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「デュークには伝える」
話を聞いたフォルが即断してくれてほっとする。王子が不在の時でも最終決定ができる人間がいるというのは、妙に安心感がある。
ガイアスやレイシスもこういった面での決断力はある方だとは思うが、フォルの声はなぜかはわからないが、どこか聞いている方にほっと安堵をもたらすものだと思うから。
さて、そうなるとどう王子にこの情報を伝えるべきか。
王子達に無駄な心配をかけないほうがいいとか、そういうのは無しだ。きっと言わない方が怒られるだろうし、信頼をしてないわけじゃない。
これでもし王子とおねえさまが合流するとなれば、きっと今回来るらしい依頼では何も起こらないのではないかと思う。明らかに王子とおねえさま以外を狙った罠、もしくは戦闘力を分断させるつもりの罠だから。
「それにしてもその依頼とやらが来ないと連絡するにもなぁ」
「今頃アーチボルド先生辺りが必死に止めてるんじゃないか?」
「あー、確かに。ならアイラ、アルかジェダイに先にわかってる部分だけでも知らせてもらったら?」
「了解。アルくん」
声をかけるとすぐに頷いたアルくんがぱっと姿を消す。
それを伝えると頷いてまた相談を始めた皆の会話を聞きながら、フォルと二人せっせと手を動かす。
しばらくするとなぜか会話が止まり、ん? と顔を上げると、ガイアス達に注目されているのに気づいた。
「……さっきからアイラとフォルは何を作ってるんだ?」
「ああ」
話と薬作りに必死になっていたので彼らの視線の意味まで気が回っていなかった私に代わり、フォルがすぐに「解毒薬だよ」と答えてくれる。
そう、私とフォルが作っているのは解毒薬。
ただの解毒薬じゃない。今作っているのは、正確に言えば数日前から作っていたものの仕上げをしているこの薬は、ルブラが絡むと妙に使われている魔力分解の毒の解毒薬だ。
王子が以前城の薬師が作ってくれたのを持ってきてくれた後、フォルとおねえさまと私の三人で頼み込んで作り方を教えてもらっていたのである。ちなみに特別に教えてもらった極秘情報だ。おそらく私達が医療科でいい成績を収めていなければ教えてもらえなかったであろう、重要な情報。
時間がかかる薬なので、以前から作っていた分があってよかった。これなら今日の出発までにいくつか薬をストックできるはず。おねえさまがいればもう少し早かったのだろうが、今はフォルと手分けしてとにかく仕上げてしまうしかない。
「それを使うことがないといい」
ぽつりとルセナが呟くのに心の中で同意していると、ルセナが部屋の隅に移動し大量の本を抱えて戻ってくる。最近ルセナが図書館に通って熱心に読み漁っている本の一部だろう。
「ガイアス、レイシス。防御魔法の情報で探しているものがあるから手伝って欲しいんだけど」
そう切り出したルセナ達が本を囲んで話し合い始めたので、私とフォルも薬作りに集中する。
集中、している……筈なんだけど。
いつも通り、フォルの指先を見ながら次の流れを読み取り、連携して続けていく薬作りの作業は慣れたもののはずだ。たとえ作っている薬が初めて作るものでも、頭に手順を叩き込んであるからそれは変わらない。
なのに今日は、随分とその感覚を掴むのに手間取っている気がする。遅れてはいない、はず。いつもより頭の理解が追いつかないだけで。……疲れているのか、今後の不安か、と考えて、一度そんなものを追い払うように首を振る。
その瞬間ぴたりとフォルの手が止まってしまい、思わずしまったと眉を顰めた。
「アイラ? 調子、悪い?」
「ううん違うの。ごめん集中しきってなかったのかもしれない。もう大丈夫だから」
「……わかった」
フォルが頷いて作業を再開したが、今度は内心戸惑ってしまう。
さりげなく私が次にするべきことをやりやすいように変更してくれていたり、やりやすい単調な仕事が私に回るように調整してくれている。
「……ごめん」
「ありがとう、のほうがいいな」
フォルはふわりと笑みを見せてくれたが、非常に申し訳ない。申し訳なさと悔しさで熱くなった顔を誤魔化すように唇を一度かみ締めた後、ありがとう、と小さく告げるとフォルは楽しげに笑う。
その後は順調に進み、気がつけば部屋が薄暗くなり始めた事に気づいた時、いち早く動いたレイシスが部屋に明かりを灯しながら「来たようですね」と冷静に皆に声をかけた。
同時に、ばたんと開かれる扉からは、苦い顔をしたアーチボルド先生がずかずかと入り込んでくる。乱暴に扉を閉めた先生は、私たちの顔を見るとはっとしたように目を見開き、次いで大きなため息を吐く。
「……なんで準備万端なんだ、お前ら。ああ、だからデュークが……」
先生が私達を見回して頭を抱えながらソファに座り込む。
私達は、出かけられる準備を整えていた。少し前に薬を完成させた私とフォルも着替えを終え、外套もこの部屋に持ち込んである。
「それで、手口は僕が去年騙された時と一緒ですか?」
さらりとフォルが口にすると、先生はもう一度大きなため息を吐いた後僅かに頷いた。
「重要な依頼として持ち込まれたと言われたが、今特殊科は依頼任務を受けない、と伝えていた筈だった。が、それを伝えるより前に来てた依頼だし顧客には関係ないのではと」
学生である以上、特殊科の生徒であるから特別に免除する……なんて話は表面上あってはならない。逆はあっても。
特殊科なのだからこれくらいこなせと学園に言われることがあっても、特殊科なのだから見逃してくれ、とは言えないのだ。
なぜ私達が依頼を受けられないのか明確に説明できないアーチボルド先生が、特殊科宛で学園が受け取った依頼を止めるのは無理だろう。まさか、ルブラに狙われている生徒がいまして、と説明するわけにもいかない。
つまりその場合は……この依頼を受けるかどうかの決定権が、まず私たちにあるのだが。
「俺は反対だぞ」
すぐに顔をしかめた先生に止められる。先生の視線が主にレイシスに向けられているのは、レイシスなら危険だと止めてくれる可能性があるからだろうか。
しばらく見つめあい無言が続く。そんな沈黙を破ったのは、フォルだった。
「先生、デュークは、なんて言ってますか?」
「それは……」
すぐに顔を顰めた先生の反応を見るに、おそらく王子は「受諾する」もしくは「フォル達が行くと答えるなら止めない」と答えたのだろうと察しがついた。だが先生はそれでも納得できないようで、なんとか私たちを説得しようと言葉を重ねていく。
「だが、今回の件はデュークもラチナもいないものとして考えたほうがいいだろう。五人になるんだ、いつもとは違う。去年だって……あれは俺のせいだが、戦力を分断して危険な目にあったんだ。同じ轍を踏むなんて馬鹿な話があるか」
「こんなわけがわからない状態を続けていつくるかわからない攻撃に備えるのも嫌ですよ、先生」
ガイアスがそう話すと、先生はぐっと言葉に詰まる。確かに敵が現れる可能性が高い今回、私たちにとっては接触しにくい相手と接触できる最大のチャンスと言っていい。……危険度は最大、と思っていいだろうが。
先生が止めるのもわかるから、さてどうするか、と悩んでいると、パンパンと手を叩く音がしんとした室内に響く。
「とりあえず依頼内容を教えてください、先生」
フォルがそういうと、先生がしぶしぶといった様子で鞄に詰め込んでいたらしいしわくちゃになった依頼用紙を取り出した。
受け取ったフォルを囲むように皆が集まり、私も背後からそれを覗き込む。
ふむ、依頼自体はなんてことはない、ちょっと特殊な薬草を採取し、この時期重要なしつこい風邪の薬を作るというもの。やっぱり期日はぎりぎりで間に合わせるなら今夜か……ん?
「これ、狙いは私かフォル? 医療科がいないと無理な依頼ね」
「僕たちのどちらかが必ず来るように仕向けた依頼ではあるだろうけれど」
「考えすぎじゃないか? どうせ俺たちがまとまって動くのなんて予測してるだろ?」
「いや、どちらにせよ十分警戒したほうがいいだろう。相手はルブラである可能性が高いんだから」
私達の会話で、先生がどんどんと顔色を悪くしていく。
やっぱり危険だよね。わかってはいるんだけど……。わざわざつかまった仲間の口封じまでするあいつらが、今まで尻尾すら掴めないあいつらが、こんな機会でもないと出ては来ないだろうし。
ちらりと周りを見渡すと、皆も真剣な表情で依頼用紙を見つめ考え込んでいるようだ。
ふわり、と目の前の銀糸が揺れる。
「父に連絡を入れます。うちの暗部に動いてもらい、万全を期して依頼をこなしましょう。デュークが許可したということは、隠密行動が得意な騎士もすでに準備している筈です。デュークがなんの策もなく僕たちに危険な事をさせたりはしないだろうから」
その自信に満ちた声に、私達はそれぞれ頷きあって、立ち上がったのだった。
「ったく……わかった。なら去年と同じ、俺も一緒に行くのが条件だからな!」
先生が乱暴に立ち上がり、部屋の先生専用の机に移動するとがちゃがちゃと鞄の中身を取り出して準備しだす。
「先生……」
「異論は認めない! 依頼に俺がついていくことはある。俺一人増えたところで敵もどうもしないだろ」
ふん、と鼻息荒く語る先生を前に、私達は顔を見合わせて苦笑し、なら、と準備を続けたのだった。
「アイラ」
「はい」
先生に呼び止められて顔をあげると、手を持ち上げられその手に何かを握らされた。
緑色のつるりとした表面のそれを見て、ラビリス先生特製の石だと気づく。それが二つ。
「お前とフォルは追加で持って歩いてくれ。いいか、無理はするな」
「……はい」
いまさら行くなとは言わないが、と不機嫌に言いながら、先生が立ち去っていくのを見つめる。つまり一つはフォルに渡せばいいのだろうと納得し、ポケットにしまいこむ。フォルは今ジェントリー公爵に連絡を取っていてここにはいないのだ。どうやら、今日呼ばれているのは王子とおねえさまだけではなくて、重要なポジションにつく貴族達などがほとんどらしく、ジェントリー公爵も例外ではなかったようで連絡に手間取っているようだ。おねえさまが呼ばれたということはもしかして、発表はせずとも王太子の婚約者として認められてのことだろうか。
フォルが言ったとおり、あの後王子のところから戻ってきたアルくんによると、王子はなんとハルバート先輩を筆頭に何人か騎士を手配し、ひっそりと依頼場所に先に向かわせた、と私達に伝えて欲しいと言っていたらしい。
久しぶりに大きな戦闘の予感に、どきどきと煩い胸を両手で押さえつける。大丈夫。罠だろうが、きっと勝つ。負けるわけにはいかない。
「なにこれ……」
依頼の薬草を取りに来た先の森の中で、私達は息を飲んだ。
ここまでは無事だった。ジェントリー公爵を含めて王子とフォルたちが少ない時間で迅速に作戦を立て、用意が整ってすぐに王都を飛び出した私達は近くの森に来ていた。
罠だ罠だと思ってはいたし、覚悟を決めてきた筈だ。そして珍しい薬草が生息している場なんて限られているから、その場に敵が待ち構えていると予測はしていたけれど、そこにいたのがまさか。
「ベリア様……?」
最近見ないな、と思っていた彼女。
彼女が、雪に埋もれかけた希少な薬草に囲まれてそこにいる。
雪明りの中で、赤黒いものに包まれて、浮き出る程異様な……蒼白な、生気のない顔で横たわり、目を閉じて、そこに。
「なんで」
ぽつりと呟くのは、つい先ほどやはり待ち構えていたらしく、私達を見つけるなり勝手に合流したグラエム先輩だ。同じく真っ青な顔で、目を背けたくなるような光景の中横たわる彼女を見つめている。
身体が動かないのは、レイシスが必死に私の腕を掴んでいるからか、それともすでに「遅い」と頭が理解しているからなのか。
「彼女は知りすぎたんだ。殺すつもりはなかったのだけど」
少しくぐもった、しかし場違いなほど穏やかな男の声が聞こえて、私達は一斉に身構えた。
森の奥、少し先に、たくさんの獣……おそらくグーラーを、従えるように後ろに控えさせた男が、一人。頭からつま先近くまで、さらに口元までも布で覆っているせいか、特徴が掴めない男。
「取引をしようと君らを呼び出したんだけどね。先に彼女に嗅ぎ付けられてしまったから。悪かったよ」




