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258.フォルセ・ジェントリー



「フォルセ様!」

 だん、と大きく音を立ててしまった俺を見て、ロランがぎょっとしているのがわかる。

「……ああ、悪い、ロラン」

 顔を上げて謝罪し、読んでいた本を持ち上げ表紙を見つめる。つい、昨日のことを考え苛立って本を強く閉じてしまった。

 せっかくデュークに許可を貰ってロランを部屋にあげてるっていうのに、彼と本に当たるような形になってしまったことを反省して本をそっと置く。完全な八つ当たりだった。

「悪かった。ちょっと考え事をしてた。それで?」

「はっ、昨日の正体不明の男ですが、ハヤサ班総員全力を挙げて捜索いたしましたが、魔力の痕跡一つございませんでした。あの周辺で怪しい男、怪我をした男などの目撃情報は皆無でして」

「やっぱり逃げられたか」

「申し訳ございません!」

 頭を下げるロランに、いいよ、と顔を上げさせる。

 暗部でも移動速度を誇っているハヤサ班で探して見つけられないのであれば仕方ないだろう。

 アイラの反応から、あの男がエルフィであるとはわかっていた。おそらく風だ。うちの暗部はやり手だが、エルフィはいない。ロランに至っては得意の風が効かない相手だ、追跡は難しいだろう。

 まあおそらく、それでも逃したとあっては今頃暗部でもハヤサ班はがっつり父か部隊長辺りに雷を落とされている頃かもしれないが。この前王都街で俺たちの前で仲間を殺して見せたルブラも、ハヤサ班が追っている最中に自殺されたばかりだし。

 ハルも酷く落ち込んでいたように思う。アイラが敵に襲われながらもなんとか反撃し作り出した隙で、一度は敵の男を捕らえたのはハルバートだ。

 だが、ハルの糸に対し敵の魔法は相性が悪すぎた。かなり敵に痛手を負わせることはできたようだが、敵は結局ハルと追ってきた騎士たちの手から逃れたのだ。もう少しというところで、ハルに魔力分解の毒を浴びせて。解毒剤を用意しておいてよかった。

 敵にも瀕死の状態に近い傷は負わせたと聞いたが、その状態で逃げ切るとは恐ろしい。

「ロランが悪いわけじゃない。むしろよく無事に戻った。あいつは二度と相手にするな、ロランの風では敵わない」

「しかし……」

「たぶん俺でもきつい。相手ができる人物はおそらく限られていると思うよ。……デュークとか、アイラとかね」

 俺の言葉でなんとなく意味を理解したらしいロランが一度だけ眉を動かし、またすぐに表情を戻すと「そうでしたか」と短く返事を返して俯いた。ロランにアイラ達の能力を詳しく説明したことはないが、俺の従者として傍に控えている彼は恐らく見る機会はあっただろうとは思う。デュークは気づいているだろうが、アイラには今度見られていることを一応注意を促したほうがいいだろうか。俺の従者相手だと気にしない気もするが。

「まあ、あの二人が相手するくらいなら俺がするけど」

「フォルセ様……!」

「当然だ。あの二人を守る為ならなんだってする」

「でしたらこのロラン、フォルセ様の剣にも盾にもなりましょう。フォルセ様を守る為なら」

「なんだってする?」

「……」

 俯いたままのロランを見つめて、軽く笑う。きっと彼は言葉通り、なんでもするだろうから。

「……君を失うわけにはいかないからしばらくは動かないよ。あちらもそう言っていたみたいだし」

 アイラがあの男から聞かされたという内容は、不可解だった。

 いや、そもそもあの男の話はすべて不可解だ。

 俺らを罠にかけ呼び出した先で持ちかけた取引はあまりにもくだらない。こちらに求める情報がとってつけたようなどうでもいい話で、あちらが話していた内容が真実であるのか疑いが出るほどだ。デュークと俺の婚約者の話など、調べればすぐにわかる。

 だが、アイラが一人連れ攫われていた間に聞かされたという内容は不可解だが恐らく重要だ。

 昨日、屋敷に戻ってからのデュークとアイラの会話を思い出しながら、小さくため息を吐いた。


「えっとね。情報を上手く使え、って言われました。あとは機が熟してないからしばらくは君達に手は出させませんから、安心してください、みたいな事言ってたかな」

「どういうことだ?」

「んー、わからないです。でもどうやら、取引を持ちかけてきたのは別な事を聞きたかったからみたいで……その、途中で必要なくなったから、内容を変えたみたいなんだけど……わかりません」


 明らかにおかしな言動、逸らされた視線。

 アイラは何か、隠している。

 あの男に声をかけられた内容を、俺たちに話そうとしていないのは明らかだった。だがその後にデュークにこっそり声をかけていたのは知っているから、もしかしたらデュークにだけは真実を話しているのかもしれないが。

 終始顔色を真っ青にし、指先を震えさせ、震える声で、それなのに気丈にいつも通りの声を張り上げるように説明していたアイラを思い出し、ぐっと歯を噛み締める。

「俺では駄目、か……」

「フォルセ様?」

「いや。ロラン、しばらく自由に動いていい。おかしいと思った噂はすべて調べ上げてくれ。特に俺たち、いや学園の生徒に害を及ぼそうとしている話があればすべて報告」

「はっ」

 自由に動いていい、なんていいながら非常に難しい指示を出しても顔色一つ変えず頷く自分の従者を見つめ、ふっと短く息を吐く。

「ただし、身の危険を感じたら引くこと。無理はしない。これが最優先だ。今君がいなくなるのは困る。ああ、早朝の俺の稽古には付き合ってくれよ?」

「……はい」

 こちらの方が彼には難しい指示らしい。苦笑して、自室の窓を指差す。

「この部屋の防御石にロランは登録させたから、用事があれば緊急時はここを使っていい。デュークの許可は貰ってる」

「了解しました」

「暗部と上手く連携してくれ。部隊長への報告、相談、連絡は密に」

「はっ!」

 了承の返事をしてロランはすぐに去っていく。すぐにでも動き出すのだろう。「無理するな」と言った言葉をしっかりと聞いてくれるといいけれど。

 はあ、ともう一度息を吐き、手にしていた本を本棚へと戻す。対エルフィ戦の為に何かできないだろうかと広げた魔法書だったが、圧倒的に精霊に味方されるエルフィ相手に魔法で戦いを挑んで勝てる確率は低いだろう。

 それでも先ほどロランにも言ったように、昨日のようなエルフィが敵となった場合、あの二人が表に出るだろうことはわかりきっているから、それくらいなら俺が、と思う。第一、緑のエルフィは戦闘向きではないのだ。魔石については情報が少なすぎるし。

 闇は他属性より強い。唯一光属性にだけ酷く弱いが、それもある条件の元では光をも飲み込むある意味最強の属性だ。

 今度あの男と対峙することがあれば、迷わず闇の力を使おう。精霊の愛し子相手にどこまで持ちこたえられるかはわからないが、あの二人を守る為に。

 そもそも俺が学園で医療科を選択したのは、デュークを守る為だ。

 視線を落とし、手のひらを見つめる。魔力を溜めても俺に色は見えないが、アイラが見たら今俺の手のひらは黒く見えるのだろうか。

 決してこの力で、ふさわしくないと判断された王族を屠るために生まれてきた存在ではない。そう信じて医療を学んでいるが、この力でデュークに立ちふさがる敵を屠るのなら悪くない。

 闇の魔力を自らの手のひらに感じても、前ほど悲観的にならずにいることに自分で少し驚く。

 もちろん、ジェントリー公爵家は代々、王家に相応しくないと光の精霊に判断された王族を闇の力で退場させる役目があるというのはわかっている。幼い頃にそう言われてからずっと忘れた事はない。

 以前アイラにも話をしたことがあるが、何代も前に兄弟で王位争いをした王族を諌めたのは暗部を率いたジェントリー公爵家だ。その、力を持ってして。

 だが今代の王も、その息子も民の為に戦ってくれている。現王子と、決まったばかりのその婚約者の間に将来生まれるであろう子が道を踏み外すとも思い難い。

 俺の代でその使命を果たすことはないだろうとは思うが、幼い頃大切な友人だと思っていた王子を万が一の場合は殺さなければならない可能性を示された時は酷く動揺したのを今でも鮮明に思い出せる。

 挙句自分は、この使命を後世に継がせる為に、得られるはずもない愛を諦めてそれでも子を持たねばならないのだと絶望もした、けれど。

「闇使いでも、嫌わず俺と接してくれる人はいたんだな……デュークも、アイラも」

 デュークは俺の立場をすべて理解して、それでも仲間だと傍においてくれる。アイラは自身が傷ついても、俺を見て、傍にいてくれる。

 そこまで考えたとき、どくりと心臓が、いや身体が大きく脈打った。

 まずい、と俯き額を押さえる。なんでこんな時に、と唇を噛みかけて、歯の一部が鋭くなり始めていることに気づいた。

 アイラが欲しい。

 獣のようにそう考えてしまったことにはっとして首を振る。

 だから、嫌だ。闇は、人を欲しすぎる。声も、ぬくもりも、血も、心も欲しがるこの欲求は非常に抗いがたい。まるで理性なき獣だ。

 母はよく耐えたと思う。愛した人間とおれを授かりながら、決して闇の力を父には与えなかった母。

 父は元は光の人間だ。父は母を愛し、いつでも受け入れると言っていたと言うのに、光の人間に闇の力を与えるのは怖いと闇の欲に抗い続けた。

 魔力は高いのに身体の弱かった母。もし闇のエルフィを得ることができてれば、もう少し長生きできていたかもしれないのに……そう言って父が一度だけ泣いたのを見たことがある。

 闇は強すぎると使い手をも飲み込む。その恐怖と常に共にある闇使い。

 愛し愛される相思相愛の関係を築いた相手に闇の力を分け与えると、闇に打ち勝てる強さを精霊に祝福されると言う。そうして精霊を感じることができるようになった相手が、闇に飲まれる前に使い手を助けてくれるのだと。

 だが、与えた相手が闇に負け飲まれてしまえばそれは崩壊を意味する。闇の力はどの属性より強いのだから。

 口元に手を当てれば、普段はない鋭い牙に触れる。

 これを柔肌に押し当て穿ち、貫いたそこに魔力を流し込めば。

「……俺は何を考えているんだ」

 思わず想像しかけたそれを慌てて首を振って振り払い、冷たい水を用意して飲み干す。

 その時、微かに扉を叩く音が聞こえた。


「……はい?」

 まだ牙がそのままだ。デュークならばいいが、いやよくない。お前何を想像していたんだといわれるのがおちだ。扉越しに……と思っていた矢先に聞こえてきた声にぎょっとする。

「フォル、あのね、その」

 詰まったような声を必死に出している扉越しの声はどう考えても泣き声に近くて、慌てて扉を開ける。

 開かれた扉の前にいた少女は、声に反して泣いてはいなかった。……明らかに零れる直前の涙を俺を見上げることで必死に止めているアイラが、ぐっと唇を引き結んでそこにいた。

 思わず動きを止めた俺の前で、アイラは挑むような視線で俺を射抜いたまま再び口を開く。

「ごめんなさい……!」




次もフォル視点。


なお、リクエストいただいた人物紹介を準備中です。少々お待ちください。

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