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メシュケット国最大にして最も優秀な人物を排出しているとされる王都に居を構えるクラストラ学園。
学園が有する様々な施設、文献から最新の図書、そして生徒を守る防御石も他の追随を許さないものではあるが、人材は生徒だけではなく当然ながら教師たちもそれはそれは優秀で、教師としてだけではなく国に貢献し一目を置かれている存在も多い。
選ばれた生徒が所属する特殊科にいながらも、主たる所属は医療科に属している私、アイラ・ベルティーニの目下のところの悩みは、ついさっき王子に指摘された点だけではない。
「であるからね、専属医の仕事というものはとても有意義だと思う。それが城仕えとなれば尚更だとは思わないかい、アイラ君」
「はぁ……」
目の前で熱心に拳を作り熱弁しているのは私達医療科の教師である。場所はいつもの屋敷のあの部屋だ。なぜ先生がここにいるのかと言うと、昼食が終わったと同時に押し掛けて……いや、進路についての説明をしに来てくださいました。
先生、別に生徒の一人ひとりに説明の機会を設けてるわけじゃないよね、絶対違うよね。まあ、授業終わってすぐ先生が他の生徒に囲まれているうちにアニーの送迎と称してさっさと帰ったのは悪かったけどさぁ……屋敷に来るとは思わなかった。
いくら特殊科専用の屋敷といえど客人は招く。しかも正当な理由……かどうかは置いといて、先生だし。顔が真っ赤で息荒く医師について語ってはいるが決して不審者ではない。
ちなみに部屋には、先生がいて構わないと言っていたので普通に騎士科組もいる。あまりの先生の熱弁に四人はドン引……見守る態勢で少し離れてはいるが。
先生がやっと一息ついたのか、レミリアが出してくれたお茶を漸く口にし、というかがぶがぶと飲みだした。そりゃ喉も渇くだろう。
……まあ、先生がここで熱弁した理由は私達医療科組三人、というよりは主に私のせいだ。話を振られる確率が圧倒的に高かった私は、既に気のない返事だけで疲労困憊である。
どうやら先生、私の伯父の話をどこからか聞きつけてきたようだ。専属医を蹴り、民衆の為に旅して回っているクレイ伯父さま。うん、私が同じ道を歩む可能性に気づいて心配しているらしい。
伯父さまが専属医を蹴った医師だということは別に隠しているわけではないが、お母様の兄であるクレイ伯父さまとは姓が違うのであまり気づかれてはいないようだ。だが、知る人ぞ知る名医として名高い医師と私の繋がりに、医療界の重鎮である先生は気づいたらしい。
先生の目的は明らかだ。卒業後の自身の弟子を恐らく欲しがっている。そしてそれは、フォルとおねえさまではなり得ない。フォルは次期公爵で王子のそばに仕えるのがある意味わかりきっている立場であるし、おねえさまの事も教師としての立場から薄々感づいているのだろう。未来の王妃が弟子にはならないと。
残るは先生が優秀だと組ませた班の中で言うならば、私、アニー、トルド様の三人。しかしトルド様は城に仕える薬師となる、と強く先生にも宣言している。残るはアニーと私だけで、先生が必死になるのも無理はない。
この先生、決して悪い先生ではないし生徒にも好かれており、私達班のメンバーに関しては信頼してかなりのことをやらせてもらえていることもあって、私も嫌いではない。憎めないおじいちゃんだ。
三年生を目前に控えている二年生の私達は今、医療科だけではなく全科において進級後の授業について選択の時期となった。先生が急に生徒の進路について熱心になったのはこのせいだ。明日から、希望進路先を学園に伝える事となっている。
医療科でも、医師を目指すもの、薬師を目指すもの、徹底的に看護を学びたい者などその道は様々で、侍女科も上の立場である女官科への移籍を求める者もいるし、城の侍女となりたい者と貴族の侍女とでは専門的に習うものが少し違うらしくこの時期はどの科も二年生は少し慌しい。
騎士科も、近衛騎士、魔法騎士、それとも城を出て高位貴族の専属騎士となりたいのかなど細かい希望が聞かれているようで、ガイアス達も悩んで……いるかと思いきや、うちの騎士科組はそうでもないようだ。
ガイアス曰く、「選択授業で悩んでるのは就職先が決まってない奴。俺とレイシスは決まっているから、学びたい授業を学ぶだけ」らしい。な、なるほど、そういえば二人とも既にうちの使用人だった。そしてそれはもちろん就職先どころか次期王である王子も例外ではなくて、ルセナもにこにこしているところを見ると決まっているらしい。
「それでアイラ君、わかってくれたかね」
「……はぁ……まあ、明日以降にきちんと選択して学園にお伝えしますから」
「……そうか」
みるみるうちにしょんぼりとしていった先生を見て、申し訳なく思う。別に、先生の誘いを断ろうとしているわけではない。以前フォルにもきちんと相談して、学生でいるうちはせめて専属医として学ぼう、という事に気持ちは落ち着いている。私が医師への道を目指し授業を選択すれば、入学当初目指した道の通り専属医の知識も学べるはずだ。
ただこうして現時点の返事が曖昧なのは、少し前からアーチボルド先生が、私達特殊科に「いいか、絶対に選択授業をどれにするか確定するような言動をするな」としつこいくらいに言い聞かせてきた結果だ。
なんかよくわからないけど、明言は避けておこう、となんとなくこんな返事になるわけである。ごめんなさい、先生。
まあそのせいで、ほぼ毎日こうして先生から熱烈アピールを受け、結果今日はここまでやってきたのであるが、私のいつも通りの返事を聞いた先生は心なしかよろよろと「いい返事を期待しているよ」と立ち去っていった。
「毎日ああなのか、すごいな」
王子がなにやら感心したように頷いている。どっちに感心してるんだろう……。
「いい先生だけど、先生の弟子は勘弁して欲しいんだよなぁ」
「そうなの?」
きょとん、と首を傾げたルセナが私を見上げる。うんうん、と頷きながら、ため息を吐いた。
「だって、私城に篭って新しい治療法の研究とかしたいわけじゃないから」
もちろんそれがとても重要な仕事であるのはわかっているし、馬鹿にしてるわけでは決してない。
だが、私はそもそも専属医になるつもりがない。あくまで学生のうちはそうしようと決めただけだ。私は、目の前で困っている人がいたらその身分で優劣をつけずに治療をしたいのだから。
だから、どちらかと言えば最新の治療法を勉強しつつ、現場で働きたい。伯父さまみたいに旅をしたいというわけではないが、少なくとも城に引きこもって研究というのは少し希望するものとは違うのである。問題は、医師の授業を選択するとなし崩し的に将来を押し付けられる未来が見える事か。そこだけは細心の注意を払って言動に気をつけなければならないだろうと思うと、若干面倒である。
ふむ、とうなずいて見せた王子が、小さく「間に合うといいが」と呟いた。何が、と問おうとしたところで、ばたんと扉が開かれる。
「お前ら、悪い、午後自習にしてくれ。ガイアス、いつもの部屋押さえといたから、皆連れて一昨日勉強した特殊防御壁の練習をさせておいてくれ」
「了解です」
慌しく飛び込んできた先生はそれだけ言うと、机から書類を鞄に詰め込んで再びばたばたと出て行った。先生、忙しそうだなぁ。
「じゃ、行きますか」
ガイアスに促されて、私達は魔法練習の為に騎士科の稽古場へと向かったのだった。
「それで、アイラは授業中何を気にしていたの?」
にこにこと微笑んだまま私にそう尋ねてきたフォルを稽古場に座り込んだ状態から見上げて、えっと、と言葉をつなぐ。
あんなに新しい魔法の練習をして、結構皆くたくただと思うのだけど。見上げる微笑に疲れは見えず、穏やかなままだ。……実はフォルってかなり強いよね。ガイアスやレイシスがいるから戦闘中はそれとわからないけれど、フォルって勇者タイプではない筈なのにチート並の強さを持ってそうなキャラだ。
フォルのレベルとMPいくつだろう。そう考えてしまった私に非はない筈である。
なんて、呆然と考えていたらいつもの如くフォルに顔を覗き込まれた。
「そんなに見つめられると照れちゃうんだけど、アイラどうしたの?」
まったく照れていないだろう表情と声、それはもう楽しげなフォルの銀の瞳が近くて思わずひゃっと間抜けな声が口から漏れる。と、途端にびしりと前に何かが下りてきた。て、手のひら。
「フォル」
「レイシス。まだ何もしてない」
「まだとはなんだ、させるかジャク」
にこにことしたフォルと、無表情のレイシスがテンポ良く、そしてスパスパと切れそうな会話を目の前で繰り広げた。じゃ、ジャク? 綺麗な姿と魔力で獲物を引きつけて喰らうと物語で語られる魔物じゃないか……。
さすがにそれは駄目だろう、とレイシスに注意を促そうとしたが、いい笑顔でフォルは「言ってくれるね、ヌゥ」と言葉を返していた。ヌゥ。無害なふりをして人に懐き、気を許したところで喰らう御伽噺の魔物である。どっちもどっちか!
というか、こんな会話でいいのか。なんか、気まずい。状況的にこの場合、この例えの魔物の獲物って、私ですか……? 私のせいか、そうなのか? えええ、不可抗力じゃね? 違う? はいすみません。
なんだこの、乙女ゲームや少女漫画にありそうな展開。間に立たされるとこれほど嬉しくないものなのか!
「あの、二人とも、その……」
困って声をかけようとした矢先、急にフォルとレイシスはふはっと息を漏らしてすぐに笑い出した。
「アイラ、そんな怖がらなくていいよ」
「お嬢様、別に、喧嘩しているわけではありません」
くすくす、くすくすと堪えきれないように笑う二人を見て、なんだがどっと疲れが押し寄せてきた。なんなんだ。
「そうそうアイラ。それで、気にしていたのはアレス家の事かな?」
笑いをなんとか収めたフォルがそう言って私を見つめ、目を丸くする。
「フォル、気づいてたの?」
「アレス……? ああ、そういえば医療科に一人、リドットの縁戚がいましたか」
すぐに状況を理解したらしいレイシスが、眉を下げて私を見つめる。口を開いた彼が何を言おうとしているのかわかって、慌てて手を振った。
「だ、大丈夫。ただ、こんな形で同級生がいなくなるとは思わなかっただけで」
そうですか、とレイシスが返した後、なんとも言えない空気が漂う。気づけばそばにいて会話していたルセナたちまで黙り込んでこちらの話を聞いていたようで、少し慌てた。
「アレスの娘は直接的には関わっていないが、リドット領に戻ったようだ。自主的に退学したと聞いている」
「退学……? そう、ですか」
王子からの情報に答えながら、もうすぐ三年生だったのに、と息を吐く。
娘は直接的に、かぁ。つまり彼女が戻らなければならない状態に家がなっている、ということか。
とりあえず、と話はそこで切り上げ、全員で屋敷へと戻る。
夕食を食べようかというところで、珍しく部屋にアドリくんが顔を見せた。
どうやらアーチボルド先生がいないからと、レミリアが部屋で食事しないかと誘ったようだ。その小さな腕の中にアルくんを見つけて、アドリくんを招きいれながらアルくんに囁く。
「アルくん、今夜ちょっとお話したい」
にゃ、と返事をしたアルくんと視線は合わないまま、夕食の席につく。
ちょっと、結構、いやかなり悩んだけれど、こういうのは勢いが大事だ。じゃないとまた、私はきっとずるずると引き延ばしてしまう。王子が声をかけてくれたのは、きっといいタイミングだったのだと何度も何度も考えながら口にした食事は、さっぱり味がわからなかった。




