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「リドットはルブラと繋がっている可能性が高いな」
おねえさまたちが待機していた部屋に入って開口一番そう告げた王子は、付け加えて「ティエリーも」と言うと騎士に指示を出し始める。ティエリー家も押さえるらしい。
まだはっきりしていないのにいいのだろうか、という疑問は王子がふっと「そうでもない」と言ったことで流された。……何かあるのかもしれない。
王子が騎士に指示を出している間、ガイアスがいなかったメンバーへと事情を説明するのをはらはらと見つめる。ガイアス、きっと無理してる。だっていなくなったうちの一人は、アニーなのだ。
「やはりレディマリアとアニーを連れ去ったのはリドットと見ていいだろう……はじめはあの男がリドットに関係している様子がないせいで読みが外れたかと思ったが」
王子はそう言いながらも、リドット侯爵と仲が良かった貴族などを徹底的に調べるように指示を出している。
あの男、ブルーズとの会話で、私にはわからなかった事で王子にはわかる事があったのだろうか。迷いなく指示を出す王子を見て安心する反面、決定的な事がわからずもやもやとした気持ちが広がっていき、それはやがて全身を支配するような感覚となって、私は漸く自分が震えていることに気づいた。
やら、なきゃ。アニーを助けなきゃ。
「……デューク様」
王子が騎士に指示を粗方終えたところで立ち上がった私は、じっとその瞳を見つめる。騎士が出て行くのを確認して、私は王子に詰め寄った。
「グラエム先輩はどこですか。これ以上情報がこないのなら、私が何がなんでもアニーの居場所を探し出します」
「待てアイラ。今……」
「待てません。今待てないほどの恐怖と戦ってるのは私じゃありませんから。現時点でわかっている情報をください。それを使って何が何でも探し出します。別に、無理をしているわけじゃありません」
前のめりにそう宣言する私を驚いたような顔で見た王子は、すぐに自分の額に手をあて短い前髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜ、つめていた息を吐く。
「ったく、落ち着……いてはいるか。お前なら宣言通りやれるんだろうというのはわかっているんだ。……だが待て」
「デューク様!」
「待て。できればあまりあちこちで動きたくない。俺はあいつを信用している……こういった面ではな」
女癖は悪いから信用しないけどな、とぶつぶつ言う王子の「信用している相手」がグラエム先輩であるとわかり、ぐっと手を握る。
別にグラエム先輩を信用していないわけではないし、今から私が動くより先に動いていた先輩の方が情報を掴むのが速いのはわかってる。けれど、黙って待つのがつらいのだ。
それに、気になるのだ。先輩が言っていた、落ち零れという言葉が。あの日、先輩は自分のエルフィの力を使わず私に頼んだ理由が、何かあったはずだから。
ふっと息を吐いてなんとかこの落ち着かない感情をやり過ごそうとすると、感じた違和感に顔を上げる。
アルくんとジェダイがぴりぴりと警戒し、じっと窓の外を見つめだしたのだ。
「何……?」
「どうした? アイラ」
すぐに気づいたガイアスが私を呼ぶのが聞こえ目線だけを向け、再びアルくんたちの視線の先である窓を見つめる。
「……あ、……え?」
私が理解したと同時にアルくんが窓へと向かうのにつられるように走り出す。近づいた窓の外、暗い闇の中に溶け込んですら見えた姿は、間違いなく王子が待っていた人物だ。だけど。
「グラエム先輩!? なんて怪我……!」
「え? あっ! どういうことですの!?」
私の言葉に反応したおねえさまとフォルがすぐさま駆けつけ、窓の外を見て息を飲む。
先輩は前回と同じ真っ黒な衣装のはずなのに、ところどころ破けた布の隙間から肌が露出し、そしてその肌が黒く染まっている。血、だ。
窓を開けようとしたおねえさまの手を慌てて止める。ぱっと目配せするとすぐに窓の外にすり抜けたアルくんが周囲を確認し、私に頷いて見せたところで飛びつくように窓を開ける。
皆が集まっている部屋に敵を入れるわけにはいかないと思っての行為で、それがあるからこそアルくんが先に窓に向かったのだと気づいていたからこそ私にできた行動だが、ほんの数秒でも血だらけの先輩を待たせるのは知らず歯をかみ締める程きつかった。
「先輩!」
私が手を伸ばした瞬間崩れるように倒れこんできた先輩を、横から同じく手を伸ばしたフォルが引く。すぐにふわりと先輩の体が何かに包まれて窓から部屋の中へと転がり込んだ。たぶんレイシスの風の魔法だ。
「くっ……」
うめき声を上げた先輩はそのまま床に転がり、傷を隠すように手で腕を覆う。だが、隠しきれず無数にある傷に眉を顰め、私はすぐ手のひらに魔力を集めた。
「毒の可能性は? 先輩、全身の魔力の流れを確認しますから少しの間力を抜いてください!」
「アイラ、僕が足からやるからそっちは頭から」
「私は薬を準備しますわ!」
すぐさま動いた医療科三人を呆然と見つめた王子にちらりと視線を向けると、はっとして王子は手を握り締めた。
「ガイアス、窓を閉めろ! ラチナ、薬を用意させる。来い!」
「ルセナ! デュークたちについていってくれ、護衛が今はいない!」
「わかった!」
ガイアスの指示にルセナが頷き、王子とおねえさま、ルセナがばたばたと部屋を出る。
ガイアスは窓付近に立ち外を警戒したように見回すと、さっとカーテンを引いたようだ。
それを確認しつつも、私はフォルをちらりと見た。暑くないはずの室内で、じっとりと汗ばむのを感じる。
「フォル、やっぱりこれ毒……」
「うん。先輩、すみませんが服、破きます」
真剣な表情で告げたフォルが先輩の服の破れ目に手をかけたかと思うと、びりりと一気に引きちぎる。むき出しになった先輩の腹部に見えた大きな切り傷にぐっと息を飲んだ。
ぱっと二人でそこに手を伸ばし、傷口から感じる魔力の波動にぎりっと唇を噛んだ。そうでもしないと身体が震えてしまいそうだったのだ。
「魔力分解の毒……」
「ああ、しかも僕が受けたのと恐らく同じだ」
フォルと意見が一致し、愕然とする。先輩がこんな傷を負ったのは、ルブラのせいかもしれないという考えがじわじわと頭を締め付けるように広がっていく。
「ぐっ、かはっ」
息を細く吐き、何か言いたげに私を見た先輩が咽る。その唇から垂れた赤い液体にはっとして、すぐさま思考を戻す。
「先輩、見えてはいるんですね? 声は聞こえますか? 情報は落ち着いたら聞きますから今は無理しないで」
「傷の治療と魔力漏れの検査は僕がやる。アイラは解毒して、君が一番速い」
「わかった。レイシス! フォルが大きな傷を治療するから小さな傷を癒して。ガイアス、私のポーチのポケットに魔力回復薬があるから治療の間先輩に数滴ずつゆっくり飲ませて、おねえさまが戻ったら現状を説明して」
「わかりました」
「了解!」
ばたばたと駆け寄ってきた二人に指示を出しつつ、毒治療に入ると他の事ができなくなると辺りを見回す。
「ジェダイ、異常があったら報告して。アルくん、治癒を手伝ってくれる?」
こくりと頷く二人の精霊を確認して、私は一番大きな腹部の傷の治療をするフォルの向かい側に移動すると、解毒の為に意識を集中させた。
「アイラ! 薬だ!」
一度戻った王子が魔力分解の毒と聞くや否やルセナを連れて再び飛び出し、おねえさまが魔力回復の治癒に加わったことでなんとか持ち直し始めた時、王子が小さなビンを持ち駆け寄ってくる。
「以前アーチボルド先生の解毒の際に立ち会った薬師が万が一の為に作っておいた専用の解毒剤だ」
解毒に集中していた私に代わり受け取ったおねえさまがビンの蓋を開ける。
全身に広がっていた毒は、ほぼ解毒したと言っていい。私だってあれから成長したのだ。
ただ、この毒は前回と同じ魔力と薬を練り合わせて作ったであろう複合毒。完璧に解毒しきるには、こちらも解毒薬があるに越したことはないから、王子の薬は非常に助かる。
ちらりと先輩のまだ青白い顔色を見る。呼吸は先程に比べて穏やかになってはいるものの、まだ油断できない。おねえさまが魔力回復にあたってはいるが、魔力分解の毒に加え大きな傷で大量の血液を失ったのだ。瀕死に近い状態だったと言っていい。
「アイラ、飲ませ終わった。けど、血と一緒に吐いたかもしれない」
私が解毒の治癒を終え手を止めたと同時にガイアスに言われ、顔をあげる。床に溜まる血は薬で希釈され薄まっているらしく淡い色が広く広がり、これでは駄目かと再度全身を巡るように手のひらを滑らせていく。
「もう一本。おねえさまの回復分くらいしか魔力が回復してないから、ほとんど飲み込めてないわ。……いや、ちょっと待って」
ガイアスが魔力回復薬を手にしたのを止め、腹部から移動して喉元に手を当て回復魔法を施しながら、ゆっくりと胸の辺りに手を滑らせていく。たぶん体内もぼろぼろだ。良く、生きて戻った、と考えてしまう程。
「よし、ガイアスもう一本飲ませて。おねえさま、どうですか?」
「解毒薬は効いたようですわ。あとは傷と、魔力回復を……」
「魔力が減りすぎたと思う。ショック状態に注意して、アイラ、ラチナ」
治療をしながらフォルが注意を促し、頷いた私とおねえさまは再度全身を確認する。レイシスが治療してくれたおかげで細かい傷はほとんどなくなっているが、ぼろぼろで纏いつく衣服が先輩の怪我のひどさを物語っていた。
フォルの手元を見て治療の進み具合を確認し、問題ないと判断しておねえさまと一緒に魔力を分け与える治療に戻る。
自分の手のひらにぽたりと落ちたそれは私の汗だろう。慌ててポケットで出したハンカチで拭い、余計な汚れを先輩に付着させないよう最新の注意を払う。
ほっと最初に息を吐いたのは誰だったか。
気づけばルセナが警戒し部屋を囲むように生み出していた結界の中で、私達の視線の先では先輩が穏やかな表情で目を閉じている。呼吸も安定し、身体を巡る魔力も問題はなさそうだ。
「持ち直した……っ!」
私の言葉に、どっと皆がその場に座り込む。安心した途端に力が抜け、私とおねえさま、そしてフォルはぐったりとその場に倒れこんだ。
「おい、お前らも飲め」
王子に差し出された小瓶を受け取り、魔力回復薬の薄いピンク色のとろりとした液体を呷り、息を吐く。
天井でじわりと光が滲んだ。
助かって……助ける事ができて、よかった……。
「疲れているところ悪い。説明できるか?」
王子に声をかけられ、のろのろと身体を起こす。見ればフォルもおねえさまも同じような状態で、魔力回復薬の小瓶を握り締め息を吐いている。
「……先輩の傷口から体内に入り込んだ毒はデューク様が持ってきてくれた薬で完全に消えました。つまり」
「相手はルブラか」
「恐らく。あの毒が出回ったなんて話は聞いていないから」
フォルが王子の言葉を肯定すると、王子の表情が険しくなる。
「……無理をさせすぎた」
ぽつりと呟く王子の言葉が聞こえて顔を上げると、珍しく不安そうな表情で……それを見たおねえさまが、王子の隣に並んだ。
「いけませんわ」
パチン、と頬をおねえさまの両手に挟まれた王子が目を丸くする。同時に私達も驚いてそれを見上げる中で、おねえさまがぐっと王子に詰め寄った。
「いけませんわ。弱気にならないで。自分の判断が間違っていたのではと後悔するのでしたら、後で一緒にいくらでも考えます。でも今はやらなければならないことがありますでしょう?」
「……おねえさま、かっこよすぎます」
目を見開いて呆然とする王子を見て、思わず口にしてしまう。はっとして口を押さえたが、いや、と思い直して顔を上げる。
「デューク様は間違っていません。グラエム先輩が最適だったから頼んだ。そうでしょう?」
「……ああ」
「ならいいじゃないですか。憎むべき相手はグラエム先輩を傷つけた犯人であって、自分じゃありません」
「それで、次はどうする、デューク」
「グラエム先輩は休息が必要だよね。騎士は動けないの?」
「っていうか、アイラになんだかんだ頼むんだから王都に諜報向きのエルフィの騎士っていないんじゃないか?」
「……痛いところをつくな、ガイアス」
ため息混じりに王子が目元を押さえて呟いた後、次に手を外したときにはいつも通りの鋭い視線で。
「ルブラが絡むとなれば一刻を争うな。ハルバートとファレンジも呼ぶ。王に話を通すのが先か……ルセナ、護衛を頼む。お前らはとりあえず回復してろ、ガイアスにレイシス、皆を頼む」
「うん!」
王子の護衛騎士は既に走り回っていることだろう。ルセナをつれた王子が席を外し、部屋に残った私達は穏やかな呼吸のまま眠るグラエム先輩をソファに寝かせ、息を吐く。
「アニー、無事でいて」
両手を擦り合わせてそう願うおねえさまの言葉に、私はそっと目を閉じ手を握り締める。
『アイラ』
耳に届いた声に顔を上げると、眉を下げたアルくんがどこか一点を見つめている。どうしたのだろうと首を捻ると、アルくんはぽつりと呟いた。
『風の精霊が僕達に姿を見せてるんだ』
今年はたくさんの応援ありがとうございました。
さて、次回更新ですが、いつも通りであれば1/1更新になりますが、1日だけお休みを頂きまして1/2からスタートしたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。




