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「話はわかった。それじゃ、こちらの質問に答えてもらうぞ」
「おい! 待て、こっちの質問はまだ……!」
「質問は一つだと言った筈だ。お前自身がな」
無表情の王子が見つめると、男は目を見開いて固まった。その後、縋るような目で私に視線を移した男に気づいた瞬間男の顔が見えなくなる。
伸ばされた腕が、私の目の前を覆い、隠している。隣に座る王子の腕が私の顔を隠したのだ。そこで、漸くはっとする。
王子だって男が真剣にダイナークを心配し探しているのは気づいている筈。無表情なのは相手に余計な情報を与えない為で、私は表情や感情を隠すことができずにいたから王子に隠されたのだろう。
情けない。
ぐっと唇を引き結ぶ。見えなくなった男がどんな表情をしているのかわからないが、これ以上余計な事はできず黙って続きを待つ。
「くそっ」
しばらく無言が続いた後、怒りのこもった声が聞こえ思わず肩が揺れる。
「約束は約束だ。……もしかしたらお前の情報からお前の探し人のこともわかるかもしれないがな。どうせ、その妙な組織とやらに近づいて探っていたんだろう?」
「……はっ、嘘はつかず約束守れってことだろ、んなこと言われなくてもわかってる」
忌々しい、という様子を隠しもしない男に、不安になる。……私だったらきっと、ダイナークの事を知ってる、と言ってしまう。
でもそしたら、彼が何をしてどうなったか話す事になるのだ。彼が捕まったのは私達が関わっている。……悪事に手を染めたのが悪いのだろうが、そう言いきって割り切れる強さが私にはない。
でも、王子が「お前が話したらこっちも話してやる」に近い内容の言葉を話した事に、ずきりと胸が痛む。そういえば、私はあのあとマグヴェルたちがどうなったかをはっきり聞いていない。王子にどうなったか聞くと言ったのに、確か「二度と会う事はない」と濁された筈。つまり、とは思うが、決定的な言葉ではなかった。
……って、何考えてるんだろう。もしダイナークが無事だったら、なんて考えて、どうするんだろう。少し考えれば、王族のデューク様を襲ったあいつらが生きているはずなんて、ないんだから。
ぐるぐると考え込んでいると、視線を感じてはっとして隣を見る。
私の様子をちらりと確認していた王子は目が合うとすぐ逸らしてしまったが、腕は下ろされないままだった。
申し訳なくなって俯いて立ち上がる。私は質問に答えた。……正確に言えば答えられなかったが、質問された「焼印について」知らなかったのは伝わっているだろう。
背を向けた私に縋るような視線を向けられているのはわかっているが、私はそのまま私のすぐ後ろにいたレイシスの背に隠れ、小さくため息を吐く。
「それで、てめえらは何が聞きたいんだ? そんな番犬いっぱい引き連れてまで、こんな男の注文聞いてお嬢ちゃんまでここに連れてきてさ」
「あの薬の事、それとそれを作っている奴らの事、焼印のことも。あとは売人だった男とも知り合いだったな? 関する知っている事すべてだ」
王子がきっぱりと言い放つ。自分の表情を隠している今男がどんな表情なのかはわからない。
無表情を貫かないと、と頬に手を当て呼吸を落ち着ける。
一度目を閉じ、深く息を吐いてそっと目を開けた私は、よし、と小さく意気込んだ。
フォルから借りたマフラーに顔を埋めるようにし整えると、振り返った瞬間下ろした手が左右に引かれた。
右手をレイシスが、左手をガイアスがぐっと握っている。
二人の間に挟まれ、王子の座るソファの背もたれに隠れるように二人に繋がれた手。ふっと、昔もこうして手を握っていたな、と思い出す。
三人でいたずらをして怒られている時とか。
ゼフェルおじさんから出されたテストの結果を聞く時とか。
懐かしい思い出が蘇った時、緊張に強張っていた身体から力が抜け、私はほっとして今度は少し距離をおいて男を見つめる。
そこで漸く私は、話がまったく進んでいないことに気づいた。前を向いた私の視線とぶつかる男の視線。鋭い眼差しに射抜かれたような気持ちになるが、両手のぬくもりと口元を隠してくれるマフラー、そして振り返り見上げる王子の視線に気づいて、なんとか耐える。
アルくんとジェダイは警戒するように少し男と距離を詰めて前にいるので、表情はわからない。それでも二人が私を気にしてくれているのはわかるからこそ、向けられた視線を受け止めそのまま見つめ返す。
「……あの」
私が声を出すと、マフラーを通した声は少しくぐもって聞こえた。
「質問にお答えします。私はその焼印については、知りません」
やっぱり、しっかり答えなきゃ。そう思って口にすると、男の鋭い目がさらに細められる。
じっと睨むような視線からこちらも視線を逸らすことなく、くぐもった声がはっきりと聞こえるようにもう一度「知らないんです」と声を張り上げる。しばらく交差されていた視線。が、ふん、と鼻を鳴らして目を逸らしたのは男のほうだった。
「わかったよ……つっても、知ってることなんてたいした事ないからな」
そう言って男が話し始めた言葉を、私達は必死に頭に叩き込んだ。
男が私達と最初に出会ったあの場にいたのは、ダイナークの所在を探し彼曰く「妙な組織」に近づいて日参していた為らしい。
男が言うに「ラッキーなことに」らしいが、男の烙印は既に過去のもので、今奴隷に身を落とされているわけではないそうだ。数年前にいきなり解放され、ただ、その烙印が押されたもの同士仲間意識か一緒にいる場合も多く、ダイナークと男もそうだったという。
「お前らに薬を売った男、あいつにも烙印がある」
そう言って男は何かを思い出すように目を閉じる。
「だからこそ仲間のように振舞って近づいた。……あの男がダイナークが協力した妙な組織の一員なのはわかっていたからな。それで近づいたが、何にも情報は得られなかった。薬の存在は知っていたが、薬を誰が作っているかも、俺は知らん……と言いたいところだが。それだけはあの男が言っていた。グロリア伯爵家、それに仲のいいベルティーニ子爵家だと」
その言葉に、ぴくりと手が震えた。私か、ガイアスか、レイシスか……考えるのに精一杯な私にはわからなかったけれど。
息を飲みそうになったが必死に耐え、ぎゅっと二人の手を握る。やはり嵌められるところだったのか。が、そこで男が意外な言葉を口にした。
「まああれは嘘だな。むしろそこだけあっさり吐かれたら嘘ですって言ってるようなもんだ。ずっと隠してたのに、急に最近言い出したから誰も信じちゃいないだろうな」
「最近?」
「ああ。でも、俺も調べたけどその二つの貴族は娘が二人とも王都の学園の優秀な医療科の生徒だと聞く。あんなお粗末な薬でそれを棒には振らんだろ。恐らく嵌められそうにでもなったんじゃないか?」
お粗末、という言葉に反応したのは、アーチボルド先生だった。鎖をじゃらりと鳴らしどういうことだと尋ねる後ろのアーチボルド先生を振り返った男は、だってそうだろと鼻を鳴らす。
「あの薬、中途半端だろ。だから学生使って人体実験してたんだろうし、確かに力は上がるらしいが効果時間が短すぎる。優秀な医療知識を得ている筈の人間の身内が、そんな不良品の薬で自信満々に自分たちで開発したなんて言い出して、裏の人間でそれを信じるやつかいるか?」
「……ほう」
相槌を打つように声を上げたのは王子だ。
元から信じられていなかったらしいが、今回のリドット侯爵の失踪で、もしそんな噂がばら撒かれていてもこちらが疑われることはもうないだろう。これに関しては、こちらが先手を打てたということになる。
しかし、そこで新たな疑問が浮上する。
私達が男に話を聞きに来たのは、レディマリアとアニーを拐かした人間に、この目の前の男と同じ烙印があったからだ。
だが男の話を纏めると、男はリドットの奴隷ではない。烙印は、レディマリア様を連れ去った人間がリドットの関係者であると示すものでは、なかった? なら……レディマリア様を攫ったのは、誰? まさか本当に、誘拐……!
「その印は誰の奴隷の証だったんだ」
私が愕然としている間も、険しい声で尋ねる王子が僅かに身を乗り出している。
男は再び鼻を鳴らす。吐き捨てるような言葉に、私達は目を伏せた。
「貴族様だろーよ。知るか、この国の奴隷制度があったころからの裏のアタマなんて、周知されてるわけねえだろ」
男の言葉は、私達の最後の希望を絶つものだ。男の烙印がレディマリア様、そしてアニーを誘拐した人間と同じだからとそこに希望を見出していたのに、これでは何もわからなかったと同じことになる。
愕然とした私達は言葉を失い、部屋がしんと静まりかえる。
突如、じゃらりと鎖がぶつかり合う音で意識を戻した私が視線を男に向けたとき、男は何かを考えるように俯いて「ただ」と続けた。
「俺達烙印があるものがこうして生きて暮らしていけているのは、とある貴族のおかげだ。烙印があるってだけでもう奴隷じゃないのにまともな仕事先なんて滅多にないが……リドット家とティエリー家は分け隔てなく雇ってくれると裏で言われてな。ほら、ティエリーなんか傭兵をよくあちこちに派遣したりしているだろう」
その言葉に、目を見開く。
王子が、「成程」と感情の読めない声で答える。
「わかった。……お前、名は」
「は? 今更かよ。……ブルーズだ。悪いが、奴隷だったもんで家名は知らねえ」
それを聞くと王子は立ち上がる。
「ブルーズ。お前の探し人の件覚えておく……いくぞ」
私達を促した王子は、そのままアーチボルド先生に男……ブルーズを任せ、すばやく私達を外へと誘った。




