241
アニーの身が危ない。
そう思うといてもたってもいられず、私達はすぐに準備に取り掛かる。
「待ってアイラ」
用意しようと扉に手をかけたとき、フォルに呼び止められて振り返る。フォルはなんだか悩むような表情をしていて、部屋を出ようとしていた全員が足を止めた。
「……服とか髪とか、そのまま?」
「え?」
「あ」
私が疑問を浮かべるのと同時に、ガイアスが「そうだった」と額に手をあてた。
ゆっくりと自分の身体を見下ろして行き、揺れる髪を見てはたと気づく。
「あ……もしかして男装したほうがいい?」
「明るいところじゃ男装しても女だけどな」
「おねえちゃん……本当に行くの……?」
眉を寄せて不安そうな表情のルセナが、私の服の袖を掴んで引く。
……危ないのはわかっている。けれど、アニーを見捨てることは私にはできないから。
「行きます。……まあこの姿よりは男装したほうがいいのかな」
「いや待て待て、あいつ変態だし、そっちのほうがある意味危ないんじゃないか?」
「反対です。むしろ顔を見せずに応対したらいいのではないですか」
ガイアスとレイシスが次々にそんなことを言い出し、どうすればいいのかと足を止める。こんなことしてる場合じゃなくて……アニーが怖い思いをしてるかもしれなくて……。
「よし、男装でいくね」
きっぱりと決めて声を出すと、えっと振り返る皆に大丈夫だと笑ってみせる。
「男装の方が、話してくれるんじゃない? っていっても、髪纏めて動きやすい服に変えるだけだけれど。とにかく急いで着替えてくるね」
返事を待たずにばたばたと階段を駆け上がる。
部屋に戻るとすぐにアルくんに事情を説明し、遅い時間に申し訳ないと思いつつもレミリアを呼んで仕度を手伝ってもらう。
髪を綺麗に纏めてくれたレミリアは心配そうな表情をしているが、完璧に服装も髪型も整えてくれた。
「帽子に纏めた髪を隠しますから、なるべくなら外さないでくださいね」
「わかった。ありがとうレミリア」
最後にもう一度確認してもらい、慌ただしく部屋を出る。僕も、とついてきたアルくんに微笑んで、予め精霊の姿に変わってもらい階段を下りる。
屋敷の玄関に向かうと、既に勢ぞろいしていた皆を見て「ごめんなさい!」と駆け寄った。
「ってあれ……? 皆で行くんですか?」
「当然だろう、と言いたいところだが。ガイアスとレイシスはともかく、残りも行くと言って聞かなくてな」
苦い顔でため息を零した王子が、ほら、と皆を促す。
「アーチボルド先生は既に向かっている。移動しながら手順を話すから、アイラは頭に叩き込んでくれ」
「了解です」
それってつまり尋問の極意とか? と微妙に緊張した頭で考えつつ、私達は雪の降る冷たい空気の中へと飛び出した。
「混乱してきた……」
「落ち着け、お前は言われた質問に慎重に考えて答えを出してくれてもいい」
あの変態がいるという部屋に向かう途中で、私は一人大きく深呼吸していた。
同席するのは王子とフォル、それにガイアスとレイシスのみ。あとこっそりアルくんとジェダイ。
おねえさまも同席を希望していたが、むやみやたらに相手に素顔を晒す必要はないとのことだ。
王子はとにかく、他の同席メンバーは揉めた。最終的に私の護衛である二人と、王子が指名したフォルとで乗り込むことになったのだけど。なんでフォル? と王子に尋ねたらいい笑顔が返ってきたので詳しくは聞いてない。
もちろん、何かあった場合のために王子の護衛についている騎士とアーチボルド先生もいる、大所帯。
問題はこの大所帯であの男が口を開いてくれるかどうかだが、そこは王子が臨機応変に対応することになっている。
「ここです」
王子の護衛騎士に言われて慌てて立ち止まる。目の前にある扉は金属でできているのか頑丈そうで、いかにもと言った雰囲気に少し飲まれそうになる。
尋問の極意、というよりは王子が道すがら話してくれたのは「名前を出すな」とか「身分を明かすな」とか基本的なことで、逆に緊張する。まあ、その基本的な事すら私はできるか不安だが。何せ、こんなこと初めてだ。
「落ち着いて」
隣に立つフォルに言われて、頷く。そういえばフォルは随分落ち着いているように見える。ガイアスとレイシスも落ち着いてはいるがこの状況に納得できていないのかどこか険しい顔をしているし、いつもと変わらないフォルになんだか少しほっとした。
「アイラこれ」
フォルがそういうと、ふわりと首元が温い何かに包まれて思わず見下ろす。
くるくると首に巻かれたのは、フォルが使っていたマフラーだ。
「これでなるべく顔隠そう。希望に応じて来てやって顔まで見せる必要はない」
「あ……ありがと」
「ちゃんと何かあれば助けるから。僕も、ガイアスとレイシスだっている」
「うん……」
ふわりと温かいぬくもりに目を閉じれば、ふと頭に過ぎるのは、いつも通り授業を終えてにこやかな笑みを浮かべていたアニーの姿。
誘拐なんて。……されたことがある私が怖がっていたかどうかは別として、きっとアニーは不安だろう。それに、今のままじゃ第三者が話を聞けばなんだかアニーが疑われそうな状況でもある。なんとかしないと。
覚悟を決めると王子に目で合図され、頷いて見せる。目の前の扉が重そうな鈍い音を立てて開かれ、まず騎士が、そして続けてガイアス、レイシスが入り、続く。
最後にフォルが入ったところで扉が閉じられると、既に中で待機していたアーチボルド先生は手に鎖を持っていて……鎖を辿った先に、にたにたと笑う男の姿があった。
「来てくれて嬉しいよ、お嬢ちゃん?」
相変わらずの少し掠れた声で、大柄な男が以前と変わらない様子で私に声をかけてくる。
正直ほっとした。
王子が「薬も他もだめだった」と言ったということは、試したはず。もしぼろぼろの姿であったら、いくら自業自得であろうと話しづらい。
必要以上のことを話すまいと無言を貫いていると、男はまあまあ座りなよ、と椅子を指差した。
男と私達の間には、壁がある。囚人やらに面会が必要なときに施される魔法の壁らしく、透明であるのにしっかりと存在を感じる壁にどこかほっとするが、男が動くたびに首元から先生の手まで繋がる鎖のじゃらじゃらとした音が耳に障る。
あの鎖はたぶん魔力制御用だ。男は魔力を封じられているし、壁まである。つまり、この場はかなり安全面を最優先にと作られた場所なのだろう。
少し考えていると、王子が私を促した。男の前にあるソファに腰掛けるのは、私と王子ということになるらしい。
他のメンバーがすばやくいつでも動ける位置に移動するのを感じながら、男の視線を受け止める。
心配していた皆の同席の件は、どうやら男の方が特に気にしていないらしく出て行けとは口にしない。
しばらくにやにやとこちらを眺めている男を、複雑な気持ちで見つめる。何を質問されるのだろうという不安と、早く話をしてアニーを助けないとという焦り。
そしてそれがお見通しだったのか、男は「そんな警戒しなくていいのに」と軽い調子で話しだす。
「戦ったときはあんなに勇ましかったのにな。俺と戦ってるのにそこのお兄ちゃんの回復しちゃうくらい余裕だったのにどうしたんだ」
くくっと笑う男の首元でじゃらりと音がなり、前のめりになっていた男が後ろに引っ張られるようにして席に戻る。
おお、怖い怖いと首筋を撫でた男はちっとも痛くなさそうだ。……そういえば、薬も拷問もきかないって、こいついったい何者なんだろう。
今更ながら訝しく思い見つめていると、男はさっそく、と笑った。
「俺が聞きたいのはこれのこと」
男は着ていた簡素な服を急に脱ぎ始めた。ぎょっとして目を背けると、初々しいねぇと笑われて、王子が横で低い声で「黙れ」と男に告げる。
「無駄口叩くな」
「怖い番犬が一杯で嬉しいことで」
それでも止める様子がない男は私に二の腕を突き出して見せる。そこにある焼印に思わず眉が寄った。
その瞬間、やっぱ変態だと思っていた男の表情がふっと真剣なものに変わり、思わず口を引き結んだ。
「お嬢ちゃんに聞きたかったのはこれだ。同じ焼印の男を見なかったか」
「……え?」
驚いてぱちぱちと瞬きし、浅黒い肌に浮かぶ痛々しい焼印を見つめる。三角っぽいマークに、よくわからない曲線がいくつか入り込んだまったく見覚えのない印。
わけがわからず首を傾げると、男は見る見るうちに落胆していく。
「……しらねぇか。桜色の髪の、見た目は可愛らしいお嬢ちゃんだって聞いたからもしかしてと思ったのに」
予想外の言葉を立て続けに言われ、思わず見上げる。質問されると言われていろいろ考えてきてはいたが、想像の斜め上もいいところだ。
「どういう、ことですか」
初めて口を開くと、男はどこか興味が失せたかのように椅子にどっかりと座る。
「人を探していた。そいつが戦いたいと言っていた女の方の特徴だ。桜色の髪の、若い女。だが強いと」
「は……?」
「やっぱ、無理か。お前が女だって気づいて、この間戦ってその度胸と技術を見て……もしかしてと思ったんだがな」
言われて焼印を見つめるが、まったく見覚えがないそれをいくら見たところで解決にはならない。が、男の言う特徴は……。
「誰を探しているんですか」
もしかしたら、その身体の烙印と結びつかないだけで私の知り合いかもしれない。男の予想しなかった真剣な表情が落胆に変わったのを見て、つい尋ねた私の肩に、ガイアスの手が伸びてきた。
「待て待て。なあ、戦いたいと言っていた『女の方』ってどういうことだ?」
ガイアスが尋ねると、ちらりとそちらを見た男がふんと鼻を鳴らす。
「あいつとはよく戦いたい相手について語っていたが、女が出てきたのは後にも先にも一人だけだから覚えていただけで特に意味はない。男なら他にももう一度爆炎剣のゼフェルだのその息子と戦いたいだなんて言っていたが」
「……は!?」
「……探している相手は誰だ?」
もう一度、ゼフェルとその息子と戦いたい。……ガイアスとレイシスだ。
これは間違いなく知り合いだ。そう確信し、驚いた私達の中でただ一人冷静に男を見据えたレイシスが再度誰かと尋ねると、男ははだけた服を直そうともせずため息混じりに呟く。
「友人……いや仲間だ。ダイナークっていうんだが、筋肉馬鹿で戦い以外能がないやつだ。それでもここしばらく連絡が途絶えて探している」
その言葉に、息を飲む。
この男の探し人、私は知っているじゃないか。
黙りこんだ私達を訝しげに見ていた男が、まさか、と目を見開く。
「知っているのか……! あいつはどこにいるんだ! あの馬鹿、妙な組織に近づいて変な研究に手を貸しているから、心配してっ!」
前のめりに尋ねてくる男の言葉が、胸に突き刺さる。
あいつにも、これほど心配する仲間がいたのか。……いや、よく考えれば、当たり前の話だ。人は一人では生きていないんだから、こういう仲間がいるのはありえない話じゃなくて。でも、あの男はおそらく……。
この瞬間理解する。きっと彼は嘘はついていないだろうから、妙な組織と言い放った彼は恐らく「ルブラ」ではないと。
震える声でダイナークの所在を尋ねる男の声に、私達は返す言葉を探して目を伏せた。




