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「すごい雪だね」

 トルド様の声で顔を上げた私たちは、教室の窓の外を見て次々同意の言葉を呟いていく。

 普段どおりのようで、それでも皆の声はどこか暗い。いつもどおりの会話のせいで、そこに一人分、声が足りないことに嫌でも気づかされた。


 アニーとレディマリアが誘拐されてから少し経った。


 臨時休校として一日授業がなくなっただけでその後は普通どおり授業が開始されたが、学園内はやはり落ち着きがないように思う。

 リドット侯爵が、そして学園の生徒でもある娘の侯爵令嬢が行方不明という噂が広がっているのだ。レディマリア様が保護されていることも侯爵が亡くなっていることも伏せられているようだが、ことは高位貴族、それも政において発言権の強いリドット侯爵が絡んでいるのだから、その噂が落ち着くのはもう少し先であろう。

 そんな中で、男爵令嬢であるアニーが授業を休んでいるのはただの体調不良とされ、特に気にされている様子もない。落ち着かないのは私たちの班だけだ。

「君たちは会えているの? 体調大丈夫そう?」

 名前を言ってはいないけれど、トルド様が言っているのはアニーのことだろうというのはわかる。だがその質問に答えることができる人間はこの場にはいなかった。

「……僕たちもわからないんだ。あ、トルド、そっちの資料の薬草のことなんだけど」

 簡潔に答えたフォルがそのまま話題を変えてしまい、トルド様の視線は私とおねえさまから外れる。おねえさまと二人顔を見合わせて、わずかにため息を吐いた。

 アニーとは、会えていない。アニーはまだ城の敷地内の医療施設にいると王子からたまに報告が来るくらいだ。

 元気ではいるが、もう少し休んでもらうと。気にはなるし、あの時のアニーからそこまで時間がかかる程ひどい症状は見受けられなかったのだけれど、王子が大丈夫だと、少し様子を見ているだけだからと言うのを信じる他ない。


 紳士科と淑女科は、かなりの騒ぎになっているらしい。

 リドット侯爵に世話になっていたらしい貴族はもちろん、その子息、縁戚にいたるまで大騒ぎとなっており、それはもちろん学園の生徒たちにも影響している。

 亡くなっている事ではなく、悪事に加担していたらしいという噂だ。皆が皆手のひら返したようにうちは違うとそ知らぬふりを始めたり、何か言われたわけでもあるまいに怯えたりと反応は様々らしいが、具体的に話は何も出ていない筈なのに噂だけで忙しい事だ。もちろんそんな生徒たちの態度をつぶさに観察し膿を完全に出し切ってやろうと動く生徒たちもおり、その影響は将来有望な騎士科にも及んでいる。

 リドット侯爵家にはレディマリア様より少し年下の長男がいる。彼の所在ははっきりしているが、ルセナより幼く今は十歳だそうだ。とても彼が支えることができない事態を、当主不在のリドット家がどう対応するのかまだ決まってはいない。罪によっては、そもそもリドット家の爵位自体がなくなってしまうかもしれないのだ。

 王子はひどく忙しそうにしているし、将来護衛を含んだ側近としての活躍を期待されているファレンジ先輩とハルバート先輩も最近は姿を見かけない。フリップ先輩も忙しくしているようだが、カーネリアンからベルマカロンにもビティスについての調査が入っていると聞いているから、そちらの対応かもしれない。もちろん疑われているわけではなく、リドット家の罪を明確にする為への協力要請による調査受け入れのようだけれど。


 他にも今回の件で目立った動きといえば、王子の成人の儀の件だ。どうやらこんなときだから先延ばしにしてはという意見が出ているらしく、それに対しランドローク公爵家やフォレス伯爵家が中心となって反対し、収めるのに苦労しているらしい。

 先延ばしにしてはいけない、と言っているのはハルバート先輩達の実家だ。罪を犯した侯爵がいるからこそ、次代の王になるべく王子の成人の儀はしっかりと行うべきであるし、むしろ侯爵家のことで成人の儀を遅らせるなどあってはならないと主張している。

 延期すべきと言っているのは侯爵が遺体で見つかったと知っている一部高位貴族と、政の中心にいる貴族達。突然重要なポストの人間がいなくなったのだから十分に準備ができないのでは、という建前の元、大急ぎでレディマリアにとって代わり王子の婚約者に娘もしくは縁戚の少女を宛がおうと奔走しているのだろう。

 亡くなっていると知っている貴族は別の理由かもしれないが、元より成人の儀は祝いではあるが晴れやかな舞台というよりは次期王がしっかり育ったと知らしめるようなものであるはずなので、おそらくこのまま成人の儀は行われることになるだろう。たぶん、一番軽い処分でも侯爵は亡くなるより前に遡ってリドット家の当主から降ろされたことになるだろうし問題はないはず。


 学園では、生徒会が王子の成人祝いに年明け前に開く予定だったダンスパーティーを取りやめるとすでに発表している。

 理由は主役である王子が成人の儀の前で多忙だということで、公式ではないパーティーで負担をかけたくないといった若干無理やりなものだが、パーティーの為にと一番出資していた筈のレディマリア不在も大きな理由かもしれない。こちらは取り止めになったところで、成人の儀さえちゃんと行っていれば問題ないだろうし。

 というか本当に、王子の出席は無理だろうしな、と考えながらペンを動かす。最近知った事だが、成人の儀を迎えた王子は無事王太子としてその名を国内外に知らせる事になるのだとか。別に王子は王太子の座を争う兄弟がいたわけではないので何か大きく変わるというわけではない、と本人は話していたが、その顔つきにはどこか緊張が含まれていたように思う。忙しいのも納得だ。

 私たちは今、授業で進めた分を手分けしてアニーが復帰したときにわかりやすいように紙にまとめているのだが、紙にまとめるとなると思ったより量は多い。普段実験でさらりと済ませていたけれど、私たち結構難しい調合もやるようになったのだなとペンの手を止め書き記した文章を読み返す。

 こうしてばたばたとすごしているうちに、年を越すのだろうか。その時アニーは無事に戻ってきているのだろうか。

 今考えてもわからないことを頭で考えながらまとめた用紙を集めてトントンと机に載せ整えていると、わずかに違和感を感じて眉を寄せる。

 しまった、紙で切っちゃったか。

 そう考えて顔をあげ……ぎょっとして目を見開く。

 はくはくと声にならない声をあげて口を動かした私を見たフォルが、自分の状態に気づいたようでばっとうつむいて額に手を当てた。

「フォルセ?」

 トルド様が不審な行動をとったフォルの顔を覗き込もうとしたのを見て慌てて立ち上がる。

「と、トルド様! アニーに渡すノートこれで全部か確認してもらってもいいですか? 私一緒に見本の薬草もつけたらどうかなって思うんですが」

「え? ああ、いいかもしれないね、この薬草は絵で書くより見たほうが特徴つかめるかも」

「探してきます! フォル、手伝ってくれる?」

 ぐい、とフォルの後ろに回り、かばうように前に立って背でフォルを押し準備室へと押しやる。よかった、ここ準備室の近くで!

 不思議そうにしているおねえさまに誤魔化すように笑って見せると、なぜかにやりとした笑みを向けられた。おねえさま違います! でもおねえさまにも言えないし!



「……フォルどうしたの!? 目、それにたぶん口の中、歯が……っ」

 準備室の扉を閉めて早々顔を覗き込んでそう小声でまくし立てた私を見下ろしたフォルが、ごめん、と呟きながら目元を隠していた手を外す。

 フォルの瞳が、いつもの美しい銀色ではなく、わずかに赤を滲ませている。

「疲労、かもしれない。本当にごめんアイラ」

 ふっと以前風邪をひいて弱ったフォルが同じような状態に陥ったことを思い出して、慌てて額に手を乗せる。伝わる体温は得に異常なものでなくて、ほっと息を吐いた。

「フォル……どうしたの、疲労なんて珍しい」

 医療科であるぶん、私たちは体調管理には気を配れる筈だ。少し咎めるような視線を送ってしまったが、はっとしてもう一度顔を覗き込む。

「もしかしてフォルも王子の手伝いをしているの?」

 ハルバート先輩とファレンジ先輩が忙しいということは、将来王子のそばで支えるのが目標だというフォルも同じような立場だ。こくんと頷いたフォルを見て、どうして気づかなかったんだろうと自分の思慮の浅さに舌打ちをしたい気分になる。さすがにそこまではしないけれど。

 すぐにフォルに手のひらを向け、頭のてっぺんに当ててからゆっくりと下げていく。やはり、魔力が若干乱れているようだ。この流れならば間違いなく疲労だろう。疲労回復の魔法はあるが、一番の薬は睡眠だ。

 治癒を施し手を動かしていると、フォルの肩の辺りまで降ろしていた私の手のひらが、ぐっとフォルに掴まれる。

 そのままフォルはずるずるとその場に私を引っ張ったまましゃがみこんでしまいつられて上半身を屈めると、空いた片腕で顔を隠すように頭を抱えたフォルがはあとため息を吐いた。

「ごめんって言ってるのになあ、アイラまた警戒してない」

 何かを呟いたフォルの手があたたかいと感じてすぐ、掴まれていた腕を見て先ほど怪我をした指先を治療されたのだと気づく。

「あ、ありが……ご、ごめん! 私のせいか!」

 どうしてフォルの目が赤くなったのか。疲労という言葉に惑わされていたが、要はかなり疲れていたところで私の血を見て反応してしまったのだろう。

 フォルは顔を隠していた腕をずらしてちらりと私を見上げた後、小さく「だから、もう」とどこか呆れが混じる声で呟いて笑った。

 そのままぐいっと手を引かれ、私は両腕で支えてくれたフォルの前にそのままぺたりと座り込む。

「目、どう?」

「まだ赤いよ。もう少し待とう?」

 血を見ただけでこうなってしまうのなら、フォルは疲れがたまるような状態は続けないほうがいい。そもそも誰の血でもこうなるのだろうか? ブラディアのことはわからないことだらけだ。

 なら、王子に言って少し仕事を減らして貰ったほうがいい? フォルは自分で言わないだろうし。……いや待てよ、勝手にそんなことしたら王子もフォルも困るかもしれないし……

「アイラ」

 いつの間にか考え込んでいた私は口元に当てた手をフォルに引かれ、はっとして顔を上げた。

 じっと見つめる瞳からだいぶ赤い色が抜けてきているのにほっとすると、「言わないで」と囁かれる。

「もうこうならないように自分で加減する。だからデュークには言わないで、今負担をかけたくないんだ」

「……うーん」

 自分で気をつけると言ったって、フォルは私が気づくまで自分の目が赤い事に気づいてなかったろうに。

 でも、と考えながら唸ると、フォルは照れたように笑う。

「ちょっと無理した自覚はあるんだ。次は気をつける」

「無理したって……わかってたのに休まなかったの?」

「うーん。ちょっと自分が変わりたかったっていうか」

 そう言ってフォルは苦笑し、しゃがんでいた体勢から腰を下ろし私の前に向かい合って座る。

「デュークもラチナも、今頑張ってる。デュークは言わずもがなって感じだけど、ラチナも実はかなり無理しながらフリップのこと手伝ってるみたいでね」

「うん」

 それは、知っていた。おねえさまが最近夕飯を食べた後すぐに部屋に引きこもって、フリップ先輩を手伝ったり自身の情報網を使って調べものをしたりしているらしいというのは、聞いている。

「僕は今までそういう事から逃げていたから。どうせ、とかどうにもならない、とか考えて。でも最近はそうじゃなくて……ああ、なんて言ったらいいかな。とにかく、気持ちがわかるっていうか……何か手伝いたくて」

 逃げていた、というフォルの言葉はよくわからないが、とにかく王子達のことを思っての行動らしい。それには同意できるので、なら、と顔を上げた。

「手伝いたいのは私もガイアスもレイシスも皆一緒だと思う。だからフォルがまずいって事になる前に、教えて? 私にできることなら手伝うし、ガイアスだってレイシスだって、ルセナだってそうだと思う。……そりゃさすがに、政に関する書類とかだと私達じゃ無理だけど」

 うん、ありがとう。そう言って笑うフォルがあまりにも綺麗でそのまま声が出ずに見つめていると、フォルはさて、と言って立ち上がる。

「アニーに渡す薬草、探すんだよね?」

「え?」

「ふふ、助けてくれてありがとうアイラ」

 薬草を探し始めたフォルの背中をしばらく見つめ、漸く皆にそう言って準備室に逃げてきた事を思い出した私は、慌ててフォルを手伝った。



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