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「あ……」

 先生の声が、少しくぐもって聞こえる。

 頬に擦れる布の向こうから、少し速く聞こえる心音と温かい体温を感じた。

 風の刃は私の視線の少し先で互いにぶつかり合いながら消えていき、しん、と部屋が静まった。

 確かに私の目の前に迫っていた風の刃。それが離れた位置にあるのは、今私を庇うように覆いかぶさっている彼が私の身体ごと風の刃から離れた位置に移動させたからだろう。

「レイシス。……試合中に自分の攻撃から護って、どうするの」

 苦笑してそう呟けば、「お嬢様こそ」と小さく聞こえた。

「それに、俺がお嬢様を魔法から引き離したのは、きちんと先生の合図があってからですよ。万が一にも傷つけるわけにはいきませんから」

 そう言って少し離れたレイシスは、最近の暗い表情がどこかふっきれた笑みに変わっていた。


「こりゃ、引き分けだな」


 レイシスが私から離れたところで歩み寄ってきた先生が、額を抑えながら呆れたようにため息を吐く。

 先生はレイシスの後ろに屈むと、一枚の紙を拾い上げる。魔法文字が書かれた一辺が破られたようにぼろぼろのその紙は、間違いなく私がグリモワから破り取った一ページだ。

「レイシスお前、これ気づいてたか」

「はい。ですが、風の刃を操っていた上に気づくのがぎりぎりだったのでたぶん防げませんでした」

「アイラもあの時点でレイシスの風の刃を完璧に防ぐのは無理だっただろうな。……ったく、お互いに直前で自分の攻撃から相手を護ってちゃ試合にならんだろ」

「お言葉ですが、私もお嬢様も先生の合図があってから攻撃をやめました」

「はいはい、わかってるけどな」

 ぺらりと先生が私に紙を投げ返す。

 そう、私は最後、迫る風の刃を見た瞬間、破り取った二ページのうちの残っていた一枚を咄嗟にレイシスに向けて放っていたのだ。鋭い刃に変えて。

 ただし、私も先生の「そこまで」の声でグリモワ本体を動かしてその刃がレイシスに触れる前に叩き落していたのだけど。

「引き分けは、予想外なんだけど」

 近寄ってきたガイアスが、私を引っ張って起こしてくれる。

 小さな頃から実家でもレイシスと戦ったことはあったが、私が勝つこともあればレイシスが勝つこともあって特に偏りはなかった。けど、引き分けというのは珍しい。

 そうだね、といいかけたところで、ガイアスが私の顔を覗き込む。

「アイラ、まーた遅くまで戦術だのなんだの勉強してるんじゃないだろうな。昔からやりだすと朝まで起きてたりしただろ」

「えっ!」

 まさかここでお叱りが来ると思わず目を丸くする。ひどい、ガイアス。私が負けると思ってたな?

 すると、王子から「なんだその勇ましい趣味は」と突込みが入る。い、勇ましい……?

「そこいらの軟弱な男よりよっぽど男気溢れる女だなお前は」

「おねえちゃん、騎士科でもきっといける」

「デューク様、ルセナ、それなんか乙女心的には微妙な……ああでも、女騎士もかっこいいかも?」

「聖騎士のポストでも空けておくか?」

 聖騎士、はこの世界で主に回復や防御を得意とする戦士だ。

 騎士という立場にあるが、最優先は近衛と組んで要人の守護である。前線に出て戦うのではないが、重要な職であろう。

「……それでは、お嬢様はライバルになってしまいますね」

 ふっと、レイシスが笑う。

「なんだ、お前やっぱり聖騎士の道を学ぶのか?」

「じゃあ三年の選択授業はそっちを選ぶのか」

「僕も気になってる」

 王子とガイアス、ルセナがレイシスと話し始め、私はそっと会話から抜けて顔を伏せる。緩む口元を隠すために。

「アイラ、よかったね」

 傍にいたフォルが小さな声で囁く。

 うん、と短く答えながら、口元をそっと隠すように手のひらを当てた。

 レイシスが、ライバルだって言った。……護られる側じゃなくて、戦う側にいる私も見てくれた。

「選択授業ですって……私達も考えないとですわねぇ」

「僕達は医師か薬師か看護に徹底するか……班の皆は先生には医師を勧められるだろうね」

「そうかもしれません。トルド様薬師志望でしたわよね。大丈夫かしら」

 おねえさまが頬に手を当て、首を傾げつつも笑っている。

「お前ら雑談そこまで! 次ガイアスとルセナ、前に出ろ!」

「げ、俺最近のルセナの魔法苦手……」

「僕負けないよ」

 やる気満々のルセナと、唸るガイアスが前に出る。

 ふと、レイシスと目が合う。そらされることなく、僅かにレイシスの唇が笑みの形を作る。

「……レイシス! 一緒に試合見よう」

「はい、お嬢様」

 ふわりと笑うレイシスにつられるように、私は久しぶりに笑顔の会話を交わした。



「フォル待って!」

 特殊科の授業が終わってすぐ。

 今日は依頼があるという騎士科メンバーが慌ただしく授業終わりと同時に飛び出し、先生も話があるとおねえさまを連れて戻ってしまった騎士科の稽古場。

 本当はレイシスとちゃんと言葉でも和解したかったのだけど、依頼となれば仕方ない。残された私とフォルで部屋に戻ろうかと思っていたところでふと大事な事を思い出し呼び止める。

 ちなみに試合は、私対レイシスが引き分け、ガイアス対ルセナがルセナ勝利、続けて本人の希望によりガイアスと私で勝負しガイアスの勝利、そしてラストに先生がぶつけてきたのはまさかの王子対おねえさまだった。王子、先生に怒られてました。勝敗はあえて言わない。

「どうしたの、アイラ」

 きょとんと首を傾げたフォルを見上げる。もしかしたら防御壁を突き抜けた問題とやらが公に言えないことかもしれないと機会を見ていたのだけど、最近フォルと二人で話す時間が多いな、となんとなく考える。今はラッキーだけど。

「昨日の防御壁の話、教えてくれる約束でしょう? どうせなら稽古場この後使う人いないみたいだし、実際に試してみたいんだけど」

「ああ、そうだったね」

 頷いたフォルが、んー、と少し悩みつつも私と視線を合わせる。

「とりあえずアイラ、防御壁出してみて?」

「わかった」

 ほんの少しフォルと距離をとって、水の壁を作り出す。

 私の壁が完成したのを待って、フォルは壁に近づくとそっと真剣な表情で手を添えた。

 その時点で壁に特に違和感はない。何が起きるのかとじっとその手に集中し感覚を研ぎ澄ませ見つめていると、一瞬だけ何かが入り込む違和感を感じぴくりと身体が揺れた。

「わっ……ん、なんか入って……」

「……アイラ。その……ううん、いいや」

 驚いて口を開いた私に対し、フォルはなぜか白い肌を赤く染めて俯いて手を離してしまう。

「え? 待って待って、フォル今なにしたの? あれ! 壁元通りだし!」

 確かにフォルの魔力が壁の内側に入って来たと思ったのに、壁に損傷箇所は見られない。フォルの魔力の侵入に気づいたのだって、かなり感覚を集中させていたからだ。なんだこれ、何が起きた?

「ええ? 壁が損傷なしに破られたってどういうこと? そんな事例見たことも聞いたこともないよ?」

「だよね……あのねアイラ、たぶんなんだけど。その……怒らないで聞いて欲しいんだけど」

 まだ若干頬を染めたままのフォルが壁を解除した私のそばにゆっくりと歩み寄ると、そっとその手を伸ばし私の首筋にひやりと冷たい指先を触れさせた。反対の手で口元に人差し指を近づけ、とても小さな聞き取れるか聞き取れないかというような声で、辺りを警戒しながら囁かれる。

「血、吸ったからかも」

「……え? それで、私の壁が破られちゃうの?」

 いまいち話についていけない私に、フォルも首を傾げる。

「自信はないんだけど。なんたって事例が本当にないから……でも、ちょっと気になる事があって」

 何、と話を促すと、フォルはどこか躊躇う様子を見せた。

 不思議に思って見つめると、ふう、と小さく息を吐いたフォルの指が私の指先を包む。

「アイラ、屋敷で話そう。さすがにここは話しにくい」

「あ、ごめんなさい」

 血を吸ったからかもしれない、ということは。闇の力がなんらかの原因となっているのかもしれない。となれば、一応人は来ない『だろう』と思われる程度の場所で話すのは不安だ。

「うん。もう実際に壁の確認もしたし、大丈夫」

 そうして二人並んで歩き出す。

「あ」

 外に出るとふわふわと空から舞い落ちてくる雪に手を伸ばしたとき、やわらかなその雪に肉眼で確認できる綺麗な結晶が見える事に気づく。

「ほらフォル、結晶が見えるよ!」

「あ、ほんとだ。……積もりそうだね、雪」

 フォルも同じように雪に手を伸ばしながら、私の指先にのる雪を見る。

「いろんな形があるよね、結晶って」

「同じ形ってないのかな」

「同じものはないっていうけど…あ、アイラ見て」

 フォルが嬉しそうに私に見せてくれた指先にのる雪にも、結晶が見える。

「あ、でもこれとこれ、形そっくり!」

 私が指先にのせた結晶と、フォルの指先にのる結晶はとても形が似ているように見える。

 じっと見つめているとそれはじわじわと形を崩し、指先に吸い込まれるように消えていく。冷たさだけが残る指先を見つめながら、ふと思う。

 ……フォルの魔力が、私の魔力に溶け込んだ、とか……? いや、ちょっと違うかな。なんかひっかかるんだけど……。


 屋敷に戻ると、フォルに案内されてフォルの部屋にお邪魔することになった。

 フォルが淹れてくれたお茶を飲みながらも考えるのは、完璧に作り上げたはずの壁を突き抜けたフォルの魔力のこと。

 血を吸ったらということは血に何かあったからだろうか。いや、そもそもまず第一私達の血には魔力が含まれている。

「私の魔力を取り込んだから、私の魔力に干渉できたとか……?」

 フォルの魔力が私の魔力に溶け込んだ、と思ったけれど、私の血を取り込んでいるからもしかして、私の魔力がそもそもフォルの身体の中に、なんて考える。

 唸りつつ思いついたことを思わず呟くと、フォルが小さく「ああ」と声を上げた。

「……それなんだけど。僕もそうかなって思って……さすがに闇使いの母はもう亡くなってるから聞けないし」

 父に聞こうかなとも思ったんだけど、と言った後、フォルはため息をついて俯いてしまう。

 闇使いの母、といわれて、あっと息を飲む。

 当たり前の話だけど、フォルのお父さんは元第二王子だったわけで。つまり光のエルフィだったということだ。恐らくジェントリー公爵家に入ったことでその力は失っただろうが、息子のフォルが闇使いということは元より闇使いだったのはフォルのお母さん……実母のほう。

 今のフォルのお母さんは血は繋がっていないから、フォルの闇の能力に詳しい人はいないのかもしれない。ジェントリー家以外に闇使いがいるかどうかなんて、わからないし。……ん?

 ふっと違和感を感じたが、その正体を掴めず首を傾げる。少し考えて、そもそも本題からずれている、と気づいた時に再び落とされたフォルのため息ではっと意識が浮上する。

「父に聞いたら、殴られそうだ……」

「え?」

 殴られる? なんで?

「とにかく。実はね、この前だけじゃなくて以前にも僕、アイラの魔力に干渉してるんだよね」

「えっ!」

「……たぶんアイラはわからなかったと思う。意識なさそうだったし」

 そっとフォルの手が伸ばされ、カップに添えていた私の手に触れる瞬間戸惑ったように動きを止め、触れることなくおろされる白い指先を見つめる。

「アイラが夏にあの男……マグヴェル相手に一度魔力を暴走させた時。僕が怪我した時のこと、覚えてる? 僕、あれほど近距離にいて……君の暴走した魔力に触れていても平気だった。むしろ少し馴染んでいたかも」

「え……?」

 暴走した魔力は凶器だ。……それに触れていて平気だった?

 必死に夏のあの日を思い出そうとするが、ただでさえ霞がかる記憶があの日を思い起こす事を拒否するように目の前を暗く翳らせていく。

「……ごめん。思い出させるべきじゃなかった」

「そんなことない。けど……」

 もしそうだとしたら。

「デューク様に相談してみる……?」

 闇の力の話であれば、そう簡単に皆に相談できることではない。唯一頼めるといえば王子だが、さすがに躊躇う。今は忙しいだろうし……どうやらフォルも同じ考えのようだし。

「とりあえずこのことはばれないように気をつけよ? ルブラとかに気づかれても困るし」

「そうだね。……ごめん。嫌だよね、勝手に魔力に干渉されるなんて……」

「ん? それは別に。あ、でもよかったら、壁以外もそうなのか研究したいなぁ。荒れた魔力も大丈夫だったってことは、盾や鎧の防御魔法も突き抜けると思う? もしかして攻撃魔法まで無効化したりしないよね?」

「それは結構由々しき事態だけど。そうじゃなくてね……アイラ、ほんとあまり心配かけないで……隙ありすぎ」

 がっくりと項垂れるフォルに、むっと口を尖らせる。失礼な、こうして確かにフォル相手だと防御がきかなくなった可能性があるが、そうでなければ私に隙はない! 筈!

「ほらほらフォル、はい! 水の盾!」

「え!? 今!? ……って冷たい、押さないで、アイラストップ!」

「あれ? 盾は駄目なの? なんでー? じゃあ水の蛇……」

「わーっ!? アイラここ部屋! 普通の部屋だから!」

 慌てるフォルと、小さい蛇にするからと立ち上がる私。騒がしい攻防は、戻ってきていたらしく様子を見に来たおねえさまに止められるまで続いたのだ。


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