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黙っていたらベリア様が連れ去られるだけである。なんとかしてベリア様を無事に救い出さなくてはと周囲を警戒していると、ルセナが長い詠唱をしている事に気づく。聞いた事がない詠唱だがフォローすべきだろう。
「水の玉!」
いくつものチェイサーを呼び出し、前で戦うガイアスとグラエム先輩を避けながら男の背後にいるグーラーを攻撃していく。
やはり、というべきか、男は強かった。ガイアスもグラエム先輩も果敢に攻めているのに、ぐったりとしたベリア様を担いだまま片腕の剣一本で二人を翻弄している。正直に言うと「ありえない光景」に見える。上には上がいるとは理解しているし驕るわけでもないが、ガイアスがあそこまであしらわれるなんて。それも、さっきからレイシスの魔法だって通じてない。
先生はハルバート先輩達に合図を送ったようだ。今は遠距離でガイアスとグラエム先輩に敵の攻撃が当たらないよう妨害してくれている。さすがというべきか、遠距離から前衛の攻撃の邪魔になることなく敵の攻撃のみ防ぐ盾を瞬時に生み出すのは恐ろしく集中力がいることだろう。となれば、私の仕事はやはり後ろの獣だ。
フォルと二人でグーラーを退治していきながら、やはり違和感を感じる。
ルセナが初めの長い詠唱を終えたのか、今は何種類もの防御を駆使しているのを確認し、レイシスの魔法の発動からずらしてチェイサーを飛ばしていると、そばにフォルが駆け寄ってきた。同じくチェイサーを打ちながら、フォルはふと目を細めると私の耳元に顔を寄せる。
「アイラ、アルは? 敵の魔力の使い方、おかしくない? まるで……」
言葉を切ったフォルが何を言いたいのか理解して、はっとして周りを見回す。
手にしたグリモワの魔石に触れようとしたとき、脳内に叫ぶようなアルくんとジェダイの声が聞こえた。
『アイラ、使わせない!』
『駄目だ! ボク達の力を使わないで、ご主人様!!』
ぎょっとして手を止める。チェイサーを打ち、減るともう一度紡ぎだしてと繰り返しているのに、グーラーがなかなか減らないことへの苛立ちを感じながら、ジェダイに「どうしたの」と言葉を返す。
『あいつ、風の精霊を使役してる! エルフィだと思う! アイラがボク達を使ったら、感づかれる可能性がある。いつもみたいに確実に倒せるって確証が持てるまで、ボクもアルも力は使えない!』
「……えっ!?」
そんな、と目を見開く。相手がエルフィの可能性は、フォルの一言で気づいたとおりだったが、ジェダイの言葉は予想外だ。
エルフィ相手なら私が、と言おうとすれば、『それで万が一倒せず逃げ帰られたらベルティーニは狙われることになる』とアルくんに告げられて、唇を噛んだ。
今までとは違うということだ。アルくんもジェダイも、『相手に逃げられる可能性』を第一に考えている。精霊である彼らが他のエルフィの存在を他人に教えてくれるのは、珍しい。それ程危険ということで、しかもその相手がルブラで、そしてエルフィである為に私と同じくこちらの正体に気づく可能性があるとなれば……最悪の展開だ。
同時に、納得する。ガイアスとグラエム先輩、そしてレイシスが押されているのは、相手が全力で力を使っているエルフィだからということだ。でも、グラエム先輩だって風の精霊を味方につけているはず。その先輩にまで容赦なく攻撃が加えられているところを見ると、相手は先輩より"上"だ。
とりあえず、アルくんの姿が見えないのは納得した。姿を消しているのだろう、と考えたとき、突如私の盾になるような位置で戦っていたレイシスの背が遠のく。
……違う、私が離れてる。
「え?」
「お嬢様! フォル!」
どんどん離れていくレイシスが叫んで手を伸ばしているのを見ながら咄嗟に防御しようとグリモワを掴んだが、急に身体が不安定になりぐらりと揺れて視界が反転し、目を瞑る。次の瞬間には風に操られ宙を飛び、私と、そしてフォルまで敵の男のすぐそばにいた。
「こうして戦うと、守られるのは君達二人のようだからね。人質にさせてもらおう」
「ぐっ」
まとわりつく風のせいで呻く。最悪だ、なんという使い手だろう。
私とフォルが皆に守られるような位置にいたのが逆によくなかったということか。しかし、敵に近づいた事で私の目の前には今ベリア様がいる。男の肩の上で揺れるだけの少女に、掴んでいたグリモワのページを破り捨て離した手を伸ばす。
「おっと」
軽い動作で男が避け、風が吹き荒れた。しかし、私を攻撃しようとしたであろう風で呻いたのは敵の男の方だ。私の破りとったグリモワの紙片が風に舞い上げられ、男の味方である筈の風のせいで刃となった紙片が男の腕を裂く。
「くっ……!」
「やられっぱなしは嫌なんです、よっと!」
緩んだ隙にチェイサーを男に叩き込み、機を逃すことなくフォルが敵の一部を氷漬けにしベリア様を取り返し、隙をついてガイアスが切りかかる。氷はすぐに融かされてしまったようだが、ベリア様を取り返した今、ガイアスが全力で切りかかる事ができる状況は作り出せた。
私が男に引き寄せられてからすぐ追ってきたらしいレイシスが横に並び、口から漏れる詠唱を聞いて、距離をとらなければと判断しベリア様を抱えるフォルの袖を引く。同時に私達全員を守るような盾と魔力の鎧が現れたと思った瞬間、レイシスの魔法が完成した。
「ファイアーストーム!」
ぶわり、と周囲に熱気が満ちた。熱気と感じるだけで済んでいるのは、直前に先生とルセナの防御魔法が発動したからだろう。
目の前が赤く染まり、男がうめき声をあげたのが掻き消えていく。男が風を使っていた中に、炎と風を融合させた魔法をレイシスが叩き込んだのだ。風の威力は負けたとしても、レイシスの炎は容赦なく敵の風に煽られて広がっていく。
……レイシス、炎の複合魔法使えるようになってたんだ……。
仕留めた、と思った。だが、つんと焦げたようなにおいが鼻をつき、何かに口を塞がれた。
地面が遠く離れていく。しまった、と思ったときには、男の手のひらが口を塞ぎ、腰に回った手に引き上げられて風の魔力で大きく空へと舞い上がっていた。
「んんーっ!」
「静かにしてください、お願いします。まったく、この力を使って押されるなんて。やっぱり特殊科に関わるべきじゃなかったかな」
初めてどこか感情が篭ったような声が耳元で聞こえたが、それどころではない。
また、誘拐とか洒落になりませんから!
もうこうなればエルフィの力を使うしか、と考えて指先を動かした時、私の口を押さえていた男の手がぴくりと跳ねる。
「……ここまでですね。せっかく与えた情報、上手く使ってくださいね。もっとも、機はまだ熟していませんししばらくは君達に手は出させませんから、安心してください」
「んう!?」
「本当は君達の仲間に特殊な人間がいると思って、その情報を得ようと思ったんですがね。聞かずともあの少女に手を出した時思いがけず風の抵抗に遭いましたから、その必要はなくなりました。まあ、遺体は手に入れ損ねましたがパストン家に風のエルフィがいるとわかっただけでもよしとしましょう」
「……え? どういう、」
事? と口元を押さえていた手が離れて言いかけた時、一瞬身体を向かい合わせにされた。が、すぐに腰に回っていた手が私を放す。ふわりと身体が浮く感覚に、あ、と事実を受け止めた脳内が一瞬真っ白になった。
ここ、空中なんですけど。
「ひっ!?」
落とされたのだと気がついたが、同時に今がチャンスだと理解した頭が急速に働きだし、そしてそれより早く私の口は風の魔力で落下を遅らせながら、詠唱を始めていた。
男は風使い、なら。と唱え始めた炎の魔法に、男はすぐさま水の盾の詠唱を開始した。風が味方する彼がレイシスのように相手の詠唱の音を拾い取って次の魔法に備える事ができるのは予測済みだし、私が炎の魔力を練り上げるのは比較的遅いのだとも自覚している。苦手だから。そんなことは、わかっている。だから!
「水の盾……なっ!?」
「遅い! 雷の花!」
炎の詠唱を途中でぶった切り、使い慣れた雷の魔法に切り替え放つ。炎から雷に切り替える際に多少魔力を消費したが、複合魔法を練習していた今それはたいした問題ではなかった。上手く成功した雷の花は急ごしらえながらも相手の水の盾を巻き込み貫いて、男を攻撃する。
がっ、とおかしな息を男が漏らしたのを最後に、私の視界から消えた。身体に感じる風が強くなり、私を覆っていた魔力が消え、重力に逆らうことなく急速に身体が落下し始めているのだと気づく。先ほどまで守るように包んでいた魔力はおそらくルセナの防御魔法だったのだろうが、切れたのだろう。
地面が近づくのがわかってぐっと目を瞑る。
「無茶しやがって!」
「お嬢様!!」
飛び込んできた二人が、私の身体を支えた。軽い衝撃だけで済んだ事にほっとする。
「助けに来てくれると思ってた」
ふっと笑った私をきょとんと同じ顔で見つめた二人が、次の瞬間同時に怒り出す。予想通りだ。
「それはあとで。敵は!?」
「ああ、ハルバート先輩が糸で捕らえた」
「糸……」
どうやら増援が間に合ったらしい。そういえば先輩はそんな魔法を使っていたか、と思い出す。一年のときの夏の大会で直接戦っているのだから、あの糸の恐ろしさはなんとなくわかるけれど……風のエルフィ相手だと不利か。
「逃がしちゃだめだ、いかないと……」
「それよりアイラはベリアを! フォルの様子がおかしい!」
その言葉にはっとして、走る。風歩で大きく跳んだ先で、フォルがベリア様に手を当てうつむいている。
「フォル!!」
ばっと手を伸ばした先で触れた肌にはっとして息を飲む。
つめたい。
雪で冷え切ったであろうベリア様の身体はどこに触れても冷え切っていて。
――あの少女に手を出した時思いがけず風の抵抗に遭いましたから
男の言葉を思い出した瞬間、ぞわぞわと下から冷たいものがせりあがってくる。
なんの流れも温かさも感じない身体。その胸の辺りに手を当てて、魔力が作り出されるはずの波動を感じない事に頭が真っ白になる。
「あ……」
何を言いたかったのかわからない私の声が雪に吸い込まれていく。
周囲に人が集まりだしたのはわかった。おそらく増援の騎士が来ているのだろう。やらなければ。医療科としての自分がやるべき事は頭ではわかっている。
「……クラストラ学園医療科二年、フォルセ・ジェントリー、アイラ・ベルティーニ、緊急時の医師代理として、ベリア・パストン様の死亡を確認いたしました」




