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「だから、部屋に戻ったら駄目ですー! 一緒にご飯!」

「だー朝からうるせぇな! わかったから離せ!」

 ずるずると部屋に戻ろうとしたグラエム先輩をおねえさまと一緒に引っ張っていくと、階段のところに苦笑したガイアスが見える。

 にやりと笑うガイアスはこちらの味方だ。

「また逃げるつもりだったんですか、先輩。諦めればいいのに」

「おいデラクエル兄! こいつらなんとかしろ、お前保護者だろ」

「わかりました。アイラ、ラチナ離れとけ」

 ガイアスがにやりと笑うのでおねえさまを視線を交わしあい、はーい、と二人揃って離れた瞬間。

「さあ先輩行きましょうか」

「デュークも待ってますから」

 入れ替わるように現れたレイシスとフォルに拘束されるように囲まれて引きずられていくグラエム先輩が、両者を呆然と確認しあたと事態を把握し、顔色を変えた。

「これじゃ意味ねぇだろ!? わかったから離せぇえ!」

 今日も屋敷にグラエム先輩の叫び声が響く。うん、さわやかな一日の始まりである。



「いい加減諦めたらどうだ」

 席について食事を始めると、苦笑した王子が朝から疲れきった様子のグラエム先輩を見て声をかけた。

 ふん、と鼻を鳴らしつつも、グラエム先輩も王子に対して無視ということはできないらしく、ぼそぼそと「わかってる」と呟いた。反抗期の少年か。

 期待していた私達への「朝は静かに」という説教がなかったせいか憮然とした表情だが、むしろ表情があることにほっとする。ここにきたときは、彼に表情はなかったから。

 ベリア様のことがあってから、しばらく城にいたグラエム先輩が私達の屋敷へと引っ越してきた。地元からお兄さんが来たりと、しばらくは慌しかったようで学園のほうには来ていなかったのだ。

 今は学園に戻ってきたといってもグラエム先輩はもうすぐ卒業だ。この屋敷にいるのはそんなに長い期間ではないが、安全を考えて念の為である。


 ベリア様の死は、私達の心に深い混乱と悲しみ、そして影を落としながら、しかしあっさりと周囲には受け止められた。


 元より自由だった性格もあってか、学園外、学園とはまったく関係ないところで事件にあったことを気にした人間があまりいなかったのである。扱いが、無法者と相打ちしたと噂されたのが原因でもあるだろう。

 それより注目はリドット家の方が大きく、ベリア様の事は埋もれてしまった。ベリア様と仲がよかったという一年の騎士科、そして二年騎士科唯一の女性、ミリア・アラはひどく悲しんでいるとガイアスが言っていたが、学園全体で見れば生徒が一人亡くなったというのに注目度は低い。

 よかった、のだろう。悪目立ちするのはきっと望んではいない筈だから。この世界では葬儀は大々的に行うものではないし、ベリア様の葬儀は身内でひっそりと、無事に行われたらしい。

 だが、特殊科という膨大な魔力持ちが一人あっさりと殺された事に恐怖する人間はいるので、騎士の警備が僅かに強化されてはいるが。

 生徒達にとっては、学園の外で起きた事件による奔放な少女の死より、絶大な力を誇っていた権力者の犯罪の方が大事件なのだ。明日はわが身、と怯える人がどれほどいるのだろうか。


 まあそちらの騒ぎも今は落ち着きつつあるのだけれど。解決するのはやはり、時間の流れなのだ。


「食べ終わったらはじめるぞ」

 王子のその言葉で、慌てて中途半端に手に持っていたパンを口に入れる。落ち着いて食え、とガイアスに笑われて頷きながら、同じくぼんやりしていたのか慌てているルセナと二人朝食を終える頃には既に全員が食べ終わってお茶を楽しんでいた。

 そう、嫌がるグラエム先輩を巻き込んでのこの朝食、別に仲良しこよしを目指しているわけではない。いやそのほうがいいけどそうではなくて、学年も科も違う私達全員が揃うこの時間に、意見交換や報告を行っているのだ。

 最初の頃はグラエム先輩も一人の時間が欲しいだろうかと心配したが、ずーっと長い間引きこもっていていいわけがない。……私が言うと非常に信憑性に欠けるが、情報の共有は大事な事である。

 グラエム先輩を見ていると、サフィルにいさまが亡くなった後の私はどんな様子だったのだろう、とたまに考える事がある。たぶん、もっと酷かった。けれど私達はそこで止まっている事はできないのだ。


 淡々と始まった報告会は、今日も目新しい情報はなかった。

 逃げた男の行方は依然謎のままで、素性がわかるヒントも得られてはいない。

 わかるのは、青い目をした旅人の男、という以前ベリア様が話していたことのみ。これに関して、姉貴の色恋なんて知らねぇよ、と搾り出すような声で呟いたグラエム先輩を見てから、もう数週間経っただろうか。圧倒的な情報量を武器にするグラエム先輩達風のエルフィは、対同属相手にひどく苦戦しているらしい。下手に動けば敵も風のエルフィなのだから、感づかれてしまう。

 勝手気ままに調査を始めるのではと危惧したが、意外にも先輩は大人しくこの屋敷の部屋にいることが多く、なんとあれほどサボりがちだったらしい授業もまともに受けているらしい。

 これに関しては、王子が「まぁ、長兄が来ているからなぁ」と苦笑して濁していた。お兄さんが苦手なのだろうか、と不思議に思うが、聞ける雰囲気は相変わらず纏っていない。

 噂される「ベリア嬢は無法者と相打ちになった」というのは、嘘だ。敵は生きているのだから。事実を知る者は相変わらず落ち着かない日々を過ごしているし、こうして皆で朝食をとるのは、表面上だけでもいつも通り過ごそうとする気持ちの表れなのだろうか。

「アイラからは、何かあるか?」

 王子に促されて、傍においていた分厚い資料を掴んで、笑う。

「以前頼まれていた調査、全件終了しました」

 振って見せようにも重たくずっしりとした紙の束を、テーブルに載せて王子のそばに寄せる。

 目を丸くしていた王子は、全件、と小さく呟いた後、すぐに呆れたような表情をしてその資料に手を伸ばした。

「ガイアス、レイシス。お前らんとこの姫さんは無理しすぎじゃねぇのか」

 ちらりと資料と私を見た後、すぐに視線を逸らしてグラエム先輩がそう話したことに少し驚いた。グラエム先輩がこの席で、報告以外で声を出すのは珍しい。

「大丈夫です。手伝いましたから」

「むしろ予定より遅かったんですよ先輩。三人で動いてこんな苦戦すると思わなかった」

「ああそうかよ」

 がくりとうなだれた先輩がそのあと、ぐっと一人拳を握り締める。……たぶん、自分も調べたい、と思っているに違いない。でも先輩は非常に危険な立場なので、どうして先輩を止めることができているのかはわかりませんがぜひそのまま無茶しないように頑張ってください、パストン兄弟のお兄さん、と願う。……会ったことはないけれど怖い人なのだろうか。

 実はフォルから、グラエム先輩が危険な事をしないように気をつけて欲しいと王子に言われた、と伝えられた私としては、ふらっと消えてふらっと戻ってくることが多かった先輩が毎日しっかり部屋にいてくれているだろうか不安で仕方がない。

 もし、グラエム先輩に何かあったら。きっと私は今以上に、冷静さを保てないと思うから。……本当に、先輩のことが心配だから。

「負けちゃったな。でも、僕の方も明日には終わりそうだよ、デューク」

 穏やかな声でそう話しているのは、フォルだ。私よりかなり多い量の調査を頼まれていた筈なのに、たった一日違い。さらりと告げるフォルの方が、無理しすぎ、である。

 しかし目が合うとふわりと微笑む彼の顔に疲れは見えず、ほっとして視線をテーブルへ落とす。王子の手に収まった資料の一番上には、殊更重要だと思う調査結果を纏めてある。

 少しして、王子は僅かに顔色を変えた。

「……ガイアス、俺は今日騎士科の授業を休む。先生に伝えてくれ。フリップも今日は先に城行っているから、夜には共に帰ってくる」

「わかった」

「俺は城に行く。……グラエムは来るか?」

 感情の読めない眼差しで王子を見つめ返したグラエム先輩の返事は、誰もが予想がついていることだろう。


「もちろん」

 と。


 王子が常に屋敷に待機するようになった騎士とグラエム先輩を連れて出て行き、残された部屋でお茶を飲んでいた面々がそろそろ授業に向かわなければと立ち上がった時。

「アイラ。先ほどの書類には何が書かれていましたの?」

 少し不安そうな顔で声をかけてきたおねえさまが、今日使う予定の参考図書を抱きしめている。

「私が調べた貴族の中に、ティエリーもいたんです。さすがに尻尾は捕まえさせてくれませんでしたけど……ティエリーでは最近、長男に仕えていた男が行方不明だそうですよ。青い目に、金の髪の男が」

「ティエリー……」

 複雑そうな顔をしたのはルセナだ。ルセナの地元、ラーク領の隣にあるティエリー領は、夏に私達一同が飛ばされたあの地である。

 マグヴェルに、ダイナークを匿っていた領地。そしてマグヴェルもダイナークもルブラに繋がっているのはわかりきっていることである。唯一まともに拘束に成功したルブラの男オウルが、マグヴェルを利用していたと認めていたのだから。

 元より明らかにルブラとの関係が疑われていた地だ。とっくに調査は入っていたのだが、オウルが何をしても情報を吐かなかったらしく、目新しいものは掴んでいなかったらしい。

 この国においてベルティーニの取引がない土地はない。父と弟の力をほんの少し借りただけではあるが、噂話を収集するには十分だった。だが、これと言って騎士が強引に調査に乗り切れる程の事実は出てこなかった。

「今度こそ当たりだといいのですけれど」

「……どうかな。これまでも青い目の男の話は空振りばかりだったから」

 そんな会話をしながら、部屋を出る。

 でも今回は、ティエリーに近い人物だ。期待はできるのではないだろうか。そんな話はしつつも公にできる会話ではなく声を潜めていると、遠く先に見知った姿を見つける。

「アニー」

 すぐに気づいたガイアスが声をかけにいく。アニーはつい最近授業に戻れるようになったのだ。寮の警備が強化され、本人に知らされぬまま念のための護衛もつけられているようだけれど、これがここ最近一番のいいニュースかもしれない。

 授業についていくのが大変だと日々資料に埋もれるような勉強をしているアニーを手伝う時間が少ないのが残念だが、今日も笑顔で挨拶を交わしてくれる彼女にほっとして、私は雪を踏みしめ彼女の元へと駆け寄った。


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