか説明すると、レイシスがふと顔を上げた。
「その石を用意したのは兄です。アル、兄の魔力を取り込んでいた記憶などはないのか?」
『僕がはっきりとサフィル・デラクエルを認識したのは学園に来てからだ。あの誘拐のときに記憶が混濁したが、それ以前はわからない』
「そう、かー」
ぐいんと身体を椅子の背もたれに仰向けに倒し、ガイアスが大きく息を吐いた。うんうん、と頷く彼から、少し無理をした明るい声が届く。
「わかった。アルは、アルなんだな。なぁ、精霊はもしかしたら魔力で生み出されるのかもな。もしかしたら、兄貴の魔力が主成分だったりして」
『わからない。それは、否定する要素がない、という意味ではありえるとは思うけれど』
話し終えたアルくんが思いのほかすっきりとした表情で会話しているのを見てほっとする。
そうか。サフィルにいさまの魔力……ガイアスの考えは救われる気がした。
もし、私の石に願う魔力が強すぎてサフィルにいさまを留めてしまったのなら。それはとても、きつい。私はきっと今まで、それを危惧していた筈だった。
だがどちらにしても、アルくんが悩んでいるのは確かだ。転生とは、そういうものなのかもしれない。過去の記憶のせいで自分になりきれない。……私は幸運なのだろうか。
こうして考えてみると、私は自分が転生者であると知っていながらあまりそれを苦に思ったことがない。
……世界が違う、から? どうしてだろう。
うんうんと唸ってみても、そもそも私はこの事を誰かに言った事なんてなくて、結局自分で消化するしかないのだ。別世界なんて信じてもらいにくい話をわざわざしようとも思わないし、そもそも私はそのことをあまり気にしていない。
今は、サフィルにいさまはもういない。それが事実としてわかって、それを飲み込めればそれでいい。そう、飲み込めれば。
少し乱暴にカップを煽った私はそれをなんとか飲み下し、よし、と心の中で意気込む。
「どうしてアルくんは初めから桜の精霊となっていたのかはわからないけれど……アルくん、自分が魔石の精霊である可能性は、否定しないんだよね?」
その言葉に、アルくんが少し悩んで頷いて見せた。
『ジェダイが見えるから。でも、他の魔石の精霊とやらは見えないな。アイラが例の先生から貰ったっていう防御石に魔石の精霊を感じたみたいだけど、僕も姿は見えないから。精霊は、同じ精霊相手でも意図的に姿を隠す事もあるし』
「うん、そうみたいだねぇ。まあ、魔石の精霊だったとしても、情報が少なすぎてだからどうした状態なんだけど」
「確かにそうですね。エルフィに関しての記述が少ないのはわかりますが、魔石に関しては精霊がいたことすら未知の話だ」
日頃本をよく読んでいるレイシスが言うのだから、やはりそうなのだろう。私もいろいろ調べては見たが、魔石の精霊の話なんてほとんど触れているものはなかった。あったのは、「こんな精霊がいるのかもしれない」という仮定で書かれた本ばかりだ。大雑把に言えば、りんごにはりんごの精霊、みかんにはみかんの精霊がいるという、ある意味際限のない話だった。
一瞬沈黙が降りた、が、すぐに頼りなげな声でアルくんが「あの」と小さく声を出す。
『ごめん』
「……何に対して?」
じっと、アルくんを見つめる目を細めてガイアスが問う。戸惑ったような表情を浮かべたアルくんに、ガイアスが笑った。
きっと。兄でなくて、ごめん、という言葉だったのだ。
「アルはアルなんだろ? 何も謝る必要ない。これからもよろしくな? お前には感謝してるんだ。俺達だけではどうにもならなかっただろう時も、アルがいたからアイラを守れた。な、レイシス」
「ああ。アル、そんな顔するな」
言葉少なに、ではあるが、レイシスもガイアスの言葉に同意した。私も、と頷く。声は、出なかった。
「とりあえず、今日はもう休むか。おい、アル。たまには男同士で話そうぜ? お前がこうしてアイラ以外を相手に話してくれるのは珍しいし、いろいろさ」
がたりと音を立てて椅子から立ち上がったガイアスが、アルくんを呼ぶ。
一度躊躇うように視線を泳がせたアルくんだが、ふわりと羽を揺らし一瞬で猫の姿に戻ると、大人しくガイアスの腕に飛びついた。
「レイシス、お前も今日は来いよ、布団持って」
「俺が床か?」
「当然」
「え、ガイアス、レイシス、アルくん」
「アイラは、まだやること残ってただろ? ただし無理はすんなよ」
ガイアスが指差すのは、机に積み上げられたカレー専門店立ち上げの書類だ。お父様が乗り気で協力し始めてくれたので、急速に進んでいる。お父様のお墨付きを貰った以上自信があるし、私だってやる気だ。
どうやら、今回のルブラ一掃作戦(勝手に命名)で怪しいと名前が挙がったいくつかの領地が、既に隠していたのに掘り起こされた罪で領土を減らされるなどの罰が決定しているらしい。その一部を父が商売仲間達と協力して美味しく頂こうとしているそうだ。その土地の中に、カレーの材料でもっとも手に入りにくい材料を育てるのに良い地を見つけたのである。
父の手紙の文字には力が入っていた。あれには獲物を見つけた商売人の気配を感じた。
「わかった。皆、また明日の朝にね」
「おう」
「お嬢様、お休みなさいませ」
軽く手を振るガイアスと、しっかり腰を折って頭を下げて出て行くレイシス。そしてガイアスに抱かれたまま、尻尾をゆらゆらと揺らして出ていったアルくん。
一人になって書類に機械的な動きで向かいながら、考える。
きっと、気を使わせた。
机の上に置いたグリモワの魔石にちょこんと座ったジェダイが、心配そうにこちらを見上げる。
『だいじょうぶ?』
「だいじょうぶだよ」
答えながら書類に目を通し、サインの必要なものにさらさらと名前を書き付けていく。
気づけばあっというまに今日の分の書類の処理を終えてしまっていて、次の書類を掴もうとした手が机の上を滑る。
ぼんやりと一度手を見つめて、シャワーを浴びるために立ち上がった。
毎日の作業は、何も考えずとも身体が勝手に動く。ぼんやりとしたままシャワーを終えた私は、どさりとベッドに身体を投げ出した。
今日だけ、だから。
「サフィルにいさまは、もういない」
しっかりと口に出し、その言葉の意味を飲み込んでいく。
そんなのわかっていたことだとか、別ににいさまが生き返ることを望んでいたわけではないとか、でも寂しい、とか相反することをいくつも思い浮かべる。浮かぶ感情すべてを把握する為に。
落胆ではない筈。私はアルくんがアルくんで喜んでいる部分も確かにある。こんなの理不尽だ。自分が何を望んでいたのか、何を期待していたのか、何を否定したかったのかは何もわからない。ただただ感情を持て余し、天井を見上げる。
すっと意識が遠のき始めた時、やがて心のどこかから「よかった」という思いが強く浮かび始めた。
『僕は僕だ』
そう呟いていたアルくんは、今を生きようとしていた。私と同じように。きっとアルくんはそれでいいと言っているのだ。
よかった、
「サフィルにいさま」
何よりも私が一番わかっている筈だった。今を生きる意味を。
「おはようございます」
目が覚めるとやたらとすっきりしていて、下に下りてすぐに出会った王子に思っていた以上に明るい声で挨拶の言葉をかけることができた。
王子は一瞬目を見開いたが、じっと私を見た後にふわりとやわらかく笑みを浮かべる。
「……デューク様、いつもそうやって笑っていればいいのに」
「は? 起き抜けから失礼なやつだな……まぁ、今日くらいいいか」
「今日以降もぜひ」
「ラチナの特権だ」
「げ、朝からどうどうと惚気られた」
まさかの王子の爽やかな笑みを受け、思わず一歩後ろに下がった私の背に何かが触れた、と思ったら、すっと前に腕が回る。
「わっ!」
「ならアイラは僕とお話しようか、デュークの前で」
「フォル! びっくりしたおはよう、そして離れて」
「……俺が悪かった」
フォルの笑みに盛大に眉を顰めた王子がため息を吐き両手を挙げ、次の瞬間「あ」と目を見開いたかと思うと、フォルの腕が驚く速さで離れていく。
「フォル、覚悟はいいな」
「レイシス、はやいね、おはよう」
いつの間にかフォルは、かなり離れた位置にいた。私のそばにはいつものようにレイシスが控えている。……レイシス本気だったな。フォル、やっぱ相当強いよな、うん。
「なんですの? 朝から騒がしい。あ、アイラ。おはよう」
「おねーちゃんおはよう」
バトルを繰り広げ始めたフォルとレイシスを盛大に無視して、おねえさまとルセナもやってきた。あれ、グラエム先輩はまた迎えに行かないといけないパターン? いい加減自分から来てくれればいいのに。
そして部屋に、「おー朝からやってるなー」と笑い声を上げながらガイアスがやってきた。その腕に、つややかな金の毛を揺らした猫を見つけて、私の心が温かくなっていく。
「アルくん、おはよう!」
いつもと同じ、そしていつもとは違う朝。今日はきっと、特別な日だ。




