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「派手にやったなー……」
驚くくらい全員顔色が真っ青になり逃げ出す後ろ姿を見ながら、ガイアスが呆然と呟く。
あ、フローラ嬢こけた。綺麗にセットしてある髪が大変なことになってるけどあのまま会場に行くのだろうか。
「お嬢様はお優しすぎます」
視線を下げて静かにレイシスが不満を告げるが、いやいや私はガイアスの言葉が痛い。うん、やりすぎたかも。
「待て待てレイシス、あれは完膚なきまでに叩きのめされたぞ絶対。アイラこえー。俺に任せてくれれば穏便に」
「穏便って、威圧して人追い返そうとするのは穏便じゃないわよ。あの護衛可哀想に、必死に回れ右するの耐えてたわよ。貴族の主人の前で護衛が逃げ出したらその後どうなると思ってるの」
「その護衛の武器を簡単に奪い取って面子潰した人間の台詞じゃねぇ」
ガイアスが口を尖らせるが、逃げ出すよりはましだと思う。何のために剣帯を貶したと思ってるんだ、あれならあの剣帯をつけさせていた主人の不備に聞こえるだろう。……だよね? それに打ち負かされるより護衛対象を置いて逃げ出すほうが一般的には重い罪が待っている。……あれぐらいなら大丈夫だよね? あっ、今更ながら自信なくなってきた。一般的な措置を願う。
「申し訳ございません!!」
床に座り込んでいたレミリアが、はっとして土下座せんばかりの勢いで謝罪を口にする。だが彼女は何も悪くないのだ。
「いいえ、それよりこちらこそごめんなさい。侍女に何か言いつけていたのは認識していたのにまさか攻撃してくるなんて」
私だって魔法は戦闘も意識して修行しているのに、一番傍にいた私が何もできなかったのはひどい失態だ。
それも女の命の髪を! ああ、やっぱあっちの髪の毛も切ってやればよかったかな!
気になってレミリアの髪をじっと見つめると、レミリアが苦笑した。
「大丈夫ですよ、ほんの数本です、これくらいなら揃えなおす必要もありません。私がもう少し魔法を上手く扱えればよかったんですが……」
「そんなのいーの! 私はレミリアが淹れてくれるおいしいお茶や、お茶にぴったりな手作りお菓子だって気に入ってるんだから。何より私レミリアが好きだわ」
あんな人様に小刀突きつけてどや顔決める侍女なんて嫌です。自分の回りの世話を任せる一番身近な人はやっぱ気が合わないとね!
ぽっと頬を染めたレミリアが可愛らしい。しばらく二人でふふふと見詰め合っていると、それまで俯いていたレイシスがはっとして顔を上げた。
「お嬢様、お時間が!」
「間に合ったー……か?」
全力疾走……ははしたないと怒られるといけないので、限りなく急ぎ足で入学式も行ったホールに駆けつけた私達は、前はすでにかなり人が集まっていた為に後方の位置に待機する。
入学式の時とは中の様子が随分と変わっていて、天井から吊るされた大きく豪奢なシャンデリアや所々に設置されたお洒落なランプが明るく周囲を照らし、テーブルには美しい細工のガラスの花瓶が置かれていて室内は煌びやかだ。
夕食会と言ってもいろんなところに料理が乗せられたテーブルが設置してあるが椅子は壁際にある程度で、好きに歩き回る立食形式のようだ。恐らく社交界の夜と同じだろう。前方の二階の方で音楽隊が穏やかな曲を演奏しており、先に集まっていた人達はワインなどを既に楽しんでいるようだ。
ちなみにこの世界で酒は十歳から飲んでいい事になっている。私はそこそこ飲めるしすぐ倒れたりする事はないが、飲みすぎると少し悪酔いする性質なので自分の限界を超えて飲むことはしない。うん、絶対しません本当に。
まぁ少しなら問題ないので、急いで来たし喉も渇いているので比較的甘いお酒をもらって口に含む。ふわりと口内に広がる葡萄の香りにほっとしつつ、ガイアス達と間に合ったねぇと笑えば、ちょうど前方で入学式で見た覚えのある教師が夕食会の開始の挨拶を始めた。
前にいる生徒たちはしっかりと話を聞いているようだが、後ろに行けば行くほど話より周辺の料理に目を輝かせている人が増える。恐らく前方にいる生徒は高位貴族なのだろう。
もちろん私も周囲の料理に目が釘付けだ。その土地によって料理が違うというのは当然だが、王都には各地の料理が集まると聞いた。
実は私が王都に来る事が決まった時すぐ気になったのは料理だ。なんといっても食事は生きる上で重要なことだからね! この国、いや世界に範囲を広げてもいい。重要なことがある。
カレー。カレーライスはありますか!? 私前世で好物だったんです!
病院にいることが多く、滅多に食べれないカレーはご馳走だった。しかも私は結構辛いのが好きだ。そんなのはもちろん入院中に出るわけがなかったので、本当に好きな辛いカレーを食べるのは至福の時だった。ハマりすぎて自分でスパイスから作ったことがあるが……そんなの昔過ぎて覚えてないんですよ!
ああ、覚えていたら間違いなくここでも作ったのに、私の脳みそは日常的に作っていたお菓子とのめりこみ過ぎたオタ知識は残っているものの、たまに作った程度のカレーの知識はすっぽ抜けている。こうなったら自分で思いつく限りのスパイス混ぜて作ってみるか? 作れたらカレー屋さんで一儲けできるかもしれない!
話を聞いている振りをしつつきょろきょろしているのにもちろん傍にいたガイアスとレイシスは気づいていて、苦笑しながら何を探しているんだとこっそり聞いてきた。カレーって言ってもわからないよねぇ?
「なんかこう、香辛料が効いてて食欲をそそる感じの……」
「新しいお菓子のヒントにでもするのですか? お嬢様は勉強熱心ですね」
いえ、お金稼ぎの算段と欲望に忠実なる行動です。
お偉いさんの挨拶も終わり(ほとんど聞いてないが)三人で食事を楽しんでいると、ガイアスとレイシスに数人の男の子達が話しかけにやってきた。どうやら、兵科の試験でガイアス達と手合わせをした相手らしい。
「お前らのご主人様ってこの人か? うわー、俺より年下だよね」
「ばっかお前失礼だろ、すみませんこいつ言葉遣い悪くて」
仲がよさそうな少し私より背が高い男の子達が話しかけてきたので、頬張っていた鶏肉の香草焼きを飲み込んでぺこりと頭を下げる。
「いいえー敬語なんて使わなくていいですよ、同じ学年なんですし」
「って言いつつそっちが敬語だな」
「こら! お前はもう少し気を使え!」
どうやらあまり気を使わなくていいタイプのようなので、もう一個鶏肉をぱくり。うーんおいしい! うちの領地ではどちらかというと鶏肉より豚肉や川魚の料理が多かったのでつい食べ過ぎてしまいそうだ。
やはりこの広いフロアでは、音楽隊などが近い前のほうは高位貴族が多くいるらしく、あちらは雰囲気で既に気詰まりしそうである。皆食事よりもうふふおほほと扇子片手に歓談という名の探りあいをしていそうだ。
対し後方であるこちらは皆和やかに食事を楽しんでいて、やはり入学できた喜びからか皆晴れやかな顔をしている。ほとんどのメンバーが希望の学科だったと楽しそうにしていて、どうやらこの辺にいる生徒で医療科から淑女科に強制移動された人はいないようだ。
確かに貴族でない女の子が淑女科に入れられたらそれはつらい学園生活になりそうなので、人事ではない私はほっとする。いや、私一応貴族だけどさ。
『新入生の皆様方、お食事はお楽しみ頂けたでしょうか。それではそろそろお待ちかねの上位科移籍組の発表に移りたいと思います』
そろそろお腹も膨れて、別腹所持組がデザートに舌鼓を打ち始めた頃(なんとベルマカロンのケーキが数種類用意されていた)、突然フロア内に響き渡った声に、私達の周辺で「え?」とどよめきがおこる。
「上位科移籍組?」
「もしかして騎士科や女官科の事じゃないか?」
「えっ! 騎士科の発表ってまだだったのかよ」
周囲の推察にガイアスが反応して、ぱっと顔を輝かせる。
「レイシス、まだ終わったわけじゃなかったぞ!」
「そうだな。選ばれているといいけど」
喜ぶガイアスに対し、レイシスは少しばかり不安そうにしているので、横に並んで一緒に発表者の次の言葉を待つ。
どうやら何かの魔道具を使っているようで、後方のこちらにも発表者の声はしっかりと聞こえていた。マイクみたいな魔道具があるのだろう。さっき近くで魔道具科に入ったと言っていた生徒が目を輝かせて周囲を見回しているが、後方にいる生徒は兵科や侍女科が多いらしく緊張した面持ちの生徒が大多数だ。
ところで、なんでさっきの挨拶でこのマイク使わなかったんですかね、便利そうなのに。
『今年は大変優秀な生徒が多く審査が難航していた為に発表が遅くなりまして申し訳ございません。それではまず兵科から騎士科への移籍になる生徒を発表いたします。――デューク・レン・アラスター・メシュケット殿下!』
最初に告げられた名前に、前方の生徒たちがわっと沸き立つ。私たちの周辺は、おおー、という声は上がったもののどちらかというと「やっぱそうだよなぁ」といった空気だ。……まぁ当然だ、呼ばれたのは『殿下』だ。今の今まで忘れていたが、そういえばこのフロアには同じく今年入学した筈の第一王子がいたのだ。
そうかー、殿下は兵科の試験を受けていたのか。ガイアス達見たのかなぁ、さすがにこの位置じゃ前方にいる殿下の姿なんて見えやしないんだけどと一応皆に倣って前に注目してみるが、まぁ当然ながら見える筈もなく。
しかし私はそこに、何か見たことがある銀色を見つけた気がして、不思議に思ってもう一度それを探し出そうとした時だった。
『続いて、ルセナ・ラーク、ガイアス・デラクエル、レイシス・デラクエル……』
「えっ」
「やった!」
「よしっ」
続けられた名前に、今度は私たちの周辺がわっと沸いた。ガイアスとレイシスが喜びの声を上げ、それに気づいた周りが「すごい!」と騒ぐ。
「やったね二人とも! 二人とも騎士科じゃない!」
「ありがとうございますお嬢様!」
「頑張るぜー!」
珍しくレイシスが満面の笑みを浮かべているので、隣にいる私もつられて笑みが零れる。ガイアスなんて飛び跳ねているが、一人発表されるごとにホール内のいたるところで同じような現象が起きているので咎められることもないだろう。
侍女科の上位として今年から設置された女官科の発表も終わり、ホール内が騒がしい中、しかし突然先程の発表者とは違う声で『静粛に!』という声が響き渡る。
徐々に静まるホールで全員が前方に目を向ける。そこにいたのは、入学式で挨拶していた校長であった。
『皆の者、静粛に。これより、今年度選ばれた特殊科の生徒の発表を行う。特殊科に選ばれた生徒は、自分の所属する科と掛け持つ形で広く多くの事を学んでもらうことになるだろう。心してかかるように』
校長の言葉で、学園に来る前に読んだ冊子にそのような科の事が書いてあったなと思い出す。確か選ばれた階級の人間がどうとか書いていた筈だ。恐らく王族である王子が所属するのであろうともう一度さっき沸き立っていた前方の辺りを見たとき、私は小さく息を呑んだ。
「ね、ねぇガイアス、レイシス。あれ、フォルじゃない!?」
こそこそと二人を引っ張って告げると、怪訝そうな顔で前を確認して、両者とも目を見開いた。
「フォルだな」
「フォル、ですね」
やはり間違いなくあれはフォルだ。少し背が高くなっていて雰囲気が変わっているが間違いないだろう。同じ学園で同じ学年だったのか。そう思っていると、校長がまた声を張り上げた。
『呼ばれた者は特殊科であることを証明するバッジの貸与があるので前に出る事。今年は真に豊作で、全七名の生徒が選ばれた。それではまず特殊科の首席、騎士科、デューク・レン・アラスター・メシュケットは前へ』
校長は一生徒として扱っている為か『殿下』とは呼ばなかったが、呼ばれた名はやはり第一王子であった。
少し高い壇上に呼ばれた為に、後方にいる私もようやく第一王子を確認する。
私と大して年齢が変わらないのに大人びた様子の男の子が壇上に現れる。短めの金の髪に、すっと通った鼻筋、少しつり上がった青い瞳に、薄く引かれた唇。一人壇上に上がり注目されているのに臆した様子もなく、まだ若いのに威厳に満ちている。うわぁ、あれは文句なしにどこからどう見ても王子様だ。ちょっと性格悪そうだけど。
誰もが堂々と校長からバッジを受け取る王子を見つめ、ほうと息を吐いていた。
『続けて六名は呼ばれたら前に。医療科、フォルセ・ジェントリー!』
校長が次の名を呼んだ瞬間、きゃあ! と黄色い声が上がる。……いや、ちょっと待て。
「ふぉ、フォル!?」
「おい今、フォルセ・ジェントリーって!」
ぎょっとした様子でガイアスとレイシスが叫ぶ。私は声が出ずにぱくぱくとそれを見つめた。今呼ばれて壇上に向かっているのは、フォルだ。あの、私の家に少しの間滞在した、初対面で完璧不審者だったフォルだ。
ジェントリー。ジェントリー公爵家!
「ちょっ……貴族だとは思ってたけど……!」
しかし私達の驚愕は、そこで止まらなかった。
『えー、続けて。騎士科、ルセナ・ラーク! ガイアス・デラクエル! レイシス・デラクエル!』
「はっ!?」
ぎょっとして両側にいた二人が固まる。周りの人間なんて、二人の名前が聞こえた瞬間ばっと視線を壇上からそらし、二人に一気に視線が突き刺さる。
『次は、特殊科設立以来初の女性だな、医療科、ラチナ・グロリア! アイラ・ベルティーニ! 以上呼ばれた生徒は前に出るように』
――はっ!?




