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「あ」

 アニーの授業の復習を手伝いながら次の薬調合の為に蒸留水を作っていたところでふと違和感に気づいて思わず口に出してしまい、どうしたの、と顔を上げたフォルとまともに目が合ってしまって少し慌てた。大事な薬の調合中に別な事を考えてしまった。

 なんでもない、と笑ってすぐに薬草に手を伸ばしすりつぶす作業に入ろうとしたが、ちくちくと感じる視線に顔を上げる。

 にこりと微笑んだフォルがぱくぱくと口を動かし、恐らく「あとでね」と私に伝えて来たのだろうと頷いて再び薬草に視線を落とす。

 しばらくすると横から影が差し、ん? と顔を上げた先に美しい笑みを浮かべたおねえさまがいた。

「……おねえさま? 薬草、足りませんでした?」

「いいえ? というか、もう私は煮出す作業待ちですから」

「あ、そうでしたか。私遅れて……ちょっと待ってくださいね」

 慌てて手を動かし、視線を資料に落とす。アニーには今トルド様とフォルが指導してくれているようだから今のうちに、と次の作業を脳内で予定立てていると、小さくおねえさまに名前を呼ばれた。

「アイラ、フォルとは……」

「はい?」

 なんだろうかと顔を上げると、おねえさまはなぜか僅かに眉を顰めて黙り込んでしまう。

 おねえさま? と声をかけようとしたが、ぼこぼこと熱を加えていた液状の薬が沸騰を始めてしまい、慌てて火を消し次の作業に移る。

 一段落がついたところで話の続きを促そうと顔を上げたとき、眉を顰めて考え込んでいるような様子のおねえさまの視線の先を辿った私は少し驚いて目を瞠った。

「そうそう。それでこれをこうして……あ、そっちじゃないよ」

「え? ああ、すみません……! こっちと混ぜるんですよね、フォルセ様、ありがとうございます」

「いいえ、どういたしまして。混ぜる前に気づいてよかった」

 アニーが休んでいる間に習った調合を教えていたフォルが、間違えたら危険がある薬剤を混ぜようとしたアニーの手を取って止めた。

 危なかった。あれ、混ぜたらすごい異臭がするし、含んだ魔力の相性が悪くて熱を持つんだよね。

 そんなことを考えながら、不思議に思う。

 フォル、アニーとは普通に話してるよなぁ、とそんなことを。

 フォルは基本、家の爵位が高い事をひけらかしたりはしない。そして、いかに実家の爵位が低かろうと敬語で接しているイメージがある。基本仲のいい相手以外は敬語なのだ。

 僕は確かに公爵家嫡男だけれど、今の時点で僕が偉いわけではないから。確かそんなことを言っていたと思う。それがまた、女性達に人気である理由の一つなのかもしれない。

 学園で再会したときなぜかそうなってしまった幼馴染設定(実際は小さかった頃フォルがうちに数泊した程度だが)であるが故か、私やガイアス、レイシスにも初めから敬語はなかったし、特殊科ではそんな様子は見たことがない。が、そういえばアニーやトルド様の前でもだなとふと思う。同じ班なのだから当然だと言われればそうなのだが、不思議に思ってしまったのだから仕方ない。

 そんなことを考えていると、アニーを睨むような強い視線で医療科の女生徒達の幾人かが見ている事に気づいた。……ああ、さっき、フォルが手を握って……。

「アイラ?」

 気づくと驚いたような顔をしてこちらを覗き込むおねえさまの蜂蜜色の瞳が目の前にあって、あ、と小さく声を上げて慌てて目配せする。

 私の目配せに気づいたおねえさまはすぐに状況を理解したのか、私の手を引いて彼女達の視線をさえぎるようにアニーを囲んだ。

「アニー、さっきの薬を合わせたら、すごいことになるのよ? アイラが実はやっちゃって」

「あっ、おねえさまばらさないでください! 気のせいです! ちょっと数滴垂らしちゃっただけじゃないですか!」

「はは、あれはすごかったよねえ。皆がいる教室じゃなくて、調合室を一部屋借りていてよかったよ」

 トルド様まで思い出したのか笑い始め、居た堪れなさに思わず口を尖らせる。あれ、わざとじゃないんだよ。いや、確かにすごかったけど……。

「アイラはあの時、椅子に足を引っ掛けちゃっただけだもんね。それで雫が飛んで……」

「フォル!? 朗らかな顔してさらに突っ込んで詳しく話さなくていいよ!?」

 ひどいと小声で会話していると、背中に向けられる視線を感じる。今度の標的は私らしい。教室内はどの生徒も調合中でがやがやと騒がしいけれど、やはりこちらは注目されているのか。別にそれは構わないけれど、私達は既に自由課題だが皆は先生の指導で調合中じゃ……あ、薬品零して先生に怒られてる。

 結局私達班は隣の教室に移ることになった。皆より先の学習をしている私達班は他の医療科の生徒とは別行動も多いが、今日は先生が大事な薬の説明があるとかで大教室の後ろの机で皆で作業していたのだけど意味がなかったようだ。

 ちなみに授業の初めに先生から説明された「大事な薬」とは新薬の量産についてだった。説明はぼかされていたし、完成までこぎつけてはいなかったけれど、紛れもなく先生が説明していた薬は「解毒薬」だった。

 そう、例のルブラの使う魔力分解の毒だ。

 生徒達には、とある新薬の研究に大量に必要だから土台となる薬を生徒達で少し作る事になったと説明されていたが、要は対ルブラの為にあの解毒薬を量産する為に、学園の医療科の生徒に途中の工程までを終わらせて貰おう、と国の薬師達が決めたのだろう。

 一人当たりのノルマは期間を考えれば決して多くはない。だがここの生徒の数が集まればある程度の量は確保できるだろうし、上手く考えたものである。なぜか私達班のノルマ数が他の生徒の二倍なのだけは不満だが。

 まぁ使う機会はない方がいいが、備えあれば憂いなしである。

 だがその話のせいもあって、私は先程教室内の違和感に気づいたのだ。フォルにあとでね、といわれた事だしまた聞かれるのだろうなとは思うけれど、少し説明しづらい。


 医療科の生徒が、いなくなっている。


 教室内に姿が見えなかった生徒を思い、眉を寄せる。

 普段別行動だからこそ、いつから休んでいるのかわからない。たまたま休んでいるのであれば気にしない。だが、私がいないと気づいたのは……ジュリエッタ・アレス。リドット侯爵家の縁戚の少女だ。

 誰も話題にはしていなかったが、きっと誰もがあのリドットの関係者だからいないのだろうと理解しているはず。気まずくて来れないのか、それとも騎士の調査が入っているのかはわからないが、どちらにせよ彼女は授業に出られていないのだ。

 こんな形で同級生が教室から姿を消すなんて、入学当初は思っていなかった。別に仲がいい相手ではなかったし、というかむしろ、いつだったか私とフォルが王子に呼ばれて一緒に医療科を休んだときにあらぬ疑いをかけられ責められた事がある相手だが、いなくなって気分がいいものではない。

 それに気づいて、授業最初の辺りで「あ」と声を出してしまったのだ。その声に気づいたのは近くにいたフォルだけだったけれど。

 結局うだうだと考えている間に午前の授業を終え、私達は周囲を警戒したままさっさと校舎の外へと出た。最近は教室に長居していいことがない。

 この時間の日課はアニーの送迎だ。朝は先にアニーが出てしまっていることが多いが、帰りは必ず寮まで送る。もちろん護衛の騎士も姿を見せないだけでいるのだろうが、気休めでも一緒にいれる時間は安心できるし楽しかった。

 ふと、先にお昼を買おうと向かった食堂への通りに向かう途中でガイアスの姿を見つける。なんだかそわそわとしているが。

「ガイアス様、どうしたんでしょう?」

 アニーも気づいて不思議そうに首を傾げている先で、ガイアスは建物の陰を気にしているようで、その後ろに王子とルセナの姿もある。

「あれ? レイシスがいない」

 不思議に思いつつも皆とそこに近寄ると、いち早く気づいた王子が僅かに眉を顰めた。

「ああ、先に食事を頼んでおこうと思ったんだが、今日は早かったんだな」

「そうですか? いつも通りに終わりましたけど……というか、レイシスは?」

「あ、レイシスは今ちょっと……」

 少し慌てた様子のガイアスが私の前に来たが、先程ガイアスが見つめていた先をなんとなく覗き込んだ私はぴたりと動きを止める。

 ああ、なるほど。

 たとえ学園内でもレイシス一人を残して騎士科三人だけで移動するのはおかしいな、とは思ったが、レイシスはすぐそばにいた。建物の陰で、侍女科の制服を着た女生徒と共に。……あれはどう見ても、告白現場ではないだろうか。

「侍女科の三年だ。もうすぐ卒業だから、とか言ってたな」

 王子がそういいながら同じ方向を見つめた、と思うとすぐに私に視線を向けられて、首を傾げる。と、急に小声になった王子が屈んで小さく私に告げる。

「いいのか?」

「え?」

「絶対的な自信、はお前にあるわけがないか。相変わらずこじれてるやつだな」

「はあ……?」

 間の抜けた声が出る。少し考えて、確信ではないがなんとなく意味を理解した。こじれてるとは失礼である。

「レイシスが告白されているのにいいのか、ってことですか?」

 思わず見上げて小さくそう問うと、細められた視線が向けられる。勝手に合っているのだと判断してそっと視線を落とした。

「私はそんな立場じゃありません」

「そんな正論は聞き飽きそうだな。あの場に立つのがフォルでも同じか?」

「……どうしたんですか」

 普段は何も言わない王子がここまで言うのは珍しい。思わず再び顔を見上げると、王子はその綺麗な眉を寄せていた。

「お前、さっさと覚悟を決めてアルと話せ。待ってやるつもりでいたが、アルもお前も遠慮しすぎだろう」

「……遠慮、ですか」

「遠慮ではないと言うならストレートに告げてやろうか?」

「……結構です」

 大概失礼な返事だが、王子はこれで私を怒ったりしないだろう。

 それに別に王子に聞いたわけではない。ただ疑問に思ったことを復唱するように口にして、目を閉じる。

 私がアルくんに夏からずっと話を聞けないでいるのは、遠慮だろうか。それとも事実を聞く根性が私に備わってないせいか、それとも聞きたくないと心のどこかで思っているのか。

 それに今は、

「今はそれどころじゃない、ではないぞ」

 先回りされた。やだこの王子。いえなんでもないです。

 そんなことを脳内で考えたのはバレバレのようで、思いっきり呆れた表情を向けられた。

「俺だって気遣ってはいたんだぞ? だが、お前はお前の時間を止めているだけだろう、アイラ」

 ぐっと言葉に詰まり、唇を引き結ぶ。

「アイラ。お前全力でやると決めたんだろう。お前にとって言葉を交わせる時を逃す事は重要じゃないのか?」

 王子の言葉を飲み込んで、思わず息を止めたとき。視界に何かが飛び込んできたかと思うと、すぐに暗くなった。

「デューク、そこまでにしてください」

「……悪いな、やりすぎた。アイラ、責めているわけではない」

「わかってます。ありがとうございます」

 間に入ってくれたのはレイシスの声だ。もう、話は終わったのだろうか。

 よかった。そうは思っても、私にはレイシスがあの少女と話してどうなったのかと不安になる感情ではなく、申し訳なさだけが募る。それがさらに申し訳なくて、つぶれそうだ。

 胸に詰まった感情をもてあまして、私はぐっと歯を噛んだ。


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