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空を見上げれば、星ひとつない真っ暗な空からふわふわと白い雪が舞い落ちている。全ての音を吸い込んでしまいそうなその空間の中で、息をひそめる私達はもれる吐息が白くなるのすら疎ましい程に緊張していた。
絶対に先に敵に見つかるようなことがあってはならない。アニーの身がさらに危険になるから。
私のそばには同じく息をひそめ気配を絶ったガイアスとレイシスの姿があり、手を伸ばせば触れられる距離にいながらまったくそこいる気配のない二人でも、視界に入るとほんの少し緊張に強張っていた身体から余分な力が抜ける気がした。
少し後ろにはフォルが待機し、その傍に王子とおねえさまもいる。ルセナは現在私達よりも少し前にいて皆の気配を悟られないようにさらに魔力を感じさせないようにする壁を施してくれていて、今一番緊張しているのは恐らく彼だろう。
作戦決行の時間までもう少し。再び空を見上げた私は、王子が戻ったあの後、遅くなっては敵にこちらの動きを悟られる可能性が高いとすぐに開始された作戦会議を思い出す。
「とにかく危険が高いのはアイラだ。アイラを確実に守れるように行くぞ。絶対に無理をさせるようなことはしない」
「え?」
王子がすぐに決定事項のように言い出した言葉にぎょっとした。
「ま、待ってください。そもそも私の力は植物の魔法を使わない限りそうそう目立ってわかりやすいものじゃないんですよ? 守るべきは連れ去られた側で……」
「わかってる。目立ちにくいからこそ諜報向きの能力だというのも理解しているが、相手はルブラである可能性が高い。アイラお前、ルブラが最近妙な研究で魔石の精霊を無理矢理作り出したり、エルフィを作り出そうとしていたのも知っているだろう。警戒すべきはルブラに味方する精霊もだ」
「それならそれこそ、アルくんとジェダイがまず気づきますよ!」
「万が一にもお前がエルフィであるとばれてはいけない。……アイラ、お前の家も危険になるんだ」
言われて、俯く。わかってはいるが、だからと言って精霊の見えない皆が敵の精霊を警戒して動くのはそれこそ私より難しい事だろう。敵がエルフィや精霊であるなら最も戦いやすいのはこちらもエルフィが一番だ。ルブラのエルフィや精霊を警戒するならそれこそ私が一番重要な役割を担うことになる。
今回は守られてばかりはいられないのだ。
一見敵に回すととても厄介に見えるエルフィであるが、意外とこの能力は使いにくいものだ。
基本的にエルフィに情報を求められてもその内容を教えるかどうかを決めるのは精霊であり、対価の魔力を受け取るのも精霊の判断だ。
つまり私が緑のエルフィであっても、森で敵がいるかと植物の精霊に尋ね魔力を差し出したとして、教えてもらえるかどうかは精霊次第。
魔力を与えた精霊が嘘をつくことはなくても、魔力を受け取ってもらえず情報がもらえないことはありえないことではない、というより、良くある話だ。
エルフィは精霊からなんでも情報を貰えるわけではない。言うなれば見えない「レベル」のようなものが存在し、精霊にその情報を使いこなせるかどうかなどを判断され、力不足や教えるわけにいかないとされれば情報は与えてはもらえない。それどころか、姿さえ見せてもらえない場合もある。
だからこそ私は本当に幼い頃から精霊が指定された範囲に何人見えるか等の修行をお母様から指導され続けていたし、恐らく今現在私が魔石の精霊と確認できる精霊が少なすぎるのもこの「レベル」が問題となっているのでは、と思う。明確なレベル上げの方法などが、さすが情報が出回らないエルフィのことなだけあってわからないのが難点だが。
だが、自画自賛するわけではないが、私は『緑のエルフィ』という立場であれば相当上位のはず。師である母にも負けるつもりはない。
エルフィとの戦いになっても、そう簡単に負けはしない。その為に幼い頃から手を抜かず修行していたのだから。
ぐっと手を握り締める。大丈夫。アニーを助けて、皆を傷つけたりもしない。
結局王子や防御担当のルセナが話の中心となって組まれた作戦は、私にガイアスとレイシス、そしてフォルが張り付いた状態で動くような作戦だった。要は私達が一つの行動を起こす班なのだと言われたが、本来前に出て戦うのが一番実力を発揮できるであろうガイアスが後衛である私に張り付くとなればそれが本当に最善策なのかはわからない。
もちろん臨機応変に対応することになるだろうが、突入するような状態になった際先頭に立つのがルセナとファレンジ先輩だ。本来後衛向きのルセナが先頭に立つことも、王子に張り付いていなければならないファレンジ先輩が先頭に立つのもなんだか落ち着かない。ルセナが前に立つのは確実に私を守るためだろうから。
先に行動することができた私達がアニーの居場所を探り、今はアーチボルド先生と騎士団の信頼できる人たちでこちらに向かっているのを待って待機だ。
「……来た!」
周辺を探りに行ってもらっていたアルくんの姿が見え、両脇にいる二人の袖を引き短く告げる。
レイシスが予想を立てた範囲で怪しい魔力を探るのは簡単だった。相手が警戒しているからこそ、不自然に感じる魔力の流れがあったのだ。
恐らくアニーは魔力を封じられていると考えたほうがいい。レディマリア様はどうだろうか。リドットの人間が助けるために連れ去ったのであれば無事であろうが、ここにきて一つ疑問があるのだ。
王子に聞いた話ではレディマリア様が連れ去られたとき騎士を襲った人間は、レディマリア様と騎士が寮を出たところで躊躇なく水魔法で水を被せたあと、瞬時に地面を凍らせる事で足場を不安定にしたらしい。そういえば寮の前がつるつるにすべる状態だったような話がその日どこかで聞かれた気がする。
荒っぽい方法だと思う。私も水は得意だし、連携して氷魔法を使うこともあるが、生身の人間相手だとこれは怪我する確率が非常に高い。相手が敵であるからこそ放てる連携魔法だ。敵は、レディマリア様ごとその魔法に巻き込んだ。
……本当にレディマリア様は無事だろうか。
一抹の不安を感じながら、飛び戻ってくるアルくんを見上げる。
『アイラ。魔力を防ぐ扉があって簡単に進入できない地下がある家屋があった。君とフォルセが連れ去られたときと同じだ……といってもそれに比べたらお粗末な建物だったけど。その周辺も探ったけれど、ルセナが目星をつけたあの平屋で間違いない』
「わかった。それで敵は?」
『上にいたのは黒い服に身を包んだ男が三人。紋章や烙印があるかどうかまでは調べられなかった。地下は恐らくアニーとレディマリアだけだと思う。ただ、暗すぎて女性二人としかわからなかったけど』
囁かれるような小さな声に頷いて見せる。アニーと思わしき人物がいたということに、僅かに気分が高揚する。敵がルブラとは断定できなかったようだが、それがわかれば十分だ。
ジェダイは王子が言っていた『敵の精霊』がいないか周辺を警戒してくれていて、その姿を捉えながらガイアスとレイシスに耳打ちする。
「あの平屋に魔力を通さない扉付きの地下がある。地下は暗すぎてわからないけど女性二人、上にいるのは男三人、ルブラと断定はできなかった。烙印も不明」
「……りょーかい。突破が面倒だな。……アニーは無事なんだな?」
「たぶん。そもそもアルくんは暗すぎて女性二人としか判別できなかったみたいだから」
眉を寄せたガイアスは、レイシスに目配せするとそっと離れる。少し前にいるルセナに状況を伝えに行ったのだろう。
レイシスはガイアスが離れるとより一層警戒したように辺りを見回し、私に寄り添う。
アルくんの話では、妙な動きをする精霊は怪しい家屋周辺にもいないらしい。ただし、精霊も精霊に姿を隠すことがあるから完全に安全であるとは言い切れないのが残念ではあるが、アルくんはかなり優秀だ。ここは大丈夫だと信じて行動するしかない。
手にしたグリモワの魔石をつるりと撫でる。魔力は十分だ。この後私達は騎士が所定の位置に到着するのを待って中の状態を騎士に伝え、動きを決めることになっている。
敵は三人。突破が難しいとなれば、朝に敵が移動するタイミングを狙うべきか……? となると、攫われた二人の体力も心配になってくる。
ぐるぐると考えていると、ふと何かが引っかかる。
「……どうしました? お嬢様」
私が首を捻ったことに気づいたレイシスが私を覗き込み、見つめ返して「えっと」と考えながら口を開いて……違和感の正体にはっとする。
「あれ……ねえ、レディマリア様を連れ去ったのがリドットだとしたら、リドット侯爵は今どこにいるのかな」
「……あの隠れ家的なところにいないとなると、もう王都を脱出したのでしょうか。……厄介ですね」
「この王都を、騎士に気づかれず脱出した……?」
そんなことを話していると、一度戻ったガイアスが次は後方にいるフォル達に話をしに再び離れていく。
その背を見つめてため息を吐く。ガイアスは気丈な人だ。アニーの事、心配だろうに。きっとガイアスは冷静に対処するだろう。私の、護衛として。
「お嬢様。……ガイアスは大丈夫です」
「わかってるよ。大丈夫だから、不安なの」
ガイアスが立場上できないなら、私がやればいい。そう考えるのがレイシスを不安にさせることになるのがわかっているのでもどかしい。
「アイラ、レイシス」
ガイアスと一緒に戻ってきたフォルが、真剣な表情で並ぶと私達と一緒に奥にある平屋を見つめる。
「地下に敵がいないのなら、騎士達が突入して上の敵三人を押さえる事になった。僕達は騎士の後を追って室内に入り、すぐに地下に向かう」
「わかった」
「デュークから伝言。地下に向かったらレディマリアの動きをまず押さえる事、だって。アニーを人質にとられないように」
「え……」
思わず眉を寄せる。……レディマリア様は間違いなく王子が好きだ。その相手に警戒するように言われるなんてきっと知ったら傷つくだろう……なんて考えるのは意味のないことなのかもしれないが。やっぱり私は、レディマリア様も危険な状態なのではという懸念が捨てきれないらしい。
「すぐに鎖の蛇を使うべきか……レディマリアは戦闘できるのか?」
「できないんじゃないかとは思う。医療科を受験して落ちたのは魔力が足りなかったせいの筈」
「ああ、そういえばレディマリア様医療科を最初希望していたんだっけ……」
入学早々であった頃が懐かしい。まあ、魔力が少ないと言われても、彼女より魔力が大きければ余裕という判断はいけない。少ない魔力でも戦う術はいくらでもある。
そう無理矢理考えて甘い考えを頭から追い出し、前を見据える。軽く手を振ればすぐに飛んできてくれる精霊二人に簡単に作戦を伝えると、足音を忍ばせて後ろにいたおねえさまと王子も合流した。
「五分後ファレンジとハルバートがこちらに合流したら、予定通りルセナとファレンジを先頭に騎士の後に続く。地下に突入するのはルセナとファレンジにアイラを中心としたガイアスとレイシス、フォルで行け。俺とラチナ、ハルバートは上だ。いいな、アイラは万が一の為に精霊に警戒させてくれ」
「了解です」
万が一相手にエルフィがいた場合の対処は散々話した。
緊張に震える手を隠すように握り締め、雪でぬれた頬を拭う。
寒さで冷えた頬の上ですべる水は、たったこれだけでもひやりと肌を刺激した。……やっぱり、レディマリア様の誘拐の件が、納得がいかない。
「行くぞ」
鋭い視線で前を見つめたファレンジ先輩が合流し、ハルバート先輩が王子とおねえさまの横についたところで、ほぼ無音で移動を開始した騎士とアーチボルド先生の後ろに続く。騎士はたったの四人。リドット侯爵を追う方に少ない信用できる騎士の人員の大半を当て、今回の件ではまだ一般兵の導入は避けているようだから、精一杯か。多すぎても目立つだろうから、これを少ないと嘆くべきかどうなのかはわからない。
慣れた様子で建物を囲んだ騎士達の気配はない。さすが、というべきか慣れた様子の彼らの動きをじっと見つめ……次の瞬間、扉は跡形もなく消え室内に騎士がなだれ込んだ。
「地下だ!」
駆け出したルセナとファレンジ先輩の後に続いて室内に飛び込み、入り口を探す。平屋の家屋といっても間取りは一部屋のみで広く、すぐに騎士達に黒い服の男達が応戦し始めたのが見えた。
一人の男が立ち向かうことなく駆け出したことに気づいたルセナが後を追い、そこに不自然な床を見つける。
ガイアスが剣を抜いた瞬間一人の騎士の剣先が敵を掠め、その隙に私達はその不自然な床へと走る。隠すように置かれたカーペットを剥がせば、その下に金属製の扉が見えた。
「魔力がきかない。この扉か!」
「皆離れて!」
私がグリモワを振り上げたことに気づいたガイアスとルセナ、ファレンジ先輩が離れた瞬間、鈍い音を立てて床へと直撃したグリモワが、金属製の魔力を通さない扉の蝶番をとめた木製の床を突き破る。
「よっしゃ」
剣を付きたてたガイアスが穴の開いた部分をさらに広げ、扉を開けるのではなく無理矢理ひっぺがす。お粗末な作りに感謝し、私達はファレンジ先輩を先頭に現れた階段を駆け下りる。
「アニー!?」
下りた先の扉は木製で、鍵を確認する事なくルセナとファレンジ先輩が蹴り飛ばして飛び込んだ。
目に見えない敵を警戒しながら後に続いた私は、次の瞬間目の前の光景に息を飲んだ。
ガイアスの制御した炎の明かりで浮かび上がった薄闇の中に現れた人影。私達がなだれ込みひっと息を飲んだ一人が、私を見つけて目を見開く。
「アイラ、助けて!!」
涙声で叫ぶアニーの腕に抱え込まれたその女性に思わず足が止まる。
「レディマリア様……?」
ぼろぼろの、そして血だらけの状態でアニーの腕の中で目を閉じる女性が本当に私の知っているレディマリア様なのか自信が持てない。それほどの変わりように、誰もが一瞬息を飲んだのだ。




