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「おかえりなさい」

 扉を開けて疲れた様子で帰ってきた王子を、先ほどまで落ち着きなくハラハラと待っていたおねえさまが慌てて出迎える。

 おねえさまを見てほっと顔を綻ばせる王子を見て思わず部屋にいる皆がこそこそと目を合わせあう。貴重だ、あんな笑顔。いつもと違う甘い笑みに、無事に帰ってきたとほっとするべきかお決まりな礼儀としてからかっておくべきかと一瞬考えて、私は口を噤む事を選んだ。

 ジェダイは先ほどグリモワの中に戻ってきた。だからこそ知っている情報があるが、私は誰にも話せずにいた。特におねえさまには、知らせるにしても私が言うべきではないし。

 そのせいで無駄に一人落ち着かず、皆にバレないようにさっきまで引きこもっていたのだけど……王子の様子を見るに、彼は少し疲れているようだがおかしな様子は見受けられない。

 言わないつもりか。そう考えて、目を逸らす。……そりゃ確かにあえて言う内容じゃないけれど……愚痴くらいなら、聞くんだけどな。


 王子は、成人の儀と同時に王よりこの国の王太子として認められた。

 それは喜ばしいことだし、元よりたった一人の王子。反対意見なんて面と向かって言うやつはいないだろう。だけど……。

 リドット家のことがあるとはいえ、王太子の祝いの席は表面上は丁寧に円滑に進んだものの、非常に重苦しい空気だったらしい。

 もちろん無礼講の飲めや歌えやの場ではなく儀式的な意味合いが強いものだとは知っているが、王子に祝いの言葉を向けても貴族達から出てくる言葉は不安ばかりであったようだ。侯爵の死が公にされたのもあるだろう。

 侯爵が抜けた穴はどうなされるのか、とか、侯爵家はどうなるのかとか。罪を犯したということはわかるが、いったいなぜ侯爵は死んだのか、とか。

 少なくとも祝いの席で言う言葉ではない会話がそこかしこで囁かれていれば、王子はさぞ居心地の悪い思いをしただろうに。

 貴族達も、政において重職についている者達も、ほとんどはルブラの存在を知らない、という事にはなっている。知っているのはごく一部の筈なのだ。だからこそ得体の知れない何かに怯えているのだろうけれど。

 ふと視線を感じて顔をあげると、お茶を淹れると離れたおねえさまを気遣いながら、王子が私を気にしていた。目が合うと、王子は僅かに眉を顰める。……知ってるってバレたか。やっぱり部屋に引きこもっているべきだっただろうかと考えて、内心で違うと首を振る。

 この上、私達まで王子を祝わなくてどうする。


「デューク様、おめでとうございます」

 朝、皆と一緒に祝いの言葉は述べたけれど、今度は友人として、笑顔でそう声をかけると、ルセナを筆頭に皆がわらわらと王子を囲んだ。

 私は一人部屋の奥へと走り、冷やしておいた箱を持ち上げて戻る。

「デューク様! もしお食事できそうなら、私たちともお祝いしましょう! 新作のケーキがあるんです」

「新作? ベルマカロンのか」

 この世界に誕生日をケーキで祝うという習慣はない。ベルマカロンができるまで菓子という菓子がほとんどなかったのだから当然だが、今回の新作は特別だ。

「ベルマカロンの新作ではなくて、アイラ・ベルティーニの新作なんですよ」

 思わず笑みを浮かべながら、おねえさまが人数分のお茶を淹れていくれているのを確認してテーブルへとケーキを運び、箱を開けて見せる。

 集まった皆がそれを見て驚いているのを感じ、満足して胸を張って見せた。ぺたんこだけど。

「お誕生日ケーキです! うまくできているでしょう?」

「すごいな、名前が書いてる。しかもおめでとうって書いてあるし」

「果物いっぱいで、おいしそう! この時期にこんなにたくさんの種類を手に入れるなんて、おねえちゃんすごい!」

「なんて美しいケーキかしら。さすがアイラね」

 ケーキを出したことで和やかになった場にほっとしつつ、どうぞどうぞと皆に着席を促す。

 そう、このケーキ、ホールでまるごとの誕生日ケーキである。しかも、サシャに頼んで試作中のチョコレートを分けてもらって、溶かしたチョコで名前と祝いの言葉を書いたのだ。

 まだ製品化に至ってないとはいえ十分皆にお勧めできるレベルのチョコレートに大満足である。さすがサシャ、私も負けてはいられない。

 甘いものが嫌いではない王子が、喜んで頂くと言った事で場は一気に賑やかなお祝いモードに突入し、失敗しなかったことにほっとして私もケーキを切り分け席に座る。

 王子が楽しそうに笑ってるの、久々に見た。

 そんな王子を見て喜ぶおねえさまも、久しぶり。

「アイラ、アイラのケーキはすごいおいしいね」

 隣に座ったフォルがそう言って微笑んでくれて、久しぶりの空気をとても大切だと感じる。ふと脳内に、この前のガイアスの言葉が過ぎった。


 ――仲間を助けるためとか守るために強くなるのって悪くないし。


 そうだ。私はここにいる仲間をとても大切だと思う。守りたいと思う。そして、ここにはいないけれど守りたい人は、たくさんいるのだ。

 学園に来て情報を得る方法が少なくなった気がしていたけれど、交友関係は広がっているのかもしれない。……ほっとして肩の力が抜けた気がした瞬間、昼間にガイアスに見せてもらっていた炎と地を混ぜ合わせた攻撃魔法が、すとんと落ちてくるように頭で理解する。

 ……あ。コツ、わかったかも。

「ガイアス! なんかあの魔法できそう!」

「は!? なんで今!?」

 ぽろりとイチゴをフォークから落とすという典型的な驚き方をしたガイアスが心底不思議そうに私を見つめるのに、私は得意気な笑みだけを返したのだ。



炎の大地ファイアテール!」

 私が発動呪文を唱えた瞬間、練習場の的の足元に火が走り、周囲を熱気が満たす。

 逃げ場なく囲うように的を包んだ炎の動きは次は上へと昇り始め、ガイアスの「そこまで」という声で私が生み出した水がその炎を飲み込むまで燃え盛り、跡に何も残さなかった。

 昨日王子を祝った時に急に使えると確信を持ったが、やはり目の前で成功するのを見ると嬉しさに口角が上がるのがわかる。ここにいるのがガイアスとレイシスだけなのが残念なくらいだ。

 自慢しようにも今日は王子とおねえさまは城に呼ばれているし、フォルとルセナは調べ物中だ。

「おー、欠片も無しか。アイラ、完璧。かなりの精度だな」

「よかった! いつかエリュプシオンまで使ってみせるから」

「それは調子乗りすぎだって!」

 炭すら残らない辺りを見渡してから、私の言葉でガイアスが苦笑する。

 エリュプシオンはガイアスが得意とする炎と地をあわせた魔法で、足元がマグマで満たされたような状態の上火柱まで噴出す、超難易度の高い上級魔法だ。

 初めて見たときは恐怖した。ガイアスが生み出す魔法は昔から派手ではあったが、喰らうほうではなく見るほうにも確実にダメージを与える見た目の魔法だった。

 私が使える上級魔法もそこそこ難易度は高いけれど、エリュプシオン程ではないだろう。ただでさえ練り上げるのが難しい魔法なのに、複合だ。ガイアスの器用さ恐るべしである。

「……負けてられないな」

「レイシス……」

 驚いて見つめる私に苦笑して見せたレイシスは、さて、と言って練習する為にだろう、離れていく。

「よかったな、アイラ」

「うん」

「じゃあさっきの魔法、忘れないうちにあと二十回は連続でやるか」

「鬼!」

 ガイアスに熱の入った指導を受け、くたくたになった頃。

 漸く屋敷に戻ろうというときに、気配を感じて身構える。咄嗟のことであったが、それは私を守るように囲んでいた二人も同じようだった。


「おお、上出来上出来」

 聞き覚えのある軽い口調に、がくりと力が抜ける。ガイアス達も正体に気がついて、武器を掴んでいた手を下ろす。

「グラエム先輩」

「僅かな殺気でその反応の速さ、双子はともかくお嬢ちゃんは十分な成長だな、今まで学園では結構気を抜いていたようだし」

 とん、と軽い足取りで木の枝から降り立った先輩は、出たばかりの練習場の一室へと私達を押し込むと後ろ手に扉を閉めてしまう。

 その瞬間ぴりっと空気が緊張を孕んだものに変わるのだから、きっとガイアスとレイシスも気づいたのだろう。……先輩がただ私達をからかうために来たのではないと。

「にしても、試されるのは面白くないっす、先輩」

「そういうな双子兄、おまえらのお嬢さんはこれくらいじゃ前はスルーしてただろ。自分に向けられる敵意に慣れすぎてたしな」

 むっと眉を僅かに寄せたのにレイシスが何も言わないのは、そうだと肯定する思いがあるからだろうか。……面目ない。

 それでも気を取り直したレイシスが「それで」と話を促すと、それまで飄々と笑っていたグラエム先輩が眉間にしわを作る。

「敵さん仕掛けてきたぞ」

「……え?」

「このあと今夜指定でお前ら特殊科に、『教師が断りきれなかった』依頼が来る。ちなみに今日、王太子とその婚約者はたまたま王に呼ばれて城に泊まることになっているのは知っているな? すでに出発済みだ」

「つまり」

「俺たちだけで」

「行けって事かぁ、いやいや、デューク怒るだろう」

「仕方ないだろ、つまりその状況を敵がお望みだってことだ。さて、この情報をどう使うかは自分で決めろよ」

 そういうと、よっと軽い足取りで地面を蹴り先輩が立ち去ろうとして、慌てて止める。

「先輩は、どうするんですか!」

「……言うと思う?」

 にやり、と笑った先輩が立ち去っていく。

 その後姿を見ていると、慌しくいつも去っていくベリア様を思い出す。さすが双子、ガイアスとレイシスよりは似てないけど。……そういえば最近ベリア様のこと見てないな、と今現在においてどうでもいいことを考えている辺り、私の脳内は混乱しているのだろう。

「……どうする?」

「とりあえず、フォルとルセナに相談じゃないか? 正直、デューク達に言わないで行くっていうのは賛同できないな」

「私も。罠だってわかって飛び込むのはやめとこうかな。なんかこれって……」

 去年の事を思い出す。私とフォルが、さらわれたあの時と状況が似ているような気がして。


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