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 ふう、と小さく吐かれるフォルのため息を聞いて、はっとして思考を戻す。

 そうだ、私ってば、フォルに昨日ベリア様の事を任せすぎた事を謝りに来ていたのに。

 すっかり混同してしまって、フォルへの謝罪には直接は関係なかったはずなのに、グラエム先輩達が危ない事までフォルに話してしまった。機密情報漏洩じゃないか。結局王子がフォルに話すつもりだったのだから良かったものの、私は何をしていたのか。

「あ……その、フォル。いろいろごめんなさい」

 すっかり取り乱してしまったことを悔やみ、情けなく、そして恥ずかしく思いながら、なんとか頭を下げる。王子から話を聞くまで、さぞかしわけがわからない事を言われ混乱させたことだろう。

 だがフォルをそっと見上げると、穏やかな笑みを浮かべたままフォルはさらりと髪を揺らして小首を傾げ、「ううん、大丈夫」と微笑んでくれる。

「むしろ、よく頑張ったね。さすがアイラ」

 そっと伸ばされた手が頭を撫でてくれて、ほっと身体から力が抜けていく気がした。それでも、昨日見た光景が瞬時に頭を過ぎり、勝手に身体が強張っていく。


 ベリア様。


 真っ白な雪の中に横たわっていた彼女は、亡くなってから少し時間が経っていたように思う。

 彼女が旅の途中で出会ったという青年に恋をしていた話は聞いていた。あの夏の話の後も、時折その話題が出ていた。王都で見かけただとか、また会いたいだとか。

 最近は忙しくてめっきり話題に上らなかったが、もっと彼女の話を聞いていれば、相手の特徴も、どんな人なのかも聞けたのではないだろうか。もっと、気にしていれば。

「……アイラ。こら、何考えてるの?」

 銀色の瞳の覗き込まれて、慌てて顔を上げる。

「……ごめんなさい、私、フォルに謝りにきたのに考え込んだり取り乱したり、変な事言っちゃったり……」

「うん、アイラから何を聞いても誰かに話したりするつもりはないから信用して。パストン家の事は秘密にしておこう。大丈夫、秘密だけど、デュークも僕も知ってるんだから一人じゃない」

「……うん」

 一人で抱えきれず不安を零してしまったことを見透かしているようなフォルが、それでよし、と頷いている。

 そうだ。きっと私、グラエム先輩達が危ない事、その原因が私にもあることに耐え切れなくて、フォルに言っちゃったんだ。……弱いな、私。

「デューク様、信頼して私にも指示を出してくれているのに……考えなしに動いて、私……」

「うーん、そこは違うんじゃないかな。……僕は、信頼されてるのかなって喜んでいいところかと考え中なんだけど」

「え?」

「だって、僕になら話しても大丈夫だと思ってたから、『相談』、しにきたんだよね?」

 にこにこと笑みを浮かべるフォルの言葉を何度か反芻し、理解してすぐがばっと身体を起こす。

 わ、わ、わ、と意味がわからない言葉を思わず口にしていると、フォルはそれを見て頷いている。

「アイラ、落ち着いて」

「フォル……!」

「大丈夫。ほら、アイラ。大丈夫だから、一緒に頑張ろう。アイラのせいでもないし、アイラが犠牲になる必要もなかった。それと、僕は信頼されてるなら嬉しい」

 ね、といいながら、フォルの手が私に伸び、一瞬迷うように動いた後指先に重ねられた。混乱した頭がだんだんとすっきりとしていき、一度目を閉じて考えを纏めようと、俯く。

「デュークだって一人じゃ無理だからこっちに相談に来たんだ。あのデュークでも、だよ? アイラも一緒に考えよう」

「……ありが、とう……」

 なんとかその言葉だけ捻り出し、既に冷えきっているであろうフォルが淹れてくれたお茶を見つめる。お茶が波紋を広げているのは、テーブルに触れている私が震えていたからだと気づいて慌てて指先同士が触れていた手を引いて、少し離れた。

「納得してないね、アイラ」

「え……?」

 苦笑したフォルがこちらを見ていたことに気づき、はっとして居住まいを正す。

 震えが止まっていない指先をなんとか誤魔化そうとテーブルの下に隠し、視線をずらす。

「納得してないよね、アイラ。まだ自分を責めてる。アイラ、パストンの血筋がルブラにばれたのはどう考えてもアイラのせいじゃないし、ベリアがあの場にいたのもアイラのせいじゃない」

 それは、といいかけて口を閉ざす。そんなことは、わかっている。それでも、そのことで敵が私を疑う可能性がなくなった。逸れたのだ。それは事実。

 それに、混乱した私が弱くもその不安を口にし、第三者フォルにパストンがルブラに狙われるという情報を与えてしまったのも事実だ。相手がフォルで、丁度王子がフォルには事実を伝えてくれたから救われただけだ。

「アイラ、入学して、僕たちが特殊科に選ばれて。最初に先生が言っていたこと、覚えてる?」

 聞かれて、逸らしていた目を思わず銀の瞳に向ける。

 口元はいつも通りの優しげな笑みを浮かべているのにひどく真剣な瞳に、言われた通り過去を思い出す。

 確か、先生と会ってすぐは魔力検査をすることになって……特殊科に選ばれた意味を理解しているのかと問われた筈。

 しかしそこまで思い至っても、フォルが何を言いたいのかまで頭が回らない。困惑したまま銀の瞳を見つめていると、フォルはゆっくりと続きを話し出した。

「先生はね、人が何を大事にするかは人それぞれだって言ったんだ。その通りだと思う。一番怖いのは中途半端な気持ちで魔力を使うことだって。……そうだよね?」

 ほんの少しフォルが私に近づいて、問いかける。頷いてふと、その時の先生の言葉をしっかりと思い出した。


 魔物に友人や恋人を殺されたらどうする、と質問した先生の言葉を。


 ――揺らぐ感情で使う魔法は暴走しやすい。重要なのは状況を判断し、臨機応変に対応する能力だ。一人で片付けるな、仲間を信頼しろ。この世の人間は一人残らず誰かしらと支えあって生きている。他の生徒とは別に、選ばれた生徒になった意味を考えろ。


 ――特殊科に選ばれたからって傲慢になるな。全てを一人で救えると思ったら大間違いだ。特殊科こそ仲間を大切にする事を第一にしてろ。


 思い出した言葉を何度か繰り返し、理解してはっと顔を上げる。

「ね? あの時の先生の話って、魔物相手だったけれど……今回だってそう。ルブラに友人を害されて、アイラは、混乱した。このままではいけない、そう判断したアイラは僕に相談した、それだけだよ。一人で抱えきれないと思ったから、先生の教え通り自分のすべきことをしたんだ」

「……私そんなこと、考えてなかったから……」

「なら尚更、無意識でもやれるなんて、さすがじゃない?」

 笑みを浮かべながら言うフォルの言葉は、無理矢理で無茶苦茶だ。だが、じんわりと染み込んでいくように理解はできた。

 同時に、フォルはすごいな、と思う。フォルだって後輩があんな目にあったのだ。私と、一緒だ。それなのに、私を気遣い、笑みを浮かべてくれる。フォルまで動揺していたら、それはきっと私にもうつってしまっていただろうから。

 正直に言うと、気が晴れたわけではない。それでも、随分と落ち着いて状況を考えられるようにはなった気がする。……そうだ、私は強くならなければならない。特殊科に在籍する私は、その力を得なければいけないのだ。魔力を制御する、強さ。

「ふふっ……そうだね、フォル。動揺してあの時あの敵に魔力をぶつけていたら、山が一つ吹き飛んでいたかも」

「それは困るね。ルセナがいるからあの場にいる僕たちは守られたとしても、精霊の棲家なくなっちゃうよ」

 例え無理をしていたとしても、こうして笑みをなんとか浮かべる事に成功すると、ほっと身体から力が抜けていった。

 うん、大丈夫。私に都合がいい解釈だろうがなんだろうが、とにかく今はそれでいいのだと、なんとなく理解したから。

「ありがとう」

 今度こそしっかりとフォルを見て言えたことに安堵した時、身体の震えはなんとか治まっている事に気づいた。

 いつまでも悲しんだり悔やんだりするのが正解ではない。もちろん、すぐには無理だけれど……。

 そう考えていると、フォルがぽつりと「同じだね」と話し出す。

「ちょっと前まで、僕やラチナが一人で無理してる事をアイラ達が心配していたと思ったんだけど。きっと今、逆だから」

「……ほんとだ」

 状況は違う。けれどフォルの言うことは本当で、皆に心配をかけている自覚はある。だからこそ気遣いが嬉しくて、頷いて目を伏せる。

「この資料の分、しっかりデューク様の期待に答えられるようにしなきゃ」

「頑張りすぎないでね? ああでも、僕の方はちょっと頑張らないとなぁ」

 私の二倍はありそうな書類の束を見て、少し不安になる。私はガイアスやレイシスに手伝ってもらえるけれど。

「フォル、あの……私にできることがあったら言ってね?」

「ああ、大丈夫だよ。ほら、さっき言ってたでしょう。暗部を動かすから」

「そういえば……ハヤサ、とかダカ、とか……鳥、よね?」

 フォルと王子が班がどうのと話していたのは、この世界の鳥の名前だ。なんとなくそう思って言ってみてから、暗部のことを聞くのはまずかったかもしれないと一人眉を顰めてしまったが、フォルはあっさりと「そう」と頷く。

「父に言われて次期公爵としての範囲ではね。……っといけない、もうこんな時間かぁ。アイラ、ジェダイやアル、心配しない?」

「え?」

「少しでも眠ったほうがいい、アイラ。昨日あまり寝てないんじゃない?」

 笑顔でそう話すフォルに促され、慌てて立ち上がる。すっかり、長居してしまった。

「ご、ごめんね。フォル、その……また明日」

「うん、アイラ、また明日」

 ばたばたと資料をまとめ、フォルの部屋を出る。

 自室に飛び込んだ私は、そのまま閉めた扉に身体を預けてずるずると座り込んだ。

 不思議そうにそばに駆け寄ったアルくんの尻尾が目の前で揺れるのを見ながら、顔を覆う。


「何やってんだろ、私……」

 

 視界の端に、布で包みこんだままのものを見つけて、そっと手を伸ばす。そっと紐を解き、懐かしい小瓶を手にした。

 つるりと表面を撫でると冷たいのに、どこか落ち着く。それを棚に戻して、無理やり資料を見つめた。


 ベリア様。必ず、あの男を探し出します。


 決意を胸に、資料を覗き込む精霊に二人に事情説明をはじめた。



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