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「な、なんでレディマリアが……!?」

 驚いた様子のガイアスの横で、私はかくかくと震える足をなんとか動かし一歩近づいて、その傷だらけの身体を見下ろす。

「アイラ、私魔力が使えないの。薬もなくて、レディマリア様、怪我をしてから随分時間が……アイラ!」

 取り乱した様子のアニーに名を呼ばれ、はっとして駆け寄る。いけない、ぼーっとしている暇はない。

 すぐに全身の上に手のひらを滑らせながら、アニーは無事なのかと尋ねれば、問題ないと彼女は首を振る。

「アニー、何があってこうなった」

 すぐに近づいてきたガイアスが震えるアニーの肩を支え立ち上がらせると、アニーと入れ替わってフォルがレディマリア様の治療の為にその位置に屈んだ。

「わかりません。いきなり連れてこられたこの場所で、男が私達を手荒に……その。私の魔力を抑えようと道具を持った男に押さえつけられた時、レディマリア様が男性をひっぱって離そうとしてくれたんですが、逆に……その後は私も気を失ってしまって気づいたらこんな状態で」

「わかった。悪い……今はもう無理に話さなくていいから」

 次第に震えていく声を聞いて、ガイアスがそれを止める。

 とりあえずわかったことは、やはりレディマリア様は助け出されたのではない、誘拐されたということか。

 致命傷になるような深い傷はないが、殴られたような痕もあり痛々しいその姿にぐっと唇を噛む。疑われていた彼女は、どうみても確実に被害者側だった。

 ふと、横たわる彼女の左手首に違和感を感じそっと触れる。駄目だ、暗すぎる。こんなところじゃまともな治療になりはしない。

「ざっと魔力漏れの検査だけして、大きな怪我を塞いで外に連れ出そう。アイラ、検査はするから治療を」

「了解」

 とりあえず怪我を治さなくては、と手をかざしたとき、ふと違和感を感じる。

 気づいてしまえば背をだらりと汗が流れ落ち、唇が震えた。

「魔力漏れ……してた……?」

「これは……」

 致命傷はない。けれど、しっとりと血に塗れた左腕を持ち上げた時、まるで破裂したような傷が薄闇に浮かび、思わずうっと唸る。

 すぐにそこに治癒を施すが、これは恐らく……内部に溜まった魔力漏れが破裂したのではないか。いや、それにしては範囲は狭いような……状況的に手首から下が消えていてもおかしくはなかった筈。

「アイラ。そこ……破裂寸前だったので、応急処置をしたんです。……無理矢理」

 封じられて魔力が使えないはずのアニーが、搾り出すような声で教えてくれたことで状況を理解する。きっと溜まりに溜まった魔力が破裂する直前にアニーが外部から穴を開けたのだ。怪我をさせるという形で、魔力を逃がしたのだろう。

「アニー……必ず助けるから安心して」

 治療のためとは言え、アニーもどれだけ怖い思いでこの処置を施したのだろうか。

 そこまで考えた時はっとして、私はアニーに手を伸ばす。

「アニー! どうして隠すの!」

 アニーの手は赤黒く染まっている。恐らくレディマリアの応急処置の際に膨れ上がった魔力を直接喰らったのだ。きっと指は動かすことすらできないはず。

「これくらい大丈夫だから、アイラ。レディマリア様を……」

 かたかたと震えるアニーを見て、ぐっと唇を噛む。さっと視線を動かし、私はアニーのそのぼろぼろの手首を縛る金属製のブレスレットを掴む。

「ガイアスこれ外して。アニーの魔力を吸い取ってる魔道具だわ」

「わかった」

 言いながらまた一箇所治療を終え、次の治療を開始する。

「あとは魔力漏れはない。アイラ、そこが終わったら上に行こう」

「俺が運ぶ。ルセナを先頭、その後ろにガイアスと俺、アイラとラチナ嬢ちゃんでアニーを支えて来い。フォルとレイシスは殿を頼む」

 黙って様子を見ていたファレンジ先輩が意識のないレディマリア様をさっと抱え指示を出すと、すぐさま動き出したルセナに続く。

 私とおねえさまでアニーを支え、アニーの指先を治療しながら足早に歩き上に戻ると、騎士が男を捕らえているのが見えた。三人とも捕らえられている事にほっとして、こちらを見て目を丸くしている王子の下へ駆け出す。

「デューク様。レディマリア様は誘拐されていました。ひどい怪我を負っています。今すぐ治療を」

「……どういうことだ。……いや、わかった。こちらは終わったから――」

『アイラ!!』


 私が王子の言葉を聞き終える事はなかった。


「させない!」

 私の叫びとグリモワが王子を庇うように広がり向けられた何かを弾くのはほぼ同時。バチンと青白いような光が弾け、それが雷系の攻撃魔法であることを主張した。

「ルセナ! 緊急事態!!」

 叫んだ私の声を聞いた瞬間、ルセナの防御壁が平屋の家屋の壁に沿ってぐるりと囲むように展開される。その中である一点に向かいアルくんとジェダイが全速力で飛んでいった。

 まさか本当にこんな事態になるとは、警戒していたくせに信じたくはなかった。


 緊急事態、と私が叫ぶのは、敵の精霊が現れた合図だ。

 ジェダイが悲鳴をあげた。「またか」と言う悲痛な叫びは、同族を哀れむものか。

 赤い目をした精霊を確認したのはほんの一瞬。そして私が睨みつけた先の、この家の入り口に新たな存在。

 見覚えのあるあの長身の男は……ガイアスとレイシスに薬を売った売人か!


 睨み付ける私の横に並んでいるレイシスも、以前私があの男にルブラの紋章の刺繍があったと知らせているし、捕らえた烙印の男があいつは妙な組織にいると証言しているからルブラであると間違いなく理解している。だからこそ伝わる鋭い気配に、たじろぎそうになるのを必死で耐えた。

「お嬢様、くれぐれも悟られないよう」

「うん」

 短く会話を交わし、あえて私は精霊の方向を見ないようにしながらレイシスの横から一歩下がる。

 赤い目の精霊は心配だが、アルくんとジェダイに任せるしかない。二人には予めしっかり魔力を渡している。あの男の意識が完璧に私から外れるまで私は決して精霊を見ない。それが約束だ。

 すっと、無表情にも見えたルブラの男が眉を寄せた。その瞬間、ガイアスが飛び出す。

「余所見すんなよな!」

 長身の男が手を握り締めながらガイアスの繰り出す剣を避け、自身の剣を構えなおした。はじめ様子がおかしかったのは、恐らく自分の精霊が反応がないことに気づいたからだろう。アルくんとジェダイが上手く足止めしている証拠だが、そちらに気をとられるのはよろしくない。

 ぐっと堪えてファレンジ先輩のところまで下がり、ハルバート先輩と一緒に王子とその婚約者であるおねえさまについていて欲しいと伝える。

「だけど……」

「大丈夫です先輩。ガイアスとレイシス優秀なんですよ?」

「……知ってるけど」

 眉を寄せたファレンジ先輩はレディマリア様を抱えているし、何よりハルバート先輩とファレンジ先輩には相手に精霊がいた場合の対処法を伝えていない。

 アニーをおねえさまに任せ、ファレンジ先輩と一緒に王子のところまで下がってもらう。代わりに前に出たフォルが、私の横に並んだ。

 既にレイシスは状況を見ながらガイアスのフォローに回り攻撃を開始しており、その場合二人の連携が一番強いのでフォルが私の護衛につく手筈になっている。というより、私とフォルはお互いを守るのだ。

 騎士は状況を冷静に判断しているのか、下手に手を出さずルセナの防御魔法を感じ取りそれぞれ捕らえた敵をまとめ、一人が自由に動ける状態で集まり固まってくれている。さすが王子が認めた騎士だ。

 ガイアスとレイシスが見事な連携をしている中下手に手を出すのはかえって邪魔になる。ガイアスが追い詰め、レイシスが完璧なフォローをして敵に隙を与えない。そんな中、良く知る私が二人の攻撃の合間に決定打になるような攻撃を放っていく。

 男は弱くはない。が、この人数を相手にするのはやはり無理だったようだ。

「酸の雨!」

 敵が身体に纏わりつかせている魔力の鎧を溶かすと僅かな悲鳴があがり、時を逃さずガイアスの魔力の乗った刃が男の腕を裂いた。男の意識が完全に精霊から離れたと気づき、急ぎフォローしてくれているフォルの背に隠れながらちらりと精霊の様子を確認した私は、安堵でフォルの腕を掴む。

 アルくんもジェダイも負けなかった。私が目にした崩れ落ちるように羽の動きを止めた赤い目の精霊はそのまま地面へと落ち、戦闘不能であるとわかる。操られている可能性が高いとわかるだけに申し訳ないが、あの子を放置してはいられなかったから。

「あの時の客か……くそっ」

 ガイアスに身体を押さえつけられ、手にしていた剣を手放した男が呻き慌てて意識をそちらに戻す。どうやら男も、ガイアスが以前薬を売った相手だと気づいたらしい。

「お前にはいろいろ吐いてもらうからな」

 ぐっとガイアスが手を動かすと男が呻き、じゃらりと音がする。鎖の蛇で捕らえられた男はもう、戦意を喪失しているように見える。

 フォルに耳打ちし、二人でそっと男に近づく。気づいたレイシスが男の握り締められた手を逆に捻り挙げ、叫んだ男の手から魔石が転がる。やはり、精霊を操っていたんだ。

 レイシスが拾い上げたそれを私に手渡すと、手のひらの上でそれはパキンと音を立ててひびが広がっていった。

 私が触れるとぼろぼろと崩れ去る魔石。やはり確証はないが、この精霊を無理矢理操る為の石は私が触れると崩れる。それは私だからか。魔石のエルフィの力か、別の何かか。

「それはいったい……?」

 気づくと訝しげな顔をしたハルバート先輩が隣に並んでいて、ぎょっとして手を下ろす。ぱらぱらと既に粉のように散ってしまった魔石は跡形もなく、どう説明すればいいのかと王子を見つめると、王子は僅かに首を振った。

「ハルバート。その男の意識を落とせ」

「はい」

 すぐに王子の言葉に従ってハルバート先輩が離れ、ほっとする。

 ほうっておけば舌でも噛んでしまいそうな敵の男の意識を音もなく沈めたハルバート先輩はてきぱきと移動する為に動き出し、ほっとした。

 ……それにしても、正直、手ごたえがなさ過ぎるような……。

 いや、アルくんとジェダイがいなければ、こうはいかなかったのだけど。二人を見れば、魔力をほぼ使い切っていたのか満身創痍にも見える。手ごたえがなかったんじゃない、彼らが身を挺して私達を助けてくれたのだ。

 不安からそう思ってしまったのだろう。申し訳なさと、もう少し彼らにとっても安全な策を練っておくべきだったという後悔を胸に、周囲を気にしながらそっと彼らに近づき、魔力を分け与える。

 ジェダイにはすぐにグリモワに戻ってもらい、魔力を調整する。植物の精霊であるアルくんは魔力を与えるだけで大丈夫だが、地精霊から魔石の精霊となって日が浅いジェダイは今もこうしてグリモワの魔石の中で魔力の調整を毎日しなければふとしたことで魔力を上手く扱えなくなるようだ。

「アニー!」

 突如おねえさまの悲鳴が聞こえ慌てて駆けつけると、どうやら極度の疲労からかアニーが意識を失ったようで。王子が支えてくれ、ぱっとそれ以外に問題がないか確かめて、撤収する為に動き出す。

 引きずられていく男の剣帯に、以前と変わらずルブラの紋章である蛇が見えた。

 今度こそ情報を吐いてもらえるだろうか。いや、今度こそ何か吐いてもらわなければ困る。

 ルセナの防御によって外部に魔力は漏れておらず、外に出ても騎士が吹き飛ばした扉以外は来た時と何も変わらない平屋の家屋を見上げて、終わった、と安堵の息を吐いた。こうして外に出ていても、騎士達が特殊な目くらましの魔法をかけてくれているようで私たちに気づいた住人の影などはない。さすが優秀な騎士を集めただけあって、何事もなかったように外の時は進んでいる。

 さあ、すぐにどこかでレディマリア様とアニーを休ませて治療をしないと……


「えっ」


 とす、と音もなく降り注いだ何かに、目の前で見ていた筈のルブラの男の身体が揺れた。

 ごろりと身体が転がり、雪明りの中男の周囲に黒い何かが飛び散った。

「なっ……!?」

 すぐ傍で聞こえたレイシスの息を飲む声、引き寄せられる感覚、巻きつく腕に知ったぬくもりが、私の視界を塞ぐ。それでもわかってしまう鉄のような匂いに、息を止めた。

 すぐに身体が勝手に警戒を始めたが、私達以外の怪しい気配なんて探れなくて。


「何だ!?」

「くそ!!」

「おい! 防御を展開しろ! 守れ!!」

 荒々しい聞き覚えのない声は、一緒に来ていた騎士のものか。

「やられた……仲間を口封じに殺しに来たか! ルブラめ!」

 誰の声だったのか、聞こえた言葉を理解したとき、ぐらりと足元が揺らいだ気がした。



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